殺すということ Ⅱ
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地域によって素材や色彩の違いはあるものの、だいたい共通して裾の広いスカートドレスにポンチョを肩から羽織るのが、世界共通のギルド受付嬢の制服だ。
エリフェルに関しては特にその衣装しか見たことがなかったので、私服なのであろう質素な茶色い皮のワンピース姿は、風景を記したパズルに、一つだけ何も描かれていない白ピースがはまっているような違和感を覚えた。首から下げた革細工のネックレスに至ってはもはや浮いていると言っていい。
「あら、エリフェル、ごきげんよう?」
コーメカの挨拶に、エリフェルは数秒黙って睨みつけ、
「……おはようございます、お元気そうですね」
と、険を隠さない声で言った。
「あら、嫌われているわね、私」
「自覚があるなら、話しかけなければよいでしょう」
「いやねぇ、私はアナタと、仲良くしたいと思っているのよ?」
その会話を聞いて『ああこの二人は仲が良くて軽口を言い合ってるんだな』と思えるやつは脳みそに花が咲いているに違いない。ただでさえ無表情・無感動極まりないエリフェルだが、そこに明確な悪意を込めるとこうも感情のない瞳になるのかと心底背筋が凍る。
だが、その表情を向けられて飄々としているコーメカもコーメカだ、かなりの神経の図太さだ、俺には到底真似できない。
「そう言えば、残念だったわね?」
コーメカは、不意に目を細め、エリフェルを見下しながら言った。
「……何の話ですか?」
「レストンの事よ。間に合わなくて本当に残念だわ。ああ、気づいた時には終わってたんだっけ?」
ギリ、と歯ぎしりの音が聞こえた。視線を下に落とすと、エリフェルの手が、恐ろしいほど強く握られていた。
「誰かさんが余計なことをした所為で……なんて言っても仕方ないわね、フフ」
「コーメカ、あなたは……!」
エリフェルが一歩前に出ようとした。だが、それより早く、コーメカは会話を打ち切った。
「私、嫌われてるみたいだから、これで失礼するわね? アナタも気をつけてね? エリフェル。アナタのしてることって、とっても危ないんだから」
「……っ」
その言葉は、エリフェルに対する挑発だったのだろう、露骨に片眉を上げるその様は、ヒドラでも鳴いて逃げそうな程怖い。
コーメカの姿が見えなくなるまで、エリフェルはその背を睨み続けていた。
たっぷり二十秒、大きく息を吐いてから、俺達に視線を向けると、深々と頭を下げた。
「……失礼、お見苦しい所をお見せしました」
「別に構わないですけど、あ、エリフェルさんも食べます?」
もちもちと残りのスライムゼリーで頬を膨らませながら、フォークでスライムゼリーを刺した。ものすごい険悪だった相手が生産した食い物を食わせようとする辺り、こいつも相当だ。
対するエリフェルは特に表情を変えることもなく。
「……先日はありがとうございました」
と、完全にリーンのアクションを無視して、礼を告げた。
「先日?」
「レストンの《冒険依頼》の件です」
「あぁ……どうしたんですか急に。普段のエリフェルさんなら『ねぎらいはしますが感謝はしません、報酬をもらう仕事なのですから任務の達成は当然です。感謝は依頼主から存分に受け取ってください』とか言ってくるところじゃないですか」
それは流石にあまりな言い様ではないかと思ったが、エリフェルは表情を変えないまま、眼鏡の位置を指で再度整えた。
「私、そんなに厳しいことを言っていますか?」
「そりゃもう!」
ここぞとばかりに言い切ったリーンの人間性もどうかと思うが、正直俺もそう思う。
良くも悪くも、冷徹に冷血に、事務的に義務的に、公平に平等に、冒険者と依頼主を理屈と損得で仲介する受付嬢、それがエリフェルという女のイメージだ。
「そうですか。いえ……そうなんでしょうね」
「ええ、そうです、もっと私に優しくしてください。面倒くさくない依頼を紹介するとか、海の向こうへの荷運びを斡旋するとか」
「適正な依頼を適正な冒険者に割り振るのが私の仕事ですので。……ところで」
図々しいリーンの要求をサラッと流し、エリフェルは、また眼鏡を持ち上げて言った。
「あなた方はジーレ・エスマという冒険者と知り合いだと聞いたのですが、事実ですか?」
意外な名前が意外な口から出てきたことで、リーンはふぇ、と変な声を漏らした。
「ジーレ君? 私はこの前初めてあって、一言二言話したことあるだけですけど……ハクラは?」
こいつ、俺に話を振りやがった。
エリフェルの視線がこちらを向く。こうなってまで沈黙し続けるわけにもいかないので、俺は嫌々ながら口を開いた。
「知り合いっちゃ知り合いだけど、別に個人で連絡取り合うほど親しくも無いな。それが?」
「そうですか。いえ、ギルドで話しているのを見たことがある、と他の冒険者から伺っていたので。特に交友関係がないのなら良いのです」
「……《冒険依頼》から戻ってこないのか?」
冒険者になりたての新人が、意気揚々と《冒険依頼》を受けて、そして二度と帰ってこないのはよくある話だ。
舐めてかかれば痛い目を見る、場合によっては死ぬ。本人にミスがなくとも偶発的な要素はいくらでもあり得る。
受付嬢がわざわざ個人の名前を出して気にかけたりするのが珍しいほどに、本当によくある話なのだ。とはいえ、顔見知り程度の相手とはいえ、死なれたら気分が悪いのも事実なのだが。
「そういうわけではありません。むしろ、ギルドによく顔を出すほどです。ですが……」
その続きをエリフェルは言わなかった。首を横に振ると、ふぅと誤魔化すように息を吐いた。
「いえ、失礼しました。何でもありません」
「えええそこで止めるんですか滅茶苦茶気になるじゃないですか!」
リーンに詰め寄られてもエリフェルは特に動じた様子はない。そもそも冒険者の相手をする事に慣れているのだろう。
「ハクラもなにか言ってくださいよ!」
「いや確かに気にはなるけど、面倒事に首を突っ込むのもな……」
「とりあえず聞くだけ聞いて厄介事なら無かったことにすれば良いじゃないですか」
「馬鹿、知っちまったら助けなきゃいけなくなるだろうが」
そう言うと、リーンもエリフェルも、目を見開いて、黙って俺を見つめてきた。
「何だよ」
「……いえ、ハクラってホント……あ、いえ、なんでもないです」
「気になる所で切るんじゃねえよ!」
「面倒事に首を突っ込みたくはないんでしょう?」
「面倒事になるようなことを言いかけたって事だなテメェ」
「……あなた方の仲が良いのは、よくわかりました」
エリフェルは、眼鏡の位置を整えながら、ため息を吐いた。
「……お前その眼鏡、サイズ合ってないんじゃないか」
さっきから、あまりに眼鏡を直す頻度が多すぎる。というか、今じっと見て気づいたが、普段エリフェルがしている眼鏡とは形状が違う。
「そうですが、何か」
「いや、何かって」
そうやって話すだけでも、唇も顔もわずかに動く、その小さな振動だけで眼鏡がずれるのだろう。そしてそれを直す動作は、もはや意識せずとも出てくるらしい。
「……ジーレ・エスマの件に関しては、少し気がかりなことがあっただけですから、どうかお気になさらず。では、私はこれで」
エリフェルはそう告げて、これ以上は続けないと意思を示すように、俺達が何かしら追及する前に会話を打ち切り、歩き出すまでの動作も極めてスムーズだった。
自然に足を踏み出し、そして一歩目で転んだ。
ずべん、と音を立てて、顔から勢いよく。
衝撃で外れた、眼鏡がカシャリと音を立てて転がった。
しばらくその姿勢のまま、エリフェルは動かなかった。受け身をとった様子もなかったので、大地が顔面に直撃したのだと思われる。
「…………だ、大丈夫か?」
「……………………ご心配なく」
さも問題ない、と言わんばかりに、エリフェルはゆっくり起き上がった。鼻頭が擦りむけているが、ぱっと見た限りでは、大きな怪我はなさそうだった。
不幸中の幸いと呼ぶべきか、そもそも運が悪いというべきなのかはわからないが。
「あーっはっはっはっは」
そして後に引くような怪我ではないとわかった瞬間、リーンはめちゃくちゃ笑っていた。最悪だこいつ。
「いやあ、エリフェルさんってドジな所あるんですね、知りませんでした!」
その笑顔たるや、他人の弱みを握った事実をこれから思う存分活用してやろう、という最低最悪の決意がありありと浮かび上がっている眩しさだった。この女は果たして過去どれほどの煮え湯をエリフェルに飲まされてきたのだろう。でなければココまでの所業は出来ないはずだ。
「……ドジなつもりはないのですが」
眼鏡を拾い上げ、罅が入っていないことを確認しながら、エリフェルはあくまで表情を変えずに言った。
「またまたぁ、そんな何もない所で転んじゃってぇ」
「普段ならこういう事はありませんが、仕事続きで疲れているのかも知れませんね、ここ最近は気苦労も多かったので」
「はぁ、気苦労ですか」
「村一つが全滅していたのですから、神経の一つもすり減るというものでしょう」
「……あー、まぁそりゃあなぁ」
レストンの村は、俺たちの報告の後、正式に『全滅』の判断が下された。今は腐敗した死体と生活の残骸のみが遺っているだけの場所だ。後日、教会騎士達が調査をした後に、全て焼き払われることになるだろう。
今後作られる新しい地図からは、もうレストンの名前は消える。全てが灰になった場所に新しい村を作るとしても、それはかなり先の事になるだろうし、その時の名前はもうレストンではない。
村も人も資源も消える。全滅とはそういう事だ。
「原因を特定できなければ、同じ事態が発生する事も考えられます、当面はその調査にも人員を………………」
くらりと、エリフェルの体が揺れた。彼女が歩こうと足を踏み出したタイミングとほぼ同一だった為、俺達も一瞬、それが体から力が抜けた故の挙動だと気づかなかった。
「――――ハクラっ!」
リーンが俺を呼ぶのとほぼ同時。飛び出して、その体を間一髪、地面に転がる前に支えることが出来た。
「お前本当に大丈夫……っておい」
ふぅ、ふぅ、という浅い呼吸音以外、エリフェルからの返事はなかった。いつの間にか、全身汗ばみ、じっとりと濡れていて、顔は真っ赤だと言うのに、唇は恐ろしいほど青い。
「……どうした、おい、意識あるか」
呼びかけても、声に対する反応が伺えない。わずかにだが、背中に冷や汗がつたった。
俺は医者ではない。冒険者として最低限、毒や怪我に対する処方の知識はあるが、それも専門家には遠く及ばない。だが、そんな俺からしても、その体調の急変と変容は、ただ事ではなかった。
「ちょっと失礼します……ひぇ、すごい熱」
リーンが駆け寄り、エリフェルの額に手を当てた。俺は手袋をつけているのでわからなかったが、素手のリーンはその体温をしっかり感じ取ったらしく、目を見開いた。
「医者呼んでくるか」
「いえ、私が診ます。とりあえずエリフェルさんの家まで運びましょう、近いですから」
リーンは、普段から持ち歩いている杖を俺に押し付け、代わりにエリフェルの身体を奪って背負った。
見た目は細いリーンだが、《秘輝石》持ちの冒険者である、成人女性一人をおんぶするぐらいのことは造作もない。というか渡された杖のほうが重い程だ。
「お前、エリフェルの家知ってんのか?」
「以前一度行ったことが」
「……家に招かれるほど仲良かったのか?」
「いえ、エスマに来たばかりの頃、ちょっと色々やらかしまして、お説教を」
「…………あぁそうかい」
リーンの歩みは、エリフェルを気遣ってか、大分ゆっくりだった。この采配が普段から出来るなら良いのだが。
「しかしハクラ」
「あん?」
「面倒事に首を突っ込んじゃいましたねえ」
「それを言うな」