殺すということ Ⅳ
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「私は一度、教会の支部へ戻る。エリフェル殿は、とても告発が出来る状態ではないからな……手続きを取り消さねばならない」
そう告げたデルグと別れた直後、リーンが空腹を訴え、とりあえず食事処へ向かう事になった。
昼飯時だけあって、店内は人でごった返し、カウンターの一人席ですら埋まるほどの大盛況っぷりだった。俺たちが席に着いてから十分足らずでこの状況になったことを考えると、タイミングが良かったのだろう。
冒険者の姿もそこそこ確認できるが、ほとんどは街で働く職人だ。おかげでリーンは一際目立ち、ちらちらと視線を投げられている。これが夜ならば一声かけてくる奴も居るだろうが、あいにくと彼らには食事の後も仕事が残っているのだ。
まぁ、本人はそんな周囲の反応をまったく気にした様子もない。慣れているのだろう。俺も慣れた。
「ワォン」
以前来た時と同じコボルドが、以前来た時と同じように料理を置いていった。
良い海老を仕入れたとかでオススメされた海鮮グラタンは、フォークを突っ込んで具を持ち上げると、大量に溶けたチーズがこれでもかと絡みつく。それを固く焼いたパンに乗せて食べるのがこの店の流儀らしい。
常人はこれに『冷ます』という過程をはさむのだが、俺の眼前にいる女には常識という概念はないので、パンの上でまだぶくぶくと蠢くチーズをそのまま口に入れて、熱がる素振りも見せず飲み込む。
「……お前は胃袋じゃなくて舌までイカれてるのか……」
「あ、熱々のうちに食べるのが一番美味しいんじゃないですか! なんですかもーそのちまちまとした女々しい食べ方は」
「お前に食事の作法についてとやかく言われるのは死ぬほど腹立つんだが」
軽く皿をフォークで混ぜて冷まし、少しずつ口に運びながら。
「で、具体的にどうするつもりなんだ? 魔女探し」
「ふふん、手は考えてありますとも。お昼ご飯を食べたらすぐに動きます」
「いや、飯食ってる間にエリフェルが死んだらと思うとなかなか喉を通らないんだが……」
「大丈夫ですよ、アオもついてますし」
口に入れたグラタンを、はふはふと味わいながら、リーンは指をくるくると回した。そう、スライムは未だ氷のう代わり兼見張り役としてエリフェルの頭の上にいる。
「あと一晩は保つと思います」
「あと一晩しか保たないのか……!?」
「エリフェルさんの体力が万全なら何とかなったかも知れませんが、呪い云々関係なしに、元々消耗してたみたいですから」
デルグが言っていたように、個人が魔女を探す、という事自体、相当な重労働だろう。まして誰の手も借りず、自分の仕事が終わった後に独自に動いていたとしたら、そりゃあ消耗もするというものだ。
「……エリフェルの意識が戻れば、正体のヒントぐらいは手に入るのにな」
「いえ、それはわかってるんですが」
「せめて何か手がかりがあれば………………今なんつった?」
「魔女の特定はほぼ済んでます、あれ、言ってませんでしたっけ?」
「聞いてねえよどの段階でどこからそうなった!」
「説明すると長くなるんですけど……そうですね、じゃあハクラ、ちょっとした講義をしましょう。この際ですから、魔女について、少し詳しく知ってください」
「……必要か? それ」
この時俺は、露骨に態度と表情で、拒否を示した。本音を言うなら、魔女の話なんざしたくないし、聞きたくない。作業の最短ルートは見つけて殺すの二工程でいいのだ、理解を深めれば深めるだけ、嫌な記憶を思い出す。
だが、リーンは、そんな俺をじぃ、と見上げた。
「ハクラは、魔物を討伐する前に下調べをしない方ですか?」
そう言ってから、リーンは、あ、と小さく声をあげた。
「すいません、しないんでしたね……突然変異のヒドラにボコボコに殺されかかるぐらいですから……変なこと言ってごめんなさい、忘れてください……」
「滅茶苦茶腹立つなお前……」
ヒドラにボコボコにされて命を助けられた身の上としては流石に殴る事もできない。俺は舌打ちをしてから、一呼吸、間をおいた。
「……お前はそれが必要な事だと思うんだな?」
「はい、少なくともハクラは知っておくべきだと思います」
リーンの表情は真剣だ。リビングデッドに関して語っていた時や、人食いコボルドの危険性を語っていた時と同じ顔。からかいや冗談のない、真剣な専門家の顔。
ならば、同伴者たる俺は、それを聞くしか無い。冒険者は合理的でなければならない、知識が必要だと雇い主が言うのだから、受け入れよう。
「わかった、聞こう」
「素直でよろしいです」
リーンはそう言いながら、テーブルに置いてあった紙ナプキンを一枚手にとった。
「魔女というのは、悪魔と契約した女性の事です」
「悪魔?」
「はい、簡単に言うと、私達と違う世界に住んでいる何か、です」
違う世界、と来た。怪訝そうにする俺の目前で、紙ナプキンが白い指先によってひらひらと踊った。
「いいですか? こうして私達が立って、呼吸をして、生きているのが、この紙ナプキンのこっち側だと思ってください。一方悪魔は……」
ひらり、と紙ナプキンが裏返った。『俺達がいる世界』と呼んだ場所の、裏側にリーンの指が触れた。
「反対の側に存在しています。私達が居る表側の世界に対して、裏側にあるので、魔女の間では裏界、と呼ばれています」
「…………」
「そんなすごい釈然としない……! みたいな感じで見ないでくださいよ。とりあえずこれは飲み込んでもらわないと、話が先に進みません」
「ち、仕方ねえな、受け入れてやるか……」
「ひょいぱく」
「あ! テメェ俺の海老食うな!」
「今から私に対して反抗的な態度をとる度にハクラの海老が一つずつ無くなる事になりました」
「横暴か!」
そういうルールになったらしい。
「さて、昨今錬金術の目覚ましい進展のおかげで、この何もないように見える空間には、実は色々なものが含まれていることがわかっています。私達は空気を吸って呼吸をしないと生きていけませんが、裏界には空気の代わりに、とあるものが満ちています、それが――」
リーンは、行儀悪く、空気をフォークでかき混ぜながら言った。
「魔素です」
魔素。昨今では冒険者以外の人間ですら、知らずにその力を使っている。が、それが厳密に何なのか、まで答えられる人間は、ほとんど居ないだろう、俺だって存在は知っているものの、じゃあそれがどういう存在でなぜここにあるのか、と言われたら答えられない。
「さて、魔素といえば真っ先に思い浮かぶのはなんですか、ハクラ君」
説明モードに入ったリーンは、楽しげに俺に聞いてきた。語り始めると饒舌になるのがリーンの癖だ。
「そりゃ魔物と魔法だろ」
「大正解です、やるじゃないですかハクラ」
「しゃらくせえな!」
俺はリーンのグラタン皿にフォークを突っ込んだ。
「あー、私の海老!」
「クイズの報酬はきっちりもらうぞ」
「人の物を盗るのは泥棒ですよ!」
「最初に盗ったのはお前だ!」
突如マジ切れして俺のグラタンを全部喰う暴挙に出ないか若干身構えたが、ちぃ、と恨みがましげに睨んでくるだけだった、いや、それも怖いといえば怖いが。
「とりあえず、その認識で大体あってます。魔物は生物や物体が魔素によって変質したもの、魔法は魔素を変質させて任意の現象を引き起こす技術です。他にも錬金術や歯車学にも使われてますし、今や私達の生活に欠かせないものです、それに、私達冒険者にとっては、秘輝石ですね」
リーンの手の甲に埋め込まれたエメラルドグリーンの秘輝石が、窓から射し込む陽光を受けて、キラリと輝いた。
「私達の身体能力が跳ね上がるのも、魔素の影響です。秘輝石によって人間の体内に安全に魔素を取り込めるようにしてる訳です」
冒険者が魔物と渡り合い、戦える最大の理由、秘輝石。
神経に根付き、体の一部となり、時と共に色彩を変える冒険者の証となる宝石。
その秘輝石が身体能力を上げる仕組みは、魔物と使っている力が同じなだけなのだと、俺達は石を入れる直前で、ギルドに説明される。
別に羽が生えたり角が生えたりする訳ではないが、嫌悪感や忌避感を覚える人間は当然居るからだ。
特に――サフィア教においては魔素は邪悪なる悪魔がこの世に齎した汚らわしい力だ、としている為、信徒達は忌避する傾向が多い。もちろん例外もあるが――――それに伴って教会騎士と冒険者は仲が悪かったりする。エリフェルの問題があったとはいえ、共闘を申し入れてきたデルグの方が稀なのだ。
「いや、確かにサフィア教の言ってることには、正しい側面もあるんですよ」
うーん、と僅かに唸って、リーンは話を続けた。
「私達の世界には、人も魔物も動物も植物も、水も大地も石も空気も、色んなモノがあります。ですが」
「ですが?」
「裏界には魔素以外何もありません。そして私達の世界には、とある理由から魔素がほとんど無かったんです」
コップの水を指につけて、紙ナプキンを触る。水が染みて、柔らかくなり、そして穴が開く。
「私達の世界と裏界の間に、穴を開けた人が居るんです。そこから、魔素が大量に流れ込んで来て、世界に魔素が満ち溢れた。その影響で、この世界にいた動物が魔素を取り込み、死なずに適応した一部の種族が魔物と呼ばれるようになりました。草木は枯れ、人の立ち入れない暗黒大陸なんてものまで生まれてしまいました。大体、二千年ぐらい前の話です」
「……なぁ、それって」
リーンの話をまとめると、こういう事だ。
魔物という存在を、この世界に生み出した奴がいる。