生きるということ Ⅲ
重たい尻が我輩の上から退いたので、おそらく目的地についたのだろう。そのままひょいと抱き上げられて、お嬢の腕の中に収められた。見れば高さ二メートル程の石垣が遠くまで伸びている。魔物対策にしてはいささかお粗末ではあるが、この辺りに生息している連中への対策ならば、これで十分なのだろう。そうでなければコボルド退治より先に他の魔物退治の依頼があるはずだ。
村の入口の門はすんなりと開かれた。門番はどこか疲れた顔をしていたが、御者が『冒険者を連れてきた』というと一様に顔を輝かせた。
どこを見ても、色づいた果実を実らせた木々がそこいらに乱立している。全て甘果実であり、果樹園としての役割を果たしているらしい。お嬢が小僧の介護をしていた時に工面したものとは比べ物にならないほど美味であろうことは疑いようがない。
御者も今日は仕事がてらライデアに一泊していくとの事で、明日の出発までに冒険依頼を終えられれば帰りも悠々自適な馬車の旅ができるという事だ。善は急げということで、早速お嬢らは依頼主の家へと向かった。
「どうも、デゴウ・ヘド・ライデアです」
出迎えたのは歳の頃六十を超えているであろう老人だった。フルネームに“長”の号がある事から村の最高責任者に相違なく、つまりこの冒険依頼は村の個々人からのものではなく、ライデアというコミュニティそのものが解決を求めている事案ということだ。
「初めまして、リングリーンと申します、こちちはハクラ、ギルドより冒険依頼を受けて参りました」
優雅にスカートをつまんで一礼するお嬢を、小僧は化物か何かを見る目で凝視していた、気持ちはわかる。
「随分とその……お若い、お二人ですな」
挨拶を交わして早々だが、村長の歯切れは悪かった。ある程度まともなパーティを期待していたのであれば極めて申し訳ない。
とはいえ如何にも旅舐めてますと言った風体のスライムを抱えた若い娘とガラの悪い小僧なのだからまあ当然だろう、どう見ても他に仕事がなくて仕方なく来ました、みたいな空気が出ている。
だがこの手の対応はお嬢も慣れたものだ。侮られればとりあえず殴るのがお嬢の基本方針であるが、流石に依頼人に対して初見から攻めていくほど人格破綻はしていない。
「ご心配なく、私は魔物の専門家です。飛行船に乗ったつもりで任せてください」
「すっげえ墜落しそうがうぁっ!?」
お嬢の分厚いブーツのかかとが小僧の足を踏み抜いた。村長の表情たるや「もうダメだ」と言いたげになっている。
「では、依頼の話に入りましょう。何でも周辺のコボルドが人間を襲うようになったとか?」
お嬢が切り出すと、村長は頷き、我々を椅子に座るよう促した。
●
話をまとめるとこう言うことだ。
村の周囲には昔からコボルドが居たが、お互い共存できていた。コボルド達は村に入ってこないし、村人達が外で何かしら作業をしていても積極的に近づいてくることはない。
時折手先の器用さを活かして外壁を越えてくる個体すらいるらしいが、知らない人間に囲まれて怯えて泣いて震えていたこともあったほどだそうな。
また、数年前、豊作続きで果実が採れに採れ過ぎて、酒にしてもジャムにしても干しても減らず、処理に困った果実を仕方なく放棄した時などは、コボルド達は夜通し吠えてここぞとばかりに全てを持ち去り、後日その場所にきれいな石を詰んでいった、という笑い話もある。
他にも、森で何かしらの事情で放置されていた赤子のコボルドは保護して育て、森に返してやったり――――とにかく、村とコボルドは、隣り合って存在していた、それが当たり前だった。
それが最近、事情が変わった。ほんの半月前から、森の中で人間を見るや、恐ろしい形相で襲いかかるようになったという。
原因は不明だが、村人は討伐隊を結成……と言っても武器を持った大人が五人、コボルド退治にはそんなもので十分だと思っていたらしい。
結果から言うと、戻ってきたのは二人だけだった。三人は襲われた際にはぐれてそのまま消息不明、生存は絶望的。少なくとも一人は生還した村人の前で首元を噛み砕かれて殺されたらしい。逃げる最中に後ろを振り向いたら、コボルド達は容赦なく死体を貪っていたそうだ。
生存者いわく「あんなコボルドは見たことがない、凶暴で、獰猛で、こちらに怯えもしない。恐ろしかった」とのこと。
「我々は昔からコボルド達と共存してきました。お互い分け隔てなく、領域を侵さずに。しかし時折は、隣人として。ですが、このようなことになっては……私は長として、決断せねばなりません。家族を失った村人達の事を思えば」
村長もそれを望んでいるわけではなさそうで、悲痛そうな表情を浮かべていた。
ちらりと横目でリーンを見ると、顎に手を当てて何やら考えているようだった。この女に思考と言う高等な脳活動が出来たのか、と一瞬驚いたが、その視線を察したのかぎろりと横目で睨まれた。
……自分を非難する行動に対しては死ぬほど勘がいいなこいつ……。
「んー、一つお聞きしていいですか?」
「ええ、何なりと」
「森のコボルドの主食は、お話から察するに野生の甘果実だったと思うんですけど。御者さんからですね、こんな話を聞いたんですよ。お祭りで売りに出す果実の収穫量が足りなくて、村人総出で森の外まで採りに行った、と」
今しがた聞いたばかりの話だが、リーンが言いたいのは『コボルドが食糧不足に陥ったのではお前らのせいではないか?』ということだ。まっとうな意見だし、今まで人間を襲わなかった生き物が突如攻撃しだすとしたら……まして喰う為に襲ってきたというなら、やっぱりそれを考える。
しかし、村長は静かに首を横に振った。そう言われるのは想定したのだろう、特に機嫌を害した様子もなかった。
「確かに祭りが早まり――――森の外に出向かざるをえなかった。ライデアの歴史上、稀に見る事態でした。しかし、我々は、コボルドが森の恵に頼って生きている事を心得ている。森が何を与えてくれるかを心得ている。一つの木から果実を採り尽くすような真似など決してしない。彼らに迷惑をかけないだけの量を残した、我々が森から恵んでもらったのはほんの一部に過ぎない」
「成る程ね、まあ――――来る途中のそこいらの木にも普通に生ってたもんな」
「ええ、村の甘果実は、品種改良を重ねに重ねたそれはもう極上のモノですが、外に実る野生の甘果実も、他の土地より豊富に、早く実ります。水が良いのだろう、と言われますな」
村の名産品を誇らしげに褒める村長だったが、やはりその顔には影が差す。
「で、俺達はコボルドを手当たり次第退治すればいいわけか?」
「ええ、もう村に被害が出ないようお願いしたい。報酬はギルドに提示したとおりです。それと、宿もこちらで手配しましょう、折角来ていただいたのだ、村の料理を食べていただきたい」
「お料理!」
「高速でそっちのワードに飛びつくんじゃねえ過食女!」
リーンが速攻で目を輝かせた。何だこいつ。
村長は呆れ半分、苦笑半分と言った表情を浮かべつつも、非難はしなかった。
「ライデアの鶏は甘果実を食って育ちますから、肉も仄かに甘い。ハーブと塩をふって窯で焼いたものが名物です」
「よーし速攻片付けますよハクラ!」
「気合の入り方が違いすぎて驚くわ!」
「何言ってるんです、百のやる気が百二十になっただけです」
ここまでのリーンの言動と行動を見せつけられても、村長は、コボルドを始末できるかどうか、などということは、最後まで口にしなかった。
冒険者にとってそれぐらい容易い相手だと、知っているからだ。