故郷ということ Ⅴ
◆
「おお、なんだあんた達か、お帰――――うおぁ!」
「悪い! 急いでるんだ――――あぁ、そうだ、ギルクを見なかったか!?」
「ギ、ギルク様? さあ……ラディントンの外にはでてないはずだが」
「わかった、サンキュ!」
門番に扉を開けてもらい、街に飛び込む。こうなれば後は足で探したほうが速い。
「ニコちゃん、宿の厩に一人で戻れますか? ……はい、いい子です。後でご褒美あげますね」
『きゅい!』
面倒を見ずとも、自分で宿まで戻ってくれる賢いニコが、今ほどありがたい事はない。
「それで、どうするんですハクラ」
「ギルクを探して捕まえる、絶対にルーヴィに会わせるな!」
どんな理由があろうとも、ギルクが魔女であれば、ルーヴィは確実に殺すだろう。
そうなれば、ギルクを娘同然に思っている街の人間が黙っているわけがない。そして、市政の人間がどれだけ束になっても、ルーヴィに敵うはずがない、いや。
だから先に本隊を逃したのか、街の人間との戦いに、【聖女機構】の非戦闘員が巻き込まれないように!
「ハクラと一緒に温泉入ってた頃には、もうとっくのとうにやることやってたってことですね」
「いつまで根に持ってんだお前!」
「根に持ってるって言い方やめてください! 私が気にしてるみたいじゃないですか」
「気にしてないなら追及するなよ!」
「じゃあ、気にしてます」
こんな時に、なんてことを言いやがる。
混乱する俺に、リーンは指を立てて、俺の頬をついた。
「冷静になりましょう、そして出来ることをしましょう。ハクラはどうしたいんですか?」
頭の中に、二人の人間の顔が浮かぶ。
この街を愛していると言い切った、ギルク。
死んでも良かったと、力無く告げたルーヴィ。
「――ギルクにもルーヴィにも、馬鹿なことはさせない」
「わかりました、ハクラがそうしたいなら、私は手伝います」
ですけど、と、リーンは続けた。
「ハクラが、私のためにしてくれるご褒美、期待してますからね?」
☆
両手足を縛られて、動けないまま、私はその姿を見ていた。
「…………ゾゥナ・ゾォーナ系列の第二十八位、アシュモディと契を結ぶ場合、満月の夜に、以下の供物を用意すべし。純粋な硫黄、黄鉄鉱、銀の調べの葉、イディルの若い花」
供物、と呼ばれた物を、一つ一つ地面に並べていく。
ああ、この人は本当に――――これから魔女になるんだ。
ギルクさんが持っていた本は、悪魔と契約し、魔女になる為の手順が示された手引書だった。教会がどれだけ取り締まろうとしても、この手の本は必ずでてくる。
勿論、誰が見ても明らかな禁書で、持っているだけで罰されてもおかしくない。
馬車の中で、手当に使えるものを探そうと、気を失っていたギルクさんの荷物を漁った時に、私はそれを見つけた。
最初は、魔女である証拠を見つけたと思って、私は喜んだ。
これで、ルーヴィ様の役に立てると思った。よくやったと、褒めてもらえると思った。私も、【聖女機構】の役に立てるのだと思った。
だけど、ギルクさんは、いい人だった。短い間だったけれど、悪逆非道の魔女だと、どうしても思えなかった。
なにかの間違いとか、本当は処分しようとしているとか、そうであってほしかった。
もしルーヴィ様と会えていたら、私は告発できただろうか。
ギルクさんを、魔女だと。
「決めたんだ、ラディントンを守るためなら、何でもするって。それがヴァーラッド辺境伯の子である、私の……ううん、違うな」
その目に、もう光はなかった。何もかも、諦めてしまった人の目。
私は、よく知っている。
「――この街は私の故郷で、人々は私の家族なんだ。それが罪人と呼ばれることが、許せない、後少しなんだ。もう少しで、汚名を返上できる。皆が胸を張って、誇らしくこの地を故郷と呼んでほしい。だから……」
ギルクさんが取り出したのは、鋭いナイフだった。月明かりに照らされたそれが、簡単に人間を切って、貫けるぐらい鋭いであろうことは、一目で分かった。
「最後に……処女の生き血で、以下に記した図を描き、心臓を捧げることで悪魔は顕現する、貴女が血の契約の果てに、願いを叶えんことを。だって、はは」
近づいてくる。ナイフを持って、ゆっくりと。
「ごめんね」
その刃が、振り下ろされて――――。
「見つけた」
――――一迅の赤い風が、私の視界を覆い尽くした。
「……皆と、街を出るように、言ったのに」
真紅の瞳、真紅の髪の毛、白き清廉なる鎧、星を宿した紅の石。
「困った子ね、クレセン」
ルーヴィ様は、いつだって私達を、助けてくれる。
「がはっ、がっ、ぐっ――――」
ギルクさんが、咳に咽ぶ。出会ったときと同じ様に、地面に転がっている。
ルーヴィ様は、多分、軽く蹴っただけなんだろうけれど、それで、もう勝負はついてしまった。本当に、すごい。
供物として並べられた物を蹴り飛ばして、ルーヴィ様は、悶えるギルクさんの横に立った。
「……あなたが、ラディントンの、魔女、ね」
「ぐ、う――――」
「裁判は、不要。その行いの、全てをもって、貴女を、断罪する」
「ぁ――――」
今度は、ルーヴィ様が剣を振り上げた。何度も見たことのある光景。
「魔女、死すべし」
けれど。
その剣が、魔女を貫かなかった所は、見たことがなかった。
◆
ガキン、と音を立てて。
ルーヴィの細剣を受け止めた〝風碧〟は、素晴らしいことに、ブレも揺れもしなかった。
ガドのおっさんの仕事は実に見事だ、後は使い手の俺がどこまでやれるかの話だ。
「ハ、クラ――」
「静かにしてろ、馬鹿野郎」
息を荒げながら俺を見上げるギルクを一瞥して、ルーヴィを睨みつける。鍔迫り合いの均衡が、少しずつ崩れていく……傾いているのは、こっちだが。
「――――今回は」
俺の冷や汗に反して、ルーヴィの表情には全く変化がなかった。驚きもない、動揺もない、単なるタスクの一つとして、冷たい瞳が俺を見た。
「邪魔をするなら、見逃せない、わ。ハクラ・イスティラ」
「その名前で呼ぶな――やめろルーヴィ、ギルクは殺させない」
「不可。魔女を、見逃すわけには、いかない」
「本当はやりたくない事をわざわざやる必要があるのかよ!」
「――――――!」
俺の叫びに息を呑んだのは、何故かこの場に居合わせた、クレセンだった。他の仲間と街を出たんじゃなかったのか。
少しずつ、少しずつ、細剣の刃が、〝風碧〟を押してゆく。
「知ったような口を、聞かないで」
「お前が自分で言ったんだろうが!」
「言って、ない」
「いいから、頭使って考えろ! ギルクを殺して、それで何になるってんだ!」
ルーヴィは、は、と鼻で笑った。無表情は、それがスイッチであったかのように、怒りの表情へと変貌した。
「何に、なるか? ならないわ、何にも」
三十センチ以上背の低い、十三歳の子供に、競り勝てない。根幹にある《秘輝石》が違う。ルーヴィの右手のスタールビーが、明滅する。
「ただ、魔女が、消えるだけ。それだけ。恨まれて、呪われて、お前こそ魔女だと、言われて、それでも」
がき、と硬い音を立てて、細剣が〝風碧〟を、上に弾いた。
「救われる、誰かの為の剣が、私」
完全にガードを破られた。俺が剣を構え直すより、ルーヴィが一度肘を引いて、突く方が早い。
「だから――――さよな、あっ!?」
ぐ、と、ルーヴィの動きが、突如詰まった。一瞬の、しかし致命的な隙。
「っ!」
ルーヴィの、剣を握った右手を蹴り上げた。不意をうたれ、力が抜けたのか、細剣が指から離れ、地面に転がった。
「――――クレセン?」
けれど、それよりも、ルーヴィが動揺しているのは、『救われる、誰か』であるはずのクレセンが、ルーヴィの背中に抱きついていたからだ。
どうして? とその顔が言っていた。怒りでも、悲しみでもなく、疑問だった。
「…………助けて、くれたんです」
ボロボロと、涙をこぼしながら、クレセンは叫んだ。
「ギルクさん、ナイフで、切ってくれたんです。縄を、解いて、私を、生贄になんて、しなかった……」
「……それ、は」
「う、ううう、わぁぁぁぁぁぁぁぁあんっ!」
感情の発露が言葉にできなければ、出来るのは泣く事ぐらいだ。けど、それは子供なら、当然の事で、当然の権利だろう。
「…………それでも、私は」
ルーヴィは、クレセンの指を、優しく外して、ギルクを見た。剣を使ったのは、それが一番慣れているからというだけで、当然、素手でだって容易い。
「魔女を……」
「はーい! そこまで、ストップです!」
声が、場に割り込んだ。いつもどおりのトーンに、俺は大きくため息を吐いた。
「遅ぇよ――ったく」
勿論、この場にそんな事を言いながら現れるやつは、一人しか居ない。
「一つ勘違いをしているようなので教えてあげましょう、ルーヴィさん」
得意げに、勝ち誇った表情で告げた。
「ギルクさんは魔女ではありません」
ぞろぞろと、背後に街の人間を引き連れて。