殺すということ Ⅲ
ギルドからそんなに離れていない、古ぼけた一人暮らし用の三階建てアパートメント、その二階の一室がエリフェルの自宅らしい。
服から鍵を拝借し(勿論リーンが)、扉を開けた。ギギギ、とこするような音がする、どうも建て付けはよろしくないようだ。
「ん?」
ひらりと小さな白い紙片が舞った。扉に挟み込まれていたのだろうか。
「よいしょぉー!」
先に室内に入り込んでいたリーンは、ベッドを確認した瞬間、エリフェルを躊躇なく投げ捨てた。うん、さっきまでの気遣いは何だったんだこいつ。
「いやいや、ちゃんと診ますから大丈夫ですって。アオ、お願いします」
『うむ……氷のう代わりになるのは久しぶりだな』
いつの間にかペンダントから元の形に戻っていたスライムが、リーンの手によってエリフェルの頭に乗せられた。むるむると青い身体を蠢かせながら唸る。
『まずいな、かなり熱が高い。急場しのぎにしかならんぞ、お嬢』
「その急場がしのげればそれでいいです、あ、ハクラ、あっち向いててください、ちょっと着替えさせないと」
「ああ、何なら部屋の外にいるけど」
「やること無いならお湯でも沸かしておいてください、身体も拭いてあげたいですから」
そう言われては働くしか無い。許可なく人の部屋に居る、という居心地の悪さは如何ともし難いが、とりあえず水を拝借することにした。
エスマは金さえ払えば各家庭で水道が使えるが、料金は決して安いものではない。導入しているのはある程度金に余裕があるか、あるいは公共の井戸から水を運ぶのが手間な人間で、エリフェルは恐らく後者だろう。
蛇口をひねると清水が出てきた。同時に、真横に備え付けられた歯車仕掛けが動き出し、使用料金を示すカウンターの数字が回る。
半分ほど注いだ所で水を止めて、俺は腰に下げた袋から、指で摘める小さな赤い石を一つ取り出して、中に入れた。
「……後で代金は請求していいよな」
火石、と呼ばれる錬金術によって生まれた鉱石の一種で、液体に入れると反応を起こし、その温度をあげてくれる優れものだ。小さな粒でも、この程度の量の水なら五分で沸騰させてくれる。火を焚かなくても湯が沸かせる、ありがたい道具なのだが、これもやはり結構高価い上に使い捨てで、一度水に浸して反応させてしまうと、後は溶けて消えるのみである。
「何やってんだかな……」
金にならない作業をしていると、心が悲しくなってくる。なんとなく、視界に入った範囲だけ、室内を見てみた。
小奇麗というか、部屋の主の人間性がよく出ている、掃除が行き届き、物が整った部屋だった。とにかく『何がどこに置かれるか』が完全に決まっており、そのルールに従って配置されている、という印象だ。巻数がきれいに揃えられた結構な数の本が棚に並んでいる。他にも、革細工の壁飾りや装飾品等が、壁に鋲で止められていた。
「…………」
これは個人的な感覚だが、定住をしない冒険者というのは当然のことながら私物が少ないので、こうして住人の人柄が見える部屋、というのは、絶妙に居心地が悪い。まして一人暮らしの女の部屋ともなればなおさらだ。
「……勝手に入っちまったけど、不可抗力だよな」
ガサガサと布がこすれる音が、隣の部屋から聞こえてくる。やっているであろう事を考えると、なんとも落ち着かない。
「あっ!」
丁度、火石が水をお湯に変えてくれた頃合いになって、リーンが叫んだ。
「どうした?」
「ハクラ、見てくださいこれ!」
そう呼ぶから、もう着替えさせ終わったのだろうと思って、桶を片手に隣室に戻った俺の視界に入ってきたのは、陶器か何かかと思うほど、血の気の失せた白い肌がむき出しになった、上半身を下着だけ残して全部脱がされたエリフェルの姿があった。
「おっ、ま――――」
あまりの事態に目を逸らす事が出来なかったのは、紛れもなく俺の不覚なのだが、しかしなんだこの、こいつ、馬鹿じゃないのか。
「やっぱりありました、これは……ヴェルペェル系統ですかね、けどあまり高い位階じゃなさそうな――」
その胸元、白い布に包まれて柔らかくたわむ、二つの丸みの右側のほくろを指した。
いや、ほくろにしては少し大きい。それに、鉤型が三つ並んで円になったような形をしている。
「何だこれ」
「ですから、魔女の――」
そこで、リーンはおや? と首を傾げ、そしてエリフェルと俺を交互に見比べた。エリフェル、俺、エリフェル、俺。そして怒鳴った。
「…………何見てるんですか! こっち向かないでください! ハクラのすけべ!」
「理不尽にもほどがあるだろ!?」
釈然としなさすぎて普段なら何かしら反撃に打って出る所だが、人様のあられもない姿を見てしまった罪悪感でそれどころではない。リーン達に背を向けながら、俺は叫んだ。
「ああもう! 何があったって!?」
その続きを言い切る前に。
バァンッ! と。
無造作に、そして勢いよく、扉が開け放たれた。
続いてガチャガチャと金属の擦れ合う音と共に現れたのは、首から下を包み込む頑強な金属鎧を纏い、腰に収めた長剣の柄に手をかける男の姿だった。
厳つい角張った顔は怒りで歪み、俺達を睨みつけている。
「――貴様ら、何をしている」
外見から抱くイメージ通りの低く太い声には、抑えきれない殺気が込められている。武器を持つ手が震えているのは、恐怖や怯えではなく、怒りによるものだろう。
「…………えーっと」
お前こそ何なんだと言いかけた、が。
はたと気づく。そういえば俺もリーンも、エリフェルは勝手に一人暮らしなのだと思いこんでいた。
だが、考えてみれば、家族や恋人が居ないとは限らない。もし目の前の男が、例えばエリフェルと別居している兄だったり、付き合っている彼氏だったりしたらどうだろう。
客観的に見て今の俺達は人の家に勝手に入り込んで、意識のない家主の服を脱がせている不審者だ。そりゃあいきなり武器も持ち出さんというものだ。
「今すぐ彼女から離れろ、今すぐにだ」
「いや、俺達は」
事情を説明しようと手を上げるが……男はその動作すら許すつもりはないようだった。
「離れろ、と言っている!」
張り上げられる怒声の圧に、部屋全体が軋んだ。ビリビリと震える空気の向こう、もうこちらがぴくりとでも動けば、迷わず剣を抜き放つだろう。
(――面倒くせぇな)
エリフェルと男がどういった関係かわからない以上、ヘタに傷つける訳にはいかない。とはいえ、斬りかかられたら反撃せざるを得ない。
男の構えの隙の無さから、場数を踏んだ戦士であることははっきりしている。加えてあの体格だ。剣を打ち放たれたとして、真っ向から受け止めるのは難しいだろう。
「……わか」
わかったから落ち着いてくれと、とりあえず交渉を試みようとした瞬間。
「うるっさーいっ!」
リーンが怒鳴った。
「病人の前でごちゃごちゃうるっさいんですよ! 黙っててください静かにしてください! ハクラ、お湯まだですか! そこのおじさんも! 突っ立ってないで布なりなんなり持ってきてください!」
「お、おじさん? 私か?」
「あなた以外誰が居るんですか!」
話の腰を折られ、呆気にとられた俺と男は目を見合わせ、そしてとりあえず、キレたリーンが怖かったので、それから少しの間、お互いの素性も状況もよくわからんまま、指示に従わされる羽目になった。
○
触れた部位から熱を奪うのは我輩の得意な事の一つである。昔、お嬢やその姉妹が熱を出した時も、こうやって額に乗っていたものだ。
体を拭いて、着替えさせて、横にしたのが幸いしたのか、エリフェル嬢の容態は、大分落ち着いた。代わりにタンスの中身がお嬢によってぶちまけられ、綺麗にたたまれていた衣服のたぐいは見るも無残な事になっているが、これはまぁ必要経費であろう。
今は静かに寝息を立てている、が、熱が下がったわけではないので、我輩は引き続き氷のう係である。
「すまなかった、その、エリフェル殿になにかあったものと、早合点した」
「何かあったかと言われると、まぁあったんだけどな……」
幸い、お嬢達がエリフェル嬢を介抱していた事、それに至る経緯を説明すると、男は納得し剣を収めた。隣部屋に移動し、お互い武器と鎧を外し、とりあえず話しあおう、という事で、今に至る。
「……二等教会騎士、デルグ・ルワントンだ」
「ルワントン? 教会の総本山じゃないですか」
大陸にはそれぞれ国があり、国は街や村を治め、つまり人々を治めている。
一方、国に依存せず、独立している組織も多数存在するが、その勢力が国という単位と比肩しうるのは、ギルドと教会の二つだけである。
ギルドが冒険者達を勢力に数えるのならば、教会は信徒を勢力に数える。女神サフィアを主神とする、世界最大規模の一神教である。どちらも多数の人間がありとあらゆる場所に存在し、その活動拠点を世界各地に持っている、という点で共通する。故に、通常ただ教会と言った場合、それはサフィア教のそれを示す。故に教会と呼ぶだけで話が通じる事も多々ある。
ルワントン大聖堂はそのサフィア教の聖地であり、本拠地である。世界中にいるサフィアの信徒は、人生で一度は巡礼の旅に出て、ルワントンで祈りを捧げる事を夢見ているとすら言われるほどだ。
しかしながら、かの大聖堂は北の果ての手前に存在し、極寒と大雪が支配する白き大地である。南の最果て、リングリーンに勝るとも劣らぬ過酷な環境を前に、それを実行できる者は多くない。
その出身地名を持つということは、大聖堂のある地で生まれ、押し寄せる雪を越え、大陸を渡って、この地へと辿り着いた事になる。
それはさておき。
「別に故郷を離れることは珍しいことではあるまい」
ただでさえ厳つい顔が、更にしかめっ面になった所を見ても、あまり触れられたい話題ではないのであろう。
「では、そちらの名前を聞こう」
「……ハクラだ」
小僧は、お嬢に名乗った時と同じ様に、出身地名をぼかして伝えた。幸い、デルグ氏はそれを追求することはなかった。お嬢とは偉い違いである。
「ハクラ? どこかで聞いた覚えが……」
しかしながら、デルグ氏はその名乗りに片眉をあげ、お嬢がその思考に割り込む様に手を上げた。
「あ、リーン・シュトナベルと申します、リーンとお呼びください」
そして小僧が横向きに倒れた。
「……ハクラ殿にリーン殿か、よろし……どうした?」
「ああ、気にしないでください、ハクラは突如横に倒れたくなる奇病の持ち主でして」
「ちっげーーーーーーーーーーーーーーーよ!」
がばっと起き上がり、その勢いで小僧はお嬢に詰め寄った。
「お前今なんつった!? あぁ!?」
「へ? ハクラは突如横に倒れたくなる奇病の持ち主だと……」
「そんな事実はねえし俺がいいたいのはその前だ! 名前だよ名前!」
「……君たちは冒険者のパーティなのだよな?」
デルグ氏が怪訝そうな目でお嬢達を見た。気持ちはわからなくもない。
「まぁまぁ、後でちゃんと説明しますから。それよりハクラ、怒鳴らないでください、隣の部屋には病人が居ることをお忘れなく」
「…………死ぬ程釈然としねえ……」
小僧が恨みがましい目でお嬢を見た。気持ちはわからなくもない。
なお、我輩は言葉を発しない。デルグ氏も幸い、我輩は熱取り用のスライムだと思っているのか、特に存在を言及されることはなかった。
「で、とりあえず私が聞きたいのは、デルグさんは一体エリフェルさんと何繋がりで、どうして部屋に入ってきたのかという事なのですが」
我輩ら、というより、お嬢達から見たデルグ氏は、推定エリフェル嬢の関係者であるが、具体的にどういった間柄であるかも不明である。まして、いきなり剣を構えて乗り込んでくるほどだ、ただごとではない。
「………………知人だ」
お嬢の質問に、しばらく悩んだ末に、デルグ氏はそう答えた。どことなく躊躇いのある声色であった。
「だが、武器を構えて乗り込んだのは理由がある。以前、エリフェル殿から言われていたのでな」
デルグ氏は小さな紙片をつまんで見せた、小僧とお嬢の視線が集まる。我輩もだ。
「エリフェル殿は平時、この紙を扉に挟んで出かけ、家に入る時は外しているそうだ。即ち、これが処理されず廊下に放置されている時は、エリフェル殿ではない誰かが扉を開けた、という事になる」
「……あの女、常日頃そんな事してんのか」
要するに『非常事態か否か』を予めわかるように仕込んでいたということらしい。それで中を見てみれば、エリフェル嬢の服を脱がしている連中が居たのだ、怒りに駆られてもむべなるかなと言ったところだろう。
「んー、まぁ恨みを買いやすい仕事ではありますから。態度の悪い冒険者を怒らせたら、待ち伏せされて、とかはあるかも知れませんし」
「そんな事はこの私がさせん」
きっぱりと、強い語調で言い切るデルグ氏。お嬢と小僧は、二人顔を見合わせて、そしてデルグ氏をみて、ほう、と同時に頷いた。
「ははぁーん、なるほどー、そういうわけですかー」
傍から見ても分かるほど、ものすごくいやらしい笑みを浮かべ、お嬢はにやにやしながら、エリフェル嬢が眠る隣の部屋をちらりと見た。
「エリフェルさんってば、やりますねえ、まさか教会騎士に手を付けていたとは」
「人聞きの悪い事を言わないでもらいたい!」
顔を真赤にして立ち上がるデルグ氏を、小僧は若干冷めた目で見上げた。
「めちゃくちゃ分かりやすいなおっさん」
「おっさんではない! 私はまだ二十五だ!」
「私より十近く上じゃないですか、おじさんですよおじさん」
「心が傷つくからやめろ! それに……」
「それに?」
「……エリフェル嬢に失礼だ、そういった勘違いは、その、彼女に迷惑だろう」
コホン、と咳払いして、バツが悪そうに座り直すデルグ氏。さすがのお嬢も若干思うところがあったのか、それ以上は追求しようとはしなかった。
「私がエリフェル殿と交流があったのは、彼女から打診があったからだ」
「打診?」
小僧の疑問に、デルグ氏は一つ頷くと、表情を険しくし。
「……君達も冒険者なら小耳に挟んだかも知れんが、先日、レストンという村で事件があった、あれは……」
「あ、それ私達が担当した《冒険依頼》です。エリフェルさんからの斡旋で。教会の人はなんか忙しいとか何とかで動けないとか言われてたので、はい」
さすがお嬢、さり気なく嫌味を付け加えるのも忘れない。『教会の人』であるところのデルグ氏は、それはもう複雑な顔をしていた。
「……であるならば、顛末も知っているだろう。エリフェル嬢はレストンでの一件を《魔女の災厄》として認められないか、と私に尋ねてきたのだ」
《魔女の災厄》。それは文字通り、魔女のもたらした人災であると、教会に認定された事件のことである。もしそれが認められれば、動ける人間を総動員して大規模な『魔女狩り』が行われる事になる。
つまり、レストンを滅ぼしたのは魔女である。少なくともエリフェル嬢は、その確信があるのだ。
「……確証はあるのか?」
「それを知るために、今日尋ねてきたのだ。リビングデッドの発生は、確率は低いものの、自然的にも十分有りうる」
「私も魔女が噛んでると思いますよ」
お嬢が言うと、小僧とデルグ氏はそろって視線を集中させた。
「リビングデッドはともかく、アレンさんを殺したのはほぼ間違いなく魔女だと思います、魔女がよく使う呪詛の一つに《心臓をえぐり出す呪い》っていうのがあるんですけど」
人差し指を立てて、小僧に向ける。
「指さして、名前を呼ぶことで発動する、結構えげつない奴です、冒険者でも隙を突かれたら一発、ですね」
「……実際に一発でやられた奴がいるんだから、どうしようもねえな」
「だが、証拠がない」
デルグ氏は、静かに首を振った。
「アレン殿の遺体は我々も確認したが、心臓に空いた穴が負傷の上、腐敗してできたものか、呪いによって作られたものかの確証が得られないのだ、故に、エリフェル氏の訴えは退けられようとしていた」
「『していた』ってことは、何かまだあるのか」
「ああ……《魔女の災厄》として教会が認めるのは、明確に魔女の被害と判断できる場合か……その実行犯である魔女を見つけた時だ。エリフェル嬢は今日、私に掴んだ魔女の正体を教えると約束していたのだ」
デルグ氏は、傍らにおいた剣を手に取り、その鞘をお嬢達に見せた。
そこに刻まれた、十字架の両端が天秤になっている紋章は、デルグ氏が教会でも異端狩りを専門とする戦士隊――【聖十字団】に所属している事を示していた。
◆
魔女の正体を教会に告げる――つまり、密告する、という行為が最も行われていたのは、俺が知る限り、百二十年前まで遡る。
魔女という存在が最も人間に災いをもたらした最盛期であり、それ故に誰もが隣人を疑った。僅かに魔女かも知れないという疑念を抱けば、即座に密告が行われ、そして魔女とされた女達は、ろくな裁判も行われないまま、ありとあらゆる拷問の果てに、難癖のような罪を着せられて首を落とされた。所謂『魔女狩りの時代』だ。
勿論、密告された中には、本物の魔女も居ただろうが、そうでなかった連中の方が圧倒的に多かったという事は、後年の研究でも明らかになっている。教会の歴史の中でも大きな汚点として名高い、黒の歴史そのものだ。
それから『密告』のルールはどんどんと厳密・厳罰化していった。現代における教会の密告による基準は極めてわかりやすい。
密告された魔女が本物であれば、魔女は処刑される。
しかし、魔女が偽物であれば、罪なき者に咎を負わせたとして、密告者が処刑される。
かつて『ただ気に食わないから』という理由で密告に次ぐ密告が横行した結果、他人を魔女呼ばわりするならその責任は背負え、という形になったわけだ。
教会は権力、経済力を含めたありとあらゆる手段でもって、世界各国の法を越えて、魔女及び密告者に対する処罰権限を持つ。その実行部隊が【聖十字団】と【聖女機構】、教会が有する双璧の騎士団だ。
デルグはその【聖十字団】の一員、つまりいついかなる場所であっても、魔女だと断じる材料さえ揃えば、その場で剣を抜いて、斬り捨てる権限を持っている。
「……じゃあ、エリフェルは魔女の正体を掴んだ、ってことか」
「ああ。ここ数日は調査に明け暮れていたようだったが、それで無理が祟ったのかも知れんな……不憫な」
魔女に対して探りを入れる、ということは、必然、魔女もこちらに手を出す理由になる。エリフェルが扉に仕込んだ罠も、そういった警戒心から生まれた防衛手段だったのかも知れない。
「……なぁリーン」
「はい、ハクラ」
「多分、同じことを考えていると思うんだが」
「ええ、奇遇ですね、私もです」
「……な、何だ? どうした?」
戸惑うデルグに対し、リーンはすす、と俺に説明をするよう手で促した。面倒だが、押し付けあって時間を浪費するような問題でもない、俺は渋々、今日の一部始終の事を説明した。
「エリフェル殿と仲の悪い錬金術師、か……確かに怪しいと言えばそうだが……」
「決め手には流石に欠けるか、せめてレストンに魔女の顔を見た生き残りでもいりゃよかったんだが」
俺がそう言った瞬間。
カタカタカタカタカタカタ、と。
食器棚や花瓶が、小さく揺れた。
「…………!」
俺とデルグは、同時に腰に剣に手を添えた。だが、リーンは特に警戒した様子もなさそうに。
「風か何かじゃないですか?」
「いや、窓、開けてるか?」
「まぁまぁ、不自然に家具が揺れるぐらいよくありますよ」
「いやねえよ何受け入れてんだよ」
しかし、それから数十秒、何も起こらなかった事もあって、結局は身構え損だった。
「……わかった、その、コーメカ、という女については一度私でも調べてみよう。だがそれ以上は……」
「結局、エリフェルが目を覚ますまで待つしかねえって事か」
整頓された机の上をちらりと見ても、書類一枚も見当たらない。引き出しには当然のように鍵がかかっていて、中身を漁るには面倒そうだ。蔵書の中に何か隠しているとしても、それを調べるだけで二日は掛かりそうだ、結局、エリフェル本人の持っている情報を聞くしか無い。
「……そうだ。家主が倒れたまま長居するのもいかんだろう、ここは一旦失礼して」
「いや、放って置いたら死んじゃいますよ」
あまりにあっさりと言い放つので、俺とデルグは一度顔を見合わせて、そして同時にリーンを見た。
「何を根拠にそのような」
俺の代わりに疑問を代弁してくれたのは、デルグだった。
「だってエリフェルさん、呪われてますもん」
対するリーンの言葉は、やっぱりあっさりしていた。
「さっき確認しました、胸元の、えっと、ここのとこですね」
自分の膨らんだ右胸の上部を指さして『ここのとこ』などとのたまったリーンだが、表情は真面目だった。
「魔女の逆印がありました」
「逆印?」
俺の疑問に答えたのは、リーンではなくデルグだった。
「魔女には必ず身体のどこかに《魔女の印》がある。そして呪いの対象となった者には、その刻印が左右反転した物が身体に刻まれるのだ」
「さすが教会騎士、詳しいな」
「かつてはこの逆印すら、魔女の証として首を刎ねられた娘達が居たのだ。無知では済まされん。現在では慎重に、厳密に、逆印であるかどうかを見定めるのだ」
魔女の証拠と、魔女に呪われた証拠、似ているようで全く違う。
「誰がそんな事……ってのは、決まってるか」
エリフェルは、魔女を告発し、罰する為に動いていた。
ならば魔女にとってエリフェルは、殺さなくてはならない存在だ。呪う理由は十分すぎる程にある。
「で、このままだとまずいのか」
「とにかく体力の消耗が激しいです。即死するほど強い呪いじゃないですけど、死なないほど弱い呪いでもないですから――早めに解呪しないと」
「だったら教会にいきゃ、やってくれんじゃねえか?」
「それは無理だ」
またしても、デルグが答えた。
「教会は異端を狩るのと村を燃やすのが仕事ですから、そんな繊細な真似できませんよ」
「お前本当に歯に衣を着せねえな」
いくらなんでも教会の当人を目の前に、と思ったが、肝心のデルグは口をへの字にして、険しい顔をさらに険しくしていた。
「断じてそうではない! が――我々が魔女の呪いに対して対抗策をもたぬのは事実だ、厳密に言うならば……」
「解呪で一番早いのは、呪いをかけた本人を殺すことですから」
「小細工を弄するより正攻法ってことか。けど……」
それはつまり、エリフェルが探っていた魔女の正体を俺達が突き止め、仕留めなければならない、という事になる。
「ただ、幸い、相手は大した魔女じゃないです」
リーンはエリフェルの額に乗せたスライムをぷよぷよとつついて、むむ、と唸った。体温をスライム経由で測ったようだが、あまり芳しく無かったらしい。
「なんで分かるんだ?」
「熱で昏倒させるなんていうのは呪いの中じゃ初歩中の初歩だからです、確実に仕留めたい相手に対してこの程度の呪いしか使えない時点で、雑魚雑魚なんです。逆印も特徴がないですし」
「……リーン殿は、随分と魔女に詳しいようだな」
デルグが、若干不審げな目でリーンを見た。
「探してみますか? 私の身体のどこにも魔女の印はないですよ」
対して、むすっと頬を膨らませるリーン。
「いや、失礼、忘れてくれ。だが……事態は一刻を争うと見た」
デルグは居住まいを正すと、俺とリーンに向き直り、手を前に出し、頭を下げた。
「頼む。協力してくれは貰えないか。私一人では、手に余る」
「…………」
俺は冒険者だ。合理的に考えるなら、別にエリフェルが死のうが、魔女が野放しにされようが、全く関係ない。魔女狩りは教会の仕事であり、ギルドを通さない仕事など、タダ働きにしかならない。
ちらりと、横目でリーンを見た。リーンも、俺を見ていた。
深い深い緑色の向こうにある意思は、かなり不本意だが、多分、俺と同じだった。
「嫌です」
リーンは、きっぱりと言い切った。デルグの唇が歪む。
しかし続けて――にこやかな笑顔を浮かべた。
「デルグさんに私達が協力するんじゃありません、私達にデルグさんが協力するんです」
「――何?」
「そもそも、事の始まりはレストンの一件でしょう。私達、ばりっばりの当事者なんですから。むしろあとから入ってきたのはデルグさんの方です、ですから」
世界の中心に自分を据えている女は、腕を組んで立ち上がった。
「手伝わせてください、とお願いしてもらえれば、考えないこともないですよ?」