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暮らすということ Ⅶ


 ◆


 ギルクと別れて、リーンと合流し、軽く街を散策して宿に戻ったところで、大量の料理に出迎えられた。

 鶏の羽を毟り、肛門から口まで串で刺して、香辛料をこれでもかとすり込んでから、時折飴を塗りつつ、皮がパリパリになるまでひたすら根気良く回しながら焼く。

 そんな料理が出てきたものだから、リーンの喜びようと言ったらなかった。目の前で解体される鶏を、両手に掴んで消費していく風景にはある種の物語性すら垣間見えた。題名をつけるなら『暴食の大罪』だろう。


「うぇふ……」


 お行儀の宜しくない息をこぼし、リーンはテーブルに突っ伏した。


「お腹いっぱいです……」

「お前の口からその言葉が聞けるとは思わなかったよ」


 一組一羽ではなく一人一羽供された鶏を、まるっと平らげたリーンが、俺の手元に狙いを定めるのは必然だった。俺はリーンと違って常識的な範疇の人間なので、こんなモン一人で食い切るのは無理だと、元々分けてやるつもりで居たのだが、その様子を見た女将さんが『良い食べっぷりだね! どうだいもう一羽!』などと言う。遠慮という概念を知らないリーンは目を輝かせ、俺は本当に目の前にいる女が人間なのかを疑った。なるほど魔女の告発とはこういう日常の中にある非日常から行われるのだなと納得してしまったものだ。


「……さて、風呂に行くか」

「いってらっしゃぁーい……」

「寝そうになってんじゃねえか」

「食休みしてから行きます……んふふ……」


 幸せそうにだらけている姿を見れば、まぁそれもいいだろうという気になる。どうせ、今日はもう自由行動だ。リーンをスライムに任せて、温泉へと向かうことにした。

 なんだかんだで、大量の湯を使える機会というのは少ない。旅の中では湯を沸かして体を拭う事もある種の贅沢だ。


 男女で別れた扉をくぐって、更衣室に入る。木造の立派な空間で、下手な宿の部屋よりも綺麗だった。

 ラディントンの現状や、宿の様子を見ると、他に泊まり客は居ないだろう。実質貸し切りの温泉に、心が踊らないと言えば嘘になる。マントも服も脱いで、少し考えて、中で洗わせてもらうことにした。置いてあった腰布を身に付け、体を拭う為の手布を持って更衣室を出る。


「……うおお……」


 湯気が立ち込める、岩造りの露天風呂、上を見れば、煽り文句通り、星がよく見えた。壁に設置された燭台に火が灯っているが、薄暗く、月明かりでかろうじて周りが見えるぐらいだった。湯気も相まって、視界が効きづらい。


「すごいな、これは……」


 そこらに乱雑に積まれている木桶でさえ、湯を汲めるほどの出来なら買えば高値がつくものだ。改めて〝高価(たか)い宿〟の力を思い知る。ありがとうギルク。


「今度あったら、しっかり礼を言わないとな……」


 命の代価といえば安いものかも知れないが、これらの特権は全て、ギルクが自らの信用と資産を切り崩して賄ってくれたものだ。冒険者であれば、合理的に、手に入るもの全てを貪ってしまうのが良いのだろうが……。

 そんな考えも、熱い湯を桶で汲んで、頭から被れば汚れと共に全てが吹き飛んだ。凄まじい爽快感だった。体を手布でこすって、垢を削ぎ落としてから湯船に浸かる。


「ぐ! うぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」


 途端、熱という熱が全身を包み込んだ。濁った乳白色の湯が余すこと無く全身を覆い、疲労を溶かして流すような錯覚に囚われる。リーンは食休みして正解だろう、腹が膨れきった状態でこの湯に浸かったら一瞬で眠ってしまう。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 もし俺が女神を信仰していたら、どうか堕落を許してくれと手を組んで祈る所だ。それほどの心地よさだった。


「…………はぁ、なるほどな、温泉街……」


 リーンの話によると、荒野に点々と温泉が湧いているだけの場所だったらしいが、それをここまで開拓した街の住人の努力を手放しで褒め称えたい。

 体が湯の熱さに慣れても、少し動けばまた熱を感じる。その感覚をなんとなく味わいたくて、体を動かしていると、自然、露天風呂の中央に体が移動していく。


「ん……?」


 ちゃぷ、と前方から、湯が揺れる音がした。ぱちゃぱちゃと更に水音を立てて、近づいてくる。


「あぁ、悪い、誰か居るとは思わな――――」


 変に唸っていたのを聞き咎められたのかも知れないと思い、謝るつもりで顔を上げた。




 視界に入ってきたのは、(キズ)だった。




 白い布に、熱した油を少しずつ零せば、こんな痕が残るのではないか。人の肌の上にあるには、あまりに生々しい、めくれ上がった皮膚と、焼けた肉の残滓を強く感じさせる傷痕。


「……………っ、誰」


 背中にそれを持つ誰かが、バっとこっちを振り向いた。どうやら、俺に気づいていたわけではないらしい。いや、気づいていたのなら、振り向くことをせずに、無言で暗殺を決行されていた可能性すらある。


「………………………………」


 湯に濡れた短い赤髪。小さな肩。細く、凹凸の少ないなだらかな肢体。

 ルーヴィ・ミアスピカが、一糸纏わぬ姿でそこに居た。





 ◆


 ああ、もうダメだ。殺される。

 死が目前に迫ると、脳は走馬灯を見せてくれるという話だったが、今、俺にあるのはただの諦めだった。

 せめて覚悟を決める時間ぐらいは欲しかったが、そんな暇を与える間もなく、この女は俺を殺せるのだ。とりあえず目だ。目を潰される。

 

 ……と、身構えてから、まだ命があることに気づいた。


 ルーヴィは即座に俺の目を潰すとかそういう真似はせず、ゆっくりとその場で湯に体を沈めた。

 温泉は濁っているから、それだけでも体は隠れる。実に正しい判断だった。


「…………………………」


 それでも、頬が赤いのは湯だったせいだけではないだろう。

 じとりと睨まれれば、熱い湯の中でも背筋が凍らずには居られないし、顔を背けて、後出来るのは謝ることだけだ。


「わ、悪かった」

「…………………………」


 リアクションがない、それが何より恐ろしい。


「…………………………混浴、だか、ら」


 長い沈黙の後、顎まで沈めて、呟いた。


「……誰も居ないと、思ってた、私も悪かった、わ」


 そう言ってもらえるなら、ありがたいことこの上ない。

 入り口が男女別れていたから、別なのだと思っていた。


「……それ、に」


 このまま何もなかった事にして、背を向けて去ろうと思ったのが、意外なことにルーヴィが言葉を続けてきた。


「…………子供の裸、なんて、見てもどうということはないで、しょう?」


 相変わらず、いまいち抑揚の掴めない、独特の喋り方。それでも半眼は止めず、こちらを睨む目は変わらないのだから困る。

 しかしそうやって起こった出来事を“大したことない”様に努めてくれるなら、こちらも乗るべきだろう。


「ああ、平坦だったし全然女っぽくなかっづぁああああああああああああ!?」


 顔面に鋭い痛みが走った。顔が裂かれたのかと思ったが、どうやらルーヴィが両手を組んで、温泉を水鉄砲にして飛ばしてきたらしい。


「何すん――――」

「…………………………………………」


 俺を睨む目が、警戒から殺意に変貌していた。何だ、なんて言えばよかったんだ。


「…………い、いや、その…………」

「何」

「…………若干凹凸はあったように見えづぅぁああああああああああああああああ!?」


 より圧力を高めた第二射が両目に突き刺さった。ルーヴィの身体能力から放たれるこれはもはや立派に武器だ。


「どう答えりゃいいんだよ!」

「………………………………」

「頼む悪かった許してくれその目を止めてくれ」


 不満をストレートにぶちまけるリーンと違って、ルーヴィの非難は具体的に言葉にはしないが、選択を誤ると懲罰があるらしい。とんでもねえ話だ。


「…………えっち」

「本当に俺が悪いのか!?」

「私が、悪かったと、言ったで、しょう」

「じゃあなんで顔面に暴行を受けてるんだ俺は」


 しかもこの状況下では、お互いの戦力差如何に関わらず、誰かに見られて裁かれるのは俺の方だ。途方も無い理不尽を感じる。


「……とりあえず、俺は行くぞ」


 湯からあがるつもりはまだ無いが、この場に居ても仕方ない。

 そう思ったのは、どうやら俺だけだったらしい。


「…………なんだよ」


 いつの間にか、右腕を掴まれていた。振りほどく事はできるが、それを実行した後、俺の命がどうなるかがわからなかったので、極力直視しないようにしながら振り向いて言った。


「…………お礼を、言ってなかった、から」

「礼?」

「…………私は、()()()、わ」


 クローベルでの戦いで。ルーヴィは時間を稼ぐべく、単身ユニコーンに挑み、心臓を貫かれて死んだ。

 それがこうして温泉に入っているのは、ニコの親であるユニコーンが、その命と引換えに、悲劇を全てリセットしたからだ。


「…………私が、生きているのは、あなたが、ユニコーンを止めたから、だから」


 “星紅”の異名を持つA級冒険者にして、【聖女機構(ジャンヌダルク)】を束ねる特級騎士、ルーヴィ・ミアスピカは、笑えるほどに年相応の表情と態度で言った。


「…………ありが、とう」


 それに対して、どう答えればいいのだろう、あの戦いで俺が果たした役割は、結局ルーヴィと同じだ。ただの時間稼ぎのバトンを受け取っただけに過ぎない。


「俺が礼を言われることじゃないだろ」

「戦ったのは、あなた、でしょう?」


 それに、と言葉を続け。


「シュトナベルには、お礼を言いたく、無いわ」


 ……エスマで『絶対に魔女として裁く』とまで言った相手だ。たしかに相性は悪いんだろうが。


「まぁ、あいつは良心が欠如してるから、一度頭を下げたら滅茶苦茶付け込んで来るのは確かだ」

「…………あなたも、そうで、しょう?」

「人聞きの悪い事を言うな!」

「…………肩の傷、残ってないように、見えるけど」

「何の話だったっけか」


 ユニコーンの角の影響で、ルーヴィに突き刺された肩の傷跡も、なんだかんだで消えていたらしい。

 それはもう終わった話だから、俺は蒸し返さない。俺は蒸し返さないが、リーンは多分蒸し返す、その差は大きい。多分。


「……何故、こんな僻地、に?」

「そりゃこっちのセリフだ、俺は冒険者だぞ、どこに居てもおかしく――」

「ラディントンへの、《冒険依頼(クエスト)》は、無いはず、だけど」

「……よく知ってるな」

「立ち入りも、普通なら出来ない……わよ、ね。どうやった、の?」

「顔の効く知人がいてな」

「…………」

「……だから無言で睨むのをやめろ……あぁそうだ」


 折角本人に会ったのだから、伝えておいて悪いことはないだろう。


「クレセンは無事にラディントンに着いたぞ、今は仲間と一緒にいる。後で合流するんだろ?」

「!」


 その瞬間、目を見開いたルーヴィの表情は、なんと言うんだろう。

 硬い岩だと思って触れたら、羽毛の塊に手が沈み込んでしまったかのような。


「……本当、に? 何で……」

「パズでたまたま鉢合わせてな。随分慕われてるじゃねえか」


 単なる仕事の報告のつもりで、そう言ったのだが。


「まだラディントンにに居るなら会いに行ってやれよ、お前が居なくて落ち込ん……うおぁ!」


 背中に、柔らかい感触が伝わった。お湯で湿らせた絹で肌を拭われているような、くすぐったい感覚。伸ばされた腕が腰に絡まって、身動きが取れなくなる。


「…………よか、った、よかった……よかった……っ!」


 何を血迷ったか、背中に抱きついてきたルーヴィは、そのまま額も押し当てて、あろうことかぐす、と鼻音を立てた。


「……泣くぐらいなら置いていくなよ」


 平静を装いながら、そう言うと、ぐり、と押し当てられた頭が動いた。そのまま何も言わずに、ぐすぐすと泣き声が聞こえる。返事の代わりなのだろうか。


「……置いて行きたかったわけじゃないのか」


 ぐり、と、頭が擦られる。

 こいつらにはこいつらで、言えない事情があるのだろう、そしてそれは、俺が関わって良いことでは、多分ない。

 しばらく、何も言わずにその姿勢のままいたが、やがてルーヴィはゆっくり体を離し、それから「ごめんなさい」と小さく言った。


「…………ねえ」

「……何だよ」

「私達と、一緒に、魔女狩りを、しない?」


 とんでもない事をのたまいやがった。【聖女機構(ジャンヌダルク)】にスカウトされた男の冒険者など、世界中探しても俺ぐらいしか居ないだろう。


「魔女の呪いが、効かない、特異体質。あなたは、得意、でしょう?」

「……お前、冗談とか言うのか」

「…………冗談では、なかったら、考えて、もらえる、の?」


 ルーヴィの声は、抑揚が少ない。だから何を言っていても、言葉は冷たく、血の通ってない印象になる。こいつの立場と能力を考えればなおさらだ。

 だけど、今は確かに、真剣なのだろう。

 魔女狩りを専門とする【聖女機構(ジャンヌダルク)】、もしその一員となれれば。

 ()()()()は、ぐっと近くなるだろう。


「本気だったら、悪い」


 あるいは、リーンと出会う前なら、誘いに乗っただろうか。あの女(、、、)を殺すのに、ルーヴィ・ミアスピカは途方もなく頼りになる戦力だ。

 だからこそ。


「俺は、リーンと契約してるんでな」


 今日、自問自答して、改めて確認したことを、再度口にした。


「…………そう」


 それから、しばらくルーヴィは無言だった。俺も、特に何を言うでもなく、湯に浸かっていた。

 どれぐらい時間が経っただろうか。決して、長くはなかったはずだ。


「…………ありがとうって、言ったの、本当は、嘘」

「……?」

「…………死ねたなら、私は、それでも、よかった」


 反射的に振り向こうとして、理性がそれを思い止まらせた。けれど、言葉が止まることはなかった。


「…………私は、疲れた――――」


 どういう意味だよ、と聞こうとしたが、できなかった。

 時間が流れれば状況は動く、状況は動けば変化が生じる。

 ちゃぷ、という水音が、聞こえた。



「へーーーーーーーーーー楽しそうですねーーーハクラーーーーーー」



 これほど、この声を恐ろしいと思ったことがあっただろうか。

 顔を上げると、そこに二つの山があった。

 いや、山ではない。山ではなかった。単に大きいからそう見えただけだ。普段ローブの下に隠れている体は、一枚捲れば凶暴なサイズを誇っているのだ。下から見上げれば、そう見えると、それだけの話だ。

 そういう問題じゃない。


「混浴だったんですねー、知りませんでしたよー、あはははは」


 髪を結い上げて、湯浴み用の布を胸から腿までぐるりと巻いたリーンは、どこまでも笑顔のまま、腕を組んで仁王立ちしているのだった。

 先程のルーヴィと相対した時以上に、死を覚悟した。


「私もすぐにこっちに来ればよかったかなぁー、ねえハクラ、どうなんでしょうね」

「いや、待て、リーン」

「なんですか? 何を待つんですか? 待ってどうするんですか?」


 そう言われると、別にまったくない。俺がどこで何をしていようがリーンに咎められる筋合いはないし、本人も言った通りここは混浴でたまたまバッティングしただけだ。

 なのに何故こんなにも後ろめたい感じになっているのか。全くわからない、合理的ではない、道理がつながらない。


「……………………」


 ちゃぽ、と背後で水が揺れる音がした。後ろから、今度は首を通るように、細い腕が差し込まれ、熱い何かが体に触れた。


「…………今日の、ことは」


 俺の背中から腕を回したルーヴィの顔は、真横にあるため、全く見ることはできないが、確信を持って言える。

 ルーヴィ・ミアスピカは、挑発的に微笑みながら、リーンを見上げているに違いない。


「二人だけの……内緒、ね?」


 演技がかった、甘い囁き声。

 心の底から思った、何が子供だ。

 その瞬間、リーンの怒りが最大に達したのが、顔色で分かった。


「ハクラの――――――」


 次に何が起こるかは、もう予測がついたので、俺は諦めて目を閉じた。

 理不尽だと思っても、受け入れるしか無いのだろう。

 畜生。


「――――ぶぁぁぁぁぁぁあぁかっ!」


 全力で持ち上げられたお湯の塊は、情け容赦無く俺を飲み込んだ。

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