暮らすということ Ⅷ
◆
翌朝。
「それでは今日はおでかけになられるんですね、ええ、ええ、いってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」
女将に見送られて、彩る羽の音亭を出た。ギルクと話がしたかったが、街のどこにいるかはわからないとのことだった。
昨夜から朝食を終え、ガドの工房まで出向いて、準備を整え、出発しても尚、リーンはむくれていた。
「女は」
新たな鞘が拵えられた“風碧”を、ベルトに合わせて調整しながら、ガドが言う。
「怒らせないほうが、いいぞ」
あまりにわかりきったアドバイスをありがたく受け取って、ラディントンを出る。門番には事情を伝えてあるので、帰りも中に入れてくれるとのことだった。
パズからラディントンまではともかく、そこから先はスライムが言っていたように丘と山と森しかなかった。
段々と悪くなる道を、それでも馬車はスイスイ進む。
となると、馬車の中でのんびり出来る間に、具体的にどこへ向かい何をするのかを確認したいのだが。
「…………いい加減機嫌を直してもらわないと色々支障が出るんだが」
感情を引っ張るのは合理的ではない。百歩譲って合理性を軽んじても、冷静でなければ旅は出来ない。何が起こるかわからないからだ。
しかし、正しいはずのその意見は、ギロリと音を立てる視線一つで霧散する。アグロラはよくリクシールの定期的なヒステリーに耐えていたものだ。かつての仲間に心の中で称賛を贈りながら、ため息をつく。
「どうすれば許していただけるんですかね、お嬢サマ」
スライムの口ぐせを真似してやると、リーンの頬はますます膨らんだ。よくこねて半日放置したパン生地でも、ここまでは膨らむまいという有様だった。
「ハクラは、自分が誰のモノだかもうちょっとじーっくり考える必要があるんじゃないですか」
それで、やっと開いた口からそんな言葉が出てくるのだから、ため息の一つも出るというものだろう。
「俺はお前の所有物か……」
「そうですよ、知らなかったんですか」
ぐい、と身を乗り出して言う、緑色の瞳。
「ルーヴィさんと何を話してたんですか」
「内緒にしろって言われたんだけどな」
「そういうところがハクラなんです!」
「どういう意味だよ」
沸点の低さはともかく、やっと会話してくれる程度には機嫌が回復したらしい。
「…………まさかハクラ、ルーヴィさんが慰安や療養でラディントンを訪れただなんて思いませんよね?」
問いに、俺は鼻で笑った。
「そりゃそうだろ、【聖女機構】がやってくるのは、魔女がいる所だけだ」
まして、魔女と契約したであろうセキという魔物の存在を俺達は確認している。
「問題は、その魔女が見つかったかどうかだが……」
「もし見つかってたら、皆、あんな楽しそうに生活は出来ないでしょう」
「けど、【聖女機構】はラディントンを引き上げようとしてる」
「今日中には、でしたっけ。考えられるのは……」
「魔女が見つかったか、魔女が居ないことが確認できたか、魔女が居ても引き上げざるを得ない理由がある時か」
口にしてみて、不自然さに笑いが溢れる。【聖女機構】が魔女の告発を諦める姿が、どうしても想像できない。
「そうですか? 十分あり得ると思いますけど」
「……どういう意味だ?」
「魔女が生まれるのは人が人を恨む時ではない事もありますから」
「…………」
「それを確認するためにも、ちゃっちゃと用事を済ませましょう。もうちょっと……ですよね? アオ」
『うむ、このペースなら、あと三十分程度で到着する。ニコは優秀だな。指示せずとも、危険な道や難所は避けてゆく』
『きゅ』
予定よりも大分速いペースらしい。流石だ。
「……結局、何をしに行くか聞いてないんだが?」
「ああ、そうでしたっけ」
すっとぼけたように言ってから、リーンはぴっと、もう山肌が見えるほど近くなったそれを指した。
「煉獄の山、ラディントンです」
馬車が入れないほど木々の密集が濃くなってからは、ニコに留守番を任せ徒歩で進む。
「おお、斬れる斬れる!」
枝葉やヤブが道を遮れば、打ち払う必要が出てくる。“風碧”の試し切りとばかりに率先して奮ってみたが、刃がザクザク入って面白いことこの上ない。
世界を救う旅だと豪語して受け取った、アダマンタイト製の剣の最初の仕事がこれであることに目を瞑れば、完璧な手応えだった。
「しかし、山を登るわけじゃないんだな」
「そりゃそうですよ、頂上に行っても火山口しかありません」
煉獄の山、つまり火山。
そびえ立つ山々ですら、元々は大地の中に蓄えられた、溶けた岩や鉄が吹き出して、ぶちまけられたものが冷えて出来たという。
それぐらいの知識は、あくまで一般常識として知っていたが、実際に火山の側に来たのは初めてだった。
「それこそ東方大陸に多いって聞いたんだけどな」
『うむ、現役で噴火している山がいくつもある。我輩、何度か見た事はあるが、山が割れるとな、黒い雪が降るのだ』
「黒い雪?」
『それも熱く、触れれば痛い程尖っていてな。日差しを遮るほどの量が空を舞うのだ。壮観ではあったが、土地に住まう者たちは大変そうであったな』
「そりゃすげえ、見てみたいもんだ」
軽い気持ちでそう言うと、後ろからついてくるリーンはこともなげに言った。
「見れるかも知れませんよ」
「……は?」
「ラディントン山は活火山ですから」
ぴたりと、“風碧”を振るう手が止まった。
「今何つった?」
「だから、ラディントン……この山は、活動している火山なんです。ハクラの言う通り、頂上に登って見下ろせば、溶岩がゴボゴボしてるのが見えますよ」
「…………いや、だからつって噴火はしないだろ、流石に」
「それが気になるんですよね……噴火の前って、地震が多いんですよ」
「…………なんて?」
「大地が、溜まったものを吐き出す準備をしているからと言われていますが、実際には魔素のバランスの乱れが大きいです。っと、ありましたありました」
リーンが立ち止まり、岸壁に向かって、乱暴に杖を叩きつけた。するとガラガラと表面が崩れ、古ぼけた、四角形の石造りの扉……のようなものが現れた。
ような、というのは取っ手口のようなものがなく、開ける方法がさっぱりわからないからだ。直径五センチに満たない、小さな穴が空いているだけだった。
「……なんだこりゃ」
「祠の入り口です。アオ、お願いしますね」
『うむ』
言うや否や、スライムは体を震わせて、ぐにゃりとリーンの手から落ちた。穴に触れると、文字通り水が流れ込むが如く、どんどん中に入っていく。
「お、おい、いいのか、もう全部入っちまうけど」
「いいんですよ、アオが鍵なんです」
「鍵?」
「この穴の中は複雑に絡み合った細い管になってるんです。で、扉は内側からしかあけられません。スライムみたいな液体状の魔物を使役できなければ、絶対に入れません。つまり、私以外には開けられない扉なのです」
世の中で封印と呼ばれるものの多くは、資格者が血の雫を落としたり、錬金術による複雑な機構の事を指すと思っていたが、ものすごく物理的な鍵だ。確かにリーン以外は入れない。
数分で、扉がガタゴト動いて、やがて押し出された。それを見て、扉というよりは栓のようなものだったのだと理解する。何せ長さが二メートル以上もあるのだ。どうやってこれを突っ込んだのかのほうが気になる。
「さ、行きましょう。そんなに時間はかかりません」
リーンがそう言って進むのだから、俺はそれにならうしかない。
こういった横穴の類は明かりが無いので、光石や松明といった光源を持ち込むのが常識だが、今回に限ってはその必要もなさそうだった。
「……何だ、ここ」
穴を少し進むと、開けた空間があった。見事な円形に作られた広間だ。中央に石造りの祭壇があり、中央には何か置く為の窪みがあった。壁がわずかに発光して、それが光源となっているようだった。
「ふふん、ここが儀式の間です」
「儀式?」
「火山に限らず、自然環境が激しい場所というのは、濃密な魔素溜まりなんです」
言いながら、リーンが俺の足元に目を向けた。何かと思って、俺もその視線を追う。
『シュルルルルルル……』
……そこには炎が居た。
「うぉわ!?」
『シュッ!』
反射的に驚いて飛び退くと同時、炎も霧散して消えてしまった。
「あー、かわいそう! ハクラ、驚かせちゃ駄目ですよ」
「いや、待て何だ今の」
「あれ、見たことありませんか? サラマンダー」
「サラマ…………精霊じゃねえか!」
「そうですよ、言ったでしょう、魔素貯まりだって。だからほら」
リーンが大きく両手を広げた瞬間。
薄暗かった祭壇の間に、一斉に明かりが灯る。
天井、床、壁、至る所に。
『シュルルル……』『シュルル』『シュララララ……』
大小様々な、炎で形成された蜥蜴が、突如として何匹も現れた。
「火山の中には、こんなに住んでるんですよ、ハクラ」
リーンが杖を振れば、現れたサラマンダー達は一斉に喉を鳴らし尾を振る。リーンがくるりと回れば、サラマンダー達は炎を吹いた。ある種神秘的な光景だが……もしこの様子を教会の誰かに見られたら、一発で魔女認定間違いなしだろう。
「ていうか暑ぃんだよ!」
「そりゃあまあ、サラマンダーに囲まれてますからね」
「コイツらどうすんだ!? 捕まえんのか!?」
「あ、いえ、この子達は儀式とは全然関係ないので」
「じゃあ何で出てきたんだよ!」
「誰か来るとテンションあがっちゃうみたいですね!」
「今すぐ消せ!」
「えー、可愛いのに、ほら」
あろうことか、炎の塊であるサラマンダーに指を伸ばすリーン。
だが、その指が燃えることはなかった。犬の毛を撫でるように、細い指がサラマンダーをなでつける。くるる、と喉を鳴らすほどだ。
「…………触れるのか」
「ハクラも触ってみます?」
「いや、いい、オチが見える」
「まあいいからいいから、ほら、ほら」
「やめろ! 持ち上げて近けるな!」
「ルーヴィさんの肌とどっちが熱いか試してみましょうよぉー」
「根に持ってんじゃねえかあっづ!」
やっぱ燃えるんじゃねえか!
「さ、お遊びはここまでにしておいて、と」
「オイコラ」
こいつとはマジで決着をつけなくてはならないのではなかろうか。
リーンがサラマンダーを離すと、連中は何故か、壁に沿うように並び始めた。祭壇を火蜥蜴達がぐるりと囲む形になる、
続いて、祭壇の窪みに、先端の宝玉が収まるように杖を傾けて置いた。
『シュラララララララララララララ!』
サラマンダー達が、一斉に喉を鳴らした。体を形成する炎が更に強く燃え、陽炎が立ち上る。
杖の前で跪き、目を閉じて、言う。
「我が名は…………あ、ハクラ」
「何だよ!」
「耳塞いでてください、ちょっと本名言うので」
「言えばいいだろが!」
「嫌です! ハクラが自力で思い出すまでずぇーったい教えません! アオ、ハクラの耳を塞いどいてください!」
『心得た』
「心得んじゃね……がぼががが!」
俺の頭部にスライムが張り付いて、耳というか鼻というか口というか全て塞がれた。
「我――は――テ――ア――リーン――――フェル――契――――」
マジで何を言ってるのか聞こえない。ついでに呼吸も出来ない。今は結構大事な場面ではないのか。なぜ俺は溺れかけているのだ。
「――――――はい、もういいですよ」
『ペッ』
「ごふぁっ! はぁ、は、はぁ――――あっづ!」
スライムに顔を吐き出だされ、ようやく外気に触れることが出来た。思い切り呼吸しようとして、サラマンダー達が熱した空気を吸い込み、喉を焼く羽目になった。
「だ、大丈夫ですか? ハクラ」
「大丈夫に見えるのかこの野郎……」
「結構苦しそうに見えますけど……」
「お互いの状況を把握出来ているようで何よりだ……じゃあ俺が次何をするかわかるか」
「私に対する日々の言動と行動を悔い改めて、献身的に支えてくれるというのはどうでしょう」
「お前の旅を今ここで終わらせてやる……!」
片腕を掴むと、流石に本気が伝わったらしい、ひぇ、と言う声と共に、リーンの笑みと余裕が崩れた。
「きゃー! ちょっと流石にやりすぎたかなとは思ってました!」
「だったらまず頭を下げろ!」
「でも若干いい気味だなと思いました!」
「それでこそ俺の知ってるリーンだ殴る!」
「いーやー! あっ、ハクラっ、ほらっ、見てくださいあれ!」
「それで誤魔化されると思うか!?」
「本当ですってばぁ!」
悲鳴のようなリーンの叫び。その瞬間。
『アッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!』
甲高い笑い声と共に、今度こそ炎の塊が祭壇の間を完膚なきまでに埋め尽くした。
○
火、風、水、土の四素に、光、闇の二素を加えて六素。これに女神サフィアの祝福を加えて精霊週と呼ぶ。なぜかと言えば、精霊とは、魔素と自然現象が結びついた存在だからである。言わば“生きた現象”だ。
そして現象であるが故に意思疎通は難しい。霊獣は知能と自我を有するが、精霊は知能すら無いのだ。
『アッハッハ! アーッハッハッハッハ!』
その炎は、四肢を持ち、宙に浮かんでいた。シルエットは女性の形をしたと思えば男性になり、或いは大きな火蜥蜴となったかと思えば、また人の形に戻る。
しかし、それらの形状に大きな意味はない。ただ目の前にある存在を真似ているだけであり、炎は決まった形など当然持たない。それでも我輩らを睥睨する姿は、もはや一つの神の姿ですらあった。
「……っ、大丈夫か!」
「は、はい、ありがとうございます、ハクラは……」
「無事だよ、ちょっと焦げたけどな」
とっさに小僧がお嬢をかばって、二人がまとまってくれたおかげで、我輩もやりやすかった。体を伸ばしてカーテンにすれば、熱はある程度防ぐことが出来る。
「……で、このハイテンション大火事野郎を儀式でどうにかすりゃいいのか」
「いえ、儀式はもう終わりました。この子は呼んだだけです」
「お前マジで一度殴り飛ばしていいか?」
身を挺して守ったお嬢にそれを言われれば、流石の小僧も黙ってはいられまい、しかし。
「必要なことだったんです、やっぱり……まずいかも知れません」
「現状が?」
「いえ、ラディントンが」
『アーッハッハッハッハッハ! アッハッハッハッハッハ!』
炎の精霊が笑えば、サラマンダー達もシュルル、と声を合わせて鳴く。炎が吹き上がり、人の居られる環境でなくなってゆく。
「……どういう意味だ?」
小僧の言葉に、お嬢は静かに首を振った。
「精霊が狂ってる、制御が効いてません。つまり、魔素が溢れて居るということです」
その言葉の意味する所は、一つ。
「この火山は、近い内に噴火します」