旅するということ Ⅳ
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大きな街には街灯があるので、細い裏道などに入らなければ歩くのに支障はない。ギルドに行くのは明日にして、とりあえず今日は宿に戻って寝る事になった。
『しかし、あの吟遊詩人は何者だったのであろうな』
食後の運動などとのたまい、道をボムボムと跳ねながらスライムが言った。リーンも頷き。
「うーん、残って話を聞けばよかったですかね」
「なんかおかしなところがあったのか?」
俺の知識と、ルーバが語った物語、魔女が蒼い竜と共に魔王を倒しに行く、というあらすじはおおよそ一致していた。細かいディテイールや、魔女リングリーンがどういった人間か、というのは初めて聞いたものの、それならリーン達のほうが詳しいぐらいだろう。
「実はですね、私の仕事の一つに、各地の“リングリーンの魔女の話”を集める、というのがあるのですが」
「なんだそりゃ」
「どれぐらい世間が私達のことを認識してるかの調査といいますか、うちのばあさま達は陰湿なのでそういうのを結構気にしているのです。例えば、エスマの吟遊詩人が語った話だと、南で出会ったのはオオムカデではなくユニコーンです」
「虫と馬じゃだいぶ違うな」
「クローベルがあったからかも知れませんね。で、そこを行くと、あのルーバさんの話はほぼ合ってるんです」
「……どういう意味だ?」
意図がつかめず聞き返す。リーンは人差し指を立てて、くるくる回した。
「言葉通りの意味です。私が他人の口から聞いた中で、故郷にある“初代の旅の記録”に一番近かったかも知れません」
その表情は、事実が正しく伝わっていることを喜んでいるようには見えなかった。むしろ、困惑している。
「ルーバさんはご先祖様のことをこう言いました。リングリーン・トゥナイエルと」
「俺も聞き覚えがあるぞ、それは」
エスマでの魔女騒動の際に、リーンが初代リングリーンをさして言った名前だ。
クローベルでもそうだった様に、村なり街なりを築き上げた人間の名前が、そのままコミュニティの呼び名になることは珍しくない。
「はい、ですけど世界各地の記録にトゥナイエルという出身地名は残されていないはずなんです」
「……どういう意味だ?」
「そもそもトゥナイエルを名乗り始めたのが、クロムロームを封印した後だからです。結婚相手の出身地名ですから」
出身地名、というのは、自分がどこで生まれ育ったか、を表す意味を持つ。
特に旅人たる冒険者たちの間では有用なシステムだ。西方大陸出身者で比較的多い『ニアーミィ』という出身地名であれば、サフィア教を嫌い、現地の宗教に基づき牛肉を食べない戒律がある、という風習を持っていることが一発でわかる。
他にも単純に、遠くから来たやつなら旅慣れているということだし、ギルドの所在と出身地名が一致しているなら地元の人間だ、ということになる。
この出身地名を合法的に堂々と変えられるのが婚姻だ。大体の場合は女が男の側の出身地名を名乗ることになる。これは『お互いが生活と故郷を共にする』という宣誓でもあるわけだ。
「つまり、トゥナイエルっていうのは、身内が身内に説明する時の名前なんですよ。だからルーバさんがどのルートでその名前を知ったのかが、ちょっとわからなくて」
『話の内容も、驚くほど正確であったしな。竜とのやり取りなど、一言一句そのままであった』
無論外見は大きく違うが、と付け足す。まあ金の髪に緑の瞳、という条件とラッチナはかけ離れていた。
「……まぁ、一旦置いとこう。宿に着く前に話を終わらせるぞ。結局、お前の旅の目的はなんなんだ?」
リングリーンの話を持ち出したのは、それが理由に繋がるからだ。
リーンは言った、『世界を救いに行く』と。それがどういう意味なのか、俺にはまだわからない。
「あ、そうでした。じゃあ話の続きです。ハクラ、私がエスマで悪魔周りの話をした時のことを覚えてますか? とある理由で魔素がこの世界から消えた、って」
「かなり気になったけどお前が話を横においたせいで結局追及出来なかったやつな」
「これから説明するからそんなにカリカリしないでください。要するにですね。この世界の魔素は、ぜーんぶ食べられちゃったんですよ」
「……食べられた?」
「はい。この世界で一番最初に生まれた生命である、五体の竜が独占しちゃったんです」
竜。
言葉にすれば簡単で、今の世の中に置いて、それは飛竜やヒドラといった大型の爬虫類系の魔物のことを指す。それだって書類上の話で、大体の冒険者はトカゲと呼ぶ。
紋章や装飾にその姿が刻まれることはあれど、実物を見たものは誰も居ない。伝承や伝説で語られるだけの架空の生物、それこそユニコーンのような物だ。
「世界を覆うほどの魔素を、たった五体で分け合ったわけですから、竜はべらぼうに強い生き物でした。ハクラ、ユニコーンと戦ってみてどうでしたか?」
「二度と相手にしたくねえよ」
存在しているだけで雷と暴風雨を呼び寄せ、街を破壊できるような光線を水平線の彼方まで放つ事の出来る化け物だ。人が戦うような尺度の存在ではない。
俺が自分の力を使いこなせたとしても、勝てたとは思えない。
「そのユニコーンを一としたら、竜は百だと思ってください」
「………………」
「千でもいいですけど」
「戦ったり何だりするような相手じゃねえってのはよくわかった」
だが、それがどう目的に繋がるのか。
「けどですね、ルーバさんのお話が何より正しかったのは、戦いの結末に関してでして」
リーンは一歩前にでて、そして俺の方を向いた。
緑色の瞳が、俺をじっと見据える。今更目をそらすのも癪なので、見つめ返した。
「ほとんどの伝承では打ち倒し、世界を救った、と語られていますが、初代リングリーンが行ったのは黒竜クロムロームの封印です。蒼竜アイフィスの協力を持ってしても……いえ、霊獣、幻獣と呼ばれる様な無数の魔物たちの味方につけて、尚、相打ちに持ち込むのが限度だったんです」
「…………」
クローベルで戦ったユニコーンを一として、それに類する個体も無数に居て、更には竜まで味方に居て。
勝てなかった存在が、黒竜クロムローム。
どの様な規模の戦いだったのか、もはや想像しようもない。
「最終的に、アイフィスの命と引換えに、大地そのものを永久凍土へと変えて封印しました。だからあの場所は畏れを込めて〝北の最果て〟と呼ばれるのです」
「……竜同士にも力の差があるのか?」
「相性の差はあれ、基本的には同じらしいですよ。ただ、他の竜達はその力でもって世界の秩序を保とうとしましたが、クロムロームは貪欲だったのです」
「貪欲?」
「はい、この世界の魔素だけでは飽き足らず、裏界の魔素をも、喰らおうとしたのです。魔女が行う様な契約なんて可愛いものじゃありません。力づくで世界と世界の道をこじ開けて、全てを飲み込んでやろうという侵略です」
それが実際どの様な光景なのかは、俺の想像力が足りない。ただ、酷いことになったのだろうということは、何となく分かる。
「で、成功したのか?」
「ええ、位階第三位の七大悪魔が一体、ヴェルゼルヴヴ・ヴェヴィヴェルヴァヴェヴはクロムロームに貪られ、その力を奪われました」
「死ぬっほど噛みそうな名前だったな今の」
「『べびべるばべぶ』っていうとそうでもないですよ」
「急に間抜けな印象になるから止めてくれ」
まぁ要するに、力関係が均等な五体の竜の内、一体が抜け駆けして悪魔を食ってパワーアップしたわけだ。
「勿論、他の竜たちは怒りました。真っ先にキレたのが白竜イーヴァスで、今は暗黒大陸と呼ばれる地で決戦が行われたそうです」
結果がどうなったか。吟遊詩人様の話によると、白竜イーヴァスは今も眠りについているらしい。
「で、後はお話通り。クロムロームがまき散らかした魔素によって変質し、魔物となった動植物はクロムロームの支配下に置かれました。邪悪なる軍勢が生み出されようとしている中、一計を案じたのが蒼竜アイフィスです。さて、何をしたでしょう」
今までリーンから聞いた情報と、リングリーンの物語、組み立てれば、答えはある程度見えてくる。
「リングリーンを魔女にしたんだな?」
「正解です。クロムロームを物理的に止めることは、もう誰にも出来ませんでした。ですがクロムローム最大の失敗は、取り込んだ悪魔が位階第三位であったことです。力を増した代償に、悪魔の魔素を取り込んだクロムロームは悪魔と同じルールで動かなければなりません、即ち――」
「第一位の悪魔と契約したリングリーンの言うことを聞かないといけない」
ぱぁ、とリーンが笑ったのは、俺がちゃんと会話についてきたからだろう。人に知識を披露するのが好きなやつは、自分の講釈がちゃんと理解されている事がわかれば喜ぶ物だ。
「――――私の目的は、黒竜クロムロームの封印を更新すること。リングリーンの正統後継者、原初の魔女の契約を受け継ぐ私にしか出来ない大仕事なのです」
えへんと胸を張るリーン。言い換えるならこういうことだ。
封印を更新しなければ、やがて目覚める。
そうなったらもう、動き始めた黒竜クロムロームを止めることは誰もできなくなる。リーン以外には。
二千年前の伝説上の存在が、現代に蘇るというのは、なかなかゾッとしない話だ。
「……つっても封印の更新って、具体的にはどうすんだ?」
俺が至極当然の疑問を投げかけると、リーンはんー、とうなりながら目を閉じて、顎に手を当てた。考えるポーズ。
「直に現地に行って、色々手順を踏んだ儀式をしないといけないんですよ、これがもうハチャメチャ面倒くさいんですけど、そのために必要なものが、ラディントンにあるのです」
ようやく、話が一周して戻って来た。
「つまり、ラディントンに行くのは、どうあがいても必要な行程ってことだな?」
「納得してもらえましたか」
「半信半疑っつーか、スケールがでかすぎてピンとこないけどな」
「だから人には話しません、笑われるのが目に見えてますから」
実際、俺もリーンと旅をしていなければ笑い飛ばしていただろうと思う。
目の前に存在しない脅威を警戒するのは、合理的ではないからだ。
リーンは、くるりとその場で回って見せた。ローブと、長いスカートがふわりとひるがえって、シルエットを大きく見せた。
「……〝南の最果て〟の外に出ていいのは、初代の契約を引き継いだ娘だけなんです。それ以外の全員が、あの寒くて白い場所で、一生を過ごす」
クローベルを発つ前夜にも、同じ話を聞いた。
リーンはそのために努力を惜しまなかったし、あらゆる手段を使ったらしい。
「私は、楽しい旅にしたいです。使命感は勿論ありますけど、それだけじゃありません。私はハクラと出会ってからは、何でも楽しいです。食べるのも、話すのも、全部」
月を背に踊る金の髪は、天使の羽のようにも見えた。本当にこの女は、自分が他人からどう見られるのか、わかりすぎるほどにわかっている。
「だから、最後までついてきてくれますよね? ハクラ」
ここで頷かなかったら、きっと殴られるに違いない。
「お前の名前を忘れる、薄情者で良ければな」
む、と頬を膨らませ、てい、と拳で叩いてきた。
杖で殴りかかってこないのは、本気でない証拠だろう。
「ぐっ」
それならばと受け入れた一撃は、割と深くみぞおちに突き刺さった。