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殺すということ Ⅰ

 リーンという女に関して、俺が知っている事は、そんなに多くない。

 顔もスタイルも良いが、反比例するように性格面は褒められたものではない。

 食い意地が異様に張っている、金遣いがとんでもなく荒い。

 我侭で、短気で、やられたら絶対にやり返す。暴力を一切ためらわない。

 そもそもリーンという呼び方も本人がこう呼べと強要した自称である。俺は雇い主の本名すら、正確に知らないのだ。

 南の最果て、リングリーンで生まれた、最古の魔女の血統を継ぐ者。

 魔物使い、という存在が、どういう〝モノ〟なのか。

 俺はこの一件で、それを知ることになる。



 冒険者ではない人々、いわゆる一般人にとって馴染みの深い魔物、というのはすなわち生活に密着しているものにほかならない。

 例えば給仕を務められるほど訓練されたコボルドなどは、少しくらい大きな街なら、気をつけなくてもそこいらで見ることができるだろう。

 大きな花壇や澄んだ清流の側には妖精(フェアリー)共がたむろっている事もしばしばだ。

 だが。


「あ、おじさん、赤いのと白いの、一つずつください。ハクラも食べます? 奢りますよ?」


 朝、宿を出てすぐ。道端の露店を見つけるや否や、リーンは躊躇なく駆け出し、そう言った。


「…………いや俺はいいや」

「えー、後で代わりに何かをー、っていうのは無しですよ」

「そこまで食い意地張ってねえよ、つーかお前よ」

「はい?」


 首をかしげるリーンに、俺はなんというか、釈然としない視線を容赦なく向けた。


「それを食うことに何かしらの疑問や抵抗を感じないのか……?」


 疑問に対してリーンが答える前に、屋台の親父が、両手で何かを掴んで取り出した。


「コーメカさんところで仕入れた奴だから歯ごたえが良いよこいつは」


 ひんやりと冷気をまといながらもプルプルと揺れる、固形と液体の中間をした不思議な質感のそれを人はこう呼ぶ。

 スライムと。

 濃い赤と薄い乳白色、拳二つ分ほどの大きさの二匹のスライムの両端を、親父は鉈のような包丁で躊躇なく切り落とした。

 当のスライムは、それにどうするということもなく、ただプルプルとしているだけだ。


「あいよ、赤果実(リルベリー)味と甘果実(エリシェ)味ね、三十エニーだよ」


 それを氷水の入った容器に、木製のフォークと共にリーンに手渡す。対価のエニー硬貨を数えて、毎度ありと一言残し、次の客の相手を始める。


「へ? なんでですか? 美味しいですよ、スライムゼリー」


 フォークの先端で買った物の弾力を確かめながら、不思議そうにリーンは首を傾げた。


「お前が普段連れ歩いてるのは一体何なんだと俺は言ってるんだが」


 俺の勘違いでなければ、今はリーンのネックレスに変化している自称〝お嬢の騎士〟と言い張るまでの関係性を築いているモノと同種族のそれをこの女は食っている。


「やーですねぇ、アオはアオ、スライムゼリーはスライムゼリー、そして食事は食事です」

「……なぁ、お前、いいのかあの扱いは同じスライムとして」


 知り合いと呼んでいいカテゴリかどうかはわからんが、少なくとも明確な自我を有する存在であるこのスライムを知って、少なくとも俺は口に入れることにかなりの抵抗が生まれているのだが、肝心の主がこれというのはどういうことだ。


『いや、我輩はほら、連中とは違うから。我輩は騎士で連中家畜だし』

「……いや、お前がそれでいいならいいんだが」

『我輩が喰われるわけではないからな』

「アオ、美味しくないですしね」

「喰おうとしたことがあるのか」

「こ、子供の頃の話ですよ」


 備え付けのベンチに座って、冷やされることにより程よく弾力と硬さを取り戻したスライムゼリーにフォークを突き刺すと、ぷるんと震えるそいつをリーンは躊躇なく口に運ぶ。

 ぷちんと弾けて歯で切り離された赤いそれは、傍から見ていてもわかるほど揺れて、その身の弾力を示していた。


「そもそもどういう理屈で食えるのかがいまいちわかんねえんだよな、それ」


 俺からすれば『厄介な魔物』でしかないし、連中が様々なものを溶かして捕食している様を何度も見ているだけに、口に入れる事そのものに抵抗がある。


「んー、ほら、スライムが雑食なのはハクラも知ってるでしょう?」


 それに対しては頷いた。連中の性質は『物理攻撃に対する異常な耐性』と『溶かせるなら何でも食う雑食性』だ。

 サイズは個体によってまちまちだが、体のどこかに核があり、そいつを破壊すると死ぬ。

 温度変化に極端に弱いので、基本的には火で炙って溶かすか、凍らせて砕くのがメインの対処法となる。よって必然、対スライム戦は魔術師の出番が多くなる。

 駆除対象の魔物として、俺がスライムについて持っている知識はその程度のものだ。


「スライムの体の性質は溶かして取り込んだモノに依存します、だから金属ばっかり食べてると金属製スライムになったり、毒キノコばかり食べてると溶け出してポイズンスライムになっちゃったりするんです」

「じゃあこいつらは果物ばかり食わされてるってことか」

「はい、餌が果実だけなら、体色も体の味も段々果実に似通っていきますので、あとは食べごろまで味が濃くなったら核から切り離せば、消化液のでないスライムゼリーの完成です。核が残ってればまた餌をあげれば元のサイズに戻りますし、体積を減らして餌を与えるとその分味が濃くなっていくので、一説には長生きしたスライムゼリーほど美味しいという話も」

「生き地獄か」

「やーですねぇハクラ。スライムは単純生物ですから、感情とか自我とかないんですよぉ」

「それは知ってるけどだからお前のスライムが喋った時俺は滅茶苦茶驚いたんだよ!」

『ほら、我輩特別だから』

「本当にお前はそれでいいのか!?」


 そもそもこのスライムは核が二つある。まるで目のように見えるのでビジュアル的にあまり気にしてなかったが、これも普通のスライムにはない特徴だ。


「こういう食用のスライムは家畜化されて長いですから、果実を溶かして取り込むのに最適な個体になってますし。単純に野生のスライム捕まえて同じことやろうとするのは難しいですよ。良くも悪くも、この形も一つの共存なのです。スライムは生物として生存することを引き換えにゼリーを提供し、人間は美味しく食べる。素敵じゃないですか、よって私も美味しくいただきます」


 赤いゼリーをぺろりと平らげると、そのまま白いゼリーにフォークを伸ばすリーン。もう好きにしてくれ、と思いながらその横顔をなんとなく見ていると、リーンはむ、と頬を膨らませた。


「仕方ないですねえ、一口だけですよ?」


 何を勘違いしたのか、フォークを俺の口元に突き出してくるリーン。先端で揺れる白い塊。


「……? 食べないんですか?」

「いや、よこせとは言ってな」

「食べないんですか?」


 そう言いながらも、フォークを俺に渡そうとする気配が全く見えない。勘違いでなければ口を開けろと促しているようにも見える。

 にやー、と笑うその口元が、何を意図しているのかを示していた。

 ――こいつ、戦(、)る気だ。

 じりじりと体ごと近づけてくるリーン、離れる俺。口を開いたら殺られる――――無意味な緊張感が張り詰めた。


「あらあら、仲が良いのねぇ」


 声は、眼前から聞こえてきた。俺達の前に、いつの間にか女が立っていた。

 見た感じの年齢は、二十代前半だろう。長い赤髪を太く編み込んで、肩から胸元にかけて流している。纏うローブは術師連中が愛用する裾の長い物で、右手にだけ真新しい革の手袋をつけており、どことなく浮世離れした印象を感じさせる女だった。

 カタカタカタカタ、と、座っているベンチが、不意に振動した。


「……ハクラ、どうしたんです。ビビリですか? なにかやらかした相手とか?」

「いや違うが……」


 揺れはすぐに収まり、代わりになんというか、気まずい沈黙が流れた。何を言えばいいのかと悩んでいると、女はふっふ、と口元を押さえて、おかしそうに笑った。


「あなた達が、仲良さそうに私の作品を食べているものだから、ついね?」

「仲が良いかどうかは知らんが……」


 作品、と言われ、未だプルプルと震えるゼリーに目をやった。宙ぶらりんになってしまったそれを、リーンはちぇ、と呟いてぱくりと食べた。


「お味はどう? 私が品種改良したのよ、そのスライムゼリー」


 そう言えば、店主がどこぞから仕入れた、とか言っていたような気がする。


「アンタがコーメカ?」

「ええ、コーメカ・エスマ。変わった名前でしょう?」


 女――コーメカはクスクス笑いながら、リーンがもちもちと音を立てて、たっぷり時間をかけてスライムゼリーを噛みほぐすのを眺めていた。


「ごくんっ、はふぅ……そうですね、果汁の味が濃くて食べごたえがあって、控えめに言って最高です」


 リーンは笑顔でそう告げた。食い物に関しては本当に素直で正直な女だ。


「それはよかった――あぁ、アナタ達に気に入ってもらえて嬉しいわ、あぁ、いえ、勘違いしないでね? お礼を、いいたかったの」

「お礼?」


 リーンがオウム返しすると、コーメカは頬に右手を当てた。


「ええ――だって、アレンを見つけてくれたもの」


 と、告げた。気の所為か、その瞳が――急に細く、鋭い物になった気がした。

 俺達に限らず、《冒険依頼(クエスト)》で知り得た情報は、基本的に全てギルドに報告する事が義務付けられ、必要だとギルドが判断した情報はまとめられた上で公開される。レストンに行くつもりで無駄足を踏まされる冒険者を防いだり、まだいるかも知れないリビングデッドの生き残りへの警告をするわけだ。

 また、冒険者の死亡が確認された場合は、その情報も公開される。毎週の末になれば、数行の名前が記された紙が無造作に張り出されるのは、よくある話だ。


「私とアレンは、同じパーティの仲間だったの……解散しちゃったけどね?」


 と、コーメカは、苦笑しながら告げた。いつの間にか、表情も、元に戻っていた。


(気のせい……か?)


「結婚するから、ってパーティを解散してからはあまり顔を合わせなかったけれど、大事な仲間だったんだもの、弔いぐらいはしたいわ。ええ、本当……魔女に殺される(、、、、、、、)、なんて、そこまでされるような事、彼はしていないわよ……」


 悲しげに目を伏せるコーメカは、すぐにごめんなさい? と取り繕って、俺達に視線を向け直した。


「だからね、感謝しているのよ。今度、お墓参りにも行くつもり。本当にありがとう」

「別に、俺は何もしてねえよ、礼ならこいつに……」


 言ってくれ、と指し示した先で、リーンは突如、


どうかしましたか(、、、、、、、、)?」


 と、虚空に向かって告げた。


「…………へ?」「あら?」


 俺とコーメカが、同時に首を傾げた。はっと我に帰ったリーンは、慌てて手を振り。


「あ、すいません、ハクラに言ったわけじゃなくて」

「じゃあ誰に言ったんだよ……」

「えーっと、虚無?」

「怖すぎるわ何なんだお前」


 いきなり虚空と会話をし始める女は、いくらなんでも恐ろしすぎる。


「……ねぇ、つかぬ事を聞くけど、アナタ達、恋人同士?」

「勘弁してくれ」


 背筋が凍えるようなことを言い始めたので、即座に否定すると、後頭部をガツンと固いもので叩かれた。


「いってぇな!」

「即否定しないでくださいよ! 乙女心が傷つくじゃないですか!」

「傷ついたのは俺の頭だ!」

「ふーんだ。こーんなデリカシーのない人を彼氏にするのはずぇーったいヤですー」

「奇遇だな、全く同意見だ」

「ちょっとやめてくださいよ、私がハクラを歯牙にもかけないのはいいですが、ハクラが私を拒否するのは不愉快です」

「自分本位にも程があるだろうが!」


 ひゅうひゅうと、妙な音が聞こえた。見れば、コーメカは口を抑えて、笑うのを必死にこらえていた。


「あ、アナタ達、仲いいのね、フフフ……ッ」

「そう見えるなら目が悪いんだろうなお前は」

「ええまぁ、良くはないわね。けどね? 覚えておいたほうがいいわよ。仲間って、いつ居なくなるかわからないのよ。いつも通りの明日が来ると思ってたら、別れてしまう日が来るの、突然ね」


 そのセリフに、リーンはちらりと俺を見て、傍若無人な振る舞いとは打って変わって、なんだかすごく気まずそうな顔をした。

 仲間とはぐれて今に至る俺としては、もうなんというか『その通りだな』ぐらいしか言う言葉がない。


「……ところであなた達、次の《冒険依頼(クエスト)》は決まっているの?」

「特に予定はたってないが……何でだ?」

「いえ、私、冒険者を半分引退しててね、今は気ままに錬金術をやっているの、スライムゼリーをこうして屋台に卸しているのもその一環……なんだけど、こうして色々研究してると、素材が足りなくなるのよね。だから暇そうな冒険者には、お手伝いを頼んでいるのだけど」


 錬金術。『鉛を金に変える魔法』から派生し、『この世界に何があり、どのような要因で、どのような変化を起こすのか』――その万物を解き明かし、暴き立てる学問の一つであり、錬金術師はそれを行う者達のことだ。

 植物の品種改良、新たな金属の生成、便利な道具の開発等、人間が生きる上で欠かせない様々な発明と生産を一手に担っている連中で、冒険者とは切っても切り離せない関係にある。


 錬金術の実験には様々な素材が求められるが、特に魔物の体は彼らにとって格好の獲物であり、《冒険依頼(クエスト)》の六割以上は、街や村の錬金術師が素材を求めて発注する、とまで言われているほどだ。中にはギルドを介するのが面倒になり自ら冒険者となる錬金術師も居るほどだが、コーメカはその逆を行っているらしい。


「見ての通り、一人で戦うのにあんまり向いてないのよ。最近は手伝ってくれる子もちょこちょこいるんだけど、やっぱり経験豊富な冒険者に頼みたいじゃない? アナタ達、旅慣れしてそうだし、ねえ、どうかしら?」


 俺としては、正直エスマでの活動を切り上げて、さっさとクローベルに行きたい所なのだが、残念なことに現在俺の行動を決めるのは、俺ではなくリーンなのだ。


「うーん、そうですねぇ……」


 できれば即決で断ってほしかったが、リーンは悩む素振りを見せた。ギルドに戻れば待っているのはエリフェルの与える面倒な《冒険依頼(クエスト)》だろうことを考えると、錬金術師のお使いというのは悪い選択肢では無いかも、ぐらいのことは考えているのだろう。


「……何をなさってるんですか?」


 もっとも、その心配はすぐになくなった。

 なにせ、そのエリフェル本人が、いつの間にか冷めた目で俺達を眺めていたからだ。


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