生きるということ Ⅴ
村人がよく利用することもあって、森とは言っても主だった道はある程度整えられていた。無論獣道も多いが、ヒドラが住んでいた場所とは比べるべくもないほど快適だった。
「しかし、人間襲うコボルドなんて初めて聞いたな」
進行の邪魔になる草木は鞘で打払いながら(リーンは当然のように俺の後ろからついてきて一切働いていない)呟いた。
それほどまでに、コボルドとは人間に対して――――直接的には無害な魔物なのだ。
間接的には畑が被害を貰うこともあるが、少なくともライデアでそういった事態は起きていないようだった。
「んー、ハクラ、コボルドって何を食べるかご存知ですか?」
言われて、俺は少し考えた。コボルド自体はよく見る魔物だ。繰り返すが、街では飼われている個体もいるほどだし。
ただそいつらが餌を食っているところを見たことはない。何となく生肉でも食ってるような気がする。
「さあ、やっぱ肉か?」
「いえ、雑食です。コボルドはなんでも食べるんですよ。肉も魚も野菜も木の実も草の根も。まあ……スライムほどではありませんが」
リーンは手に抱えているスライムを見た。
「なるほどねえ」
俺もリーンが抱えているスライムを見た。
『言いたいことがあるのなら聞くが』
有機物に限らず、取り込めるなら金属でも毒でも溶かして喰う最強の雑食生物の話はさておき。
「では、軽く解説してあげましょう。コボルドの食性は極めて独特です。人の暮らしている街で飼える最大の理由でもあるんですが……ハクラ、刷り込みって知ってます?」
「ん? 鳥が初めて見たものを親だと思う奴でいいのか?」
「そうです、コボルドの食性はそれと似てます。“生まれて初めて食べたもの”とその類似種が、その個体の生涯の主食になるんです。例えば……」
リーンは、頭上で実る甘果実を指差した。
「生まれた後、すぐに甘果実を食べた個体なら、主食は果物になります。よほど飢えて追い詰められない限り、肉や魚などには手を出しません。野菜と果物は分類的には近いので許容範囲ですが、それでも果物がある限りは手を付けないわけです」
へえ、と感心した。まあ知っている人間は知っているぐらいの話なのだろうが、この女が「EXランク」を名乗っているのは伊達ではないということらしい。この女を前向きに見直せる要素があったという事実もすごい。
「今まで人間に興味がなかったのはコボルドが人間を“食べ物だと思っていなかったから”です。つまり、人間を食べるために襲うようになったとすれば――――コボルドの食性が変わるだけの事態があったんだと思います」
リーンは指折りながら話を続ける。
「コボルドは年中繁殖します、一度に産める個体の数は多くて二頭程度ですが、妊娠から出産まで一月かかりません。コボルド程弱いと他の動物や魔物の餌になりやすいですから、とにかく数で対抗するんです。なので、新しい個体が生まれた時に食糧事情に問題があると、その世代から主食が変化しちゃうことはままあります。当然親は親の食べてる物を与えるわけですから」
「……つまり」
「人食いのコボルドの子供が生まれたら、人食いになります。食性を継承します」
ようやっと、リーンがこの依頼を受けた理由がわかった。
何度も繰り返すが――――コボルドは大した魔物ではない、下手をすれば魔物に分類されない飢えた野生の獣の方がよっぽど危険だ、ともすればコボルドよけには犬を飼えとまで言われるほどである。
だが、それでも“生きる為に餌を食う”事に変わりはなく、それが出来ない環境に陥れば死にものぐるいで求める。
リーンの説明が全て正しいならば――――人喰いのコボルドは、それがたとえ偶発的な突然変異であったとしても、決して自然消滅しない、そしてコボルドの繁殖速度で人喰いのコボルドが増え続けたら――――
『お嬢、今回はどうするのだ?』
難しい顔を崩さないリーンに、スライムが尋ねた。んー、と少し間をおいてから
「上手く間を取れればいいんですけど――――人間ってわかりませんからねえ」
●
「ハクラ、ハクラ」
「何だよ」
「あれ、あれ採ってください」
「お前マジでどんだけ食うんだよ!」
お嬢が指す先には、見事に赤く熟した甘果実が実っていた。他の木々にも野生の果実が転々と実っているが、枝の先端に果実が出来た結果、重みで垂れ下がり、小道具を使えば梯子などを使わずとも採れそうな位置にあったのだ。
「ていうか自分の杖で採れ、届くだろ」
小僧が見ているのは、お嬢の持つ杖だ。美しい白金の輝きと装飾が施され、先端には『魔素』が結晶化した魔石が嵌め込まれている、いかにも高そうな品である。
「はぁ!? 由緒正しきリングリーンの宝杖を果物採りに使えと言うんですか!」
補足すると、お嬢は小僧と出会ってから今日この日までの間にも、それ以前、遥か昔から、自分の所有物になる前から、由緒正しき宝杖で枝を打ち払ったり藪を打ち払ったりしている。
「俺の剣だって果物採る為に買ったんじゃねえよ!」
「なんですかけちんぼ!」
『というかあの高さなら跳べば届くだろう』
「大の大人が甘果実採るためにぴょんぴょん飛び跳ねるほうが情けねえよ……」
「仕方ないですねー……全く」
お嬢は諦めたと言わんばかりに首を横に振った。少し悲しそうな顔をしている。
しかしお嬢の辞書にそんな言葉はない事を我輩は知っている。仮に引いたとして最初に出てくるのは執着心で、類語に初志貫徹と記されている事だろう。
「……お前何して」
お嬢が木に近づいて、小僧がなにか問う前に鋭い衝撃が幹を叩いた。前蹴りである。
爆音、そして細かな葉が一斉にかすれ、樹木が悲鳴を上げた。枝に留まっていたであろう大小の鳥が勢い良く離れてゆく。冒険者の脚力によって勢い良く揺らされた自然が、枝と果実の雨を降らせた。幹には大きなくぼみが出来ている。やりすぎである。
「わーい、たーくさーん!」
「何してんだお前!?」
「はあ? ハクラが採ってくれないからささやかな自然破壊を行う他なかったんじゃないですか」
「俺のせいみたいに言うなや!」
無数に落ちた果実を、スカートの裾で拭って食べ始めたお嬢を見て、小僧はもう肩を落とすしか無いようだった。我輩もせっかくなので一つ相伴に預かるとする。赤く実ったそれは適度に熟しており、まさに食べごろと言った具合だ。
甘果実は実るのも熟すのも速い。一年中を通して、気候が適切なら二ヶ月から二ヶ月半で果実をつける。収穫期が年に五、六回訪れるのだから、村人達にとって『果実の収穫量が足りない』というのは本当に切迫した事態だったのだろう。
しかし、熟しやすいということは腐りやすいという意味でもある。なので、もぎたての新鮮な甘果実は産地の側でしか食べることが出来ない。大体は塩漬けや砂糖漬け、天日干しとなって流通するし、ライデアの村人達の仕事も大半が果実の加工に費やされているのだろう。そういう意味では今しか食べられぬ味だ。
「ハクラ、何してるんです」
「あ?」
果実を取り込んだ我輩を抱えて、お嬢は茂みに移動していた。
「もう、ぼーっと突っ立ってないで早くこっちに来てください、ほら。行動がすっとろいと大事なものを失いますよ」
「何でここまでやらかした奴にそこまで言われなきゃあかんのだ……」
お嬢の意図が汲み取れないのだろう小僧は、投げやりに指示に従った。同じく茂みに入り、お嬢がやらかした木を眺める。
「で、何してんだお前」
「まあ見ててくださいよ、あ、一つ食べます?」
「…………もらう」
差し出された果実を、数秒考えてから受け取った。シャリ、と小気味良い音が鳴る。
「あー、くそ、美味えなこれ……」
「喉も潤うし一石二鳥ですよねーっと、あ、来ました来ました」
「お?」
お嬢が二つ目の果実を食べ終える頃に、そいつは現れた。
キョロキョロと周囲を伺いながら、足音を立てないようコソコソと歩いてるのは間違いなくコボルドだ。成体である。
小僧は感心したように頷き、お嬢を見た。
「なるほどね、コボルドを誘き出すためだったのか」
地面に落ちた幾つかの果実は潰れ、甘い香りを周囲に漂わせている。コボルドはしきりに周囲を警戒しながら、転がる果実に恐る恐る手を伸ばそうとしていた。
「よし、そんじゃ狩るか」
小僧が立ち上がりつつ腰に収めた剣を抜き放とうとして、お嬢が慌ててその腕を掴んだ。
「この蛮族! 何するつもりですか!」
「何ってお前、コボルド狩りだけど」
「蛮族! この蛮族! いいから黙って見てて下さい!」
小僧が渋々引き下がる。しばらく注視していると、やがてコボルドは果実を幾つか抱きかかえ、同じく周囲をきょろきょろと警戒しながら立ち去ってゆく。
「……よし、追いますよ」
コボルドの姿が見えなくなってから、お嬢は腰を上げた。小僧もそれを見て、ああ、と納得したようだった。
「成る程、巣を確認してからまるごと全滅させる訳だな?」
「蛮族! この蛮族! ちーがーいーまーすー!」
「はあ? じゃあ何でわざわざあいつを見逃したんだ?」
「スッカスカの脳みそに多少なりとも情報詰め込んでくださいよ! コボルドの食性は固定されるって言ったでしょう! 果実を主食に拾い集めるコボルドは食人しないんです!」
「いや、それは覚えちゃいるが……」
「なのにいきなり蛮族ソードですか。脳みそ蛮族ですか」
「蛮族連呼すんなや! ……だって、意味ねえだろ」
「はい?」
お嬢は首を傾げたが、小僧も同じように、顔に理解不能、の四文字を浮かべていた。
「冒険依頼の内容はコボルド退治だろ? どっちにしても一帯のコボルドは殲滅しねーと駄目だろ」
「違います、村に被害がでないように、ですよ」
「何か違いがあるか?」
コボルドを全滅させれば結果的に被害はなくなる。小僧の言い分は全くもって正しい。
冒険者はそろって合理主義者なのだ。無駄な事はしないし、余計な手間もかけない。
依頼では言われたこと以上のことはしないし、求められていないことはしない。
それは当然のルールだ。
だから小僧は間違っていない
「いいから、私に言うとおりにして下さい。コボルドを見かけても、絶対に斬りかかっちゃ駄目ですからね!」
間違っているとすれば、それはお嬢の方だ。
「……まあ、雇い主はお前だからいいけどな」
釈然としなさそうではあるが、それこそ雇い主の方針に逆らうのも非合理的である。小僧は(癖なのだろう)白髪をガリガリと掻いた。
「で、後を追うって、どうやって? 完全に姿見えねえ上にここアウェイの森なんだが」
「足跡が残ってますよ、ほら」
草や土を爪で踏みしめた跡を指し示しながら、お嬢はすたこらと歩く。
「……よく判別できるこって」
「それはもちろん」
お嬢は、胸を張って答えた。
「専門家ですから」