故郷ということ Ⅱ
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既に日が落ちかけた森と丘を、馬車が駆ける。本来ならば足を止めれば危険な時間帯でも、ニコは疲れも知らずによく駆けた。霊獣ユニコーンの力強さと賢さは、俺の想像を遥かに超えていた。
「確かにギルドがラディントン行きの《冒険依頼》を片っ端から却下してたのは、不自然だと思ったけどな」
ギルドの立場からすれば、ラディントン行きの依頼などあればあるだけ良いに決まっている。開拓中の温泉街など、資源と人材を最も必要としているのだから。むしろ支部をラディントンに設立したいぐらいのはずだ。なのに手を引いたということは。
「噴火するのが分かってんですね、多分、ヴァーラッド辺境伯もそのはずです」
「けど、わかるもんか? 地震が多くなるって言ったって……」
「噴火には周期があるんですよ、魔素の溜まり具合で変わってきますけど、長いスパンなら百年、千年、短いスパンなら十年ぐらいで、同じ山が火を噴きます」
「前の噴火の記録があれば、だいたいは予測できるってことか」
「はい。勿論誤差もありますし、それこそ十年百年単位でずれます。だから、多分ヴァーラッド辺境伯は火山を調査したんですよ」
「調査って……出来るもんなのか?」
「山を登って、火口を見て、ある程度熟練した魔道士なら魔素の活性化に気づくはずです。多分、結構具体的な時期まで計算できたと思います。年単位の誤差を、数日単位にするぐらいには」
女将はこう言っていた。『半年前、辺境伯と共にラディントンを訪れた時から、ギルクの様子がおかしかった』と。
なら、その時に知ったのだろう。温泉街のそばにあるこの山が、もう爆発寸前であることを。
「……実際に噴火したら、どうなる」
「専門家じゃないので、確実なことは言えませんけど、あの精霊たちの様子だと――」
なにか計算しているのか、指を何本か曲げたり伸ばしたりして。
「パズまでは大丈夫のはずです。風下には火山灰……黒い雪の被害が出ると思いますけど、時間が立てば風がどこかに飛ばしてくれます、でも」
こういう時、リーンははっきりとものをいう。濁さない。意味がないからだ。
「どれだけ甘く被害を見積もっても、ラディントンは火砕流に飲まれます。街の中に居たら、助かりません」
きっぱりと、そう言い切った。
「クソ、のんきに温泉入ってる場合じゃなかったんじゃねえか!」
「えー、そうですか?」
「いきなりテンションを元に戻すなよ! それよか街の人間を避難させないと――」
「それです、それが一番気になってたんです」
びっと俺の顔を指し。
「正直、地震があった時から、もしかして噴火するんじゃないかなー、とは思ってたんです。でも確信できなかったのは、ラディントンの皆さんが普通に生活していたからです」
たとえ客が来なくとも、その先の未来の為に。
材木を運び、家を立て、畑を耕し、街を作る。開拓団。
「ギルクさんは知っていたはずなんです。火山の噴火が起こることを。だから私達の滞在予定を聞いたんですよ」
『あはは……それならよかった、わかりました。では三日ということで』
そうだ、あの時、ギルクは露骨に安心していたじゃないか。
あれは、費用の事を心配していたのではなく、俺達が噴火に巻き込まれるかどうかを考えていたのか。
「これらの事から、いくつかわかることがあります。一つは、噴火は近々起こるけれど、今日明日ではないだろうということ。多分、一ヶ月とか二ヶ月とか、それぐらい先の話です」
「……そりゃそうか、だったら引き返すように言うわな」
納得した。納得できた。納得……出来ている?
違う、何かが引っかかる。おかしい、辻褄が合わない部分がある。
既に答えを出していたリーンが、即座にその悩みを解いてくれた。
「それともう一つ。ギルクさんは街の皆に噴火があることを伝えてません」
「――――――!」
それだ。
噴火が一ヶ月、二ヶ月先ならば、街の人間はもう避難を始めていないとおかしい。
だけどラディントンでは、日常がいつもどおり続いている。あまりに普通に。
「そして最後に、【聖女機構】がラディントンに居た理由がわかりました」
「……何?」
「ハクラ、魔女っていうのは、願いから生まれるんです」
ここに来てようやく、リーンの顔に焦りが浮かんだ。汗が一筋、顎を伝って溢れた。
「魔女が最も多く生まれるタイミングっていうのがあるんです。絶望を覆そうとする時です。人の手では決して叶えられない願いに手を届かせる為に」
そう、例えば――噴火を食い止め、故郷を救う為に。
「……だったら」
「はい、【聖女機構】が引き上げを決定したのは、誰が魔女なのか、いえ、誰が魔女になるのか、もう目星がついたからです」
【聖女機構】は魔女の居る所に現れる――だけではない。
これから魔女が生まれる所にも、現れるのだ。
ギルクとの会話が頭に蘇る。
『……何があっても守ろうと、そう思うのは、正しいことだよね?』
どんな手段を使ってでも、どれだけ人の道を外れていても。
愛すべきものを守るためならば、何だってやる。
人の道を踏み外し、悪魔に純潔を捧げ、魔女になることだって。
「――待て、セキは? セキがギルクのしもべなら、襲うのはおかしいだろ」
少し考えて、リーン。
「ギルクさんが魔女になったら、困る人がいるのかも知れません」
「誰だそいつは!」
「わかりませんよそんなの!」
「……くそっ、急げニコ! 走れ!」
『きゅぅい!』
もうやってる! と言わんばかりに鳴いて。
ぐん、と一段階、馬車の速度があがった。