命ということ Ⅰ
このせかいにうまれたとき。
ぼくは、きれいだな、とおもいました。
かぜも、みずも、くうきも、ぜんぶがとてもきれいだ。
せかいは、たくさんの、きれいなものがある。
そういうものを、ぼくは、もっとみたいと、おもったんだ。
◆
クローベルは、湾岸沿いに位置する大陸最大の港街であり、通商拠点だ。
だが、その最大の特徴は、なんと行っても街を取り囲む防壁の〝低さ〟だろう。
ライデアのような村ですらコボルド対策に村を囲っていたように、人口の規模が〝街〟と呼ばれるほど膨れば、それに比例して強固かつ頑強な〝壁〟を築かなければならなくなる。主な理由は街を襲う魔物対策と、無許可な出入りの防止の為だ。
街の領域が広くなればなるほど、壁を作る範囲も広がる為、その建設費・維持費はどのような街であれ、頭の痛い課題になる。
だが、クローベルは、海を背に『横』へ伸びている為に『壁』で囲う範囲を大幅に節約している。
代償として、高ければ高いほど良いとされる肝心のそれは、あろうことか二メートルに満たず、材質も石積みの強固なものでは無く、丸太拵えであったり、場所によっては人を配置しただけだったりする。
さすがにライデアのそれよりは遥かにマシだが、頑強さ、堅牢さといった観点から見ればエスマの街壁の方がよほど立派だろう。
そういったコストを削ぎ落として、浮いた金を港と領地の拡大に突っ込み続けて大きくなった街……それがクローベルだ。
◆
「そりゃあそうさ、クローベルはユニコーンに守られた街だからな!」
リーンの『なんでクローベルは魔物に襲われないんでしょう?』という疑問に、得意満面な顔で答えたジーレは、街につくまでの食料として用意した乾パンをバリバリとかじりながら言った。
「はぁ、ゆにこーん」
そのあまりに力のない返答に、くすりと笑ったのは、丸まったコボルトを撫でている少女、テトナ・ヘドナ・ライデアだ。
「ユニカ祭りは、年一回、クローベルの街を守ってくれるユニコーンにお礼を捧げるお祭りなんですよ」
「そうそう、毎年すげーんだ。街の白馬を全部駆り出して、角をつけて、騎兵が跨って街を練り歩くんだぜ!」
『神獣霊獣を崇め奉る伝説というのはよくあるものだ、我輩が以前クローベルに来た時も、盛大に祝っていた』
リーンの腕の中で、スライムがうごめく。この場にいる者で、その事に疑問を呈する奴は居らず、反応したテトナも、言葉を発したことそのものではなく、その内容についてだった。
「アオちゃん、クローベルに来たことがあるの?」
「五十年ほど前、先代とな」
「へえー、アオちゃん、長生きなんだねえ、おじいちゃんと同じぐらい? すごいねぇ、ルドルフ」
テトナの手の中でうとうとしていたコボルド……ルドルフは、首元をわしゃわしゃと撫でられ、くぉう、と甘えた声を上げた。
「まー、何でも良いんですけども、それで、いつになったら街に入れるんですかね」
借り切った馬車に四人と二匹。
既に二時間以上、クローベルの、その低く頼りない街壁の目前で、足を止められているのだった。
「おーい、待たせたな」
馬車の幌を開けて顔を見せたのは、俺たちをかつてライデアに運んでくれた御者だ。
これも、テトナの行き帰りの馬車を走らせるなら顔見知りの方が良いだろうということで、わざわざ手配したらしい。
「おっそいですよ! もー、一体全体どうなってるんです? 私のお腹はもうぺっこぺこですよ!」
「キレてる理由はそっちかよ」
「リーン姉ちゃん乾パン食う?」
「食べます!」
ジーレが差し出した板状の乾パンを、お世辞にもお上品とは言えない音を立てながら食べるリーンを見て、笑いをこらえようとした御者の親父は、やはり我慢できずにげらげらと大声を出した。
「いやあ、ここ数日、異様に人が入ってきてるらしくてよ、検査が詰まってるらしいや。やっぱ祭り時はなあ」
街に入る為の列は、まだしばらく動きそうにないとのことだった。
暇ですー! と叫ぶリーンの口の中に、俺はジーレがくれた自分の分の乾パンを詰め込んだ。
◆
時間は少し遡る。
「もおおおおーっ! どういうどういうどういうことですか!」
「いや、予測はできた事態だったけどな……」
リーンの怒りの理由は、別に露店のサンドイッチ屋にお気に入りのベーコンサンドが無かっただとか、朝食のコーンポタージュの具が少なかったとか、そういう理由ではなく。
「クローベル行きの馬車、一週間待ちって!」
街と街、街と村、村と村、それぞれを行き交う乗合馬車を利用する人間は多い。ユニカ祭りのようなイベントの前後ともなればなおさらだ。
コーメカの件から一週間、猫探しやら下水道のスライム詰まりだの、細々とした仕事をこなしていたものの、流石にそろそろクローベルに向かいたい、という意見でまとまった俺とリーンが馬車を探しに行って、出てきた順番待ちの日数がこれだった。そもそもこの時期は事前に予約をしておかなければ、商隊が積み込んだ藁束の中に紛れ込むことも困難だという話らしい。
それでもなんとか乗れそうな馬車の予約を済ませ、合間にこなす《冒険依頼》を探そうと言うことでギルドへと向かうと、見慣れた顔が、受付のカウンター前に立っていた。
「あれ、テトナちゃん、ジーレ君も」
ライデアで出会った少女、テトナと、その相方であるコボルドのルドルフ。そしてなぜかルドルフに威嚇されているジーレを発見したのだった。
「グルルル……」
「なあ、こいつ何とかしてくれよ……」
「こら、ルドルフ、駄目だよ」
テトナに注意されて唸るのはやめたものの、警戒心は消えていないようだ。
「久しぶりだな、テトナ。なんでエスマにいるんだ?」
「あ、お久しぶりです。リーンさん、ハクラさん。私、これからクローベルに行くんです」
スカートの裾をつまんで、一礼するテトナ。なかなか様になっている。
「クローベルに?」
「はい、ライデアは毎年、ユニカ祭りで使う甘果実をたくさん出荷してるので、代表で一人、お呼ばれすることになってるんです」
「へえ、頑張ってるじゃねえか」
村長の孫であるテトナは、幼いながらに、ちゃんと村の代表の一員として仕事をしているらしい。しかし、肝心の少女はあはは、と苦笑し。
「……本当はおじいちゃんが行く予定だったんだけど……」
「コボルドに分ける甘果実の入った籠を持ち上げようとして、ぎっくり腰になったそうです。全治三週間とのことで」
テトナの言葉を引き継いだのは、カウンターの向こうに座るエリフェルだった。
「お前、体はもういいのか?」
「ええ、おかげさまで。ギルド長はもう少し休んでも良いと言われましたが、人手が足りませんので」
相変わらずにこりともせずに答えるエリフェル。それでも若干、角が取れた気がするのは、多分気のせいではないはずだ……が。
「人手が足りないという割には、随分と閑散としてますね」
そう、普段は冒険者でごった返すはずのギルドが、各種施設や受付に、まばらに誰かいるだけで、俺達がこうして受付で会話していても問題ない程度にはガラガラだった。エリフェル以外に普段からよく目にする受付嬢の姿も見当たらない。
「ほとんどの人員と冒険者は、クローベルに行ってしまいましたからね」
「あぁ、ユニカ祭りか? ……にしても少ねえな」
大きな祭りや何かしらのイベントがあれば、人がそこに集まるのは道理ではあるが、それにしてもこっちのギルドに滞在している冒険者が、よくよく見れば活気がなさすぎる。その理由は、エリフェルがため息とともに述べた。
「ええ、なんでも《大型冒険依頼》が発令されたようで。周辺地域の冒険者のほとんどがクローベルに集まっているようです。それで処理する人員が足りなくなったので、助っ人としてあちら側に」
《大型冒険依頼》。
通常の《冒険依頼》と違い、パーティ単位ではなく冒険者全員を対象とする。
往々にして達成が困難であったり、無茶な条件が伴うのが特徴だが、その分、対価も桁外れだ。依頼の達成に貢献できなければ、かけた労力と時間が無駄になるとはいえ、ハイリスクハイリターンこそ冒険者の醍醐味でもある。
「はぁ、いつの間に」
「情報収集、大してしてなかったからな……」
アンテナを立ててなきゃこんなものだ。上手い話というのは先に知るから意味があるのである。
「あなた達は、《大型冒険依頼》に飛びついたりしないのですね」
存在を知ったら何かしらの反応があるだろうと思っていたのだろう、エリフェルは意外そうな顔をした。
「興味がないわけでもないが、今から行ってもな。それよか祭りの特需に乗っかったほうが儲かりそうだ」
ユニカ祭の様な、その土地土地で行われる大きな祭りがある時は、冒険者の仕事も多い。
あの材料が足りなくなったから採ってこいだの、どこの街にある何を預かってきてくれだの、店同士のトラブルの仲裁をしろだの、祭りの間人手が足りないから手伝えだの、上から下まで、大小を問わなければ《冒険依頼》が尽きることはまずない、冒険者の需要過多というやつだ。
しかし、一方で《大型冒険依頼》が発令されてしまうと大抵の冒険者たちは一攫千金を求めて、当然そちらを優先する。すると通常の《冒険依頼》、つまり一般人の困り事が解決されなくなる。
ただでさえ祭りの期間を早められて準備に追われるクローベルの住民からすればいい迷惑に違いない。依頼主側は泣く泣く、他愛ない仕事に対して割の良い報酬を設定して人目をひかねばならなくなる訳だ。
逆に、依頼人が割高な報酬を用意できないような場合でも、あえて力になってやることで懇意にしておけば、祭り本番では宿だの飯だの色々と便宜を図ったりしてもらえる。そういった「当て」を求めるのもまた合理的という奴だ。どう転んでも冒険者には美味しい。
「……クロ―ベルに行ければの話ですけどねー。それで、なんでジーレ君が?」
「俺はテトナの護衛と祭りの街案内をしてくれって、エリフェルさんに頼まれたんだ。すげーだろ」
ふふんと胸を張るジーレ。横目でエリフェルを見ると、俺に顔を近づけて小さな声で囁いた。
(ジーレ君が一緒なら、テトナさんも楽しめるでしょう)
(なるほど)
護衛と言った所で、道中は馬車の旅。祭りの式典にさえ出てしまえば、後は街の中で自由時間だ。それなら堅苦しい見知らぬ大人を護衛としてつけるより、歳の近いジーレの方が気兼ねなく祭りを満喫できる。
新人とは言え、ジーレも冒険者だ。秘輝石に色も着き始めている頃だろうし、そこいらのチンピラ程度では相手にならないだろう。
「もしかして、この前ジーレを探してたのは、これか?」
「ええ、レストンからテトナさんが来ると、連絡がありましたので。打診出来ないかと思っていたのです。他の冒険依頼に手を取られていなくて、助かりました」
ライデアから訪れる来賓の為に、取れる手を尽くすという、このあたりが、この女が仕事の出来る所以なのだろう。
「……ところで、ハクラ・イスティラ、リーン・シュトナベル」
不意にエリフェルの語調が変わった。冒険者に対しての、仕事としての姿勢だった。
「急を要する《冒険依頼》が一つあるのですが、受けるつもりはありませんか?」
「内容と報酬によるな」
「私はぜぇーったいに嫌です! エリフェルさんの仕事はろくなことがありません!」
全力で拒否の姿勢を見せるリーンだった。まぁほんの少し前に、教会を巻き込む大騒動の引き金を引かされた身としてはむべなるかなだ。
しかしエリフェルは飄々と。
「そうですか、では、クローベルに向かうのはハクラさんだけ、という事になりますね」
「「……へ?」」
二人の疑問の声が、同時に重なった。
「テトナさんの護送馬車にはまだ空きがあります。子供だけで向かわせるのもどうかと思いまして。腕の立つ冒険者が護衛についてくれるなら、と思ったのですが……」
話を聞くとこういうことだ。テトナの乗る馬車は、クローベルが来賓用に用意した専用の物で、ライデアからエスマ経由で補給を行ってからクローベルへと向かうらしい。
クローベルでの護衛はジーレが務めるとして、問題は道中で魔物に襲われる場合だ。人間が頻繁に行き来する、整備された街道でそんな事態が起こるのは極めて稀だが、稀というのはゼロではないという意味で、そして来賓を招く以上、クローベルは万全を期さねばならないという事だ。
「……報酬は?」
「一人頭八千エニー、食費などの経費は出ません。積荷の果物や干肉は食べても構いませんが、御者に別途、代金を払ってください」
長い時間待ってから金を払って乗る、ギチギチに人を詰め込んだ輸送馬車ではなく、要人護送用の広々とした快適な馬車に揺られてクローベルに行くだけで八千エニー。美味しいどころではない、ちなみにこの時期のクローベルへの馬車の乗車賃は、ただ乗るだけで千から場合によっては二千エニーといった所だ。安宿の広間で雑魚寝するのが三百エニー。
「……どういう罠だ?」
美味しすぎて何か裏があるのではないかと思ったが、エリフェルはそんな俺を見てふぅ、と大きく溜息を吐いた。
「私なりのお礼のつもりでしたが、お気に召しませんでしたか?」
それは大人が子供に、『君は何もわかってないなぁ』と嗜めるような言い方であり、要するにそれがエリフェルなりの、俺達に対する誠意の示し方なのだ。
「私の仕事は、適正な依頼に、適正な冒険者を派遣することです。聞けば、テトナさんと交友があり、ルドルフ君に対して偏見を持たず、ジーレ君とも知り合いであり、クローベルへの馬車の当てがない冒険者が居る。なにか問題がありますか?」
「ないですないですもーぜんっぜんないですありがとうございますエリフェルさん、大好きです!」
死ぬほど現金な女が大はしゃぎしていた。
「私の紹介する仕事は、絶対に嫌だったのでは?」
「過去の話は忘れましょう、大事なのは現在です」
「……あなたのそういう所は、羨ましい限りですが」
それから、エリフェルは、俺達を見て、小さく笑った。
「ジーレ君はともかく、あなた方は、もうエスマには戻らないのでしょう?」
冒険者のほとんどは渡り鳥だ。土地に根付いて活動する奴はほとんど居ない。今いる冒険者はやがて別の土地に向かい、そして別の土地から新たな冒険者が来る。そうやって、ギルドは動いている。
「はい、クローベルから、船で北のラディントンに向かうつもりです」
リーンははっきりそう答えた、俺は……。
「俺は……まぁ、多分戻ってこないな」
クローベルまでたどり着ければ、他に行き先はいくらでもある。南に戻ってもいいし、東のトミトア大陸に行くのも良い。
「一緒に行くのではないのですか」
エリフェルが、珍しく驚いた表情をした。俺達がずっとパーティでいるものだと思っていたのだろう。
「一応、契約はクローベルまでだからな」
「ハクラが寂しいなら、いつまでもついてきていいんですよー? 契約条件は変わりませんが」
「割に合わねえよ、馬鹿」
軽口を叩きあう俺達に対し、エリフェルは二枚の書類を取り出し、さらさらと何かを書き込んで、畳んで封筒に納めて、蝋印で封をした。
「では、二通用意しておきます。クローベルのギルドには私の後輩が居るので、もし融通を効かせてほしければこちらを見せてください、何かしら、一助になるかと」
「……いや、ありがたいけど、いいのか?」
「後から《大型冒険依頼》に参加したいといっても、出遅れを取り戻すのは難しいでしょう。これぐらいはさせてください、まぁ……」
エリフェルはちらりとリーンを見て、それから俺に視線を移し。
「リーン・シュトナベルを抑え込めるのはあなただけだと思っていたので、出来れば問題を起こさないよう見張っていてほしかったのですが……」
「ものすげぇタスクを押し付けるんじゃねえ」
ギルドからも劇薬扱いなのか、この女は。
「な、なんかすっごい悪口言われてますけど、よく考えてください、別にハクラは私のストッパーになってませんよ」
「おい」
「言っときますけど、教会に最初に殴り込んだのもコーメカさんを真正面から告発したのもルーヴィさんに直接喧嘩売ったのも。ついでにライデアでコボルド達を使った作戦たてたのも、ぜーんぶハクラですからね」
「………………」
そう言えば最初に行動を起こしたのは俺だった。いや、たしかに俺ではあったが、別に俺がやらなくても同じことをリーンがやっていたと思うのだが。
「私は言動は過激ですが、やることはわきまえているのです。ハクラは言動は常識的ですが、いざ行動に起こすととんでもないことを平気でやるのです」
「…………………」
何も否定できなかった。
「でもあなたは、別に止めるわけではないのですね」
「いやあ、それはこれはこれですから……」
一応言わせてもらうと、今はえへへ、と可愛く微笑みながら頬を掻く場面じゃない。
「……馬車は今日の十七時にエスマを出ます。宿を引き払うなりの用意があるなら、それまでに」
それから、エリフェルはカウンターを立ち、俺達のいる表側へと回ってきた。
洗練された無駄の一切ない動作で、丁寧にお辞儀をし、顔を上げ。
「今まで、エスマのギルドをご利用いただき、ありがとうございました。あなた方のこれからの旅に、幸あらんことを」
そう言って、小さく笑った。
相変わらず事務的で、義務的なセリフではあったが、不思議とそれは、暖かく感じられた。