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死ぬということ Ⅴ


…………。


「ゴボボボ、ゴボ、ゴボボ」

「ゴボー、ゴボッブグッ」

「ボッ、 ゴボ、ボブッ ボ」


 いつも通りの風景、奥様達が井戸端会議に興じている。


「ゴボボボボボボ……」


 ……いつもどおり。

 水を汲んで、家まで戻る、毎日している作業を、毎日する。

 いつもどおり、いつもどおり、いつもどおり、いつもどおり。

 家の前についた。なにかが足りない。欠けている。喪失感がある。

 何も変わってない何もおかしくない私は普通私は正常私は何でもない私は大丈夫。


「いつもどおりよ、そうよね、アレン、だって……」

「本当に、そう思います?」


 声が聞こえた。空気を静かに揺らす声が。

 振り向くと、少女が居た。金の髪と、緑の瞳。見たことがあるような?

 いや、知ってる、私はある、会ったことが。彼女に。


「……リーン?」

「はい、リーンです。……ごめんなさい、クラウナさん」

「ど、どうしたの、そんな顔をして」


 リーンは、愛らしい顔を歪めて、瞳の端に涙をためて、悔しそうな顔をしていた。

 私は、その表情をよく知っている。他ならぬ自分自身が、何度もしたことがある。

 それは、何かを成し遂げようとして、出来なかった人の顔だ。


「正直、まだ間に合うと思ってました、穏便に済むと思って……引き伸ばしちゃいました。けど、こんなに一気に進む(、、)なんて思ってなかった……」

「……何の話をしてるの?」

「あなたなんです、クラウナさん。全てを解決できるのは。あなたじゃないと駄目なんです」

「リーン、ちょっとまって、わからないわ、何の話?」

「……ごめんなさい」


 リーンは、手にしていた杖で、トン、と地面を突いた。

 その先端が接した面から、ふわっと何かが広がった。水に石を投げ込んだ時の波紋のようなものが、空気を伝わってくような感覚があった。


「あ……れ?」


 その風が私の体を通り抜けた時、その変化は起こっていた。

 視界が暗い。けれど、明瞭で、思考からモヤが失せていく感覚。


「何……これ? リーン?」


 気づけばもう、少女の姿はどこにもなかった。


「どこ、どこに行ったの!? リーン! ねえ!」


 返事はなかった、もう、どこにも翠色は見えない。

 まるで、魔女に、違う世界へと拐われたようだった。

戸惑いながら、違和感を飲み込んで、私は歩き出した。体が重い。


「誰かいないの、誰か、お願い……!」


 すがるような気持ちで、広場に出た。井戸のなら、絶対に誰かしらが居るはずだった。


「あ…………」


 居た。三人の奥様達。かしましく、おせっかいで、でも、面倒見が良い、そんな彼女達は――――





「ゴボボボボ――――」

「ゴボボボ」

「ゴ ボ ッ」





 楽しそうに向き合って、談笑している。

 談笑している? 違う、あれはフリ(、、)をしている。

 それはそうだ、声が出ていないのだから、それはフリ以外の何者でもない。


 だって、顔の右半分がないのだ。

 だって、喉に穴が空いているのだ。

 だって、顎から下が腐り落ちているのだ。


「あ、ああああああああああああ……」

 

 肉の削げた体、腐り落ちた瞳、むき出しの骨。

 死んだはずの人間。動かないはずのむくろ。


「あああああああ――――――!」


 私は駆け出した。恐ろしかった。


「いや、いやよ、いや、何これ、どうして、何で!」


 ボォォォォォォー…………

 ボォォォォォォー…………

 ボォォォォォォー…………


 醜い、不快な音が、村の中に響き渡った。


「ひいっ」


 それは、死神を呼ぶ笛の音にも聞こえた……けど、違う。

 私はこの音を知っている。

 近づいていく、音の方向へ、体が勝手に動く。


「…………嘘でしょう」


 私は牧場にたどり着いた。牛達が、高らかに鳴いていた。

 村の皆で世話をしていた、レストンを支える牛達。

 

 ボォォォォォォー…………


「あ、あああ……」


 彼らも、また平等に、腐っていた。角が刮げ落ち、鼻は赤くグズグズになり、皮膚がただれ、内臓が溢れ落ちていた。

 あの音は、喉に穴が空いているのに、それでも肺を張り詰めて、精一杯吐き出して、空気が漏れ出る音だったのだ。

 グチュグチュと。

 牛舎の奥で、屍牛達は何かを反芻している。見たくなかった。でも、見えてしまった。

 倒れて動かなくなった何かだ、それは彼らと同じ牛なのか、それとも知っている誰か(、、)なのか、もう判別がつかない。

 わからないぐらい、溶けてぐずぐずになった、肉の塊になっている。


「何で、何よこれ、嫌、嫌、嫌あああああああああああ!」


 どこにも、私の知っているモノがない。

 どこにも、私の知っているヒトがいない。

 ここはレストンじゃない、私の場所じゃない。

 お願いだから、助けて。

 その願いを聞き届ける為に、神様が遣わしてくれたのだろう。

 ゆらりと、私に近寄る影があった。


「あ――――」


 あれは、ラウンおじさんだ。向こうに居るのは、息子のテロッタ君。

 狩りの名手、ハイル爺さんと、娘のネウちゃんも居る。

 靴屋のハントおじさんは、鼻から上がなかった。

 アレンの師匠であるグロットさんは、お腹に大きな穴がある。

 隣に住んでいるラウロは、首が百八十度回っていた。


 皆居る。村の皆が、皆居る。

 皆居て、皆死んでいる。


「ゴボボボボボボ」

「ゴビュッ、 ビュウ」

「グラ ナ」

「ダイ  ジョ 」

「ゴボッ」


 腐って。崩れて。死んで。動いて。壊れて。生きていない。骨が見えて。内臓が。眼球も。死んでいる。皆。私を見ている。動いている。死んでいるのに動いている。全員、助けて。お願い。誰か助けて。来ないで。こっちに来ないで。お願いだから、お願いします。


「アレン! アレン! アレン! 助けて、嫌、嫌ぁっ!」


 けど、アレンはここに居ない。

 ずっと、いない。居るわけがない。

 思い出した。思い出した思い出した思い出した。

 思い出した(、、、、、)

 だってアレンは、もう。


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