殺すということ Ⅸ
しばらくの沈黙の後、最初に発言したのは、ルーヴィ・ミアスピカだった。
「つい先程の話――よ、彼女が我々の取り調べを受けて、魔女でない、と判断されたのは」
示されたコーメカは、腕を組みながら、余裕の表情を浮かべていた。
「アナタ達、まさか、そんな事を言うために、わざわざここに来たの? ねぇ、ボウヤ?」
コーメカが何歳だかは知らないが、たしかに俺よりは年上だろう。それでもボウヤ呼ばわりされる謂れはないが、とりあえず黙って聞いていた。
「魔女の告発は……それがなされた時点で、自分か相手、どちらかが必ず死ぬのよ? 大変なことなの……自分が何をしたか、わかってる?」
「あぁ、もう一回言ってやろうか」
周囲全部が敵、という状況は何度か経験はあれど、ここまで『人間』に囲まれたことはついぞ無かった。魔物相手ならどんなに惨めに這いつくばっても生き残れれば勝ちだが、教会は社会に根付いた組織だ。リーンにはああ言ったが、逃げ切れるわけがない。
俺の考えが外れていたら、まず間違いなく終わりだというのに、こんなにも落ち着いている。
「レストンをリビングデッドの群れに変えて、アレンを殺した魔女はテメェだ」
「…………それ以上、彼女を貶めるのであれば」
ルーヴィが、俺に細剣の先端を向けた。
「この場で、アナタの首を断つ――わ。ハクラ・イスティラ」
フルネームで呼ばれ、俺はルーヴィを睨み返した。
「……へえ、俺の名前を知ってるのか」
「資料で見たわ……最初は、北のアッテルタ、次はクローネ、そしてリリエット……
汚らわしき魔女の牢獄で生まれた冒険者……魔女狩りのハクラの事は、ね」
周囲の修道女達が、その言葉にざわ、とどよめき。
ついでにリーンがそそくさと俺から一歩離れた。
「っておい」
「あ、いえいえ、私のことはどうかお気になさらず……ハクラそれ以上私に近寄らないでくださいね怖いから」
「お前はどっちの味方なんだ!」
『魔女狩りとはどういう意味だ、小僧』
一応確認のためか、スライムが声を上げた。ひぃ、とか、きゃあ、とか、連動して小さな悲鳴が上がった――そりゃそうだ。
「なんてこたねえよ、教会が見つけて処理しきれなかった魔女をぶっ殺す《冒険依頼》を何件か受けただけだ。それでついた評価がB+、魔女に対しては役に立つぞっつーギルドの評価だよ」
教会としては、存在自体を秘匿したいので、ギルドへその依頼を横流しする事すら秘匿するレベルの話だ。必然、俺のプラス評価を知る者も大した数は居ない。平常時には何の役にも立たない事もあるが。
「……一度だけ、撤回の機会を与える、わ。ハクラ・イスティラ」
ルーヴィは、俺から剣の切っ先を逸らさずに告げる。
「ここに居る女達は、皆、無実の罪で、魔女の烙印を押され……地獄を見た者達、よ」
コーメカの髪の毛が短いのは、魔女の印を調べるためだろう。印が体表に浮かぶのであれば、当然毛髪の下の皮膚だってその対象だ。目視で確認できるレベルまで髪の毛を切り落とすのもそうだ。複数の人間の前で裸にされ、文字通り全身をくまなく調べられる。
もちろん、告発された方もそうだ。エリフェルの髪の毛が無事なのは、胸元に既に印が見えているから、切り落とす必要がなかっただけだ。
「その痛みを、苦しみを知りながら……私達はすでに――コーメカ・エスマに与えたの、よ。そして、印はなかった。魔女ではないと、判断された――なのに、あなたはその苦痛を、もう一度、彼女に与えようとしているの――よ」
わずかにだが、ルーヴィの腕に力が入ったのが見て取れた。
「そして調べるのも、その屈辱を知る、この子達。それをしろ、という、の?」
もし返答を違えれば、この場で首を刎ねられるかも知れない。連中視点からすれば、もう裁判は終わったのだ。
故に【聖女機構】にとってコーメカは潔癖だ。
だから、うかつなことは言うべきではない。
「ああ、やってもらうぜ」
単に、本音を言うべきだ。
刹那、瞬きに満たない刹那の速度で、ルーヴィの剣が放たれた。
「がっ」
右肩に、細い刃が突き刺さる。全く知覚できなかった。実際に動いてから突き終えるまで、俺はその動きを捉えられなかった。
「では、結論を出す、わ。彼女は魔女ではない、故に告発者は命を持って償って――」
「まだ、検証が終わってねえ……」
俺は、肩に突き刺さった細剣の刃を握った。手袋が浅く裂けて、皮膚を切った。
「……何の、つもり?」
引き抜こうとするルーヴィだったが、させない。
何のつもりかと聞かれたら、こちらの意見を言う前に殺されちゃ堪らないので、こうして武器を取り押さえただけだ。
「エリフェルの印は……逆印だ、呪われた証だ……そうだろ、リーン」
俺がそう尋ねると、リーンはすごく複雑そうな顔をして、俺を見返した。
「……リーン?」
「いや、逆印だと思うんですけど……」
「何だそのふわっとした返答は。お前言ってただろ逆印だって!」
「ですからね、悪魔が雑魚すぎて印の特定ができないってことは、言い換えますと逆印であると客観的に断言する材料としては弱いんですよね。それがわかってるなら最初から悪魔の名前がわかりますし、状況的に逆印だな、ということは言えますが、この状況下で証拠として言い切るには若干弱いところが……」
「そこを断言するのが専門家としてのお前の役割じゃねえのか!」
何のために肩を刺されたんだ、俺は。
「いや、エリフェルさんの症状は《呪詛逆流》としてはおかしいんですけど、教会側にその知識がないと証拠としては取り上げてもらえないので、うーん、この路線だと無理だと思いますよハクラ」
「何他人事みたいに抜かしてんだコラァ!」
「自信有りげに乗り込んでいったくせにいきなりこっちに振ってくるからじゃないですか! この路線で行けるなら最初から私がそうしてますよ!」
「たしかに正論だなぁオイ!」
「……あなた達、からかって、いる、の?」
ギギギ、と徐々に刃が抜け始める。単純な腕力勝負でも、俺とルーヴィでは分が悪いらしい。右手に光る星紅石の秘輝石の輝きは、俺のそれの比ではない。
「……ねえ、騎士サマ?」
コーメカが、俺達を憐れむように見ながら言った。
「彼らを、許してあげてくれないかしら? きっと、認めたくないのよ、親しい知人が、魔女だったってことを……私だって、信じたくないもの」
その声は同情に満ちているようで、勝ち誇っている声だった。哀れんでいるようで、嘲笑っている声だった。
「なんでエリフェルがレストンを滅ぼす? 理由がねえだろ」
「あら、知らないの?」
コーメカはおかしそうに言う。
「エリフェルはね、レストンを追放されているのよ。二度と村に戻ってくるなと言われ、追い出されたの。故郷に恨みがあるからこそ、魔女になって村に復讐する理由には、十分じゃなくて?」
それは、初耳だった。俺とにらみ合うルーヴィも、頷き、肯定した。
「事実……よ。記録にも、確かにある、わ」
「あぁ、そうかい」
もっと早く、エリフェルの出身について調べてりゃ良かった。客観的に見て、エリフェルにもそれなりに疑わしい理由はあったのか。
「あー」
何故かリーンが、ものすごく腑に落ちた感じに手を叩いていた。
「何すげぇ納得した感じの顔してんだお前!」
「いえいえ、それよりハクラ、予定通り、実力行使しかないと思いますが」
「そうしたいのは山々なんだけどな……!」
「実力行使?」
怒気をはらんだ声で、ルーヴィが呟いた。
「私が、なにかさせると、思う、の?」
実際、俺がここから何かするのは不可能だ。細剣を肩から引き抜かれた時点で、あとは喉なり眼なりを突かれて死ぬだろう。この手を止めるのに、全力を尽くさねばならない。
「――オイ、知ってるかチビ助」
「…………」
チビ助呼ばわりされて、ルーヴィの手に籠もる力が強くなった。あまり長く保ちそうにはない。
「殺すってことは――そんなに簡単じゃないんだぜ――リーン!」
だから、ここから先は専門家の仕事だ。
「……コーメカさん」
スライムをぽてんと床に放り投げて、リーンはコーメカを見た。
「一つ、伺いたい事があるそうなので、いいですか?」
「……何かしら?」
コーメカは眉をひそめた。言葉に引っかかるものがあったのだろう。リーンは、わざとらしい笑顔を作って、尋ねた。
「どうして笑ってたんですか?」
その場にいる全員が、質問の意味を理解できずに、疑問の表情を浮かべた。
ただ一人、コーメカを除いて。
「……何の話をしているの?」
「いえ、ですから」
リーンは言葉を止めない。まるで見てきたように言う。
「なんであなたは村人達が殺し合うレストンで高笑いしてたんですか?」
ルーヴィが動いた。俺の肩を突き刺していた剣から手を離すと、そのままリーンに躍りかかる。その言葉はもはや侮蔑であり、攻撃するに値すると判断したらしい。
剣を奪わずとも、素手で組み伏せられると思ったのだろう。
だが、そこに飛び込み、割り込む影があった。
教会騎士、デルグだ。
「がはっ!」
秘輝石を持つルーヴィとデルグがぶつかりあれば、当然デルグに勝ち目はない。しかしそれでも明確に、デルグが勝っているものがある――体格だ。
予め、ルーヴィの動きを予測していたのだろう。突進の勢いをそのまま受け止め、太い両腕で、小さなルーヴィの体を抱きしめて羽交い締めにした。
「何を、するっ! デルグ・ルワントン二等騎士!」
「我々が!」
強引に力でこじ開けられようとする体を、全力で引き締めながら、デルグは叫んだ。
「罪なき無辜の民を魔女と呼び殺め! 魔女がその悪徳を糾弾されぬという間違いを犯さぬ為に! 離す訳にはいかないのだっ!」
「何を――馬鹿なことを、言ってる、の! そこの、女、これ以上、根拠なき侮辱を続けるならば、今この場で、お前は――――」
言葉が止まった。ルーヴィは見た。いや、俺達全員が見た。
コーメカが、一歩後ずさったのを。リーンの言葉に、表情が固まったのを。
「……何を、言っているのか、わからないわ。そもそも、私がレストンにいた? 証拠は?」
やっと絞り出した言葉は、小さく震えていた。
「なんなら、本人に聞いてみましょうか?」
その瞬間。
カタカタカタカタカタカタ、と、椅子や装飾品と言った物が、小刻みに震え始めた。
錯覚ではなく、体感として温度が下がる。背筋を悪寒が駆け抜ける。誰かが、ひ、と悲鳴を上げた。
「あ、あなた、何、何を――――」
「一つ、いいことを教えてあげましょう、コーメカさん」
リーンは、手にしていた杖を掲げ、トン、トン、と小さく二回、床を叩いた。
「リビングデッドを操る、なんていうのはですね。私の劣化の劣化のそのまた劣化の、絞りカス程度の技術でしかないのです。あなたがもっと位階の高い魔女であれば――」
トン、と三度目の音とともに、杖の先端についた宝玉が、内側から強く明滅した。光の輪が波紋のように空間に広がり、周囲の空気を染め上げていく。
「――人々の魂まで囚える事も出来たでしょう」
リーンの背後に、いつの間にか誰かが浮いていた。
そう、浮いている。地に足がついていない、そもそもそんな物はない。
全身は青白く発光していて、その向こう側が透けて見える。実体が、そこにはないのだ。
『――――どうして』
その〝誰か〟は、泣くように言った。
『どうして――私を見ながら、嘲笑っていたの……コーメカ――――』
誰もが声を発せられない中、リーンだけがいつもの調子で告げる。
「紹介しましょう、こちらは、クラウナ・レストンさん」
『なんで――――あの日あなたは――あそこに――居たの――――』
「あの日、魔女に殺され命を落とした、事件の被害者、本人です」