故郷ということ Ⅲ
☆
夜でも、この街は明るかった。表通りには人が居るし、焚き火や光石の光も豊富にある。
だけど、裏路地はやっぱり暗くて、誰にも見つからないためには、この道を通らなくちゃいけない。
ラーディナは、心配しているだろうか。こっそり、街を出る馬車から降りて、隠れてしまったことを、怒るだろうか。
門番は、よほどのことがなければ、一度外に出た人を、もう街の中に入れてくれない。だから、馬車は進むしか無い。今から外に出たって、もう手遅れだ。
どこに居るかもわからない、ルーヴィ様に会えなかったら――。
体が震えた。一人が怖いことなんて知っていたはずなのに、何でこんな事をしてしまったんだろう。後悔が、じわじわ心を蝕んでいく。
「……ううん、やらなくちゃ、私が」
本を抱きしめる。大丈夫だ、まだ前にすすめる。
ルーヴィ様に助けられる私じゃなくて。
ルーヴィ様を助けられる私になろう。
「……やっと見つけたよ」
背中を、誰かに叩かれた。振り向いた先に、女性が立っていた。
茶色い癖毛を、肩まで伸ばした――――。
「私の本を」
――――魔女。
「返してくれないかな、クレセン君」
とっさに、本を抱きながら、駆け出した。けれど、ギルクさんは、その間を詰めるように、一歩足を前に出す。歩幅が違うせいで、距離はあっという間に詰まって、もう一度肩を叩かれた。
「あの魔物に襲われた日、私の荷物から、一冊の本が消えていたんだ。とても大事なものだった。もう少しで、全て読み終わるはずだった」
この状況下でも、この人の笑みはどこまでも優しくて、そして悲しそうだった。
「……君は、どこまで知ってる?」
誤魔化そうとは、思わなかった。思えなかった。
最初から知っていたから。
「……火山が、直に噴火すると」
それを防ぐために、魔女になるものが現れるかも知れない。
だから、【聖女機構】に命令がくだされた。ラディントンに向かい、魔女が生まれるかどうかを探れと。
「約束する。決して悪用はしない。ただ、少しだけ力を借りたいだけなんだ。どうしても必要なんだ。火を鎮め、山を眠らせる――――」
その続きを、言わないで欲しい。
私は【聖女機構】だから。
魔女を裁く女神の信徒だから。
どうか。
「――――悪魔の力が」
「…………っ、どうしてっ!」
気づけば、守らなければならないはずの本を手放して、私はギルクさんに掴みかかっていた。
「どうして、こんな邪法に頼るんですか! 魔女になんてなったら、誰も幸せになれません、そんな簡単なことが、どうしてわからないんですか!」
「けど、その力がなければ、私の故郷は消えてしまう」
「例え火山の噴火を止められても、貴女が死んでしまいます! 私達は、魔女を許しません、絶対に……告発なんて、させないでください! あなたは皆から、あんなに愛されているじゃないですか!」
少しこの人と街を歩いただけで、わかった。
皆が、ギルクさんに気を使っている。遠慮とかではなくて、もっと深いところで。
ちゃんとご飯を食べているのかな、とか、怪我は大丈夫かな、とか、自分にできることはないかな、とか、当たり前のように、誰かに善意を向けてもらえる人。
私とは違う。私達とは違う。愛を知らない。愛してもらったことなんて無い。今日という一日はただ辛くて、明日という一日はもっと辛くて、それを積み重ねていく途中で、いつか崩れて、死んでいく。
だからお前は魔女に違いないと、烙印を押された女の子が、【聖女機構】に入るのだ。
愛情を与えていないから、人を憎むはずだと。
優しくしていないから、人を妬むはずだと。
慈しんでいないから、人を呪うはずだと。
愛さなかったその口で、言われるのだ。
……そんな私達が、それでも魔女に堕ちなかったのに。
愛されて、望まれて、求められて、お金があって、きれいな服があって、幸せな人が、何で魔女になるんだ。
そんなおかしい、間違ってる。絶対何かが狂ってる。
認められるわけがない、認めたくなんて無い。私は絶対に……嫌だ!
「街を捨てて、皆で逃げればいいじゃないですか! 開拓団なんでしょう! ヴァーラッド伯の、頼りなる仲間達なんでしょう! また、どこかで村を作ればいいじゃないですか! 死ぬより良いじゃないですか! その時、皆を支えるのが、あなたの仕事ではないのですか!」
「…………君に言っていることは、正しいよ、クレセン君」
悲しそうな、とても悲しそうな目で、ギルクさんは、私を見た。
それが、どこまでもどこまでも冷えた目だから、私はきっと、間違ってしまったのだと思った。
「けど、それは出来ないんだ。出来ないんだよ。だから、私は魔女になるしかなかったんだ」
どうして、なんで、と言う言葉が、でてこなかった。喉が引きつって、出したい物が、言葉にならなくて。
本を拾い上げて、振り向いて、こういった。
「……ラディントンはね、罪人街なんだ」