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生きるということ Ⅵ

 俺がリーンの歩幅に合わせると、多少減速する必要がある。ましてや、森の中を先導者が見えづらい足跡を追うとなればなおさらで、大した距離でもないのに十分は歩く羽目になった。


「えーっと、このあたりですね」


 リーンがそう言って示したのは、森の急な斜面の際にある、単なる生い茂った草むらにしか見えない。少なくとも俺はそこに『何かある』とは感じなかった。


「……どこだ?」

「ちょっと待ってください、確認中なので」


 ぐるぐると周囲の地面を見たり、草木をかき分けてみたり、木の上をじっと見てみたり。

 傍から見ると挙動不審な行動を取るリーンだが、多分必要な行為なのだろう、そうすると俺にできることは何もない。


『不思議だろう、お嬢が何をしているのか』


 その作業の邪魔になるのか、放り出されていたスライムが、俺の足元によってきた。今更だが、声がどこからでているのか、本当にわからない生き物だ。


「いや……また足跡でも探してんじゃねえのか?」

『そちらではない。何故お嬢は、コボルド退治などという冒険依頼(クエスト)を引き受けたと思う?』


 作業を止めて、何か考え始めたリーンを二人(?)で眺めながら、スライムは続ける。


『人を喰うコボルドが出た。繁殖速度も継承性も厄介――だが、それだけ(、、、、)だ。我輩らが何かしなくても、やがて時間が解決する問題だ』

「リーンの説明通りだったら、そう簡単には行かないんじゃねえか?」

『そう簡単にいってしまうから、わざわざお嬢はここまで出向いたのだろうな』


 もにゅん、と大きく体を震わせた。多分、ため息のようなものなのだろう。



『お前の言うとおりなのだ、小僧。このような冒険依頼(クエスト)は、わざわざお前のような冒険者を連れてまでやるようなことではない。合理的か非合理的か、で言えば、非合理極まりない。ましてお嬢はそれ以上に手間をかけようとしている』

「……だろうな」


 正直な所、この依頼の報酬はたかが知れている。移動に使った馬車のことを考えれば、二日間、安宿に泊まって飯が食える程度の額しか残らないだろう。手間と労力と儲けが釣り合わない。

 俺が自分で身銭を切って同行する、という話だったら、絶対に断っていただろう。


「そもそも、俺はアイツがよくわからん」

『ふむ?』

「名前も明かさない、目的も不明、連れてる魔物は喋るし、持ってる能力はとんでもねえ。なのに異様に俗物的。でもやってることは意味不明と来てる。まあ一番わかんねえのは――――」

『なぜ小僧を雇った(、、、、、、)か、であろう』

「ああ」


 リーンはそもそも、ありとあらゆる魔物と“敵対しない”能力を持っている。世界中、ありとあらゆる冒険者が、よだれを垂らす異能だ。俺が軽く考えただけで、金に変える方法がいくらでも浮かんでくる。

というよりも、土や埃にまみれて、冒険者なんぞやらなくてもいいはずなのだ。

 そのリーンは、どうしてえげつない金銭のやり取りの末に、俺を連れ歩くことを選んだのか。


「さっきはわざとらしく冒険者階級なんて聞かれたけど、俺を探しに来たあの時点で、俺のプロフィールは見てるはずだろ、そもそも俺は――――」

『知っているとも』


 スライムは、体をむるむると震わせた。心なしか、瞳(に見える二つの核)が細まったように見える。


『お嬢は全て知った上で小僧、お前を選んだのだ。むしろな、お前よりお前のことを知っている』

「……そりゃ、どういう意味だ」

『何れわかる。我輩が説明するよりお嬢が説明したほうが良いだろう。まずは見てやってくれまいか。お嬢がどういうモノなのかをな』


再び、リーンに視線を移すと、考え事は終わったようで、四つん這いになってごそごそと茂みをあさっているところだった。


「見つかったのか?」

「ええ、ほらほら、見てください、私の捜索の成果をしっかり確認して褒めて下さい」

「スッゲーエラーイ」


 リーンが退けた草むらの底、土の壁の一番下に、小さな穴が空いていた。子供が体を寝かせて頭から突っ込んだら、何とか奥まで行けるかも……ぐらいの大きさだ。


「野生のコボルドは、大体こういう場所の土を掘り返して巣穴を作るわけです。入り口が小さければ外敵は入り辛いですし、見つかりにくいですからね」

「それはいいけど……流石に中に入るのは無理だよな」


 仮にあのコボルドを倒す必要があるとしても、この中に逃げ込まれたら少々厄介だ。


「で、こっからどうすんだ? わざわざ逃した以上は何か目的があるんだろ?」

「もちろんですとも。まあとりあえず、中の彼にお話を伺いたい所ですね」

「このサイズの巣穴にどうやって入るつもりだお前」

「なあに、穴が小さきゃ広げちゃえばいいんですよ」

「は?」


 森に入ってからこっち、散々便利に使われている杖を、リーンはそのまま土の壁に突き刺した。冒険者の膂力があるとは言え、驚くほど簡単に、半ばまで埋まってしまった。


「…………」


 何してんだこいつ。


「む、リアクションがないですね」

「呆れ返ってんだよ馬鹿野郎」

「ハクラが何やってんだ! って突っ込んできたところに理由ありきで説明して鼻を明かしてやるのが楽しいんじゃないですか」


 俺がスライムを睨みつけると、奴はただの水たまりのように溶けて地面に広がっていた。ここまでの言動を堂々とぶっ放す女のどこを見て何を理解すれば良いのだろう。

 そのままグリグリと杖をねじ込んでは、引き抜いては突き刺し、引き抜いては突き刺し、を繰り返す。


「コボルドの巣は、入り口は小さく、奥は広いんです。番と子供が生活できるだけの空間が必要ですからね。高さも身長に少し余裕を足したぐらいの空間はあるはずです。もちろん、土だけじゃ崩れちゃいますから、ちゃんと地面に木の根が絡んだところの下を巣穴に選んでるわけですよ」


 その土を支えている木の根をまさに杖で引き裂き、ぶち抜き、駄目にしている最中なわけだが……。


『お嬢、中にコボルドはいるのだな?』

「ええ、間違いないです。巣をカムフラージュしてから外にでた形跡はありません」

『中、大パニックになっているのでは?』

「でしょうねー。あ、ハクラ、離れたほうがいいですよ」


 忠告に従い、俺が一歩引くと、リーンもそれに合わせて下がった。同時に、穴ぼこだらけにされ、巣穴を形成していた土の外壁が完全に崩壊した。


「うわっ」


 思わず声を上げてしまったのは、入り口の小ささからは想像もできないほどその壁の向こう側が思いの外広く、高かったからだ。

洞穴とも呼ぶべきコボルドの巣は、奥行きだけで五メートル近くあり、俺がかがまずとも良いぐらいの上のスペースに余裕がある。

 そして、まさにその奥の隅で、一匹の――先程のコボルドがガタガタと震えていた。

 体を必死に縮こまらせて、何かを抱くように体を丸めて、怯えた目でこちらを見つめている。


「怖がらせるつもりはなかったんですが」

「嘘つけコラ」

 

 コボルドからしてみれば、外敵の侵入を防ぐはずの立派な巣穴を無秩序に蹂躙しにきた破壊者でしかありえない。


「はーい、こんにちは」

「キュウウウウン……」


 リーンが笑顔で手を振って近寄ると、完全に身を強張らせてか細い悲鳴が上がった。


「恐ろしいほどビビられてんじゃねえか」

「そんな……何故でしょう」

「そら安全なはずの自宅をここまで壊されたらこうなるだろうよ」

「安全じゃなかったことが判明したので喜ぶというのはどうですか」

「それをあの今にも過呼吸で死にそうなコボルドに言ってみろよ」


 そんな毒にも薬にもならん会話をしつつ、リーンは改めてゆっくりとコボルドに近寄って――――


「ピ、ピイイイイイイイイイイイイイイイッ!」


 逃げた。体のバネを全て使って跳ね起きて、後ろ足を縮めてから、全力で解き放った。手を伸ばしたリーンが思わず「ひゃっ!」と声を上げる程、その動きは俊敏だった。

 この状況で、俺達を敵と認識しているコボルドが取るべき行動はそれしか無いだろう、どう考えても最適解で、その選択をしたこと自体は褒めてしかるべきかもしれない。

「ピギャッ!」


 俺の横をすり抜けようとしたその足に、剣の鞘を伸ばして引っ掛けてやった。勢いのまますっ転んで、体をしたたか打ちつけて転がって、水たまりに顔から突っ込んだ。

 

「あちゃー、ハクラったら酷い」

「何でお前のフォローした挙句に悪漢扱いされんとあかんのだ……」


 倒れたコボルドは、よたよたと起き上がろうとして、ズルっところんだ、ダメージが大きいのか、それとも……


「ん?」


 違う。上手く起き上がれないのは、体の自由が効かないからだ――よく見たら、水たまりでもがいているのではなく、水たまり()その四肢に絡みついていた。


『無礼を許せ、コボルドよ』

「ピギャアアアアアアアアアアアアアアア!?」

『待て待て待て、暴れるな、こら』

「いや、スライムに捕まったら俺もそうなるわ」


 というか、そうしようとした記憶がある。


「ナイスですアオ! そのまま抑えといて下さい!」


 もはやコボルド視点では絶体絶命だった。リーンが一歩地面を踏みしめるたびにビクッ、ビクッと震える姿を見ると哀れすぎる。


「待って!」

 

 そこで、聞き覚えのない声が、耳に飛び込んできた。

 同時に、ぴくり、とコボルドの耳が動いた。グルル、と喉を鳴らして、露骨に牙を剥いた。


「ん?」


 声の主は、子供だった。まだ小さい、十歳前後の、簡素な服装に身を包んだ少女だった。

 茶色い髪の毛を太く三つ編みにしている、どこの村にでも居る、普通の女の子。

 息を荒げて、胸を抑えて、必死の形相で、俺の足元にすがりついてきた。


「お、おい」

「ルドルフをいじめないで! その子は悪い子じゃないの!」

「いや、待てって」

「何かしたなら私も謝るから、お願い、やめて!」

「分かったから落ち着いて――――」

「やだよルドルフーっ! 死んだらやだーっ!」

「泣きだすんじゃねええええええ!」


 ボロボロと泣き出した少女を見て、コボルド――――ルドルフと呼ばれた――は、唸り声のトーンを変えた。


『む、こら、暴れるな』

「グリュ、ウウウウウウウウウウウウウウウ!」


 拘束されて動かない体を、それでもグイグイと引っ張り、俺に向かって全力の敵意を向けている。視線と、気配で、伝わってくる。


『その娘に何かしたら、絶対に許さない』と。


「――――何もしねえから、勘弁してくれ、何なんだ……」


 泣きじゃくる少女の、涙と鼻水で濡れていくズボンを見ながら、盛大にため息を吐くしかできなかった。


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