旅するということ Ⅵ
「おや、これは奇遇ですね」
善は急げで、早速出発しようと建物を出ようとしたところで、聞き覚えのある声が耳に入った。ルーバとラッチナだ。背が低くてカウンターまで届かないラッチナの体を持ち上げて、カウンターで書類を書かせていた。
「あ、昨日の胡散臭い吟遊詩人」
「一夜にして胡散臭い扱いはひどくありませんか! ……あぁ、ラッチナ、署名はすみましたね、はい」
どうやら《冒険依頼》を受けた直後らしい、ギルドの職員が正式にその書状を渡したのがラッチナだということは……。
「お前は冒険者じゃないのか」
「ええ、手の甲を切り開くなど怖くてとても。それにラッチナが三日三晩悶え苦しんでいるのも見ましたからね」
二人の関係性がどういうものかは知らないし興味もないが、中々クソみたいなことを言いやがる男だった。
「おはよ、ございます」
と、ルーバの手を離れて近寄ってきたラッチナが、俺達に向かって頭を下げた。クレセンも、自分より年下の子供相手には意地を張ることもなく、おはようございます、と丁寧に礼を返した。
「本当にすぐ会っちゃいましたねえ」
「想像はしてたけどな」
「ふへ?」
「昨日の店でのいざこざで楽器を取り上げられて、期日までに金を返せなきゃ売りはらうって言われたわけだ。そんで楽器がなけりゃ金を稼げるのはギルドで依頼を受けられるラッチナだけだ」
「はぁ、なるほど……………………え、幼女のヒモですか?」
有り体に言えばそういうことになるので、リーンの引き具合は昨日以上だった。ルーバははっはっは、と楽器の代わりに虚無を指で弾き、鳴らない音に耳をすませていた。
「ラッチナ、我々は良きパートナーですよね?」
「チナ、子豚の丸焼きが食べたい」
「今は昼に食べるパンがない話をしてるんですよラッチナ」
「でも、チナが働けば食べられる」
「ええ、ですが旅において倹約と節約は……」
「子豚の丸焼きが食べたい」
「ラッチナいいですか。女神サフィア、獣王レオフェロイ、光王シェキナは皆同じことを言っています。即ち美徳とは我慢のことであると」
「子豚を焼かないならルーバの楽器を焼く」
「ラッチナァ!」
どうやらラッチナはラッチナで、保護者への脅し方というのをわきまえているようだった。
「ハクラ、ハクラ」
「子豚の丸焼きが喰いたいなら自分の財布から出せよ」
今更だが、俺達の財布は三つある。
一つは俺の、一つはリーンの、最後の一つは共用のものだ。旅の必需品や最低限の食事代と宿代をここから出して、贅沢したければ自分の身銭を切るというのが二人で定めたルールである。
なので。
「ケチっ!」
こうなるわけだ。ただ現実問題、俺は金がない。厳密にはこれからなくなる。
「ちぇっちぇー。あ、そうだ、幼女のヒモさん」
「名前で呼んでいただけるまで私は絶対に返事をしませんよ!」
ルーバこと幼女のヒモは、必至にラッチナに金の貴重さ、仕事のありがたさ、楽器があることによる宣伝効果の有無、役割分担などを言い聞かせていたが、当のラッチナに聞く耳はなさそうだった。
「じゃあルーバさん、昨日の話なんですけど」
「はい? ああ、リングリーンの魔女の。途中で終わらせてしまいましたからね、続きが気になりますか」
「いえ、それはいいです。知ってますから。それよりも……」
リーンが『どうしてトゥナイエルという名前を知っていたのか』と聞く前に。
「ルーバ、早くいこ」
と、ラッチナがさっとルーバの手を抜けて駆け出し、ギルドの外に出てしまった。初動からトップスピードに乗るまでが速い。
「ラッチナァァッァァァァ! 申し訳ありません、私はこれで!」
「あ、ちょっと!」
リーンが引き留めようと腕を伸ばすも、するりと身をかわしてしまう。こうなれば追いかけるのも変で、むむむ、と不満げな声をあげる。
少女の背を追いかけるべく、扉に手をかけたところで、思い出したようにルーバは足を止めて、こちらを見た。
「そうそう。ラディントンに向かわれるのでしたら、一つ有意義な事を教えて差し上げましょう」
吟遊詩人とは、行商人と並ぶ、歩く情報屋だ。世界各地の伝記・伝承に、まだ見ぬ宝の情報が眠っていることはごまんとある。また自らの情報と引き換えに新たな情報を得て、それをどこかに持っていく。
「〝火の山は鳴いている〟」
♪
「よかったの?」
「何がです?」
ラッチナはいつも主語を抜く。ルーバとしては会話の内容を明確にしたいので、何についての話なのかは毎回しっかり確認することになる。
「リングリーンの後継者を、ラディントンに行かせて」
「何、今日明日、山が鳴くわけではありませんから」
ぽろん、とリュートを適当に奏でてから、ルーバは適当に答えた。
「最悪でも、魔人がついていれば大丈夫でしょう、それよりも」
空を見る。薄っすらと雲がかかり始めた。
「〝彼ら〟とどう相対するか。楽しみですね?」