命ということ Ⅻ
○
「私だって結構、本当はいろいろ考えてるんですよ、それなのにハクラったらいっつもいっつも……」
お嬢の虫の居所は、先日に引き続き悪い。今まで事あるごとに小僧相手に軽口を叩けていたのが、どれだけお嬢の機嫌に安定に繋がっていたか、我輩、改めて実感した。
何せ馬を借りて草原を駆けている間も、【聖女機構】のキャンプに捕まっている間も、お嬢の愚痴は止まらないのだ。それは山に入っても変わらず、怒りを発散せんとばかりに、藪を全力で打ち払う。
ユニコーンを始めとする霊獣が作る『迷路』は、それと自覚ないまま領域に入ったものの方向感覚をごく自然に狂わせ、距離感と遠近感を上手く働かなくさせる。
同じ所をぐるぐる周り、あるいは進んでいるはずなのに引き返す羽目になるのだが、お嬢は細かい魔素の流れを見ながら、時折その場で逆走したり、あるいはいきなり回転したりと、傍から見れば奇っ怪極まりない動きを繰り返した。
だが、それこそが正しい道順である事を、大凡一時間程度で証明することが出来た。
突如、開けた場所に出た。澄んだ水が滾々(こんこん)と湧き出る泉が眼前に広がった。
「あ」
そして、泉に顔を半分突っ込んで、ガブガブと水を飲み漁る生き物が、そこに居た。
絹すら及ばぬ純白の皮膚、蹄が大地に触れるたびに、光の粒子を散らす。
額から生える一本の角は、まさしく探し求めていた霊獣ユニコーンにほかならぬ。
『ぷぇー』
……ユニコーンが鳴いた。お嬢も流石にあっけにとられ、我輩をてちてち叩いた。
「……あの、アオ」
『うむ』
「ち、ちっさくないですか」
そう、紛れもなくユニコーンである。ただし、象徴たるその角も、体格も、かなり小柄だ。仔馬より一回り大きい程度である。
小さなユニコーンが顔を上げた。口元を舌でぺろりと舐めると、ひょこひょこと機敏な動きでこちらに近寄ってくる。
『こんにちは! にんげんは、あなたですか?』
「えっ! あっ! はい、人間ですけど」
さすがのお嬢もだいぶ間抜けな声を上げ、ユニコーンは更にてくてくと近寄ってきた。
『わあ、にんげん、おはなしできるますか?』
「はい、お話できますよ。…………そっか、ちょうど百年ってことは」
お嬢が自分で言ったことだ。ユニコーンの出産周期は、おおよそ百年。
警戒心の強いユニコーンが人間に目撃されていた理由もこれだろう。
百年前、クローベルに救われたユニコーンが親となり、自力で出産を果たしたのだ。
まだ身を隠す力も警戒心も低い。お嬢の顔を見るなり、のこのこ近寄ってきたのもその証拠だ。
お嬢以外が相手ならばそもそも言葉が通じることもない。血眼でユニコーンを求める冒険者に見つかればひとたまりもないだろう。
『あなたは りんぐりーんのですか?』
「? 私のことを知ってるんですか?」
『ははから、りんぐりーん、しってる、ですますよ。ここ、にんげん、くるなら、りんぐりーん、て』
「アオ、ここに昔来たことありますか?」
『恐らくある……が、流石に思い出せぬ、五十年前ではないことは確かであるな』
我輩の記憶は人と比べても長持ちする方だが、流石に二千年分の全てを記憶しているわけではないのだ。
「じゃあ……ご先祖様が、種族と結んだ約束を、ずっと覚えてくれてたんですね」
『はい、やくそく、あります。りんぐりーんは、きますか?』
「来ます? ええっと……あなたのお家に?」
文法や言語が独特の喋り方をするユニコーンの子供では、さすがのお嬢も、意思を正確に読み取れないようであった。まだまだ修行が足りぬ。
『はい、そと、みたい、きれいです。おこるです、はははしんぱいして、わたしをします』
『ウム、我輩からの忠告であるが、今は母親の力が及ばぬ領域に出るべきではない。もし我輩ら以外の人に見つかれば、命の保証はできかねる』
『いのち?』
『そう、命だ。失われれば、この世から存在が消え失せる』
『いのちは、なくならないですが』
ユニコーンの子供は、首を傾げながら、泉の中へと身を躍らせた。
『ついてくる、きて』
「あっ」
どぽん。と音を立てて沈んでいった。十秒待っても、二十秒待っても、浮かんでくる気配がない。
「…………うーん」
お嬢はしばし迷い、唸ってから。
「濡らすよりは、いっかぁ」
と呟き、自らのローブに手をかけた。
ケープをとって、上着を脱いで、少し悩んで下着も全て外した。形の良い肉体が顕になったが、見ているのは森の獣ぐらいのものだ。
泉の縁に丁寧に衣類を畳んでから、我輩を抱き上げ、ゆっくりと足から水に浸してゆく。
「ひぇっ、つめたっ」
そのまま飛び込むのに若干躊躇があるようで、うー、としばらくそのまま足をぱちゃぱちゃさせていたが、やがて観念して入っていった。
水中でありながら、視野には一切影響しない程に透き通る清水である。少し潜って進むと、大きな横穴が見つかった。
お嬢は、おおよそ十分程度なら呼吸を止めていられる。いざとなれば我輩に顔を突っ込めば酸素も確保できる、ということで、躊躇いなく中へと飛び込んだ。
『♪』
穴の向こう側、ユニコーンの小さな蹄が見えてすぐに浮かんで消えていく。数秒遅れて後に続き、やがて水面が見えてきた。
溜め込んだ空気をふくらませることで、我輩の体は浮袋となる。お嬢の体を一気に浮上させ、顔を出した。
「ぷはっ、ふう……」
『……誰かが訪れるのは、久しいな』
水面に浮かんだ我輩らの前にあったのは、おおよそ、神話の一場面を切り取ったかのような、神秘的な景色であった。
水晶化した枝で組まれた屋根、生い茂る草花までも、透き通った水晶となっているのに、触れた感触は柔らかい植物のそれだ。
空中には輝く塵が舞っている、お嬢や我輩がそれに触れると、感触も残さず、小さく溶けて行けてゆく。
それら一つ一つが小さな輝きを放って、陽の光が射さぬはずのこの場所に、暖かな光をもたらしている。
そして、その中央に、静かに腰を落とす、大きな白馬の姿があった。
足を折りたたんで立ち上がらぬ段階でも、恐らく二メートルは下るまい。
幼い子供のユニコーンと違い、生え揃った鬣から神秘的な光が溢れで、大人の拳一つほどある瞳が来客である我輩らをじっと見つめていた。
『リングリーンの子か。懐かしい気配を感じる』
口を開かずとも、頭の中に伝わるべき意思が響く。
ともすれば、己の足から頭部までと同じ長さを有する、ユニコーンの証たる角は、古びた流木のような質感が見て取れるが、内側から静かに青い光を放ち明滅しており、その合間から水晶質が覗いている。
泉から身を上げたお嬢は、髪の毛に染み込んだ水を絞り、軽く頭を振ってから、体のラインを沿って溢れる雫を流すままに、一礼した。
「はじめまして、ユニコーン。私は、当代のリングリーンの契約継承者、名前は――――」
お嬢が名前を告げると、ユニコーンは納得したように頷き、そして問いかけてきた。
『――――契約に基づき、リングリーンよ。我に何を望む』
「クローベルの子供が一人、病に侵され、命の灯火が少ない状態です。どうかお力添えをお願いできないでしょうか」
かしこまり、柔らかな語調で話すお嬢を、この場に小僧がいたらどんな目で見るだろうか。
いや、あられもない姿故、見せるわけには行かないのだが。
『……クローベル、私を取り上げた人の子。大分、匂いも変わったものだ……』
昔を懐かしむ様に、ユニコーンはまぶたを閉じ。
ピシリ、とヒビの入るような音が響くと、細長いユニコーンの角の先端が小さく割れて、ぽろりとこぼれ落ちた。お嬢が慌てて、片手でそれを受け止める。
人差し指と親指でつまめる程度の小さな欠片だが、薄っすらと明滅し、お嬢の手の中にいる我輩にもわかるほど、強い熱を放っている。
『これで良いか』
「ありがとうございます、これで、小さな子供が一人、救われます」
さすがのお嬢も、敬意を込めて礼を述べた。しまう場所がないので、とりあえず握っておくことにしたらしい。
『…………リングリーンの契約者』
「どうかなさいましたか?」
『人間の子が帰った場所は、栄えているか?』
人と霊獣では、時間の尺度も知覚範囲も違う。きっとユニコーンは、己の母が、かつてクローベル氏に約束した事を、今も守り続けている。だがそれを己の目で見ているわけでは無いのだろう。
「この大陸では、一番栄えている街ですよ。今も、あなたを崇めるお祭りを、毎年やっています」
『……そうか』
ユニコーンの加護は本当であるのに、祭りのことは知らなかった、というのはいささか悲しい話ではあるが。
そもそも祭りの意義は、クローベルの民が事実を忘れぬように、ということなのだろう。
『ならば、良い。帰るのであれば魔力を抑えよう。山はどれぐらいで下れる?』
「あ、ありがとうございます。一時間もあれば」
『うむ』
そしてまた、ユニコーンは目を閉じた。霊獣は、人や動物、魔物といった生命とは違う時を生きるが、同種の別個体と交わるのではなく、自らの胎内で魔素を凝縮し、単性にて子を宿す故に、往々にして子を産んだ後は、急速に衰え、静かに息を引き取る事がほとんどだ。
この個体は恐らく、もうそう長く無いであろう。その後、残った角は子供が食み、自らに取り込んで、継承することになる。そのサイクルに、我輩らは口を出す権利を持たない。お嬢は改めて一礼してから、再び泉へと足を浸した。
『もう、いなくなる、ますか?』
ユニコーンの子供が、お嬢に近づき、顔を背中にこすりつけた。ひぇ、あという小さな悲鳴が巣の中に響く。
「えっと、ごめんなさい。私があまり長居していい場所ではないので」
良くも悪くも、霊獣の住処は、人の領域よりも魔素が遥かに濃い。お嬢の体質ならばある程度は問題ないが、それでもやはり、人が長時間居るには向かない環境なのだ。
『そですか、ですか、かなしみ、です』
「すいません、あ、あと、絶対に、『迷路』の外に出ちゃ駄目ですよ、こわーい人間たちが、ウロウロしてますからね!」
お嬢は、好奇心旺盛に近寄ってくる子に、そう言い聞かせ、泉に潜った。
横穴を抜けて、元の場所に戻ってくる。周囲の温度は暑くも寒くもなかった為、お嬢は体を拭かず、雫が乾くまで裸身のまま、しばし泉の縁に腰をかけて、時間が流れるままにしていた。
「ふう……後は横取りされずに持って帰るだけですね、万事解決です」
『さり気なく一番難しい気がするが、対処法は?』
「どうしましょうかねえ……多分ルーヴィさん達には見つかっちゃいますよね」
遠回りしすぎて時間をかけるのも問題であるが……。
『お嬢、一つ提案がある』
「? なんです、アオ」
『ユニコーンの角を、【聖女機構】に譲り渡そう』
「………………えっ、なんで!?」
お嬢の『なんで!?』があまりに真に迫っていたので我輩少し笑ってしまった。叩かれた。
『聞けお嬢、まず第一に、我輩らの旅の最終目標にとって、大金と名誉は必ずしもメリットにはなり得ぬ。個人で活動する範囲であればまだしも、名前と顔が知れ渡れば色々と不都合も出てくる。場合によってはA級への昇格などという事態も十分ありえるが、それ相応の義務も伴う。動きを不自由にするのは避けたい』
「む、むむむ……」
『第二に、ルーヴィ嬢はA級冒険者だ。ユニコーンの角を見つけてもおかしくない実績と背景がある。またあいつがやったのか、という評価で収まるだろう。更にこの場合、ギルドは《大型冒険依頼》を達成出来、教会は金を得られる故、両方にお嬢が恩を売れる』
前回の告発の際は、流石にお嬢もやりすぎた。ここいらで一度、関係性を清算しておかねば後々問題が大きくなる可能性もありうる。
『それに五千万エニーは個人が所有する分には大金であるが、組織が所有するならそこまで常識外という額でもない。角が立ち辛くなるし、他の冒険者達からのやっかみも面倒であろう、落とし所としては悪くなかろう』
「…………………………」
この顔をしている時のお嬢は「言っていることはわかるが納得はしたくない」時であり、実際理屈より感情を優先する場面を何度も見てきた我輩としては不安になるものだが。
「…………わかりました、そうしましょう」
『む。思ったよりも素直であったな』
「正直あーんまり気乗りしないですけど……対価としてユニコーンの捕獲を諦めてもらえればトントンかな、と」
本当に気乗りしなさそうな顔で、むむーとお嬢は唸る。
「成体の方ならどうあがいても手は出せないと思ってたのであまり気にしてなかったんですけど、子供の方はルーヴィさんがその気になれば連れて行けちゃいますからね。落とし所として納得させるには悪くないんじゃないでしょうか……病気治したあとの角だって、実際に奇跡を起こしたアイテムですから。教会のお宝になるでしょうし……納得してくれると思います」
ユニコーン親子の生活のことを考えて、というのがお嬢の決断の決め手だったらしい。というよりも。
「下手に藪を突かれて、親に暴れられたら大陸が沈みかねませんからね……」
というのが本音であるようだ。
『まぁ、小僧がどう言うかはわからぬがな』
これは意地悪だ。実際、お嬢は更に機嫌を損ね、我輩をぶよんと叩いた。揺れる。
「ハクラは関係ないじゃないですか」
『だが、お嬢と小僧の間の契約(、、)はまだ生きている。なぁなぁにするわけにはいくまいよ』
「……私を置いてったのは、ハクラのほうですもん」
『なら、頭を下げさせる必要があるな』
「……どーしてもっていうなら、考えなくはないですけどぉ」
話している内に、肌も乾いていた。お嬢は手早く衣服を纏いなおすと、『迷路』が解除された山道を下り始めた。