前へ次へ
75/168

故郷ということ Ⅴ


「おお、なんだあんた達か、お帰――――うおぁ!」

「悪い! 急いでるんだ――――あぁ、そうだ、ギルクを見なかったか!?」

「ギ、ギルク様? さあ……ラディントンの外にはでてないはずだが」

「わかった、サンキュ!」


 門番に扉を開けてもらい、街に飛び込む。こうなれば後は足で探したほうが速い。


「ニコちゃん、宿の厩に一人で戻れますか? ……はい、いい子です。後でご褒美あげますね」

『きゅい!』


 面倒を見ずとも、自分で宿まで戻ってくれる賢いニコが、今ほどありがたい事はない。


「それで、どうするんですハクラ」

「ギルクを探して捕まえる、絶対にルーヴィに会わせるな!」


 どんな理由があろうとも、ギルクが魔女であれば、ルーヴィは確実に殺すだろう。

 そうなれば、ギルクを娘同然に思っている街の人間が黙っているわけがない。そして、市政の人間がどれだけ束になっても、ルーヴィに敵うはずがない、いや。

 だから先に本隊を逃したのか、街の人間との戦いに、【聖女機構(ジャンヌダルク)】の非戦闘員が巻き込まれないように!


「ハクラと一緒に温泉入ってた頃には、もうとっくのとうにやることやってたってことですね」

「いつまで根に持ってんだお前!」

「根に持ってるって言い方やめてください! 私が気にしてるみたいじゃないですか」

「気にしてないなら追及するなよ!」

「じゃあ、気にしてます」


 こんな時に、なんてことを言いやがる。

 混乱する俺に、リーンは指を立てて、俺の頬をついた。


「冷静になりましょう、そして出来ることをしましょう。ハクラはどうしたいんですか?」


 頭の中に、二人の人間の顔が浮かぶ。

 この街を愛していると言い切った、ギルク。

 死んでも良かったと、力無く告げたルーヴィ。


「――ギルクにもルーヴィにも、馬鹿なことはさせない」

「わかりました、ハクラがそうしたいなら、私は手伝います」


 ですけど、と、リーンは続けた。


「ハクラが、()()()()()()()()()()ご褒美、期待してますからね?」


 ☆


 両手足を縛られて、動けないまま、私はその姿を見ていた。


「…………ゾゥナ・ゾォーナ系列の第二十八位、アシュモディと契を結ぶ場合、満月の夜に、以下の供物を用意すべし。純粋な硫黄、黄鉄鉱、銀の調べの葉、イディルの若い花」


 供物、と呼ばれた物を、一つ一つ地面に並べていく。

 ああ、この人は本当に――――()()()()()()()()()()()

 ギルクさんが持っていた本は、悪魔と契約し、魔女になる為の手順が示された手引書(マニュアル)だった。教会がどれだけ取り締まろうとしても、この手の本は必ずでてくる。


 勿論、誰が見ても明らかな禁書で、持っているだけで罰されてもおかしくない。

 馬車の中で、手当に使えるものを探そうと、気を失っていたギルクさんの荷物を漁った時に、私はそれを見つけた。

 最初は、魔女である証拠を見つけたと思って、私は喜んだ。


 これで、ルーヴィ様の役に立てると思った。よくやったと、褒めてもらえると思った。私も、【聖女機構(ジャンヌダルク)】の役に立てるのだと思った。

 だけど、ギルクさんは、いい人だった。短い間だったけれど、悪逆非道の魔女だと、どうしても思えなかった。

 なにかの間違いとか、本当は処分しようとしているとか、そうであってほしかった。

 もしルーヴィ様と会えていたら、私は告発できただろうか。

 ギルクさんを、魔女だと。


「決めたんだ、ラディントンを守るためなら、何でもするって。それがヴァーラッド辺境伯の子である、私の……ううん、違うな」


 その目に、もう光はなかった。何もかも、諦めてしまった人の目。

 私は、()()()()()()()


「――この街は私の故郷で、人々は私の家族なんだ。それが罪人と呼ばれることが、許せない、後少しなんだ。もう少しで、汚名を返上できる。皆が胸を張って、誇らしくこの地を故郷と呼んでほしい。だから……」


 ギルクさんが取り出したのは、鋭いナイフだった。月明かりに照らされたそれが、簡単に人間を切って、貫けるぐらい鋭いであろうことは、一目で分かった。


「最後に……処女の生き血で、以下に記した図を描き、心臓を捧げることで悪魔は顕現する、貴女が血の契約の果てに、願いを叶えんことを。だって、はは」


 近づいてくる。ナイフを持って、ゆっくりと。


「ごめんね」


 その刃が、振り下ろされて――――。









「見つけた」








 ――――一迅の赤い風が、私の視界を覆い尽くした。


「……皆と、街を出るように、言ったのに」


 真紅の瞳、真紅の髪の毛、白き清廉なる鎧、星を宿した紅の石。


「困った子ね、クレセン」


 ルーヴィ様は、いつだって私達を、助けてくれる。


「がはっ、がっ、ぐっ――――」


 ギルクさんが、咳に咽ぶ。出会ったときと同じ様に、地面に転がっている。

 ルーヴィ様は、多分、軽く蹴っただけなんだろうけれど、それで、もう勝負はついてしまった。本当に、すごい。

 供物として並べられた物を蹴り飛ばして、ルーヴィ様は、悶えるギルクさんの横に立った。


「……あなたが、ラディントンの、魔女、ね」

「ぐ、う――――」

「裁判は、不要。その行いの、全てをもって、貴女を、断罪する」

「ぁ――――」


 今度は、ルーヴィ様が剣を振り上げた。何度も見たことのある光景。


「魔女、死すべし」


 けれど。

 その剣が、魔女を貫かなかった所は、見たことがなかった。


 ◆


 ガキン、と音を立てて。

 ルーヴィの細剣を受け止めた〝風碧〟は、素晴らしいことに、ブレも揺れもしなかった。

 ガドのおっさんの仕事は実に見事だ、後は使い手の俺がどこまでやれるかの話だ。


「ハ、クラ――」

「静かにしてろ、馬鹿野郎」


 息を荒げながら俺を見上げるギルクを一瞥して、ルーヴィを睨みつける。鍔迫り合いの均衡が、少しずつ崩れていく……傾いているのは、こっちだが。


「――――今回は」


 俺の冷や汗に反して、ルーヴィの表情には全く変化がなかった。驚きもない、動揺もない、単なるタスクの一つとして、冷たい瞳が俺を見た。


「邪魔をするなら、見逃せない、わ。ハクラ・イスティラ」

「その名前で呼ぶな――やめろルーヴィ、ギルクは殺させない」

「不可。魔女を、見逃すわけには、いかない」

「本当はやりたくない事をわざわざやる必要があるのかよ!」

「――――――!」


 俺の叫びに息を呑んだのは、何故かこの場に居合わせた、クレセンだった。他の仲間と街を出たんじゃなかったのか。

 少しずつ、少しずつ、細剣の刃が、〝風碧〟を押してゆく。


「知ったような口を、聞かないで」

「お前が自分で言ったんだろうが!」

「言って、ない」

「いいから、頭使って考えろ! ギルクを殺して、それで何になるってんだ!」


 ルーヴィは、は、と鼻で笑った。無表情は、それがスイッチであったかのように、怒りの表情へと変貌した。


「何に、なるか? ならないわ、何にも」


 三十センチ以上背の低い、十三歳の子供に、競り勝てない。根幹にある《秘輝石(ちから)》が違う。ルーヴィの右手のスタールビーが、明滅する。


「ただ、魔女が、消えるだけ。それだけ。恨まれて、呪われて、お前こそ魔女だと、言われて、それでも」


 がき、と硬い音を立てて、細剣が〝風碧〟を、上に弾いた。


「救われる、誰かの為の剣が、私」


 完全にガードを破られた。俺が剣を構え直すより、ルーヴィが一度肘を引いて、突く方が早い。


「だから――――さよな、あっ!?」


 ぐ、と、ルーヴィの動きが、突如詰まった。一瞬の、しかし致命的な隙。


「っ!」


 ルーヴィの、剣を握った右手を蹴り上げた。不意をうたれ、力が抜けたのか、細剣が指から離れ、地面に転がった。


「――――クレセン?」


 けれど、それよりも、ルーヴィが動揺しているのは、『救われる、誰か』であるはずのクレセンが、ルーヴィの背中に抱きついていたからだ。

 どうして? とその顔が言っていた。怒りでも、悲しみでもなく、疑問だった。


「…………助けて、くれたんです」


 ボロボロと、涙をこぼしながら、クレセンは叫んだ。


「ギルクさん、ナイフで、切ってくれたんです。縄を、解いて、私を、生贄になんて、しなかった……」

「……それ、は」

「う、ううう、わぁぁぁぁぁぁぁぁあんっ!」


 感情の発露が言葉にできなければ、出来るのは泣く事ぐらいだ。けど、それは子供なら、当然の事で、当然の権利だろう。


「…………それでも、私は」


 ルーヴィは、クレセンの指を、優しく外して、ギルクを見た。剣を使ったのは、それが一番慣れているからというだけで、当然、素手でだって容易い。


「魔女を……」





「はーい! そこまで、ストップです!」





 声が、場に割り込んだ。いつもどおりのトーンに、俺は大きくため息を吐いた。


「遅ぇよ――ったく」


 勿論、この場にそんな事を言いながら現れるやつは、一人しか居ない。


「一つ勘違いをしているようなので教えてあげましょう、ルーヴィさん」


 得意げに、勝ち誇った表情で告げた。


()()()()()()()()()()()()()()()


 ぞろぞろと、()()()()()()()()()()()()()


前へ次へ目次