旅するということ Ⅲ
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さあ、お集まりの皆様、楽しいお酒の最中に失礼いたします。
皆様の良き時間に彩りを添えるべく、少しだけお耳をお貸しください。
これより語りますのは、誰もが知りながら、誰もが知らぬおとぎ話。
リングリーンの魔女の旅の話でございます。
遡ること二千年前、まだ錬金術という言葉もなければ、魔法という文明すらおぼつかなかった頃。
ギルドもなければ、秘輝石もなかった頃の話。
魔王の復活により世界は混沌に包まれました。
巨大な牙、巨大な翼、巨大な身体……あぁ、恐ろしや! かの者が呼吸するだけで、大地から、空から、海から、次々と生まれ出る魔の者達!
彼らこそ魔物、我々人間の天敵。人々はなすすべもなく蹂躙され、次々に殺されていきました。
ああ、しかし! その時、一人の女性が立ち上がったのです!
彼女こそ歴史に唯一名を刻んだ善なる魔女、リングリーン・トゥナイエル!
皆様、この物語の概要は知っておられますね?
――そう、リングリーンの魔女のお話です。我ら吟遊詩人が度々首を傾げるのは、何故この話だけ、世界のどこでも聞くことが出来るのか、誰もが知っているのか? という点です。
親から、教師から、先人から、幼き頃にきいたことのある昔話ではありますが、我らからすれば大問題! なぜなら酒の席で誰もが知っている話をするのは、興を削ぐことこの上ない! 見知らぬ冒険心を与えてこそ、吟遊詩人の仕事でございます。
故に、今宵は少しだけ語り口を変えて、物語を紡がせていただきましょう。
そもそも――リングリーンの魔女とは何者であったのか。
奥様に、子供に、語り聞かせれば、話の種となりましょう。
ぜひ最後まで、お付き合いくださいませ。
ただの村娘だったリングリーンはその名を土地からもらった珍しい娘でありました。
今や我々が南の最果てと呼ぶ場所で、彼女は生まれたのです。
絹糸ですら叶わぬしなやかさの金髪に、誰もが美しくなると感じたそうです。
しかし、何よりも魅力的だったのは、彼女の持つその緑色の瞳でした。エメラルドと見まごうほどの、その輝きを見た者は、どれだけ強張った心であっても溶かしてしまう、不思議な力を持っていました。
……さて、皆様は、伝説の竜をご存じでしょうか?
……これは失敬、当然、知っておられますね。
女神サフィアのしもべとされる赤竜ヴァミーリ、世界の宝を集め築いた黄金郷の主は金竜ルード・ゴード、暗黒大陸に邪悪なる者共を封じ眠りについた白竜イーヴァス……。
そして、リングリーンが十五歳になった時、彼女の前に現れた存在こそが、氷の王者、蒼竜アイフィス。彼女は竜とすら、心を交わすことが出来たのです。
『――あなたはなぜ、私の前に現れたの?』
『力を貸して欲しい、娘よ』
『力? 私に何をしろというのですか?』
『黒き王を封じるのだ。我らが同胞、我らが片割れ。魔王に堕ちた竜を』
『なぜ私が? どうして私が? ただの村娘に、何が出来るというのです』
『お前がそれを為さなければ』
『――――世界が滅びるからだ』
これこそが運命の出会い。伝説の蒼竜アイフィスと、リングリーンの旅が始まったのです――世界の仇敵、魔王とは、まさしく黒竜クロムロームに他ならなかった!
それから始まる冒険の数々は、あまりに大きすぎてこの場では語り尽くせますまい。火の山、風の谷、水の丘、空の地、彼女たちは世界をめぐり、各地の竜に謁見し、試練の果てに、資格を認められました。
南の砂漠でオオムカデの背に乗り、東の山脈で氷の女と契りを結び、西の大海で海神を御し、北の大地へと向かうのです。
けれど人々は彼女を罵倒しました。
魔物を引き連れているなんて、恐ろしい! お前も魔王の仲間だろう!
魔物を従えた女――魔女め! と。
それでもリングリーンは歩むことを止めませんでした。
仲間を失い、傷つき、それでも諦めず、ついに魔王を封印することに成功したリングリーン。
なぜ彼女は、そこまで戦えたのか。
彼女が善良だったから? 人々を救いたかったから?
いいえいいえ。
リングリーンには約束があったのです。蒼竜アイフィスとの約束が。
『私が世界を救ったら、あなたは何をしてくれますか?』
『その時は、お前の望みを叶えよう。我が力の適う限り、どの様な願いも』
彼女が何を願ったのか? 彼女が何を望んだのか? それは――――え、なんですか?
◆
「なんですかじゃねえんだよこのアホンダラ!」
焼けたフライパン片手に怒声を上げながら店主が殴り込んでくるのも無理はない。なにせテーブルはひっくり返っているわ椅子は投げ飛ばされるわ直撃して客が倒れるわの騒ぎだ。
なぜかと言えば、今もテーブルの上で得意げに立ち誇っているラッチナである。
ルーバの語り口は見事だった。酒が入った男たちもやんややんやとまくしたてる中、ひょいと、前に出たのがラッチナだ。
何をするかと思えば、ルーバの語りに合わせて身振り手振りと共に、セリフを喋りだしたのだ。
顔を合わさないよう隠れて居たとは思えないほど、大きな声と堂々とした表情で、酔いの回っているはずの客たちも見入ったほどだ。
成程、ルーバの物語にラッチナが色を添えるのがコイツらの芸なんだなと思い感心したのはほんの数十秒のことだった。
「誰が暴れていいっつった! 金置いて今すぐでていけ!」
もう、語りに合わせて飛ぶわ跳ねるわ。集中すると周りが見えなくなる性格なのか、料理が乗ってようがお構いなしにテーブルを足場にするもんだから大惨事だ。途中から誰も話を聞いてなかったし大体は騒ぎに巻き込まれるのを恐れてさっさと退散してしまった。店の中に残ってる客はもう俺とリーンだけだ。
「いや、それが持ち合わせがなくてですね店主」
「だったら荷物をおいていけ」
「そうしたいのは山々なのですが店主、私達もこれといっておいていけるものが……」
「その楽器、高価そうだな」
「待ってくださいこれは私の唯一の資産でしてとても貴重な」
「置いていけ」
「冒険者の方、冒険者の方! 少しお話を聞いていただきたいのですが――――あぁあもう居ない!?」
厄介事に関わらないに越したことはない。知人でもなければなおさらだ。
代金をウェイトレスに支払って、さっさと店を出ることにした。
「またね」
自分のやらかした結果にもかかわらず、マイペースに残ったポテトを齧っていたラッチナが、俺達の背中にそう声をかけた。
「ああ」
また、があるかはわからない、旅をするとはそういうことだ。
それでも多分、すぐに再会するだろう、それは、合理的な理由によるものでだ。