命ということ XⅨ
☆
高く聳え立つモノを軒並み裂いて、歩みを進める。我が子の首はどこにあるのか。興味はその一つ。街に何がいようが、あろうが、知ったことではない。
「…………見つけ、た」
一直線に駆けてくる姿が見えた。人の子だ。見たことはない。知らない匂いだ。興味もない。角にわずかに魔力を込めた。一直線に走る光を、人の子は、しかし回避した。
「……それ以上は、させな、い――――!」
この人の子は、歩みを阻害するつもりするらしい。ならば、行動は一つだ。
『返せ』
我が子を返せ。我が子を取り上げた、人の子共よ。
◆
悲鳴、怒声、絶叫。混乱する人々の流れと逆走している内に、周囲には誰も居なくなっていた。誰かが港に走って逃げろと叫んでいたので、それに従ったのだろう。
人気が失せれば、あれだけ狭苦しかった大通りも閑散としたものだ。走り易くて仕方ない。
「ハクラ」
俺が走る先に、そいつは居た。深い緑の瞳と、金の髪。待っていたのか、あるいはルートがかぶったのか、それはわからないけれど。
「何しに行くつもりですか、避難するなら、逆ですよ」
「……親が居たんだろ」
質問に答えずに、逆に問い返すと、リーンは盛大に溜息に吐き、そして頷いた。
「で、親がいたから、どうするんです?」
「止めに行く、俺達の責任だ」
「やめたほうがいいですよ、ハクラ一人じゃどうにもなりません。相手は霊獣です、自然災害が生き物になったようなものなんです。出産して、体力を使い果たして、衰えた上でこれなんです」
「じゃあ、お前はどこにいくんだよ、避難するタマじゃねえだろ」
「私はリングリーンの娘ですから、やるべきことをやらないといけません。けど、ハクラにはそんな理由、ないじゃないですか。ハクラの仲間なんて、とっくに逃げちゃったんでしょう?」
なんと答えるべきだろう。俺に戦う理由はないのか。合理的に考えて、勝てない相手に立ち向かう理由は無い。逃げて、生き延びるのが、最善の選択肢だ。それは間違いない。
「……理由なら、ある」
結局、ラモンドの言うとおりだ。俺は冒険者に向いてないのかも知れない。合理的ってのは、要するに、困難から逃げるための言い訳なのだ。
だが、自分の心にまで逃げてしまったら、何もできない、どこにも辿り着けなくなる。
そればかりは、死んでもごめんだ。
「……契約違反だ」
だから、俺は言った。
「……はい?」
「宿代と飯代と足代はお前が負担するって契約だったろうが。お前、クローベルでの飯の代金払わずにどっか行っちまっただろ」
それは俺が立て替えて支払ったのだ、まだその清算が済んでいない。
「まだ俺とお前の契約は終わってない」
俺とリーンの関係は、まだ続いている。
お互いが定めたルールの中に、まだある。
「…………ハクラ」
「何だよ」
一度間をおいて、大きく息を吸い込んで。
「ハクラって…………ほんっとーに、お人好しですよね」
ずっと我慢してたセリフを、ようやく言えたと言わんばかりの、清々しい笑顔だった。
「……さっきも、言われたよ。俺は冒険者に向いてないんだと」
「お仲間にですか?」
「親父みたいなもんかな」
「ふむん、でも、私も同意見です。ハクラは、ぜんっぜん合理的じゃありません」
「お前がそれをいうか」
「私は感情で動きますが、ハクラは正義感で動くじゃないですか」
「……そうか?」
「そうですよ、ハクラはいつだって、許せるか、許せないかで動くのです」
許せるか、許せないか。なんて曖昧でふわふわした基準だろう。
「それと、ハクラは私に言うべき言葉が、他にあるのではないでしょうか」
リーンは指を一本立てて、俺に向けた。何を求められているのか。
「……あの時、お前を置いていって、悪かった」
「嫌です、許しません」
「お前、この流れで許さねえのかよ」
「当たり前です、私は根に持つタイプですから」
そこまで言って、リーンは、満面の笑みを浮かべた。
「たーっぷり、時間をかけて返してもらいますから、覚悟してくださいね、ハクラ」
緑色の、深い深い瞳。この目に見つめられると、俺は何も言えなくなる。ああそうだ、認めてやるさ。こいつの隣は、居心地がいい。
怒りも喜びも悲しみも、食欲も願望もなんでも、リーンは全て感情を表に出して、素直に動く。理不尽で我儘で時折何を考えてるかわからないが、こいつの言葉と行動に、合理的なんて言葉はどこにもない。許せるか許せないか、やるべきかどうかが、あるだけだ。
「――どうすれば、止められる?」
俺の問いに、リーンは答えた。
「手段はあります、でも、時間が必要です。今、ルーヴィさんがユニコーンと戦ってますが、長くはもたないと思います」
「……一応聞くけど、俺が行ってなにか出来る相手か?」
「冒険者が束になっても、何の役にも立たないでしょう。けど」
リーンは、自信たっぷりに言った。
「ハクラなら、大丈夫です。私が保証します」
街を丸ごとぶっ壊せる、A級冒険者が敵わない魔物。その言葉を信じる余地なんて皆無だ。検討するのも馬鹿らしい。だが。
「わかった」
それでも、リーンが俺にそう言うのなら、その役割を果たすだけだ。