殺すということ Ⅷ
教会本部に殴り込みに行く最中、背後で死ぬほど怒鳴り声を上げる修道女の名前が、クレセン・リリエットなのだという、どうでもいい収穫があった。リリエットと言えばエスマから東の街道を、ただひたすらずっと行った先にある、同規模の街の名前だ。
「ルーヴィ様は私を助けてくださったのです! 魔女として告発された私を――あの方が居なければ今頃私はここにいませんでした。それをあなた達はどのような理由があるかは存じ上げませんがもう魔女の処遇は決まっているのです告発は受けいれられ判決は出ておりすでに罪は決まっているのです! 何を今からそのような――」
「ふざけんなよお前! エリフェル姉ちゃんが魔女なわけねえだろ!」
怒鳴り返すジーレ。クレセンは何をと眉を吊り上げ、再び舌戦に突入する。
「何を根拠にその様な、ルーヴィ様の決定に反するようなことをいうのです!」
「だったらエリフェル姉ちゃんが自分の故郷を滅ぼしたっていうのかよ!」
エスマの教会、街の人間もよく利用する聖堂の前に着いた所で、俺達はピタリと足を止めた。
「おいジーレ、お前今なんつった?」
「へ? だから、エリフェル姉ちゃんが自分の故郷を――」
「……エリフェルは、レストンの出身なのか?」
「そうですよ、ご存知なかったのですか? 本名すら知らなかったとは。それでよく魔女のハズがないと庇い立てできたものですね」
クレセンは得意げに胸を張り、俺達を見据えて告げた。
「悪しき魔女、本名はエリフェル・レストン。罪状は己の罪を隠し誤魔化す為に故郷を焼き滅ぼし、更に悪行を重ねようとした所で《呪詛逆流》を受けて昏倒、そこをルーヴィ様が……」
「《呪詛逆流》ってなんだ?」
「簡単に言うと呪いをミスって自分がかかっちゃうことです」
得意げに語りだすクレセンを無視してリーンに訪ねると、答えはすぐに帰ってきた。
「話をききなさぁい! だいたい、あなた方、お祈りや懺悔以外で教会に立ち入るのなら許可証が必要ですよ!」
その言葉どおり、頑丈で大きな木製の扉の前には、鎧にがっちり身を包んだ教会騎士が二人並んでおり、目の前で騒いでる俺達を兜越しに睨んでいる。
「許可が居るんだと。どうするリーン」
「任せてください、こういうのは得意です。平和主義者としての交渉術を見せてあげようではありませんか」
リーンは自信たっぷりに言うと、てくてくと扉に近づいてゆく。当たり前のように騎士達が剣でバツの字を作り、歩みを止めた。
「お待ち下さい。現在、教会は関係者以外の立ち入りを禁じています」
「許可証か、教会関係者の同伴の上で――――」
騎士たちの言葉が終わる前に、リーンは杖を思い切り振りかぶった。
「いーれーてーっ!」
あまりに殴りなれている事が伺える見事なフォームでのスイング。重量のある杖の先端が騎士を二人まとめて束ねてぶっ飛ばし、ついでに扉も破壊してこじ開けた。
「ほーら、開きましたよ」
「行動にも微塵も平和主義の欠片がなかったようだが……」
「私は平和を求めているので私が行うこと全てが平和なのです」
「テロリストの理屈だからなそれ」
「……ハクラ、怒りませんね?」
「今回に限っちゃお前がやらなきゃ俺がやってたからな」
つーか怒られると思ってやったのかこいつ。
どれだけ神経が図太いんだ。
「ななななななななななぁにをしてるんですかあああああああああ!」
そして本気でブチ切れている奴がいた、まぁ当たり前か。
「よ、よりによって神聖なる教会の扉を、し、しかも、騎士たちまでっ、も、問題ですよ! ギルドと教会の間で、問題になりますっ!」
「いや、別に俺達、今回は《冒険依頼》で来てる訳じゃないからな」
「あー、そういえばそうですね、つまり個人のちょっとした過ちということで……」
「ということで、じゃありませんよ! 教会騎士を傷つけただけでも重罪です! その上もし、一歩でも許可なく教会の敷地に立ち入ってご覧なさい! 絶対に許さな――――」
「誰が、何を許さないって?」
俺は、少し言葉尻に怒気を込めて、なるべく冷たい視線になるよう表情を作って言った。
「――え、あ、だから、教会の、法規では……」
「なら、お前が止めてみろよ。言っとくが――――」
腰の剣に手をかけて、言葉に詰まったクレセンに視線を合わせた。
「お前が子供であることも女であることも、俺が加減する理由にはならねえぞ」
「――――――っ」
顔をさっと青くして、ふらりとよろめくクレセンを、支えたのはジーレだった。
「っと、あぶねーぞ、っていうか兄ちゃん、あんま驚かすなよ、怖がってんじゃん」
「怖がらせたんだよ。あと、ジーレ、ありがとな」
「? 何が?」
「お前のおかげで確信が持てた、とりあえずそこにいろ、教会騎士に何か言われたら知らんぷりしとけ、いいな?」
「お、おう、けど……」
「大丈夫ですよ、教会とは喧嘩慣れしてますから!」
それは全く何も大丈夫ではない気がするが、まぁいいか、と。
歩き出そうとした俺のマントを、小さな力が引き止めた。
「…………しょ、紹介状か、教会関係者の、同伴がない限り……」
声も手も震えさせながら、クレセンは、俺の顔を見ないまま、けれど確かに言った。
「み、認められて……ませ……」
怯え震える少女が、それでもなおも勇気を振り絞って、無駄だとわかる抵抗をする。
「………………」
こういうのは駄目だ、なんというか、駄目だ。
かといって、じゃあはいわかりましたと引き下がるわけにもいかない。何より逆らうならば黙らせば良いという考えを前面に押し出したリーンという女が杖を振りかぶっている。こいつに人情は本気でねえのか。
「ならば、私が同伴しよう」
俺が何かを言おうとして、口を開いたその一瞬前に、野太い声が割り込んだ。
「っ! あ、あなた、教会騎士……!?」
全員の視線が集まる。教会騎士の鎧に、何故かスライムを抱えている男。
二等教会騎士、デルグ・ルワントン。つまり、教会関係者の正式な同伴者だ。
鎧の腰部に罅が入っているだとか、足を引きずっているだとか、ダメージを受けている形跡はあるが、声は驚くほどはっきりしていた。
「あ、アオ、おかえりなさい」
『うむ、すまぬお嬢。エリフェル嬢を守りきれなんだ』
飛び跳ねてリーンの腕に戻るスライムを見て、ジーレとクレセンが、同時に目を丸くした。スライムが喋った所を見るのは、そういえばジーレも初めてか。
「間に合ったので良しとします、デルグさんも、ここまでアオを連れてきてくれてありがとうございました」
「む……いや、最初は面食らったが……思ったよりも、話せる相手で、驚いた所だ。君達がここに来ているはずだと、進言もしてくれた」
『事情が事情だった故にな。デルグ氏ならば話が通じると判断したまでである』
まぁ、惚れた女のために冒険者に頭を下げるような男だ、さもありなん。
「……しかし、派手にやったものだな」
デルグが、破壊された扉と、伸びた教会騎士を眺め、呆れたように言うと、スライムは、ネックレスに変化することなく、その形のままゆらゆらと揺れながら言った。
『まぁお嬢の先々代なんぞは圧力に腹を立てて、教会の偉い連中が会議している中に真っ向から乗り込んで神殿一つを瓦礫の山に変えたことがある、それと比べれば扉など可愛いものであろう』
「お前らの一族に加減とか躊躇って言葉はねぇのか」
「ハクラだって同じことやろうとしてたじゃないですか!」
「馬鹿、俺はもっとこう、穏便にだな……」
「穏便に何をするんですか」
「蹴る」
「あんま変わんないですよ!」
軽口を叩きながら、俺達は教会の中へと足を踏み入れた。
破壊した扉の向こうには、もう一つ、大きな扉がある。この向こうは、ミサであったり、いろんな催し物だったり、あるいは――魔女を告発する裁判の場であったりするわけだ。ここまで騒いだことだし、今頃向こうでは、今動けるだけの教会騎士たちが、臨戦態勢でズラッと並んで居ることだろう。
『で、勝算はあるのだな、小僧』
「わからん。が、仮説はある」
「あの、それ外したら死んじゃうんですけど私達」
「逃げてなかったことにすればいいんだろ?」
そう言うと、リーンはむむむ、と黙り込んだ。過去の、自分が使った屁理屈に襲われると、何も言い返せなくなるらしい。
「――エリフェル殿を、必ず助ける。私のこの生命に変えても」
デルグが一歩前に先んじて、宣言しながら、大扉を開け放った。
最初に目に入るのは、赤い絨毯が敷かれた大きな階段だ。その両脇に一段ずつ教会騎士達が立ち並び、俺達に対して殺気を放っている。もし事を構える羽目担ったら、コイツらが俺達の退路を塞ぐのだろう。
階段を上がりきった先は、大きなエントランスだ。神父のありがたい説教を聞くための横長の椅子が並び、正面中央には精緻なステンドグラスと、女神サフィアの像がある。
そして、祭壇の前には白い服の少女たちが並び、その真中に、瞳も髪も鎧も、全てが赤い少女が立っていた。
そして――――サフィア像直下にある十字架に、女が一人、磔にされていた。胸元を暴かれ、魔女の逆印がむき出しになっている。肌は白く、呼吸の様子がわずかに伺える程度だ。
「エリフェル殿!」
デルグが叫んだ。しかし、この場においてそれは、魔女を庇護する異端者の行為にほかならない。無言でありながら、空間を押しつぶすような感情の『圧』が俺達を飲み込んだ。
「――――どういうつもりなの、か」
その『圧』を取り込むように発せられた声色は驚くほど澄んでいるが――にじみ出る怒りを、隠すつもりはないらしい。
「説明してもらう――わ。もちろん」
特級教会騎士、ルーヴィ・ミアスピカは、赤い秘輝石を有する右手で、装飾過多な――しかし間違いなく業物であろう細剣を剥き身で構え、俺達に告げた。
「返答次第では、命はない――わ」
そして。
「あら、アナタ達、なにしにきたの?」
その隣には――髪の毛を短く刈り上げられ、様相の変わり果てたコーメカの姿があった。簡素なローブに、右手を隠す革の手袋。それでも顔には、自身と余裕が満ちていた。
「そりゃ、決まってんだろ」
これからやろうとしていることは、間違いなく大事だ。いや、もうすでに大事になっていて、とっくに取り返しがつかない。
しかし、ここまで来たら、もはやハッタリの一つでも言わねば、嘘というものだ。
俺はコーメカを指差した。
「ギルド所属、B級冒険者ハクラ・イスティラが告発する」
だいじょーぶですよ、と隣のリーンが言った。それだけで、わずかにあった不安や疑問は、無くなった。
この場にいる全員に聞こえるように、どちらにとっても言い逃れが出来ないように。
「魔女はテメェだ、コーメカ・エスマ!」
魔女の告発を高らかに宣言した。