暮らすということ Ⅵ
剣に合った鞘も拵えてくれると言うので、素直に任せることにした。明日の朝には完成するらしいから、出かける前に取りに行けばいいだろう。
「ああ、楽しかった。困ったな、お礼のつもりで連れてきたのにこれではいけない」
「いや、あの剣だけでも相当だぞ……」
以前競りに出されたアダマンタイト製の短刀についていた値札が百万エニーだったことを思い出すと、具体的な値段は考えたくもない。
「〝風碧〟だろう? ちゃんと名前を呼んであげておくれよ」
「……〝風碧〟だけで、十分だ。本当に助かった、ありがとな」
「そう言ってもらえれば嬉しい、できれば、クレセン君にもなにかしてあげたかったんだけど」
「施してもらうために助けたわけじゃありません! とか言い出しそうだけどな」
「はは、確かに。真面目な娘だったね」
【聖女機構】と合流したクレセンも、まだラディントンには居るだろうから、探せば見つかるだろうが、俺がそれをしたところで迷惑がかかるだけだろう。
「……ああ、やっぱり私は、この街が好きだ」
坂に登れば、街の景色を一望できる。まだまだ建築中の店、行き交う人々、旅人が少なくても、活気が無いどころか、街の人間同士が楽しそうに、協力しながら生きている。
「私はね、この街と一緒に生まれたんだ」
「街と?」
「そう、ヴァーラッド伯と頼もしき開拓団の話を知っているかい? オルタリナ王の勅命を受けた私の父は、王から与えられた民を引き連れて、この土地を変えていった。パズを作り、ククルニスを大きくして、今度はラディントンに街を作ろうとなった。その作業の折に母が産気づいて、慌てて作られたのが、今の彩る羽の音亭さ」
道理で、貴族の令嬢らしく無いわけだ。生まれた環境がこの街では、そりゃあたくましくもなるだろう。
「パズの酒場でちょっとだけ聞いたな。けど、これだけ立派な街が作れるんだ、そりゃ物語にもなるか」
領主の功績を称える話だから広まりやすいというのもあるだろう。自分たちが暮らす土地のルーツにそのまま繋がっている、というのも面白い。
「ハクラは、故郷は好きかい?」
……その質問は、ギルクにとっては当然のものだったのだろう。
ギルクにとって故郷とは、愛し、育ち守るものだから、俺もそうだし、皆もそうだろうと、自然に思っていたに違いない。
「…………嫌いだね。滅ぼせるなら、この手で全部灰にしてやりてぇ」
だから、俺のその一言に、ショックを受けて、目を見開いた。そんな事があるのか? と、茶色の瞳が問うていた。
「気にすんな、俺が故郷を嫌いなのと、お前が故郷を好きなのは何の関係も無いだろ」
「……その、すまない、知らなかったんだ、本当に」
「だからいいって。お前が普通で、俺がおかしいんだ」
人と俺が同じである必要は無い、当たり前だ。
「…………私は、ラディントンが好きだ。そして我がヴァーラッドの、愛おしき、慈しむべき民の住まう領地だ。……何があっても守ろうと、そう思うのは」
細い腕を、太陽に伸ばす。勿論、何がつかめるわけでもないが、人は手に収まらない物を求める時、いつだって空を見る。
「……正しいことだよね?」
故郷を捨てて、貴族でもない俺は、それを無条件で肯定する立場ではない。
「間違っては居ないだろ」
だから、そう言った。
「……ありがとう」
その礼がどういう意味を秘めていたのか、俺が身を以って知るのは、翌日の夜になる。
○
「はうあ!」
お嬢が目を覚ます時は、大体空腹か非常事態のどちらかであるが、今回は非常事態の方であった。グラグラと地面が揺れ、柔らかいベッドの上で体を揺すられ、転がり弾めばそれはそうなるであろう、という具合だが。
「ふぁ、なんですか、また地震?」
『らしいな。大分大きかったようだが』
「うぇー……いい夢見てたのにぃ」
怠惰の天罰ではないか、と思ったが、口にすれば暫くはお嬢の蹴鞠にされてしまいそうなので言わなかった。
「この辺、地震多いですねえ、まさか……」
ちらりと、お嬢は窓から見える、最も高い山に視線を向けた。我輩らの目的地はあの麓であるので、明日には向かわねばならぬ場所だ。
「…………いやいや、そんな事ないですよね。だって皆ふつーに暮らしてますし」
そう口にしたものの、そわそわとしている様子が見て取れた。
『お嬢、小僧を迎えに行ってはどうだ』
「ふぇ? ……あれ、ハクラ居ないじゃないですか、どうしたんですか」
『お嬢が眠りこけている間に、武器を調達すると言って出ていったが』
「えええええ! 何でそんな面白そうな事に連れていってくれないんですか!」
『速攻で眠りに落ちたからであろう』
「起こしてくれればいいのに!」
『寝起きが死ぬほど不機嫌だからであろうな』
「アオうるさい」
ガシッと掴んで投げられた。壁に弾んで、お嬢の足元に戻る。
『それで、どうするのだ?』
「んー……そうですねー」
少しの間、考える仕草を見せた。一風呂浴びて小僧を待つか、探しに行くか。
十秒ほどで、財布に手を伸ばした。荷物と杖は嵩張るからか、置いていくつもりらしい。
「さっさとハクラを見つけて、ご飯に行きましょう!」
もしかしたらお嬢は空腹で目覚めたのかも知れぬ、と思ったが、口にすれば暫くはお嬢の手鞠にされてしまいそうなので言わなかった。
空が夕焼けに染まっても、まだまだ街は活気に溢れていた。角材を担いではひたすら運ぶ者、通りがかる者に焼いた肉だの、野菜だのを勧める者、槌で釘を打つ者、様々だ。
特にお嬢の外見は非常に目立つ為、どこを歩いていても誰かしらに声をかけられた。
「おや、旅人さんか! ここの温泉は最高だよ!」
「めし処は決まってるかい? 是非家に……ええ、彩る羽の音亭か。そりゃあ敵わん!」
「ディムマトンの串焼きはどうだい、油が乗ってて美味いよ」
「なんて美しい人なんだ、どうだい、一緒に湯に浸からないかい?」
親しげに話しかけられれば、お嬢とて人の娘だ、悪い気はしないだろうし、実際笑顔で手を振り、ごめんなさいとウインクを返し、串焼きは一瞬で食べ尽くし、最後の男は無視をした。
「いやー、いいところですね、皆かまってくれます!」
『たまの旅人だからではないか?』
「失礼ですねー、私が可愛いからですよ」
堂々とそれを言い切れるのが、リングリーンの女達の怖いところである。以前小僧に『お嬢はまだマシな方だ』と告げた時の、あの絶望的な表情を何故か今思い出した。
「聞いたよ、あんたギルク様を助けてくれたんだって?」
あるいは、すれちがった人間にいきなりそう言われることもあった。
「いえ、直接助けたのは私の仲間なので」
と、本人が居ないところでは謙遜して語るお嬢である。それでも人々はありがとうありがとうと言葉を重ねて、ついでに持っているものを押し付けてくる。あっという間に両手が埋まり、それならと麻袋を持たされて、その麻袋も一杯になった。菓子に小銭にアクセサリに、枚挙すればきりがない。
「ギルクさん、好かれてるんですねえ」
もらった饅頭を歩きながら口にする、行儀が悪いが、今更注意して直るものでもない。
『これだけの物を、助けたと言うだけでくれるのだからな』
「どの辺りがツボにハマるんでしょう、やっぱり顔ですか」
『整ってはいたが、万人から好かれるほどの美形というわけではなかったように思うが』
「じゃあ性格? いい人ですもんね」
『我輩らに対しては真摯であったのは間違いないが……彼らの振る舞いは、親に近い』
「ふうん?」
『街の誰もがギルク嬢を知るように、ギルク嬢も街の皆を知っている。これはものすごいことであろう。であれば、家族のようにふれあい、親しみ育ったのであろう。街に育てられた令嬢であるなら、それは即ち街の子だ』
「ふうん……そういうものですか」
『リングリーンとはだいぶ形態が違うのは事実であるが、羨ましいか? お嬢』
「いえ。私はこう見えて、それなりに郷土愛にあふれてますので」
『出ていく時にかまくらを三つほど破壊して、糧食と現金をせしめてきた記憶があるが』
「代々の継承者がやってるんだから、伝統行事です。つまり故郷の定期イベントなので愛に溢れてると言えるでしょう」
『先代が聞いたら頭を割られるな。……しかしお嬢、珍しいな。人間の社会に興味を示すとは』
すると、お嬢はむ、と頬を膨らませた。この怒り方をする時は、図星を突かれた時が大半だ。しかしどっさりと貢物を受け取って両手がふさがったお嬢は我輩を攻撃できぬ。完璧な布陣であった。
「興味があるわけじゃありません、けど」
『けど?』
「ハクラはこういう事、よく知ってるじゃないですか」
教会の風習、貴族の基礎知識。小僧が生きるために身に付けてきた知識の類を、お嬢は知らない。お嬢の旅にとって、それらは重要な要素ではないからだ。故にフォローをするために、騎士としての我輩が居るのである、が。
「だったら、最低限、話はわかるようにしておかないとなーって」
何かを知ろうとすることは、即ち変化の兆しである。
お嬢が変わろうとしているならば、それはとても良いことだ。
「……でも、やっぱり気になりますね」
何か気の利いたことを言おうと思っていたら、その前にお嬢は思考に入ってしまった。
「……何で旅人の立ち入りを禁じているんでしょう?」
そうは言うが、顔色を見る限り、大体予想はついているのだろう。ちらちらと山の方を見ては、まさか、そんな、と繰り返す。
「んー……明日にはわかりますか」
『そんなに悠長に構えていて良いのか?』
「今日明日どうこうなるようなら、もうその時点でおしまいなので、慌てても仕方ありません。最悪の場合は……」
そこで一旦言葉を止めて、お嬢は首を横に振った。
「細かいことは抜きにしましょう! 今日は温泉を楽しみます!」
言うと、お嬢は、食べに食べて空いた麻袋に、残りの手荷物を全て詰め込んで、脈絡なく駆け出した。
「ハクラー!」
まるで示し合わせたように道を歩いてきた小僧に、お嬢は大きく手を振った。