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暮らすということ Ⅰ



 ラディントンへ向かう道中は、左右どちらを見ても高い山がある。

 整った石畳が敷き詰められた街道とは比べるべくもないが、荒れ果てた荒野というわけでもない、人が行き来することで自然と形成される荒野の道である。その両端部にズラッと並ぶ針葉樹は、道を逸れて山へ入らないよう人工的に植えられたか、意図的に残して伐採されたものなのであろう。

 ニコの健脚は、そのような地でも速度を落とさずよく進む。途中何度か地震があったが、ものともしなかった。


『ふむ、やはり以前来た時とだいぶ違うな。道なき道を征く事になると思っていたが』


 我輩の記憶では、ラディントンへ向かう道はただひたすらに森であった。方位磁石がなければ進むも戻るも死に直結するような旅だった事を覚えている。

 一方、キョトンとした顔で、クレセン嬢は首を傾げた。


「それはそうです、ラディントンといえば北方大陸随一の()()()ですから」


 エスマでの一件でこそ我輩に驚いていたクレセン嬢も、ここに来る道程で慣れたのか。或いは考えないようにしたのか、普通に会話に応じてくれるようになった。大変ありがたい限りである。


「温泉……街?」


 一方、お嬢はクレセン嬢と同じぐらいきょとんとしていた。今はじめて聞きました、ぐらいの顔立ちである。


「何でそんな不思議そうにしているんですか……私はてっきり、クローベルで大金を稼いだあなた方が、のんびり温泉旅行でもするためにラディントンへ行くのかと」

「そんな金はねえよ」


 呆れたように小僧が言う。


「馬車を持っているのに?」

「それで儲けが全部吹っ飛んだんだ」


 厳密に言えば儲けになるはずだったものが馬車に変わったのだが、それを言っても意味がない。


「天然の温泉以外なーんにもない僻地だって、お祖母様言ってたのに……ですよねアオ!」

『うむ、我輩もそう記憶しているが……そうであるなら随分と開拓が進んだのだな』


 なにせ我輩が訪れた頃はパズの街すらなかったのだ。


「そもそも、この辺り一体の土地は、ほんの三、四十年前までは森と丘しかなかったらしいですから」


 クレセン嬢は地図を指しながら言った。道中暇なこともあって、小僧もお嬢も耳を傾けていた。冒険者と修道女(シスター)の日常会話が噛み合うわけがないので、話題の選択としては正しいところであろう。


「クローベルからの船が着くのもククルニスではなくて、ここよりもっと西側のシホンワフル領やファイク領だったそうです。ですがオルタリナ王国から派遣された、ヴァーラッド伯の領地になってから、大きく変化したそうです。レレントを基点に――――」


 次いで指差すのは、パズから山を超えて南西にある都市である。ここは我輩も聞き覚えがある場所である。


「――――開拓団を組織したそうです。彼らは凄まじい勢いで森を切り開き、丘を掘り返し、その資材でパズの街を、それはもうものすごい速度で作ったそうです。同時にククルニスも発展させて、交易の入り口に出来るようにしてしまったとか。その功績を認められて、ヴァーラッド伯は辺境伯の位を与えられました。……というのが、こちらに来る前に教わったこの近辺の開拓史です」

「で、やることなくなったから次はラディントンを開拓するか、って話になったわけだ」

「と、聞いています。元々上質な温泉があることは知られていたので、新たな観光地にしたのだと」

『理にかなっておるな。道中どうしてもパズに寄らねばならぬから金も落ちる』


 同じようにラディントンまでの道を切り開き、村を作る。貴族の庇護の下、開拓という目的があれば村はあっという間に街になる。

 我輩らの知るラディントンでは、もうなくなっているらしい。


「……ア、アオ、どうしましょう」


 珍しく、お嬢が不安げに我輩を叩いた。いや、我輩を叩くのは珍しい事ではないのだが。


『大丈夫であろう、仮にアレが見つかったとしても普通の民にどうこうできるものではない』


 我輩らが何を話しているのかわからなかったのだろう。小僧は『どうせ後でわかるんだからいいや』と思っているフシがあり、クレセン嬢はなにか悪巧みをしているのかと細目で睨んできた。


『しっかりと勉強しているのであるな。事前に下調べをしないお嬢とは大違いである』


 なので話題を変えることとした。ごまかされないぞ、と目は語っていたものの、スライムにですら褒められればまんざらではないらしく、ふんと横を向いた顔にはわずかに紅潮していた。


「アオだって知らなかったじゃないですか!」


 そして、我輩はお嬢の八つ当たりによって横に伸ばされるのであった。大層辛い。



 日が落ちれば馬車を止めて、火をおこして野営せざるを得ない。ニコは疲れ知らずで、労ろうと毛に手を伸ばした俺を蹴り飛ばすほど元気だったが、いくら快適とは言え、馬車に乗り続けるというのは、やはり体力を使う。体は伸ばしたいし、技術は使わないと衰えるので素振り程度でも訓練はせねばならない。


 リーンは「見張りなんていらないですよ」とのたまい、クレセンは気疲れに旅疲れでうつらうつらしていたので、結局俺とスライムが交代で夜の番をした。

 日が昇ると同時に眠そうにあくびをしながら、


「ご飯まだですか?」


 などとのたまうリーンの頭をひっぱたいた。

 馬車に積んでもらったパンは保存のために二度焼きしてあってカチカチだし、干し肉も海上で日持ちさせるための塩辛い物だが、野菜を乾燥させた粉を混ぜたスープに浸してしまえば味は良くなるし柔らかくもなる。火で炙ったチーズを絡めれば贅沢すぎる朝食の完成だ。


「しかし、教会の地下にチーズなんて保管してあるんだな」


 クレセンの飯は自分で用意させるつもりで居たが、中々肝が座っていると言うべきか、パズを出る際に教会に立ち寄り、何をもってきたかと思えば円盤状の一抱えほどもあるチーズだった。これを分けるから道中のパンと肉を寄越せと言われれば、食事に目のないリーンが誰より先にオッケーを出すのだから苦笑するしか無い。


「非常時に備えて、教会というのは食料を確保しているもので、【聖女機構(ジャンヌダルク)】にはそれを徴収する権限があります。ルーヴィ様と合流できるなら、ご機嫌を伺う必要はありませんので」


 などとすまし顔で言うのだから凄まじい。馬車を出してもらえず途方にくれていたクレセンが、一体どうやってこれを引っ張り出してきたのかは聞かないほうがいいんだろう。


「教会の上下関係のことはよく知らないんですけど、神父に逆らっていいんですか?」

「私は洗礼を受けていないので、規律に縛られませんから」


 しれっとそういい放つクレセンに、リーンは声をあげて笑った。


「あはははは! おかわりいります?」


 器の中が空っぽになったクレセンにそんな事を言うもんだから、俺は驚いてリーンを見た。こいつが他人に鍋の中身を勧めるなんて……!


「大丈夫です、これはハクラの分ですから」

「自分のを渡せよ!」

「いえ、その……」

「食べれる時に食べておいたほうがいいですよ。チーズだって、【聖女機構(ジャンヌダルク)】の本隊と合流したら沢山は食べられないでしょう?」

「う……」


 空腹を、食欲を我慢するというのは難しい。常日頃、固いパンと塩辛い干し肉で過ごしているような生活ならなおさら、暖かく味のついた食事は貴重だろう。

 清貧を尊ぶサフィア教の教えと、目の前の食事、暫く天秤にかけたあと、クレセンはおずおずと器を差し出した。


「えへへ、はいどうぞ」

「……ありがとうございます」


 正直な所、ただの子供だと思っていたが、その印象は改める必要がありそうだ。こいつは基本的に強かで、良くも悪くも手段を選ばなく、そして優先順位の一番にルーヴィがあるのだろう。


『きゅぃ』

「ひぁっ! もう! びっくりしました! お馬さん、今日もよろしくお願いしますね」

『きゅぅ』


 炉端に生えていた、枯れ果てた草を食んでいたニコが、おかわりを受け取ろうとしたクレセンに、突如すり寄った。バランスを崩しながらも、労をねぎらい、頭を撫でてやる姿を見れば、まぁ何とものどかな光景だ。


「……つーかこいつは普通の馬と同じ(エサ)でいいのか?」

「むしろ食べる必要もあまりないんですけど、私達が食べてるのを見たら真似したくなったみたいです」

「食わなくていいのか……」


 さすが霊獣様だ。人智を超越しておられる。

 この時点まで、旅は驚くほど順調だった。


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