暮らすということ Ⅴ
「ようこそ、彩る羽の音亭へ」
出迎えてくれた宿の女将の恰幅が良いほど、この宿はうまい飯を出す所なんだなと思わせる事が出来る。だから女将はよく食べよく太るべし、などという笑い話があるが、それに照らし合わせると彩る羽の音亭の女将は百二十点をつけてよいだろう。
「ギルク様のご紹介とあったら、もてなさないわけには行きませんよ、ささ、お部屋にどうぞ。お夕飯は、鶏と豚、どっちがお好み?」
「はい! どっちも食べます!」
「オイコラ」
食べることに関して一歩も譲らない女、リーン。即答に、女将はあっはっは、と大きく笑って。
「では今日の夜は鶏を、明日の夜は豚を焼きましょうね、ぜひ食べ比べてくださいな。故郷に帰って感想を聞かれて〝宿が大きかった〟だけじゃあ困るもの」
大きく豪奢な宿は、サービスもそれに見合わねばならないということか。
マジで大丈夫なのかと、横のギルクを見ると、くすくす笑われた。
「宣誓書でも書こうか。支払いはこの私、ギルクリム・オルタリナレヴィス――」
「わかったわかった、ありがたく好意に甘えるよ。だから勘弁してくれ」
貴族の名前は長ければ長いほど良いとされると言うが、理解できない感覚だった。
「あはは、ヴェルデ、私の恩人なんだ。精一杯もてなしてあげて欲しい」
「勿論ですとも! ええ、お代など頂いたら、亡くなった主人に顔向けできません、夢に出られてしまいます!」
「だそうだ、気兼ねなくくつろいで欲しい。ああそうだ、ハクラは剣が欲しいんだったよね」
「ああ、伝手があるならありがたい」
「なら、一つ良い工房に心当たりがある、荷物をおいたら、すぐに来れるかい?」
「本当か? なら、悪いけど付き合ってもらっていいか」
「勿論。じゃあ、着替えて外の庭に集まろうか。少しのんびり来てもいいよ、最近、花壇の花をちゃんと愛でてあげられてなかったからね」
そんなキザなセリフも、生まれと振る舞いが良い人間が言えば嫌味にならないものだ。ひらひらと手を振って、ギルクは宿の外へとでていった。
「もう、ギルク様も休んでくだされば良いのに……」
「あの性格だと、人気も出るだろ」
「ええ、民の気持ちをよくわかってくださる、寄り添ってくれるお方ですよ。それでも最近は、中々素直な笑顔をみせてはくれなかったので、ホッとしております」
「……そうなのか?」
「ええ、半年前からですか、お父上であるヴァーラッド伯と泊まりに来てくださった時から、様子がおかしくて」
表情を見る限り、本当に心配していたのだろう。
「ああいけない、辛気臭い話をしましたね……ちなみに、皆大層ギルク様をかわいがっておられますので、妙な気を起こせば、ラディントンの商業組合全員がお相手になりますよ」
「しねえから安心しろ」
「あら、残念、あっはっは、まぁお連れ様もおりますものね」
そう言って、夕餉に思いを馳せているリーンをちらりと見て笑う女将。たくましいと言ったら無い。
「俺とあいつはそういう関係じゃない」
「大丈夫大丈夫、わかっておりますとも」
「……本当だろうな」
「ああっと失礼、それじゃお部屋に案内しますね」
そうして、女将ヴェルデの案内で通されたのは、十人で雑魚寝しても尚スペースが余りそうなほど広い部屋だった。ふかふかの大きなベッドが二つ、暖かそうな絨毯に、この季節では使わないだろうが暖炉まで備えてある。ごゆっくり、の一言と共に扉が閉まって、ラディントンに到着して以来、ようやく静寂が訪れた気がする。
「わぁーいベッドー!」
そしてその静寂は二秒で破壊された。ローブを脱ぎ捨てて肌着になるやいなや、リーンは躊躇わずベッドに飛び込んだ、ぼよんと一度跳ねてから、全身を沈ませて『ぁぅぁぅぁー』と自堕落な声を上げた。
というか。
「部屋一緒じゃねえか何も分かってねえぞ!」
「んぇ? あ、ホントだ……」
「ホントだ、じゃなくてだな」
「女将さんが気を使ってくれたんですかねー……」
かなり間違った気の使い方をされている、と言うか大きなお世話だ。
「まー……別にいーです、私は気にしません……あふ……」
「いや、俺は気にするんだが……」
宿をとったときぐらい、一人の時間が欲しいというのもある。しかしこれが人の金だと思うと、別の部屋を取ってもらう手間と費用をわざわざ追加で発生させるのも気が引けて、頼みにいくのも憚られる。
「だぁーいじょーうぶですよぉー……だって……」
既に戻れないところまで睡魔に侵された魔物使いの娘は、枕に半分顔を埋めてこちらを見て、にやにやしながら言った。
「ハクラにそんな度胸は…………ふぁ、ないですからー……」
「んなっ」
なにか言い返そうとして、何を言い返せばよいのかわからなくなり、考えている間に、リーンの呼吸は穏やかな寝息になった。叩き起こしてなにか言おうものなら、それこそ負けだろう。
『うーむ、小僧の一敗であるな……』
いつの間にやらベッドの下に居たスライムがのっそり姿を現し言った。
「いや、何の勝負だ」
「待たせたな」
荷物だけ置いて宿を出ると、宣言通り、花壇を眺めていたギルクが俺に気づいて顔を上げた。
「ううん、君を待つ時間もなかなか楽しいよ」
そういって立ち上がったギルクは、実用的な旅装から、大人しい茶色で纏めた町娘の格好に着替えていた。長いスカートにシンプルな上着は、とても貴族のご令嬢とは思えない。それでも裾から覗く包帯の後は生々しいが、それすら愛嬌に変えてしまうほどの力がある。
「おや、似合うと言ってほしかったんだけどな」
スカートの裾をつまんで、どうだい? と言うギルクに、俺はため息まじりに答えた。
「さっきのよりはな」
「ううん、こうやって言うと、男の子はだいたい照れてくれるんだけどな」
なるほど、ギルクもギルクで、自分の魅力を分かっているタイプの人間らしい。
「隣に派手なのが居るから、慣れたんだろうな」
「ああ、ハクラはシュトナベル君がいたか」
「…………お前らその勘違いは本当に止めてくれ」
さておき。
装備品に限らず、あらゆる商店は街の出入り口にある直線の道の端に並んでいる作りになっているらしい。観光客が目に止めやすいとかなんとか。実際リーンは宿につくまでの間で目を奪われまくっていたから、その狙いは見事成功しているわけだ。
「だけど、これから行く工房の職人は、何ていうか…………変わり者でね」
「変わり者」
職人という生き物に変わり者という言葉が組み合わされると、だいたいろくなことにならない気がするのだが……。
「その予想はあたってるけど、うん、多分大丈夫。ガド爺は私のことをかわいがってくれてたから、邪険にはしないと思う」
だんだん不安になる言葉がちょこちょこ出てきた気がする。
二十分程度歩いて、『ガド』とだけ書かれた鉄の看板がぶら下がった建物に辿り着いた。薄暗く、外からでは何があるかすらわからない。しかしギルクは躊躇うこと無く扉を開け放った。
「ガド爺、いるかい?」
返事はなかったが、ギルクの後を追って、俺も工房に足を踏み入れた。
「………………………………」
槍があった。斧があった。剣があった。細剣があった。
大凡、金属で出来ている、武器と呼べる全てがそこにあった、と言っても言い過ぎではないかも知れない。壁に飾られたそれらは、どれも拵え一つで上物とわかる逸品ばかりだ。
恐る恐る値札を確認しようとしたが、そもそも価格を示すような類のものはどこにも見当たらなかった。
「……確かに上物ばかりだが……」
「ああ、欲しいのがあったかい? 何なら持っていっても良いんだよ。話は後でつけるから」
「良くねえだろ怖えよ」
世の中、事後承諾で済むものと済まないものがある。
「…………何か用かね」
そんな会話に割り込むように、低い声が聞こえた。
熊がいる、と思ったのは、顔も腕も足も、濃い体毛に覆われていたからだ。
店の奥から顔を出した男……おそらく〝変わり者の職人〟……は、俺には目もくれず、ただただ大きなため息を吐いた。
「騒がしいと思ったら……ふう………」
それは山奥に住まう世捨て人が、たまたま訪れた旅人に対して告げるような物言いだった。そして、それは案外間違っていないのかも知れない。
「久しぶり、ガド爺」
「……もう来るなと言ったはずだが。お転婆は治らんか」
「おあいにく様だけど、馬から落ちても治らなかったみたいだ、仕方ないね」
領主の娘と、街の一職人の会話とは思えないほど、気軽な物言いだった。
「……それで、何をしに来た」
「うん、こちらは、冒険者のハクラ、私の命を助けてくれた、恩人だ。彼に報いる為に、ガド爺の力を貸して欲しい」
「…………嬢の、恩人?」
「ああ。剣がほしいらしいんだ。どうか一本、融通してもらえないかな。下手なものを渡すのは、我がヴァーラッドの沽券に関わる。ガド爺の物なら、ハクラも納得してくれると思うんだ」
「ふむ……」
そう言われて、ようやく俺に目をやった。上から下まで眺め回し、またため息をつく。どうやら、癖らしい。
「……若いな……」
「そりゃどうも。褒めてもらってるわけじゃなさそうだが」
二人がどんな関係かしらないが、不躾な目線に何も感じないほど大人ではない。
ただ、言い返してからしばらく、ガドは俺を無言で眺め続けた。
「……なあギルク」
「言ったろ、変わり者だって」
こいつは、そんなガドの態度を、いつもどおりだというように受け止めている。
「お前も十分変わり者だよな」
「そりゃあそうさ、社交界よりも、馬を駆るほうが好きでね」
ウインクまじりにそう言われれば、もう黙るしかなかった。出会った時の殊勝な態度は、本当に体力がなかっただけらしい。
「…………何を、求める?」
不意に、ガドが口を開いた。
「剣がほしい。なるべく頑丈な奴が」
「……何の為に?」
「何のって」
戦う為に決まっている。
そう告げると、ガドは首を横に振った。
「戦うのは……目的が……あるからだ……」
「目的?」
「戦う為に戦う者は……居ない……獣は生きる為に戦う……兵士は……家族、貴族は、民と、権威の為……お前は……?」
「…………」
何の為に戦うか。
茶化したり、何の意味があるんだ、とわざわざ聞き返す場面ではないだろう。
目を閉じて見ると、何故か、暗闇の向こうに、騒がしくてわがままで身勝手な、緑色が浮かんできた。
「…………俺の為だ」
だから、正直な所を答えることにした。
「……お前の為……?」
「そうだよ、俺が俺である為に剣が要るんだ」
俺の旅は、リーンとの旅だ。自分で選んだ居場所だ。
あいつの側に居ると、いつだってトラブルがある。そして物事を解決するには力が要る。
リーンにとってのそれが受け継いだ才能と蓄えた知識なら、俺にとってのそれは、やはり剣だ。
力の象徴であり、武力の象徴であり、戦いの象徴であり、武器という名の象徴だ。
後回しにすべきではなかった、真っ先に手に入れるべきだった。剣無くして、剣士で居られるわけがない。
「……お前は、自分が何の為に存在しているか、考えたことがあるか……? それに答えを出せたものが、この世にどれぐらい居る……?」
海に石を投げて、浮かんでくるのを待っている様な問いかけ。
悪いが、付き合うつもりはない。
「んなこた知らねえよ」
けれど。それを知っている奴は、知っている。
「自分が何の為に存在してるのか、分かってる奴の隣にいるには、意地張る根拠が必要なんだよ」
世界を救う為の旅だと言っていた。なんて途方もない話だと思う。
けどあいつは本気でやるつもりで、俺は自分の意志で契約をした。北の最果てへ、リーンを連れていくという契約を。
「……ハクラ、今、女の子の顔を思い浮かべていなかった?」
黙って聞いていたギルクが、俺の顔を覗き込みながら言った。
「……どうだろうな」
「ねえ君、どうだい、ヴァーラッドの婿に来る気はないかい? 嫁の貰い手が居ないと父上がうるさくて」
「勘弁してくれ」
からかわれるのは御免こうむると手を振ると。
「…………ぐふ」
濁った笑い声。ガドが、口元を抑えていた。
「…ぐふふ、ぐふふっ」
やがて、その笑みは隠すものではなく、さらけ出すものになった。子供がその顔を見たら、きっと泣いてしまうだろうな、と他人事の様に思った。
「ギルクは、孫娘のようなものだ。私だけではなく、街の皆が、そう思っている……家族のようなものだ。……その家族を、お前は助けたというなら……私はそれに報いなければならない……」
「ガド爺!」
「少し、待っていろ」
のたのたと、店に奥に引っ込んでいく。後を追って良いものかどうか少し考え、結局待つ事にした。
「……笑ったガド爺は久しぶりに見た。やるじゃないか、ハクラ」
「お前の冗談が面白かったんだろ」
「ハクラの切り返しだって中々のものだよ?」
「じゃあボケられるのに慣れてんだ」
慣れたくもなかったが、リーンはもっと騒がしい。
それから、十分ほど経っただろうか。布に包まれた長物を、両腕で抱きかかえながら持ってきた。
「…………この工房にある、一番頑丈な剣は、これだ」
机に置かれ、ほどかれた布の奥には、銀色に光る片刃の剣があった。俺もギルクも、興味深げに覗き込む。
角度を変えると、少し緑がかったようにも見える。長さは俺好みで、片刃なのも抜き放つには都合がいい。肝心の刃の厚さはそれほどでもないが、慎重に持ってみると、意外な重みが手にかかる。
「……金剛鉄、か?」
頑丈な金属と言うといくつかあるが、その中で最も硬いとされているのがアダマンタイトだ。鉄を両断し、鋼を叩き割り、魔導銀ですらへし折って傷一つつかないとされる。アグロラが使っていたダマスカスが最硬の合金なら、アダマンタイトは最硬の天然金属だ。
勿論、硬いということは加工が難しいということでもある。素材の希少性と相まって、それはもうべらぼうに値が張るはずだ。
「この地、ラディントンで産出したものだ。のけた土砂に含まれた僅かなアダマンタイトを抽出するのに、二年。集めたそれらを溶かしてインゴットにするのに三年かかった。剣にするのに、更に一年だ。この地に来てから、私はずっとこの剣に鎚を打ってきた」
「滅茶苦茶流暢にしゃべるじゃねえか」
「好きなものの事を語る時は、舌がよく回るものだろう」
ラディントンはまだ開拓の途中であり、建物はガンガン建っていく。となると釘やら鋲やらが大量に必要になる。それを作るのは鍛冶屋の仕事だ。いくらあっても足りないほどの需要はあるはずなのに、それらには脇目も振らず、ただひたすらに剣を作っていた職人。なるほど、確かに変わり者だ。
「……何でそんな真似を?」
「価値あるものを作りたかった。それができれば、己に価値が生まれると信じて」
返答は淀みなかった。
「だが…………武器はどれも同じだ。飾っているだけでは、意味がない。使われねば、あってもなくても同じだ」
その目は、俺にこう聞いていた。
お前はこの剣に、価値を与えられるか、と。
「……緑ってところが気に入った」
片手で柄を持ってみる。いい具合の重さだった。魔導銀の剣は、軽すぎた。
「なら、名前を決めないとね」
ギルクが楽しげに、両手をぱちんと鳴らした。
「……必要か?」
「我が子が旅立つ時、与えることにしている」
作った職人がそういうのだから、そういうものなのだろう。
「……東方大陸は、鍛冶の大陸だ。若い日に、あの地で見た剣を、私は空想し、打った。カタナと呼ばれる剣を知っているか」
「ああ、何だっけ、片刃の、薄くて頑丈な、曲がった剣があるんだったか?」
人づてにしか聞いたことはないが、東方大陸には、特殊な鍛え方で独自の剣を作り出す鍛冶師がいるらしい。僅かに反った片刃は、切れ味に置いて右に並ぶ物は居ないという。
「……緑が好ましい、と言ったな」
「ああ」
瞳の色には敵わないが、とは言わなかった。
「しかし、ふうん、緑がいいのか、へぇ」
「…………何だよ」
「シュトナベル君の瞳は、きれいな緑色だったなぁと思って……うぇぷ」
騒がしいお嬢様の鼻を摘んで黙らせる。不敬罪が適用されたら、間違いなく縛り首だ。
「緑か……ふむ」
ガドは、何かを懐かしむように目を閉じた。
「……おっさん?」
「〝風碧〟だ」
そのまま黙るものだから、眠ってしまったのではと声をかけた瞬間、そう言った。
「……その剣の名前だ」
手に持った剣が、わずかに震えた気がした。銘を与えられた瞬間、命が宿ったとでも言うように。
「アダマンタイトの精錬の際、とある縁で譲られた、大きな鳥の羽を触媒に使った。なぜだかわかるか、ギルク」
問われ、ギルクは頷いた。スカートのポケットに手を入れ、取り出したのは、金の鎖が吐いた、立派な懐中時計だった。その表面に刻まれているのは、紛れもなく風見鶏の意匠だ。
「ヴァーラッドのシンボルだから」
「その通りだ。風見鶏は、風を読み、流れを読む、人々に自然のあり方を伝える、人の絵知恵と自然との共存を示す鳥だ。剣が緑を帯びたのは、その後の事だ……お前の旅の行く先を、きっと示すだろう」
「そりゃ、縁起がいい」
物に執着をする方ではないが、名前がつけば愛着も湧く。由来があるなら尚更だ。
不謹慎な事だが……新しい剣を手に入れるたびにいつもこう思うのだ。
早く使ってみたい、と。
「連れが言うにはな、俺達は世界を救う旅をするそうだぜ」
そう言うと、ぐふ、と喉をつまらせたような笑い声が聞こえた。
「ぐふ、ふふふ、そうか、それなら……」
やがてそれは、がはは、という音に変わった。
「……世界を救う、価値のある剣だ」