死ぬということ Ⅶ
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エスマヘ向かったアレンが、レストンへ帰ってきたのは、一晩経過してからだった。
「きゃあああああああああああああああ!」
それは、誰の悲鳴だっただろうか。
朝、水を汲みに向かった私が見たのは、手にした槍で、誰彼構わず、人を貫いているアレンの姿だった。
「オ オ オオオオオオ――――」
それが、まともな状態で無いことは、ひと目でわかった。だって、胸からだくだくと、血が流れ続けているのだから。
穴が空いていて、アレで生きていられるワケがないことが、わかるのだから。
「アレン、アレン!」
「やめろクラウナ! 死にたいのか!」
叫びながら、アレンへと向かう私を、誰かが必死に押さえつける。けれど、私は聞いた。聞いてしまった。
「オ オ オ オ ク ラ ウ ナ――――」
私の呼びかけに、あろう事か、そのアレンの姿をした何かは、応じてくれた。
応じて、くれてしまった。
「殺せ! 化物を殺せ!」
誰かが言った。男衆が、武器を持って、アレンを止めようと襲いかかった。
けれど、元冒険者のアレンの槍捌きは、ただの村人が犠牲なく抑え込めるモノではない。
槍が振るわれるたびに、誰かの頭が砕け、誰かの胸が貫かれ、誰かの喉が裂けた。
それでも、皆、立ち向かった。村を襲う災厄から、家族を、仲間を守る為に。
「ああ、アレン、何で、何で……」
「気持ちはわかるが、諦めろ! ありゃあもう、アレンじゃない! 魔物だ! バケモンだ!」
アレンへ向かおうとする私を、誰かが止める。私は、叫ぶ。
――――殺戮の限りを尽くすアレンが、私を見た。
――――私の髪の毛を優しく撫でながら、見つめてくれた瞳は、もう片方しかなかった。
――――優しく微笑んでくれた顔は、半分が刮げ落ちていた。
――――甘やかに愛を囁いてくれた口から、骨が覗いていた。
「あ、あ……」
『何故』が頭を駆け巡る。『どうして』が心を苛む。
「縄だ、縄をもってこい! 動きを止めろ!」
「くそっ、いい加減にしやがれ!」
「よくも親父を――――!」
戦いは激化していく。もう、誰も彼もが必死だった。
「クラウナ、お前は逃げろ! 村の裏手にいって、川を越えろ! そうすりゃあ……」
逃げられる、とは言えなかった、私を押さえつけていた、靴屋のハントの鼻から上が、吹き飛んでいた。
吹き出た血が、私の顔を汚した。
いつのまにか、リビングデッドが私の前に居た。
「ハナ、セ」
そして。
「ハナセ……クラウナ――ハナ、セ――――」
私の名前を、再び、呼んだ。それは多分、私にしか、聞こえなかった。
「ハントッ! くそぉっ!」
「クラウナちゃんから離れろや!」
「アレンッ」
名前を叫びながら、飛び出してきた人影を、アレンは躊躇なく刺し貫いた。
「ゴボッ、馬鹿、野郎……!」
腸を貫かれながらも、アレンに抱きつくようにして、動きを抑えこんだ。
私もよく知っている。アレンの、革細工の師匠だった。
「グロッドが動きを止めたぞ!」
「今だ! 殺せ! 殺せー!」
千載一遇のチャンスだった。命を賭して動きを封じ込めたグロッドさんの上から、武器を構えた村人達が襲いかかる。
アレンが冒険者のままだったら……それでも勝負にはならないはずだ。でも、今の彼に秘輝石の加護はない。拘束された状態で、あれだけの人数が押し寄せたら。
アレンは、きっと助からない。
「――――――っ!」
私の体は、とっさに動いた。手を伸ばした先に、壊れたレンガがあったのも、幸いだった。
幸いで、不幸だった。
「ああああああああああああっ!」
息も絶え絶えに、アレンを拘束するグロッドさんの頭を、私は殴った。
レンガの硬い角で、何度も何度も殴った。
「グラッヴッナッやっめっ」
皮膚が破れ、頭蓋骨が割れて、中身がこぼれるまで殴り続けた。
殴って殴って殴って殴って、私の理性が戻る前に、誰かの拳が私を殴り飛ばした。
「テメェ何考えてやが――ガバッ」
解放されたアレンを止められる者は、もう誰もいなかった。
「クラ ウ ナ ど こ 」
「アレン」
私は、アレンの足元にすがった。体温など、微塵も感じられなかった。
とても、冷たい。
「アレン、アレン、アレン――――」
「クラウナ……」
アレンは屈んで、私の肩を掴んだ。眼が合った。濁った瞳の奥には、何の光も映っていなかった。
「アレ――――」
「ドコ クラ ウ ナ」
首が、灼けた。
そう感じるぐらい、私に食い込んだ歯は、熱く、痛かった。
そう、アレンが戻ってきた日、私は。
私はもう。
私は。
………………。
「クラウナさん」
はっと、気づくと、私の前に、翠色があった。
「おはようございます、目は覚めましたか?」
その色を見ていると、なんだかとても、心が落ち着く。不思議だけど、なぜだか私は、それを受け入れていた。
彼女の――リーンの質問の意味を、私はよく理解している。
ああ、そうだ。ずっと悪い夢を見ていた。
幸せでは、決してなかった。だってあの夢には、アレンがいない。
「……ええ、思い出シ た ワ、全 部」
それが自分の声だと、最初はわからないぐらい、汚い音が、私の喉から溢れた。
喉が腐れているのだから、当然だ。きっと、まともな部位なんてどこにもない。
思考と、視界だけが明瞭なのが、逆に不思議だった。
「……ネエ、私は、死んデいルのでショウ?」
「……はい、そうです。クラウナさん。いえ――」
一度だけ、リーンは首を横に振った。
「レストンは、全滅しています。一人残らず、一匹残らず、リビングデッドになっています」
こと、ここに及んで、それを否定する気にもならない。
レストンは、死者の村だった。死んでいる者同士が、お互いを生者だと勘違いして、死にながら生活していた。
いつからそうだったのだろう。
「……どうシて、リーン、あなタは、私ノ所に、来たノ?」
彼女から見て、私達は死体だっただろう。その中に一人、堂々と入り込んで、私と数日間は、間違いなく一緒にいた。
何故、この娘は、レストンに来たのだろう。
「理由の一つは、クラウナさん、あなたでないと、リビングデッド達を止められないからです」
「…………?」
「あなたが、村人達に一言、もう動くな、眠れ、と命じてくれば、彼らの機能は止まります、村の外に出ていって、被害が広がるのを防ぐことができます。それができるのはクラウナさん、あなただけなんです」
言葉の意味がわからない。何故、私が?
「……それと、もう一つ」
その疑問に、リーンは答えてくれなかった。代わりに、ローブの懐から、それを取り出した。
土と血に薄汚れた、丸い革細工。拙く縫われた糸の跡が、見て取れる。
「あ……ア……?」
私はそれを知っている。けど、どこで見たのだろう。思い出せない。頭が痛い。
「アレンさんから、預かったものです」
答えは、リーンが教えてくれた。
「アレ、ン、アレン……アレン、アレン……」
「………言伝があります。『戻れなくてごめん、あの場所で待っている』と」
「……待って、ル…………?」
「私達が埋葬しました。クラウナさんが望むなら、同じ場所に」
ああ。
私は、革細工のお守りを、握りしめた。
ちゃんと帰ってきてくれた、私のところに。
もしも私が死んでいなければ、涙を流せたはずなのに。
何で私は、生きていないのだろう。
「アレンは、もう、居なイ、のね……」
「…………」
「……ソレを、届けル為 ニ、 アナタは、来て、くれタ、の ね」
頭に、ぼんやりと霞がかかり始めた。
きっと、私が私でいられる時間は、もうそんなに、長くない。
グズグズと、何かが叫んでいる。食べタイ。
「こノ、村で、何ガ、あったノ、か、私、わかラ、ない、アレンに、何ガ、アったのか」
けれど、私は受け入れてしまった。
私が死んだことを、受け入れてしまった。
だから、それについて、泣いたり、悲しんだりしようとは、不思議と思わなかった。
私が今、望むのはたった一つだけだ。
アレンに会いたい。
隣にいたい。
それ以外のことは、もう望まない、望めない。
私は、私の欲望のままに、人を殺めてしまったから。
けどせめて、それだけは。
「ドウ、すれば、イイ、の?」
「声を、上げてください」
「コエ……?」
「おやすみなさい、と」
「…………」
リーンが差し伸べた手を取って、私は立ち上がった。ぐずり、と形を保てなくなった足が、音を立てた。痛みは、それでもまったくない。
「――――リーンっ!」
男性の声が、空気を震わせた。凄まじい速度で走り込んで、リーンの隣まで一直線にやってきた。白髪に、赤い瞳の……どこかで、見たような。
「ハクラ、どうですか?」
「出来る限り、掻き集めてきたけど、なあ」
ハクラ、と呼ばれた青年は、息を荒げながら、自分が駆けてきた方角を振り返った。
「本当になんとかなるんだろうな!?」
……ああ。あああ。
皆が居る。居る、居る。やってくる。
村を守る為に、皆で、力を合わせて。
災厄を、排除する為に、敵を追いかけて、集まってきたに、違いない。ない。
「あアあ…………」