殺すということ Ⅹ
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幽霊、という魔物がいる。
リビングデッドが動く死体ならば、レイスは肉体を持たない死体である。生物が絶命する際、強い感情を有していた時、周辺の魔素と結びついて発生することのある、悪霊の一種だ。
通常であれば、レイスは生前の具体的な記憶を持たない。ほとんどの場合はその姿に面影すら残さず、かろうじて保った人型を青白くぼんやりと光らせ、生前の未練や後悔、恨みや憎しみのままに、無差別に人々を襲うなりを繰り返す。
日光や聖水、聖句に弱く、これを祓うのは教会の仕事の一つでもある。何せ実体を持たぬ故、剣も魔法も通じないのだ。
カテゴリとしては魔物でありながらも、自然現象として分類されることすらある。人が死ぬ以上、レイスがどこかで発生することは避け得ない。
だが、このレイスもお嬢が従えるのならば、紛れもない一個の意思を持った存在となる。
不幸中の幸いというべきか。災いの中の希望というべきか。
クラウナ嬢のリビングデッドは元よりある程度の理性を保っていた。
強い後悔と怒りを持ち、そして死を自覚し受け入れた彼女は、レイスとなる適性を備えてしまっていた。
勿論、ただ無条件に死者の魂がそのまま現世に留まる、というわけではない。この局面に至るまで、クラウナ嬢は己が己であるという自覚もないまま、ただただ言われるがままお嬢の背後に、憑いていただけであっただろう。
怨敵の姿を捉えその怒りを思い出し、そしてお嬢の力によって、一時、その意識と記憶をこの世に呼び戻したのだ。
すなわち――死者からの告発である。
クラウナ嬢は、ゆっくりと目を見開いた。
理性を兼ね備えた、力強い瞳であった。
犠牲者からの糾弾が、始まろうとしている。
◆
『貴女は――私に――言ったわよね――』
この場にいる誰もが、クラウナの声に聞き入っていた。
これこそが魔女の仕業だと、誰かが糾弾できればよかっただろう。実際、そうなってもおかしくなかった。
けれど、この場にいるクラウナ・レストンの幽霊は、知性を備えた人間の振る舞いのそれなのだ。
『アレンと別れろって――ふさわしく、ないからって――』
「あ、あれは、だって、アナタが」
『――――それは、何――――?』
クラウナが指差す先は、コーメカの右手だった。片方だけの、革の手袋。
「ルーヴィさん? 当然、あの手袋の下も調べたんですよね」
「あ、当たり前――でしょう! あんなもので魔女の印を隠せるわけがない、わ!」
リーンの問いに、デルグに抱きかかえられたままのルーヴィは焦ったように答えた。さすがの特級騎士も、困惑しているようだ。
「ところで、ご存知でしたか。レストンにはこんな風習があるそうです。男性は意中の女性に対して、自分が作った手袋を贈る事でプロポーズし、村から婚姻を許されるそうです。アレンさんは冒険者をやめて、レストンで、革職人となる修行をしていました。あともう少しで、クラウナさんに贈る手袋が、完成するところだったそうです」
全員の視線が、コーメカの右手に集中した。
そう、片方だけの、革の手袋、だ。
「さてさてコーメカさん、あなたはその手袋を、ドコで手に入れたんです? ちなみに」
『――私の』
「アレンさんは私達が見つけるまで、リビングデッドとなって森を彷徨っていました」
『――それは、私のよ』
「どのタイミングで、手に入れることができたんでしょう。例えば、アレンさんの心臓を
えぐった時とか?」
『――なんで貴女が、つけているの――コーメカ――――』
「ひっ!」
ぺたんと、尻餅をついたコーメカだが――恐怖よりも、怒りが閾値を超えたのか、リーンとクラウナを睨み、叫んだ。
「あ、あなた達がなんと言おうと! 私の無実は証明されたのよ! 私に印はなかった! 私は魔女じゃあない! むしろ、その化物を従える貴女こそ、魔女じゃない!」
「なら、告発してみますか?」
リーンはどこまでも楽しそうに、笑みを崩さず言い放つ。
「でも、私の体に魔女の印がなかったら、あなた、死んじゃいますよ?」
「――っ!」
余裕綽々のリーンを前に、コーメカはそれ以上言葉を紡げない。
その視線は、一点に注がれている。リーンの右手、翠玉色の秘輝石だ。
それを見て俺は、やっと確信した。
「どうでもいいけど」
肩に刺さった細剣を、引き抜いて放り投げてから、腰の鞘から、ミスリルの剣を抜き放つ。
「返してやれよ、お前のじゃないんだろ?」
手応えは対してなかった。コボルドを斬るのと大差ない。
ぶつん、と音だけが一瞬だけ聞こえ――――鮮血が吹き上がった。
「あ、あああああああああああああああああああああああ!?」
コーメカの右肘から先を断ち切った。間髪入れず、切断した腕を掴んで、手袋を剥がし、剥き身の腕を残してリーンに投げ渡す。
「うわっと、投げないでくださいよもう!」
のんきにそんなことを言うリーンとは対象的に、叫ぶコーメカ、それに、ルーヴィは今度こそデルグを振り払い、俺に向かって叫んだ。
「何を、何をして――――!」
神の御許で行われた暴力に、怒っているのか。だが俺は、努めて冷静に言った。
「見ろ、こいつの右手には秘輝石がある」
コーメカの秘輝石は、事前にジーレから聞いていた通り、渦巻く模様を内包した赤褐色、透明度のないタイプのカラーだ。
「それが、どうし――――」
「魔女の印は、ここだ」
秘輝石は人間の神経に根付き、体の一部になる。
そして魔女の印が浮かぶ場所は、体表であれば本人が任意で決められる。
なら、魔女の印がそもそも見えない場所に、あるいは浮かんだ所で判別できない部位に出せばいい。
頭皮では? 髪の毛を全て切られ確認される。瞳の中は? かつてそれを試した事例を、もう一度やる馬鹿はいない。
冒険者だけに許された、魔女の印の隠し場所。
コーメカの秘輝石は透明度のない瑪瑙色だ。模様に紛れてしまえば、わからない。
「あ、ああ、ああああああ!」
血の吹き上がる腕を止血しながら、コーメカは絞り出すような悲鳴を上げた。
「そんで確か――体から切り離したら、別の所に印が浮かぶんだったよな?」
その変化は俺にとっては幸運で――何せ手間が省けた――コーメカにとっては不幸だった。
ジワリ、とにじむように、コーメカの左手の甲に、黒い模様が浮き出てきた。
俺と、リーンと、そしてルーヴィが、その印が浮かぶ瞬間を、見ていた。
「欲張ったな、コーメカ。お前は呪いなんてかけずに、エリフェルが自分を告発するのを待ってりゃ良かったんだ。告発されて魔女じゃないと証明されたら、もう誰もお前を疑えないからな」
だが。
「エリフェルはギルドの受付嬢だ。お前の秘輝石の色を知ってる。もしかしたら隠し方に気づくかも知れない……だから先手を打ったんだ、お前は、エリフェルが怖かった」
磔にされた、ただの一人の女は、確かに魔女を追い詰めていたのだ、あと一歩まで。
「お前は目の前でクラウナを呼び出したリーンを、告発し返せなかった。そんで、リーンの秘輝石を見た。自分と同じ方法で隠してるんじゃないかって思ったんだろ?」
「言っておきますけど、私の秘輝石にそんなのないですからね」
周囲に聞こえるように声を張りつつ、自らの秘輝石を見せながら、リーンは言った。
「う、うううう、うううう――――」
体を丸め、うなりながら、コーメカはギロリと俺を睨んだ。
「ふざけ、ふざけるな、ふざけ――私が、私がどれだけの思いで!」
世界を呪うように、祟るように、天に向かって吠えた。
「アレンは私のものだ! 私がずっと一緒に居たんだ! お前が奪ったんだ! お前が! 先に奪ったのはお前だ! 奪い返して何が悪い! 死んでまで私の邪魔をするな! うああああああああああああああ!」
「――――言いたいことは、それで、終わり――!?」
俺に詰め寄っていたルーヴィは、身を翻すと――転がった自身の細剣を拾い上げ、即座にコーメカへ向き直った。魔女だと断じた相手への行動に、迷いがない。
ルーヴィの速度なら、そこからコーメカに駆け寄って突きを放つまで、数秒とかからないだろう。だが、コーメカは残った腕の人差し指を、ルーヴィに向けて、歪んだ笑みを浮かべた。
「 ヅィ ル ス カ 」
その表情が、その内心を雄弁に語っていた。
――――もう知ったことか。
――――バレたのならば、隠す必要もない。
――――魔女としての力を振るう事をためらう必要も、ない。
地の底から湧き出るような、悍ましい声。
明らかに、魔術士が使う呪文の詠唱とは違う――――魔女の呪詛だ。
俺は反射的に、二人の間に割り込んだ。
「 デ ィ ニ ダ ァ ニ 」
俺に指を向けたまま、歪んだ笑顔を浮かべて、構わず言葉を続ける。
「ク、フフ、ハハハハハ、ハハハハハハハハ! さあ、さあ死ぬわよ! すぐ死ぬわよ! 心臓が腐って溶けて死ぬわよぉ!」
血を流しながら狂ったように叫ぶコーメカ。【聖女機構】の少女たちが、悲鳴を上げた。
勝ち誇り、笑い――――しかし、やがて呆けた顔をした。
「――――で?」
何の変化も起こらなかったからだ。
「何、なん、なんで――――」
勿論、戸惑っている余裕など、あるはずがない。そんなにのんきに構えている暇があれば、他の何かをすべきだった。
「困ってる所悪いが、そんな余裕あるのか?」
俺の背後からルーヴィが飛び出した。細剣の先端が、風より速くコーメカの喉へと吸い込まれる。
「――――ッ!」
反射的に向けた指が、細剣の一閃で肘ごと切断される。その切断面から血液が吹き出るよりも早く。
「魔女――――滅す、べし」
今度こそ、喉と瞳を、躊躇なく刃の先端が貫いた。
コーメカの最後の言葉は、自らを魔女と認める自白の絶叫だった。