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殺すということ Ⅵ



『………………』


 ものすごく今更なことであるが、我輩は会話する相手を選ぶ。スライムが言葉のやり取りを出来る、というのは存外恐怖を与えることが多い為、フォローが効く相手か、怯えない相手、あるいは、現状を現状のまま受け入れる判断力のある相手ぐらいだ。


 故に合理的な冒険者達は、『まあ喋ってるならそんなこともあるのだろう、気にするだけ時間の無駄だ』と受け入れてくれることが大半ではあるが、それはそれとして魔物だから殺す、という主義の者も居るため、そのあたりは見極めが肝心である。


 逆に、会話しているところを極力見られてはならないのが、教会の人間である。喋る魔物など、魔女の眷属に違いないと断じられる可能性は非常に高いし、実際そういったことも何度かあった。

 だから、我輩は今悩んでいる。

 未だ意識戻らぬエリフェル嬢を前に、思いつめた顔をしたデルグ氏を、呼び止めるべきか否かを。


「……私は無力だ、あれだけ努力してきた貴女に報いることができない……!」


 大の男が、歯を食いしばり唸っている。悔しさと、滲み出る怒りはどうした所で隠せぬものだ。


「だが、貴女を死なせるわけには行かない。私が……」


 膝を付き、意識のないその手を取って、デルグ氏は自らの額に当てた。騎士が忠誠を誓い、命を捧げる決意を示す、儀礼的な行為。


「エリフェル殿。どうか、お許しください。私が――必ず私が魔女の正体を暴きます」


 何故お嬢達を待たないのか。何故一人で動こうとしているのか。我輩は呼び止め、尋ねるべきなのだ。『何があったのか』と。

 デルグ氏が手を離し、顔を上げ、立ち上がるのと。

 我輩が、熟慮の末に声を上げようとしたのと。

 部屋の扉が開け放たれたのは、ほぼ同時だった。



「彼女――なのです、ね」



 雪解け水によって生じた清流が、意思を持ったような声であった。

 豪奢に飾り立てられた白銀の鎧。反するように、幼い相貌、火の粉を束ねたような赤髪は、短く切りそろえられている。

 室内に入ってきた幼い少女(、、)は、部屋を一瞥すると、首を傾げた。


「デルグ二等騎士。あのスライムは――何です、か?」


 今のエリフェル嬢の額の上で氷のうとして務める我輩を、冷めた瞳で見つめ、その少女は言った。

 明らかに年上であるデルグ氏に対し命じ、逆にデルグ氏は背筋を正し直立すると、敬礼を持ってこう応じた。


「ハッ! ルーヴィ特級騎士(、、、、)殿! あれなるは――」


 デルグ氏が来る前から我輩はここに置かれていたので、わかりようもない質問であった。推測ぐらいは出来るであろうが、我輩としては極めて嫌な予感がする。


「――恐らく、冒険者が熱冷ましの為に用意したスライムかと――――」


 一閃。

 我輩の肉体は、二つに分かたれた。エリフェル嬢の頭から吹き飛ばされ、ベシャリと壁に叩きつけられ、大変な事になってしまった。

 認識できる範囲で言うのであれば、ルーヴィと呼ばれた少女が何らかの手段で攻撃したのだろうが。

 なにせ予備動作もなければ殺気のような物もなかった為、我輩、切られて一拍置くまで(、、、、、、)、気づかなかったほどだ。

 まぁそれそのものは重要ではないではないのだが、問題は我輩、生きていることを悟られたら、死ぬまで斬られるであろうことから、死んだふりを続ける以外、出来ることがないのである。


「魔物で熱冷まし――冒険者のやりそうなこと、ね」


 高い声でそう告げると、エリフェル嬢に近寄り、顔を眺め、そして、布団をめくりあげ、強引に服の胸元を開いた。

 浅い呼吸で上下に動く胸の一点を見つめ、ルーヴィ嬢はこう告げた。


魔女の印(、、、、)――告発は事実だった、わ」


 それは決定事項を告げる口調であった。意見を求める余地など絶無の、権力を持つことに慣れている人間の言葉であった。


「お待ち下さいルーヴィ特級騎士、その印は逆印! 彼女を呪った魔女は他に――!」

「痴れ者」


 またも、見えぬ動きだった。かろうじて、肩から先が揺れた事が伺えたので、恐らく殴ったのであろうが――鎧に身を包んだ大の男が、浮き上がるほど吹き飛んで、本棚に突っ込み、苦しげな息を吐き出した。


「結論は――でている、わ。それとも、アナタは他に、魔女の名前をあげられる? この、私の前で……」


 デルグ氏は直立不動のまま、唇を噛んでいた。


「彼女の身柄は我々――【聖女機構(ジャンヌダルク)】が預かる、わ?」

「……おま、ち、ください……ルーヴィ、特級、騎士…………」


 無論、待つことなどするはずもない。ルーヴィ嬢が指をぱちんと鳴らすと、白い礼服を身にまとった女性たちが、一斉に部屋に雪崩込み、あっという間にエリフェル嬢を大きな白布で包み込み、運び出そうとする。


「ぐ、ぬ…………」

「異論があるなら……呼ぶがいい、わ。彼女を呪ったという、魔女の名前、を」


 その幼さで何があれば、視線で大人を黙らせるほど、冷たくなれるのであろう。


「命を賭ける覚悟があるなら、ね?」



 テーブルの上に料理がなければ、店員から白い目で見られる。俺達は店を出て、エリフェルの家に戻りながら、話の続きをしていた。


「アレンさんが冒険者をやめた理由はクラウナさんと結婚する為です。そして、結婚する直前、というタイミングで殺されてます」


「だから同じパーティだったコーメカが怪しいって? その程度の理由で、魔女になってまで復讐をしたってのか?」

「コーメカさんがアレンさんを好きだったとしたら、十分理由になるでしょう?」


 そりゃ、俺だってコーメカは怪しいと思う。だが『怪しい』だけだ。


「だとしたら、殺すのは相手の女の方じゃないのか」

「そこで殺す相手をクラウナさんだけにするような女性は、そもそも魔女になりません。悪魔が囁く時はいつだって、人間が絶望した時なのです」

「絶望?」

「冒険者として一緒に過ごして、信頼を育み、そして愛を抱いていた相手が、知らない間に別の女と結ばれる為に、自分と手を(、、、、、)切ろうとした(、、、、、、)。当人から見たら何より残酷な裏切りですよ。絶望して、悪魔に体を委ねるには十分すぎるぐらいに」


 裏切られた。だから憎い。殺したい。アレンも、自分からアレンを奪ったクラウナも。何なら、二人が未来を築くはずだったその村も、全て。

 その殺戮は、人の手では成しえない。抱いた恨みを、憎しみを、晴らすことができない。だから――魔女になった。


「……そんな理由で、あんなことができるのか?」

「そんな理由であんなことができるから、魔女と呼ばれるのです」


 まったく、人間ってわかりませんねー、と他人事のようにリーンは呟いた。


「……今のはむしろ、人間を理解してないと出てこない発想なんじゃねえか?」

「単純に同じパターンで魔女になった人が多すぎるだけです、ここ百年前後で生まれた魔女は、だいたいそんなもんですよ」

「………………」

「あとですね、私達に初めて会った時、言ってたじゃないですか。アレンさんがまさか魔女に殺されるだなんて、って」

「ああ、そういや…………あ?」

「レストンの件は確かにギルドに報告しました。けどアレンさんが(、、、、、、)魔女に殺された(、、、、、、、)、だなんて、私達は報告してません、状況証拠でしかありませんでしたから」


 それは――――殺した当人しか。少なくとも、あの場でアレンの死体を検証したものでなければ、わからない事だ。


「……なら、俺達でコーメカを告発するのか?」

「一番早いのはそれだと思うんですけど……んー、まぁあれです、間違ってたら謝って逃げればいいんですよ」


 世界最大の一神教相手に、やろうとしている事があまりに不信心すぎる。

 告発にミスったら死ぬと脅してたのはどこのどいつだ。


「……ちなみに、どうやって魔女を判別するんだ?」

「エリフェルさんの家でも言いましたが、魔女には必ず、体表のどこか(、、、、、、)に魔女の印が浮かびます。大体見つけにくい場所につける場合が多いですが」

「……場所は任意で決められるのか?」

「はい、契約した際に。ただ、体から切り離したり、焼き潰したり、あとは穴を開けたりとか、印が判別出来ないようになると、他の所に新しい印が浮かびます、これはコントロールできません。なので、最初に分かりづらい所に隠すのが基本です」

「例えば?」

「眼球の中に印を浮かべさせて、色硝子(コンタクトレンズ)を被せて隠していた魔女もいました。実際それで告発を免れたこともあったそうです」

「それ、後で大変だったんじゃねえか?」

「そりゃもう大問題だったらしいですよ、何せ告発者はその頃はもうとっくに死んでますし、教会は非を認めないですし」

「………………」


 この時、俺の頭の中で、何かが引っかかった感覚があった。


「? どうしました? ハクラ」

「いや、肝心なことを見落としてる気がするっつーか……違和感を見落としてるっつーか」

「そ、そういう言われ方するとものすごい不安になるじゃないですか……」


 俺達はこれから、コーメカを告発する。なぜなら動機がありうる人物であり、エリフェルと明確に敵対していた、という客観的事実もあるからだ。


「…………なあ」

「はい?」

「……エリフェルは魔女を探してた。そして魔女はそれを見抜いたからこそ、エリフェルを呪った。だよな」

「そのはずです、じゃないとエリフェルさんをわざわざ呪う理由がありません」


 言葉にして並べるとその通りだ。だが、引っかかった部分が、するりと抜けていく感覚がある。


「……なぁ、お前だったらさ、自分を魔女だと(、、、、、、)疑ってる相手(、、、、、、、)を呪うか?」

「へ?」

「だってどう考えてもコーメカが一番怪しいだろ。事件に魔女が(、、、、、、)関わった可能性(、、、、、、、)がある(、、、)のと、魔女が確実に(、、、、、、)関わってる(、、、、、)んじゃ、全く違う。天地ほど違う。わざわざ魔女の存在を確定させて、コーメカに得はあるか?」

「そりゃあ、口封じさえしちゃえば後はどうとでもなるからでは?」

「けど、現状はそうなってない。仮に俺達が居なくても、呪われたエリフェルはデルグが見つけてただろ、そうすりゃやっぱり魔女の存在が確定する。仮にエリフェルを呪い殺せても、教会の魔女狩りは続くだろ」

「そんなの、リスクとリターンを比べて、リターンを取った結果なんじゃないですか?」

「いや、そんな危険な橋は渡らないはずだ」


なぜなら。


「コーメカは冒険者だ(、、、、)。例え根源に嫉妬や憎悪があったとしても、最終的には合理的に動くはずなんだ。じゃなきゃ魔女になんてなってない」

「……どういう意味です?」

「復讐するだけなら殺す方法なんていくらでもあるだろ。アレンは秘輝石(スフィア)を外して冒険者を引退してたんだぜ。対してコーメカはバリバリの現役で、その上錬金術師と来てる。毒でも武力でも何でも殺す手段はいくらでもあるはずだろ」

「それは……そんなことをしたらバレちゃうからでは?」

「そう、だからコーメカは自分の仕業だと誰にも知られず、アレンを殺す手段として魔女になることを決めたんだ。復讐が終わった後も罪に問われず、これからも悠々自適に生きていくために」


 魔女であることは、バレれば死(、、、、、)だが、バレなければ(、、、、、、)得しかない(、、、、)のだ。

 それは極めて合理的な判断だ。プラスしか無い、まさしく理想の答え。


「だったらコーメカがすべき事は魔女の存在を徹底的に秘匿して、隠し通す事だ。わざわざ魔女の力を使って呪い殺すのはデメリットのほうがデカすぎる」

「……だから、コーメカさんは魔女じゃない、ですか?」

「………………」


 だが、その結論は出てこない。俺達が知らない、エリフェルが探りを入れていた他の魔女候補が居る、という可能性も決してゼロではない、が。

 もしコーメカが魔女でなかったら、それこそ事態はちぐはぐ(、、、、)で噛み合わなくなる。前提条件が無くなってしまう。


「……呪いを使えば、魔女として告発される危険性がある……いや」


 言い換えるなら、こういう事も出来る。


「……呪いを使えば、魔女として(、、、、、)告発される(、、、、、)可能性が生まれる(、、、、、、、、)……?」

「あの、それはどういう……ひゃっ!」


 言葉を言い切る前に、ドスンと音を立てて、何かがリーンの背中にぶつかった。転びはしなかったものの、対面にいた俺に正面から突っ込んできたので、反射的に受け止めてしまった。


「いてて、ごめんなさい! ちと急いでて…………って、あれ?」

「ちょっと前見て歩いてくださいよ慰謝料を請求しますよ……って」


 人の肩を掴みながらも声たかだかに図々しい要求をしようとしたリーンの言葉が止まった。お互い顔を認識しあって、先に口を開いたのは向こうだった。


「ハクラの兄ちゃんとリーンさんじゃん!」


 まだ新しいマントに、軽装の革鎧、腰から剣をぶら下げ……そしてなぜか右手に花束を持っている、見慣れた顔……ジーレ・エスマが現れた。


「ジーレ!」「ジーレくん!」


 俺とリーンの声が重なった。うお、と驚いてジーレは一歩下がった。


「な、何だよ、びっくりすんなぁ……どうしたんだよ?」

「こっちの台詞だ馬鹿お前この馬鹿!」

「すげぇ馬鹿って言うなよ何だよ!」


 何せぶっ倒れる前のエリフェルが意味深に言及していた相手である。俺とリーンに詰め寄られて、慌てふためくジーレだが、しかしどう切り出したものか。


「ジーレくん、最近変わったことはありませんでしたか? こう、エリフェルさん絡みで」

「ど直球かお前」


 ぼかすとか誤魔化すとか、そういう真似が一切なかった。


「そう、それ、大変なんだって! エリフェル姉ちゃんが!」


 そうだ! 思い出したように、ジーレは叫び、リーンのマントの裾を掴んだ。


「エリフェルさんがどうかしました? 部屋で寝てるはずですけど……」

「全然情報古いよ姉ちゃんそれ! やばいんだって! 教会が――」


 その続きは聞きたくなかった。激しく嫌な予感がする。


「エリフェル姉ちゃんを魔女だ(、、、)って言って、連れていっちゃったんだ!」


 は? と、俺とリーンは、同時に顔を見合わせた。


「エリフェルが魔女!? なんでだよ!?」

「わかんないよ! エリフェル姉ちゃん家に行ったら、知らない教会の奴がいてさ、すげーこえーの。そんで話聞いたら魔女とかなんとか言うもんだから、ふざけんな馬鹿ってスカートめくったら滅茶苦茶キレられて、今逃げてたとこ」

「度胸あるなお前」


 ジーレはありえねー、と繰り返し言いながら、俺を見上げた。


「もー、わけわかんねえよ、アレン兄ちゃんはいつの間にか死んじまうわ、エリフェル姉ちゃんは魔女扱いされるわ……」

「待て。お前、アレンの事を知ってんのか?」

「え? そりゃそうだよ、俺、ギルドで雑用してたんだぜ。アレン兄ちゃんとコーメカさんが、だいぶ前、言い争いしてるのは見たから、心配はしてたんだけどさ……」

「言い争いって、何してたんですか?」

「何って……コーメカさんがパーティを解散したくないって叫んでたり、あんな女のドコがいいのとか、ずっと一緒に居たのは私なのに、とか……皆迷惑そうにしてたし、俺もあまり聞いてたい話じゃなかったから、耳を立てたわけじゃねえけど、仲裁に入ったのはいっつもエリフェル姉ちゃんだったよ」

「…………」

「ハクラ?」


 不意に考え込んだ俺を、リーンは不思議そうに見つめる。それには答えず、俺はジーレに尋ねた。


「……なぁ、ジーレ、一つ聞きたいことがあるんだが」


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