死ぬということ Ⅵ
◆
レストンにたどり着く、半日前の事だった。
「ハクラ」
リーンが、こわばった声で、先行する俺を呼び止めた。
「どうした」
その響きに、一切の冗談や、遊びがない。
「居ます、正面の木の裏――――来ますよ!」
声と同時に、『そいつ』は俺に向かって――凄まじい勢いで、何かを突き出してきた。
「っ、ぶねぇっ!」
的確に眉間を狙って突き出されたその一撃を、俺は首を横に振って、紙一重で回避した。癪だが、事前に『来る』とわかっていなかったら、多分お陀仏だっただろう。
「ウウウウウウウ――――」
飛び退いて距離を開けて、俺は剣を抜き放つ。この段階になって、ようやく相手の姿が見えた。
唸り声を上げながら、『そいつ』は、両手で二メートル以上もある細身の槍を構えた――――人間のシルエットだ。
だが、野盗のたぐいでないことは、ひと目で分かる。
片目がない。体の皮膚のほとんどはただれて剥げている。脇腹が大きく欠損していて、内蔵が溢れている。
そしてなにより、心臓がない。なぜわかるかといえば、後ろの景色が見えるほどの大穴が空いているからだ。
どこからどう見ても紛れもない――――リビングデッドだ。
「バァァァァァァナァァ、レッ ロォォ……」
呼気に混ざって、何か、声の様なものが聞こえてくる。死体だというのに、俺達に対する明確な敵意が感じ取れた。
「ハクラ、動きを止めてください!」
「あぁ!? どうやって!」
「片腕か片足を斬り飛ばして、首は刎ねないで!」
「気軽に言いやがるなあ!」
死んでいるとは思えないほど、『そいつ』の構えは洗練されていた。
獲物もそうだ、使い込まれ、手入れされ、手によく馴染んだものであることがひと目で分かる。
「同業者だな、アンタ」
突き込みの速度、間合いの取り方。間違いなく、相当戦闘慣れした、冒険者のそれにほかならない。
「――――――カッ!」
正解だ、と言わんばかりの、鋭い踏み込み、それにほんの瞬きの刹那、遅れて迫ってくる槍の先端。
寸分の狂いなく、俺の右胸狙いで突き込んできた。
「――――惜しいな」
その一撃が、俺に当たることはない――――しっかりと視認して、攻撃の軌道を見てから、体を横に向けて回避し、その体の流れのままに剣を振った。
槍を中央で両断し、その勢いで伸び切った腕を両断し、返す刃で右膝から断ち切った。
「アンタが万全なら、もちっといい勝負になったと思うんだが」
生前の技術と装備を扱う、冒険者のリビングデッド。
強敵には違いなく、脅威には変わりない。
だが、致命的に欠けている物がある。死体には秘輝石はなく、筋肉はズタズタで、本来、生きてる時に出せるはずだった速度と威力など、あるわけがない。
不意打ちならともかく、正面切っての戦いで、負けるわけがない。
一秒以下で決着はついた。片足以外を失ったリビングデッドは、そのまま倒れ込み、もぞもぞと地面を蠢き叫ぶだけだ。
「アアアアアアアア、グ ヴ ナッ」
「っと――こっからでも動けるのか」
残った手が、槍を求めて地面をほじくり返す様に動く。改めて、厄介というか。
殺した程度じゃ死なない敵、という意味では、最悪だ。
「ありがとうございます、ハクラ、お手柄です」
リーンは、リビングデッドに近寄り、しゃがみこむと、その顔の側で、とん、と杖を地面に突いた。
「一応聞くけど、何してんだ?」
「正気に戻します」
とん、とん、とリーンが杖を鳴らすたび、その先端にある大きな宝玉が、ほのかな光を放ち、明滅していく。
「正気……って、戻せるのか」
「人間はリビングデッドになっても、一定期間、意識や自我が残ってることがあるんです。心臓だけが止まって、脳が破損してなかったりする場合ですね――自分が死んだことに気づいてないんです」
「ウウウウ ウウウ ウウウウウヴヴヴヴァァァ」
作業を続けるリーン。リビングデッドの唸り声が、増して行く
「思考は単調になりますし、様々な矛盾にも気づかなくなります。大体の場合は、生前の日課を延々と繰り返したり、執着しているモノから離れなかったり。けど、一番やっかいなのは、この状態になってしまうと、|生物を見るとリビングデッド《、、、、、、、、、、、、、》だと認識するようになっちゃうことです」
「……どういう意味だ?」
「さっきも言いましたけど、動き出したリビングデッドは、新しい宿主に寄生する為に襲ってくるわけです、なら、宿主にそれを行わせるにはどうしたら良いと思います?」
「……敵だと思わせて、襲いかからせる、ってことか。つまりこいつから見ると、俺らのことがリビングデッドに見えてたって事で――――」
「いえ、ハクラだけですけども」
「なんでだよ!?」
「私は特別なんですー! だからこの人、言ってたじゃないですか、『離れろ』って」
……そう言えば、真っ先に俺に攻撃を仕掛けてきて、リーンには目もくれなかったような気がする。
「……あぁ、なにか、じゃあこいつは、俺が、お前を襲ってると思って攻撃してきたのか」
「そういうことです。いやー、かわいいって罪ですねー」
「ぶん殴っていいか?」
リーンの護衛をすることは承諾したが、リーンがいることによって命の危機にさらされるのは何かが違う気がする。
「で、今、その認識の歪みを正してるところです」
「それが治るとどうなるんだ」
「自我を取り戻します、脳がどれ位損傷してるかにもよりますけど」
リーンの言葉を頭の中で反芻し、俺は首を傾げた。
「……なあ、リーン、それって」
俺がその疑問を言い終えるその前に。
「君、達は…………」
リビングデッドが、喋った。
「!」
かすれて、歪んでいたが、それは確かに、俺にも認識できる男の声だった。
「……誰、だ? わたしは……戻らなくては……レストン、に……」
リーンは、しゃがみこんで、男の顔を覗き見た。
「あなたの名前を教えてください、何があったんですか? どうして――――」
傍から聞いていても思う。その問いはあまりに酷ではないかと。
だが、それを止めることはできない。
正気になど戻さず、このまま埋葬してやる事こそが、この男にとって最も幸せであることぐらい、さすがの俺でもわかる。
「――――あなたは、死んだんですか?」
それでもリーンは容赦なく、かつて生きていた死体に問いかけた。