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旅するということ Ⅰ


 彼らは罪人だった。

 彼らは囚われていた。

 彼らに逃げる権利はなかった。

 彼らに生きる権利はなかった。


 精一杯働いて、精一杯尽くして、それでも、誰も彼らを救わない。

 精一杯育んで、精一杯受け継いで、それでも、誰も彼らを悼まない。


 もしそれを与えられるとするならば。

 神様ぐらいのものだろう。



 クローベルから船で二週間。海上の旅はお世辞にも快適とは言えず、トラブルもいくつかあり、そのうちの一つで危うくありとあらゆる全てが終わるところだったが、なんとか無事に北方大陸(オルタリナ)に辿り着くことができた。


「はー、揺れない地面だー、えへへへ……」


 るんたったとステップを踏みながら飛び回るリーン、そんなに船の上が嫌だったのか。


「お前、クローベル出るときは船旅だーって喜んでたじゃねえか」

「デカブツに喰われもすれば流石に嫌になりますよ!」

「丸呑みされたもんな」

「死ぬかと思いました!」

『我輩、あれで旅が終わるのかと本気で動揺していたぞ』

「もーサメはこりごりです! さあ、荷物を取りに行きましょう!」


 身の回りのものは当然手荷物として持っているが、俺達が船に積んでもらったのはもっと大きなものだ。


「……なあ、本当にあれ(、、)、必要か?」


 だが、個人的には気が重い。なんといってもリスクがでかい。


「なぁに言ってるんです。これから大陸を横断するんですよ、まさか歩きでいくつもりですか?」

「そりゃそうだけどよ、維持費もかかるし……」

「そこはハクラが稼いでください。役目でしょう」

「……言っとくが今の俺たちに懐の余裕はねえぞ」

『まあ許せ小僧。元より、代々魔物使いの旅はこれ(、、)を手にする事が第一の目標ではあるのだ』


 リーンの腕に抱えられたスライムが見据える先、俺が思ってたより、ずいぶんと作業を優先してくれたらしい。

 何人かの船員が、大きなものを支えながら、スロープをゆっくり降りてくる。


「あー! 来ましたよハクラ! きゃっほう!」

「きゃっほうて」


 よくそんな声あげようと思ったな。


「お、待たせたな。すぐに下ろすから待ってくれ」 


 荷のやりくりを管理していた男、船員のドルネルが、俺達を確認すると日焼けした腕を大きく上げて、近寄れと招いた。


「いやあ、立派なもんだな。どこまで行くんだっけか?」

「北の最果てだとよ」

「はっはっは! そりゃいい!」


 ドルネルは冗談と受け取ったようで、がはがはと笑い、それからリーンを見た。


「ああ、お嬢ちゃん、悪いけど〝あいつ〟を連れてきてくれるか、いやあ、俺らにゃ無理だ、なつきゃしねえ」

「あはは……わかりました。ハクラ、ちゃーんと見張っててくださいね!」

「へいへい」


 今俺の目の前には……一台の馬車(、、)があった。

 街と街を行き来する、個人の行商人が使うような、大人が三、四人乗ってもまだ余裕がありそうな、大きな幌付きの荷台がついた立派なやつだ。俺たちがクローベルに行く際に乗せてもらった荷馬車より一回り小さいが、物のランクとしては格段に高い。


 四つの車輪は錬金術によるもので、衝撃を吸収し、大きく揺れない作りになっており、中にいるだけで体力を消耗する、脳味噌を内蔵を揺らす機能に特化した、乗合馬車とは比較にならない。

 これだけでも一財産だ。何ならこれを元手に、行商だって始められるし、実際そういった《冒険依頼(クエスト)》を受けていく事になるだろう。


 本音を言うなら、正直売り飛ばして金にしたい。

 無論こんなもの、自前で買ったわけではない。


 ではなぜ俺達、というかリーンの所有物であるのかといえば、当然、クローベルの一件の〝報酬〟である。


 結局五千万エニーは辞退したものの、タンドル氏が『それだけでは気がすまないからなにかさせてくれ』と言ったのが運の尽き、邸宅にあった、幸運にも無傷で一番上等な馬車を「じゃあこれください」と笑顔でのたまったのである。

 あの時のリーンの破顔と、タンドル氏の引きつった笑顔は忘れまい。


 それはさておき。


 こいつが馬車である以上、それを引く馬が必要だ。

 大体の冒険者は、クローベルの時にそうだったように、馬を使う時は近場の街で借りることが多い。自分の馬を飼うのは世話の手間や盗難のトラブル、管理の都合諸々、メリットよりデメリットのほうが大きいからだ。


 しかし馬車を自前で持つとなるとそうは行かない。事あるごとに暴れられてはたまらないし、変な道に行かれても困る。重い荷台を引くのだから、体力も備わってなければならない。それ専門に、しっかりと調教された馬でなくては、馬車を任せるのは難しい。


 面倒を見、心を通わせ、艱難辛苦を共にする〝旅の道連れ〟となるわけだ。

 そしてそういう基準を満たす馬というのは、やっぱりべらぼうに高いのだ。危険の多い冒険者と旅をするとなれば、当たり前のように命の危険も付きまとう。死んだらそれまでの消耗品扱いとするには、あまりにリスクが高すぎる。


 そういう様々な事情から、俺達の様に二人旅(と一匹)で馬車を運用する冒険者というのはほとんど存在しない。そこそこ金を溜めた駆け出しが、商人に言いくるめられて負債を背負って購入し、その後、姿を見なくなる、という光景を何度か目にしたこともある。


「おまたせしましたー!」


 じゃあ俺達はどんな馬にこいつを引かせるのか。そもそもどこで調達するのか。

 その答えを、リーンが連れてきた。


 仔馬(ポニー)より少し大きい程度の若い個体で、頭の位置が俺の胸元よりも下だ。リーンを背中に乗せるのがやっとであろうサイズ、茶色い(、、、)毛並みはかなり上等なものの、大人の馬でもなかなか苦労しそうなサイズの馬車に適しているとは、全く思えない。

 実際、馬車の現物と馬を比べて、船員達も首をひねっているようだった。


「なあ、本当にそいつに引かせるのかい? 絶対へばっちまうぞ」

「ご心配なく、この子は根性ありますので。ねー」

「きゅいきゅい」


 リーンの呼びかけに応じ、おおよそ馬らしくない鳴き声をあげた。


「……ま、あんたらがそれでいいならいいけどな。あぁ、船長から伝言だ。『礼は積んでおいた』ってさ」

「礼?」


 実際に荷台を覗いてみると、片隅に一抱えほどある麻布が三つ、それに小さな樽が積まれていた。袋にはそれぞれに炭で『肉』『パン』『魚』と丁寧に書いてある。樽は水か。


「いいのか?」

「あぁ、ただでさえ、港はこんなだからな」


 そういうドルネルが目をやる先では、船を降りる俺達と入れ違うように、荷物を抱えた旅人やら冒険者が、船に乗せろと騒いでいる姿が散見出来る。クローベルの灯台がほとんど機能を停止しているせいで、船の出港が制限されているのだ。おかげで現在、この港町では宿不足が深刻らしい。


「馬車があるなら、街道を道なりにいきゃ今日中にパズって街につける。そこからなら北方大陸(オルタリナ)のどこでも行けるさ」


 旅慣れた船乗りのアドバイスだ、ありがたく従うことにしよう。


「どうせ俺たちもここで補給するからな。ついでに古い食材を押し付けさせてくれや」


 そうは言うものの、だからといってタダでくれるほど気前が良いわけがない。海の男達なりの感謝の示し方だ。これだけの食料は非常にありがたい。保存食の類を買い込むだけでも金がかかるのだ。大分費用が浮いた。


「だったら遠慮なくもらってく」

「おう、まぁ元気でな。めぐり合わせがよけりゃまた会えるさ。サフィア様のご加護があらんことを。良い旅立ちを(ヴァルーサー)!」


 船乗りの挨拶と共にそう言われれば、エスマで教会に殴り込みをかけた身としては苦笑するしか無いが、相手が片手を挙げるなら是非もない、軽く手を合わせて、別れを済ます。

 仕事に戻っていくドルネルの背中を見送りながら、何となく思う。

 旅とは出会いと別れの連続だ。そして別れが心地よい事は珍しい。ならばこれはきっとよい出会いだったのだろう……。


「ちょっとー、ハクラー! これどうやるんですかー!」

「人が感慨にふけってんだから後にしろ。つか何してんだお前」

「馬車とニコちゃんを繋ごうとしたんですけど、もうちんぷんかんぷんで」

「…………何やったらこんなにぐちゃぐちゃに出来んだよ!」


 馬車と馬を繋ぐ為のハーネスが見るも無残な有様になっていた。リーンは細かい作業がお得意ではないらしい。


「当たり前でしょう、私に繊細な作業ができるように見えますか!」

「期待はしてなかったがだったら勝手にやらずに俺を待てよ!」

「新しい玩具なんですから遊びたくなるに決まってるじゃないですか!」

「玩具って言い切ったなお前」

『きゅぃ』


 俺達が言い争う横で、ニコと呼ばれた馬が大きく口を開けて欠伸をした。



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