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命ということ XⅫ


 ◆


 全身汗だくな所を見ると、相当走ったのだろう。

 リーンは呼吸を整えながら、俺の横へと歩いてきた。

 ただでさえ身長が伸びてしまったせいで、俺は顎を下に向けて、リーンを見下さねばならなかった。


「ハクラ、かっこいいじゃないですか」

「……俺、これ元に戻れるんだろうな」

「さあ」

「いや、さあじゃ困るんだが……」


 そんな俺の意見はざっくり無視され、リーンはユニコーンのもとに歩み寄った。


「……なあ、大丈夫なのか?」

『無論だ、たとえ霊獣神獣のたぐいであっても、お嬢には手を出せない。見ておれ』


 言葉通り、ユニコーンはリーンが近づいても、踏み潰すなり貫くなりの攻撃動作をしなかった。

 だが依然、空は荒れ、力は凝縮され続けたままだ。

 

「……霊獣ユニコーン、人の子達が、あなたの子を殺めました」

 

 そんなユニコーンに、リーンは臆することなく、正面から向き合って、言った。


『返せ』

「はい、お返しします」


 白い包みをそっと地面に置くと、それを解いて中身を取り出す。


「……あれは……」


 首だ。苦悶の末に絶命した、ユニコーンの子供の首。

 変化は、劇的だった。

 親が、目を細めてその遺骸を見つめて、顔を近づけ、頬を舐める。

 

『人の子よ』


 ユニコーンの声に、お嬢は頷き、答えた。


「私の権限で、契約を解除します。あなたの子供は、もうクローベルに縛られません」

『そうか』


 その声が響くと、ユニコーンは蹄を一度、地面に打ち鳴らした。

 背中に乗せて運んできて、戦闘中は何処かに置いてあったのだろう……首から上がない、遺骸の片割れが、光とともに浮いて、首の前に降り立った。


『――人の子よ』

「…………」

「ハクラを呼んでますよ、今の」

「えっ、俺!?」


 呼ばれ、顔を見上げると、正気を取り戻した瞳が、俺をじっと見据えていた。

 

 ――その瞬間、頭の中を、一つの感情が埋め尽くした。それがユニコーンの意思である事を、俺は直感で理解した。


 ――怒り、ではなかった。憎しみでも、恨みでもない。子供を殺され、首を斬られたユニコーンが抱いたのは。

 ……悲しみだ。今まで繋ぎ紡いできた、人との絆を、人自らが断ち切った事への。


『……還ろう、我らは』


 ユニコーンの角の光が、更に強くなった。

 太陽光を直視した時――どころではない。

 あの熱線以上の光量が、目を焼く、何も見えない。


「おい……! 何するつもりだ!」

「大丈夫です、ハクラ。ユニコーンの力は、癒やしの力、その角は奇跡を起こす、生命力の結晶です。殺すよりも、治すほうが得意なんですよ」


 リーンは落ち着き払って、そう言った。程なくして、光の正体が知れた。

 暖かい光が風となって、ふいに頬を撫でた。

 鈴の音のように、シャラシャラと世界を叩く音がする。


「ん……う……」

「……! おい!」


 ……心臓を貫かれ、死んでいたはずのルーヴィが、動いた。

 意識はまだ失っているようだが、もう何処にも傷はない。鎧に穴が残っているだけだ。

 その波動はクローベルの隅々まで広がってゆく。失われた命を取り戻す、奇跡が。


『…………ぷぇ?』


 子供のユニコーンの身体もまた、光に包まれ、失われていたものを取り戻していく。

 確かにわかたれていた首と身体が繋がって、ムクリと起き上がると、何事もなかったかのように、きゅいきゅいと鳴いて、光を放ち続ける親にすり寄った。


「……すげぇ」


 光の放出はしばらく続いた。

 生きているものは、その奇跡を見上げ続け。

 命を奪われたものは、その奇跡によって、失ったはずのものを取り戻していった。


『………………』


 どれほどだっただろう、五分もなかったように思う。終わりは、突然訪れた。

 ユニコーンの角が、ボロリと先端から崩れていった。同時に、肉体も端の方から、塵になって、崩れていく。


「っ! おい!」

「今の光は」


 リーンは、静かに首を横に振った。

 目を伏せて、寂しそうに、形を崩していくユニコーンを、見つめていた。


「ユニコーンが生涯蓄えて、本来は子供に継承させるはずだった、種族として持つ力の全部です。その全放出による奇跡は、完全に死に切る前の命であれば、救う事すら可能です、でも――」


 サラサラと崩壊していく身体を、誰も止める事はできなかった。きゅい、きゅい、と子供のユニコーンが鳴いた。


「それを失ったら、ユニコーンは、命を保てません」


 形を留めなくなった親の側で、いつまでも。

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