死ぬということ Ⅳ
…………。
アレンは、四年前、『牛喰いの双頭犬』を倒す為にエスマからやってきた冒険者だったの。
群れからオルトロスが、牧場の牛を拐っていく、という事件が起こって、ギルドに依頼を頼んだ所、彼が現れた……。
最初は皆、『なんだ? この優男は』って思っていたのよ。線も細いし、背もそんなに高くないし……持ってる武器だって、すっごく細かったし。これならまだ、肉屋のドルンおじさんに頼ったほうがいいんじゃないかって、皆思ったくらい。あの肉切り包丁の方がいかついもの、何倍も。
レストンみたいな村でずーっと暮らしてると、冒険者を直接見る機会は中々ないから、ある意味では、当然の反応だったかも知れないわ。
私は、その日、牛に餌をやる当番だったの。
ええ、牛の世話は持ち回りだから。面倒くさいな……サボっちゃおうかな、なんて思ってたけど、そうしてたら彼に会えなかったんだから、ちゃんとしてよかったわ。
……あ、ごめんなさい。
とにかく、オルトロスが出るっていうのは当然わかっていたから、早く仕事を済ませて、家に戻ろうと思ってたのよ。
それで牛舎に入ったら、魔物と、ばったり。
私が悲鳴をあげると、それに刺激されたみたいで、飛びかかってきて。
もうダメだ、と思う暇もなかったわ。ただ怖くて目を閉じた。
でも、痛みは来なかった。どれだけ待っても、なにもないものだから、恐る恐る目を開けたら。
居たの、アレンが。オルトロスの牙を自分の腕で受けて、私をかばって。
大丈夫か? と微笑んでくれたあの顔を、今でも覚えてるわ。
その場でオルトロスを倒してくれたけど、アレンの怪我も大きくて。
何度も言ったのよ、私。何で私なんかかばったんだって、そんな大怪我して! って。アレンは、困ったように笑うだけだった。
治るまでは村で看病することにしたの、勿論、お世話をしたのは私だった。
村で一人暮らしだったのは、私だけだったから。
でも、冒険者って凄いのね。あんな傷でも、一週間で元通りになっちゃうなんて。
それで、一旦はお別れになってしまったけど……またすぐに、アレンは来てくれた。本来は見合わないような、キャラバンの護衛だったり、輸送の手伝いだったり……理由をつけて、会いに来てくれたの、ええ、私に。
でも、村の中で会ってると、その、からかわれたりするから。
村を出て、ちょっと歩いた先にある、川の側で話すのが、いつの間にかお決まりになってたの。
それで、プロポーズされたのが、一年前。
どうして? って聞いたら、なんて言ってくれたと思う?
……なんて言ってくれたと思う!?
俺が居なくなったら、君はまた、あの家で一人で暮らすのかと思うと、耐えきれない。そんな寂しさを、君に与えたくない、よ。ええ、全部覚えてる。二人で手をつないで、村長に報告しにいったわ。
頭の固い老人達も、村の恩人だし、頼れるし、健康で若い男が身寄りの無い私を娶ってくれるなら、村にとってこれ以上のことはないって許してくれたの。
ただ、アレンが村の伝統を……牛革の手袋をちゃんと作れるようになるまでは、正式な婚姻はお預け。だから今はまだ私も未婚だし、アレンも修行中。
代わりに、式は盛大にやってくれるって、みんなに言ってもらえたわ。
でも、一番嬉しかったのは……式の時だけなら、幼馴染を村に呼んでも良い、って言ってもらえたことかしら。他ならぬ、アレンを村に斡旋してくれたのも、その幼馴染だったの。私にとっての愛天使だから、絶対に招待したいって思ってたのよ。
アレンも、冒険者時代に組んでた仲間を呼びたいって言ってた。
ああ、その時は、リーン、あなたにも居てもらえたら嬉しいわ。
………………。
今日も〝奴〟が村のそばをうろついている。
「はぁ……」
川を越えられない〝奴〟が私達に危害を加えることはできないはずだが、それでも気分が良くないし何より気持ちが悪い。
朝になって、水を汲みにゆく私は、それを見た。
「オラッ、どっか行きやがれ!」
息の詰まった状況に耐えきれないのか、男衆が〝奴〟に矢を射掛ける。大して当たりもしないのだが――――
パンッ、と。
聞き慣れない音がして、私はそちらを見た。〝奴〟がいる。ただし、いつもと違う光景があった、〝奴〟は、武器を持っていた。鋭い剣だ。
それで、放たれたモノを打ち払ったのだ、ということが、川に流れる、両断された矢をみて理解できた。
「え……?」
おかしい。いままで〝奴〟はそんな事、しなかった。そもそも、武器はどこから?
知能を、つけている?
「ち……通じやしねえ」
しかし、射掛けたラミオさんは、大して気にする風もなく、その場を去ってしまった。
私はなんとなく、底知れない恐怖を抱いてしまった。
このまま放っておいたら、〝奴〟はどうなってしまうのだろう。
「……」
井戸に向かうと、いつもの通り、おばさま方が井戸端会議をしていた。
先程あった事を、誰かに伝えたくて、私は駆け寄った。
「あ、あの、さっき、あの、リビング――――」
「アら、お――よヴ グラウ びゃ 」
「ギョ も ギレ ねー、若イ若イー」
「羨 しい ぁー」
なんだろう、この違和感。
何かが、おかしい気がする。
「いつの間にか、武器を持ってて――――」
「い モ大変ねェ――――ネ――」
「アレレレレレレグググウンンンンンネネネネネネ」
「ウチ ダン ナ――イイイ、イイイー。モヂョ、ド、ヨ!」
ゾクッ、と背筋が、底冷えた。
会話が通じてない? そんな訳ない、皆いつもどおりだ。いつもどおり。
違うことと言えば〝奴〟だ、奴が武器を持ち出した、後は何だ?
そうだ、昨日、誰かが村に来た。
誰だったか。金色で、緑が、綺麗で。
「あ、あれ?」
思い出せない。あれは、いつのことだったか?
「クラウナさん?」
「ひぃ、あっ!?」
私の悲鳴のような声に、背後から声をかけてきた――ああそうだ、何で忘れていたんだろう――リーンは、両耳を抑えて、うぇぇ、とうめいた。
「そ、そんなに驚かなくても……」
「ご、ごめんなさい、その、私、ちょっと疲れてたみたいで」
「いえいえ、それはいいんですけど……何かありました?」
「あ、あの、そうよ、リーン、聞いてくれる? あのね――」
〝奴〟が矢を武器で、打ち払ったの、そう言おうとした。
出来なかった。
「あ――――」
言えなかった。それどころではなかった。
レストンは川に囲まれている、だから、〝奴〟〝は入ってこれない。
アレンはたしかにそういった。だから、こんなの間違いだ。
(ううううううう)
不快な――とても不快な唸り声。
何を訴えているのか、わからない、わかりたくもない。
〝奴〟が、川の守りの、内側にいる姿を、私は見てしまった。
いつの間に? どうやって? わからない。ただ、一つ言えることは。
ここはもう、安全ではない。
「き――――――」
私が悲鳴をあげる前に、〝奴〟は動きだした。
「クラウナさんっ!」
リーンが私の手を掴んで、引いた。
「あっ……ま、待って、お願い!」
〝奴〟は私達には構わず、井戸の側に居た皆に近づいてゆく。
「や……やめて―――!」
その叫びは、通じなかった。〝奴〟の振り上げた武器が、その頭に叩き込まれ――――
…………。
〝奴〟はずっと川の向こうからこちらを見ていた。
〝奴〟はずっとずっと、私のことを見ていた。
〝奴〟はずっとずっとずっと、私だけを見ていた。
気づいていた、本当は。
その恐怖を押し殺す為に、見て見ぬふりをしていただけだ。