命ということ Ⅴ
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《騒ぐ子豚亭》という店名に反して、出てきたのは新鮮な海の幸であった。港が近いから当然といえば当然であるが。
塩を振っただけのシンプルな焼き魚から、東方で好んで食される『刺し身』と呼ばれる調理法の他、香草で包んで焼いた物や、小さな物は衣をつけてあげたものまで、種類は多種多様である。
ギルドにほど近い場所という立地もあり、冒険者の数も多く見られる。何にせよ『騒ぐ』という形容詞に関しては間違いではなさそうだ。
「あー、美味しいです、見てくださいこのエビ!」
両手で抱えきれないほど巨大なエビの殻を向いて、バターを塗って丸焼きにし、ワタと香草のソースを混ぜたものに浸して、一口で頬張ったお嬢は、それはもう幸せそうであった。
繁盛していて人手が足りぬのか、店員にはコボルドの姿もチラホラ見られ、我輩も狭いネックレスから、こうして元の姿となり、主にお嬢が食べた後のエビの殻などを溶かしていた。
「……なあ、俺が言うのも何だけど、普通の料理は食わねえのか?」
『うむ、いつも余ったらいただこうと思っているのだが、お嬢が食事を残すところを我輩見たことがない』
「お前ももうちょっと融通してやれよ飼い主だろ」
「飼い主だなんて失礼な、アオは騎士なんですよ、騎士」
『左様、我輩は騎士である、名前はまだない』
「いや、あるだろ」
小僧の気遣いはありがたくはあるが、我輩としては取り込んで消化できればそれで良いのもあるし、こういった殻や骨と言った部位にはそれはそれで美味である。むしろ人間はこれらを栄養として摂取できないことが哀れであるほど、味わい深いこともある。このエビは殻ごと調理されている為、香辛料やソースが十分に絡みついているし、エビの旨味というのはそもそも殻から生じるものだ、であれば我輩は世界一の贅沢をしていると言っても過言ではない。
「まぁまぁ、ハクラも食べてくださいよ。契約通り、ちゃんと私の奢りですよ?」
「前々から思ってたけど、お前金ガンガン使うよな……」
「? 使わないと意味ないじゃないですか、貯めてても」
「…………いや感性は人それぞれだから俺は別に何も言わんが……」
言いたいことはよく分かるし、我輩も何なら小言を言いたいことはあるのだが、奢ると言っている相手にそれ以上追及するのも意味がないと思ったのか、それ以上は何も言わず、小僧も料理に手を付けた。
「つーかお前、仮に五千万エニー手に入ったとして何に使うんだ?」
「えー、そうですねえ、屋上から札束ばらまいて崇めてもらうのはどうですか」
半分本気かも知れぬから、お嬢は怖い。
「聞いた俺が馬鹿だったわ!」
「あ、でも馬車はほしいです、馬車、大きくてしっかりした奴、それで魔物のキャラバンを作るのです」
「キャラバン?」
「はい、アオだけじゃなくて、旅の途中で出会ったいろんな子達を乗せて世界中を周れたら、楽しそうじゃないですか」
お嬢は本気で言っているのだろうが、小僧にはあまり意図が伝わらなかったようで、呆れ顔をされてしまっていたが。
「俺が旅の途中でそんなもんと出くわしたら、即座にギルドに報告して殲滅作戦を進言するぞ」
「その時はその時、溢れる戦力で返り討ちです。一番槍は任せましたよ、ハクラ」
「俺がいる前提かよ!」
小僧はそう言うが、実際、考えねばならない問題の一つではある。
小僧とお嬢の契約は、クローベルにたどり着くまで、だ。もうその目的は果たされている。仲間を失った小僧に『これからの目的』がないにせよ、お嬢が小僧の宿代と食費をまかない続けるのも、いずれ限度が見えてくる。金は使うべき物ではあるが、使いすぎたらなくなるのだ。
共にゆくとしても契約内容は見直す必要があるだろうし、そもそもユニコーンの発見報酬をどう分配するのかという話もある。小僧が今更お嬢になにかするとも思えないが、仮にお嬢が、『え? 全部私のものですよ?』などとのたまおうものなら、背中から串刺しにされてもおかしくはない、五千万エニーとはそういう額だ。無論我輩がそれをさせないが、そのような形でお互い禍根を残して別れてほしいとも我輩は望んでいない。
だから、食事そのものは、軽口を叩きあいながらも、平穏に進んだ。事態が動いたのは、食事を終えてからだ。
「ていうか、お前――」
少し言い辛そうにためらってから、小僧は口を開こうとした。
だが、運命の分岐点は、いつも当人たちの意思とは関係ない所から訪れる。
「――ハクラ?」
聞き慣れない、若い男の声。
目をやったお嬢達の前に、三人の冒険者が立っていた。
◆
軽装でまとめた射手でかつてのリーダーだった、短い赤毛の男、アグロラ・リリエット。
ウィザードハットに黒いローブの術士、黒髪長髪の女、リクシール・フェネ。
重厚な鎧に身を包んだ壮年の斧戦士、ラモンド・ガーモッド。
エスマで生き別れになった彼らが、目の前に居た。
なぜ、ここに、と生じた疑問に意識が答えを出す前に、アグロラが俺の手をとった。
「ハクラ! 生きてたのか! 良かった! 本当に心配したんだぞ!」
「――アグロラ、なんでここに」
「なんでも何も! こっちのセリフだ! お前こそどうしてクローベルに!」
「理由はなんだっていいじゃないか、アグロラ。無事で良かった、ハクラ」
「そうよ、本当にツイてるわ。お互い」
口々にそう言って俺を囲む、まさか適当に入った飯屋で、こんな所で、いきなり出会えるなんて想像もしていなかった。
「……あのーう」
「あ」
置いてけぼりにされたリーンは、かなり不服そうに頬を膨らませていた。
「ハクラ、どちら様ですかこちらの方々は」
「あー……俺の」
パーティの仲間だ、とすぐに口に出せなかったのは、なぜだろうか。
「ハクラの仲間だ、アグロラという」
割り込んだのは、アグロラだった。礼儀正しく一礼して、視線を俺に向けた。
「ハクラ、僕らにもこちらのお嬢さんを紹介してくれないかな?」
「あ、ああ、こいつは…………リーン、エスマからクローベルまで、一緒に来たんだ」
「そうか……ありがとう、リーンさん、こいつ、偏屈だから大変だっただろう?」
「ええ、そりゃもう」
「おい」
俺が目線をやっても、リーンはむすっとすねたままだった。
「…………なぁ……見……よ」
「あいつら……まだ…………」
「度胸…………なぁ……」
「……?」
何が珍しいのか、遠巻きに、他の客からの視線を感じる。
「いや、本当に良かったよ、今度また改めて、お礼をさせてくれ」
アグロラはそう言って、俺の手を引いた。
「じゃあ、行こうか、ハクラ」
「――――――――え?」
一瞬、なぜ呆けてしまったのか、自分でもわからなかった。不思議そうにしているのはアグロラも、リーンも、他の連中も同じで、おそらく全員が同じ顔をしていた。
「ん? それとも何か《冒険依頼》の途中だったとか?」
「いや…………」
リーンとの契約は、宿代と食費を肩代わりする代わりに、クローベルまでの道中を一緒に行くこと。
俺達は、もうクローベルについた。特にギルドに、パーティを組むと、申請を出したわけでもない。
俺とリーンはもう、一緒にいる理由がない。
そもそも俺がクローベルに来たかったのは、今までどおり冒険者として過ごすため、こいつらを、アグロラ達を探すためだったのだから。
「……ハ、ハクラッ」
リーンが俺の名前を呼んだ。その顔は……なんだそれ。
焦ったような、戸惑ったような、不安げなような、怖がっているような。
いや、違う。
……泣きそうにしている。こんな顔、初めて見た。
「……なあ」
こいつも一緒に、と言いかけた所で、アグロラが、それより早く言い放った。
「状況はわかってるだろ? 早速会議だ、宿まで行こう。ああ、荷物は全部持ってるんだろ? いつもどおりさ」
俺の荷物は冒険用のバッグに詰め込んだ、着替えや日用品、身につける武器ぐらいのものだ。どこかに置いていって必要になった時に使えない、なんてのも馬鹿らしいので、基本的には常に持ち歩いている。
アグロラは、それを知っているから、俺を待つことをしなかった。
冒険者は合理的だ。時間の無駄を嫌う。はぐれた仲間が見つかったら、再会もそこそこに、すぐに次の行動に移る。当たり前の行動を、当たり前にしているだけだ。
間違っているのは、誰だ?
「…………リーン」
ぴくっと、小さな肩が震えた。じっと見つめてくる深緑色の瞳を、どうしても――あの時、出会った時のように、直視できない。
なんと言っていいかわからず、俺は――。
「……じゃあな」
それしか言えなかった。
顔面に、ぼむっと弾力のあるものが命中した。
スライムだった。
「ハ、ハクラのっ」
つかつかと近寄ってきて、今しがた自分が投げたスライムを回収し、ぎゅうと抱きしめて、リーンは叫んだ。
「ハクラの、ぶぁぁぁぁぁぁかっ!」
俺も、アグロラ達も追い抜いて、リーンは走って店を出ていった。
「だ、大丈夫? ハクラ」
リクシールが、俺の肩を叩いた。リーンの外見から予測した性格と実際の行動のギャップに、戸惑っているのだろう。気持は良くわかる。
だが、俺が今思っているのは。
「…………あの野郎」
ツカツカと足音を立てて、後ろから店員が近寄ってくる気配を感じる。畜生。
「あいつ、金払わないででていきやがった……」