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死ぬということ Ⅲ



「すぐに戻るさ、早ければ明日の昼にでも」


 アレンはそう言ったが、やはり見送る立場としては心配だ。何より、彼がそばにいないのはどうしたって心細い。


「それとも一緒に来るか? 馬には二人乗れる」

「その分、馬の疲労も増すし、もし対応できる聖職者が見つからなかったら、何日か滞在しなきゃいけなくなる。一人増えたらその費用も二倍でしょう?」


 もちろん本音を言うならば、一緒に行きたい。どうせなら聖職者なんて見つからないほうがいい。理由をつけて何泊だってしたい。

 けれど、そうなれば、事実はどうあれ、村の危機に便乗して、二人で街遊びに耽ったと受け取られる。私達の居場所は、この村の中になくなるだろう。

 アレンは元冒険者だ。エスマとレストンの往復だって何度もしてきた。街に行けば顔も効くし、ギルドに対する作法や道理も弁えている。それを考えれば人選としては最も適切であるのはわかっているのだが……。

 いや、時期が時期だけにやはり私が必要以上に不安になっているのかもしれない。


「俺には村のほうが心配だよ、〝奴〟が一体だけならいいけど」

「でも、川の流れは越えられないんでしょう?」 

「ああ、だから村の外にでなければ大丈夫だ。よほどの事がなければ、橋も上げないように村長にはいってある」


 レストンは川に囲まれた村だ。出入りするには、唯一設置された跳ね橋を架ける以外ない。

〝奴〟は水の流れを超えることができない、というのは様々な生物を相手にしてきた冒険者たるアレンの知識であり、たとえ何があったとしても〝奴〟は村の中に入ってこれない、と断言した。

 アレンがそう言うのだから、私にできるのはそれを信じることだけだ。


「アレン、屈んで」

「……?」

「いいから」


 少し疑問に思ったようだったが、アレンはそれ以上何も聞かず、膝をついた。

 その首に、私は紐を通すと、そのまま唇と唇を、わずかに触れ合わせた。


「…………寂しがりやだな」

「アナタがそうしたのよ」


 革細工の首飾りは、レストンでは、旅路の無事の祈願として、贈られる。

 指先で、私の作ったそれに触れながら、アレンは優しく微笑んだ。


「それじゃ、行ってくるよ、クラウナ」

「行ってらっしゃい、早く帰ってきてね、アレン」


……………………。


 今日も〝奴〟が村のそばをうろついている。


「はあ……」


 川を越えられない〝奴〟が私達に危害を加えることはできないはずだが、それでも気分が良くないし何より気持ちが悪い。

 一度、男衆が耐えかねて矢を射かけた事があったが、大して当たりもしなかった。そうすれば一度は奥に引っ込むものの、しばらくしてからまた顔を出す。

 まるで私達の様子をうかがっているようではないか。もちろん、〝奴〟にそんな知能があるとは思わないが。 

 明日の分の水まで汲んでしまおうか、それとも、家に戻って、縫い物でもしようか。

 そう考えていた矢先、ふいに、背後から声をかけられた。


「すいません、少し良いですか?」

「え……? きゃっ、あ、わっ!」


 振り向いた私が驚いたのには、いくつか理由がある。

 だが、まず最初に私の目を引いたのは、眼前にいる少女の、あまりの瞳のまばゆさだ。


「はじめまして、こんにちは」


 少女は、丁寧にスカートの裾をつまむと、そう名乗った。辺境の村には似つかわしくない、鮮やかな金髪。どこかの貴族のお嬢様のような外套、余りに不釣合いで、恐ろしいほど浮いている。

 今のレストンは〝奴〟に対して相当な厳戒態勢をとっている。外から誰かが入ってくることも、中から外に出ることも許されていない。だから村に、こんなに目立つ、知らない人間がいる事などありえない。

 もしも、例外があるとするならば……。

 私は、期待を込めて少女の右手を見た。その視線に気づいたのだろう、その甲を見せつけるように、裏返した。

 楕円形の、美しい緑色の宝石が埋め込まれている。アレンと同じ。つまり。

 私が確信を抱くと同時、少女は名乗った。このあたりでは聞くことのないような、珍しい響きの名前だった。


「ええと、なんと呼んだら……ティ――」

「知り合いからは、もっぱらリーンと呼ばれています。そう呼んでもらえると嬉しいです」


 私と対して変わらないか、ともすれば低いだろう少女は、柔らかな笑顔を向けて、そういった。




 私が歯を食いしばりながら、両手で掴んで運ぶ水桶を、リーンは軽々と、片手でそれぞれひとつずつ持って、家まで運んでくれた。その腕力は、私のような村娘とは比べ物にならない、さすがは冒険者だ。


「村長さんからは、あなたに話を聞くようにと伺ってます」


 席について、お茶を並べて早々、そう切り出され、私は困惑しながら問い返した。


「その、なぜ私が? それに、その……ギルドに、《冒険依頼(クエスト)》を出しに行った人がいると思うのだけど」


 彼女がレストンにいるということは、依頼は正しくエスマに届いたということだ。だが、それならばアレンも戻ってきているはずだ。本当なら、真っ先にこの場所に。


「はい、遅れてこちらに向かってますよ。ギルドでどうしても話を聞かないといけないので、私は先行して様子を確認しに来たんです。ええと、ですので、明日のお昼ごろには到着するんじゃないでしょうか?」

「そう……ですか」


 逸った気持ちに、水をかけられた気分になった……が、アレンは何事もなく、エスマについていたのだ、とホッとする。


「婚約者なんですよね?」

「ふぐっ」


 とりあえず落ち着こう、とお茶を一口含んだところで、そう尋ねられた。リーンは、にやぁー、とこの上なく意地悪な笑みを浮かべていた。


「聞きましたよー、あなたと結婚する為に冒険者をやめてレストンに移住したとか?」

「や、やめて頂戴、そんな、アレンは……その」


 そんなことをペラペラ喋ったのか、という戸惑いと、気恥ずかしさと、その事実を他人から肯定される嬉しさ。ないまぜになった感情で、頬が熱くなるのを感じた。


「……レストンでは、余所者を村に受け入れる際のルールがあるの」

「ルール」

「ええ、この村は、牛革の加工品が名産物。その中でも男性は特に、手袋を作れる事が、一人前の証。村の職人が認める一品を、一から作り上げられる様になるまで、村の一員としては認められず、結婚も、許されないの」

「はー……あれ、じゃあ現状はどうなってるんです?」

「アレンは昔から、村の恩人だったから、修行の機会と婚約の許可をもらえたわ」

「いいですねーラブロマンスですねー。どこで出会ったとかグイグイ聞きたいですねー」

「や、やめて、恥ずかしい……あなたこそ、そういう相手はいないの? 冒険者は、男性の方が多いって聞くけれど」

「全然まったくこれっぽっちもゼロの皆無の虚無ですよ、そもそも冒険者なんて恋愛の相手に選んじゃいけない生物筆頭ですよ」

「……あ、あの、アレンは冒険者、なのだけど……」

「元なのでノーカンです、ちなみに女性の場合は何か条件があったりするんですか?」

「え、ええ……女性なら、靴を作るわ。私が履いているような」


 ずぶずぶ、とかかとを鳴らしてみると、リーンはもう一度、はー、と息を吐いた。癖なのかも知れない。

 さて……年代の近い女性というのが、村に少ないもので、思わず楽しくお話をしてしまったが、本題は、そうではない。


「あの、それで、〝奴〟のことだけど……」


 窓から、ちらりと外を覗き込むと、その姿を見ることが出来た。汚らわしい、肉の刮げた、腐り果てた異形。


「冒険者なら、退治できるんでしょうか……」


 不安を隠さない私に、リーンはあっさりと頷いてみせた。


「はい、可能ですよ、ちょっと準備が必要ですけど」

「本当? なら、よかった……」


〝奴〟が現れてからの生活の息苦しさを考えれば、それは福音以外の何物でもなかった。ようやく、この日々から開放される。


「それでですね……その準備が整うまで、時間がかかるんですよ、その間、村を案内してもらってもいいですか?」

「ええ、そういうことなら、喜んで」


 村長が私の家に、リーンを案内した理由がわかった、要するに冒険者の世話をしておいてほしいということなのだろう。単に面倒事を押し付けたというよりは、年の近い娘と会話をさせてやろうという配慮もあったのかも知れない。

 私自身、不快ではなかった。気分転換にもなるし、この少女のことも、まだ出会って短いが、好意的に感じていた。なんとなくだが、目を合わせるとすごく気分が落ち着くのだ。


「あ、名産は牛肉と伺ってるのですが!」

「革よ、牛革」

 

…………。


「聞いた? この前ライデアで人が食われたって!」

「嫌ねえ、うちのそばにも時々来るわよ、コボルド」

「単なる噂話よぉ、それよりもねえ……」


いつ見ても、彼女達はやかましく、そして賑やかだ。話題はコロコロと移り変わり尽きることはない。


「おはようございます」

「あら、おはようクラウナちゃん」

「今日も綺麗ねー、若いわねー」

「羨ましいわぁー」


 奥様方の挨拶を交わした後、私は真横に居るリーンを示し。


「コチラ、冒険者のリーンさん、〝奴〟の退治に来てくれました」

「どうも、はじめまして」


 優雅にスカートをつまんで一礼する、なんとも様になった仕草だ。ただの村娘である私が真似しても、こうは行かない。

 しかし、彼女達は、リーンを一瞥すると、一瞬表情を強張らせて、すぐに視線を外して、私に話しかけてきた。


「いつも大変ねえ、でももうすぐね」

「アレン君が戻ってきたらねえ」

「ウチの旦那が言ってたよ、筋がいいってさ! もうちょっとだからねえ!」

「え、ええ、ありがとうございます」


 年若い私には、勿論彼女達のそんな態度を咎める立場にないので、話を合わせ、挨拶して、リーンの手を引いて、その場を離れた。


「ごめんなさい、皆、少し気が立ってるのかも」

「いえいえ、全然気にしてませんから。冒険者ならよくあることです」

「……そう、いうものなの?」

「私達って、基本的に異分子ですからね」


 自分のことをそう断じる、私と対して変わらない年齢の少女は、そんなことを言いながら笑う。


「ええと……ああ、あれが牧場、と言っても、そんなに広くないけど」


 村の共同資産である牧場は、レストンの産業の要だ。

 村の面積の半分を使ったこの牧場で、村の全ての牛を飼育し、必要に応じて生活の礎となってもらう。世話は全て女達の仕事だ。


 ボォォォォォォー…………


 そんな折、牛の一頭が、高く鳴き声を上げた。


「あら、もうこんな時間だったか……ご飯をあげないと」

「今の鳴き声は、餌のおねだりなんですか」

「そうよ、空腹になったらああやって鳴くの、少しだけ待っててくれる?」


 牛の世話は当番制だが、気づいておいて何もしない、というのも気が引ける。柵を乗り越えて、手早く牛の飼料を確認する。だが、餌場には乾いた餌が山と積まれていて、食べられた形跡がない。


「あら……? どうしたのかしら」


ボォォォォォォー…………


 疑問に思っている間にも、牛達は鳴き声を上げ続ける。


「食わず嫌い、ってわけじゃあないわよね、ううん……?」


 牛の健康状態は村の経済に直結する問題だ、とはいえ、私は専門家ではない。何かしら問題があるなら、牛を診られる人を呼ばねばならない。


「クラウナさーん、大丈夫ですかー?」


 柵の向こうから、リーンが声を上げた。


 ボォォォォォォー…………

 ボォォォォォォー…………

 ボォォォォォォー…………


 その時だった。三十頭近くいる牛達が、一斉に、揃って声を上げ始めた。


「ひっ?」


 今まで、一度たりともこんなことはなかったので、流石に面食らってしまう。

 牛達は、更に何度も身を捩ると、ゆっくりと、リーンに向かって移動を始めた。


 ボォォォォォォー…………

 ボォォォォォォー…………

 ボォォォォォォー…………


「きゃあ、ちょ、ちょっと!」


 レストンの牛は、興奮したり、暴れたりしない、おとなしい種の筈なのだが、今の彼らは明確に、何かしらを求めている。餌が口に合わなくて、柵の外に求めているのか? 私には判断がつかなかった。

 とにかく、あの数の牛に殺到されたら、冒険者といえども危ないのではないか。そう思って、私は声を張り上げた。


「リーン! 少し離れて! 危ないわ!」


 だが、彼女はニッコリと微笑むと、向かってくる牛達に向かって、右手を突き出して。


「こぉら、めっ、ですよ」


 と、子供を叱りつけるように言った。


 ボォォォォォォー…………


 そんなまさか、と思ったが、そのまさかが起きた。

 牛達は一斉に立ち止まると、その場でしゃがみ込み、動かなくなってしまった。


「あ、あなた、牛飼いでもやっていたの?」


 驚いて駆け寄る私に、リーンは得意げに胸を張った。


「ええ、似たようなことを少々。魔物と比べたら動物はわかりやすいですから」

「へえ……さすが、冒険者って凄いのね、私とほとんど変わらないでしょうに……」

「その分、私に出来ないことをクラウナさんは出来るんですから、とんとんですよ、とんとん」


 その言葉を聞いて、なんというか、私は後ろめたい気持ちになった。


「そんな事ないわ、私、村の中では落ちこぼれだもの」

「はへ、そうなんですか?」

「そうなのよ、靴は作れても、腕前はギリギリ及第点。昔から、同い年の幼馴染が、ものすごく上手だったから、いっつも比べられて、駄目なクラウナって言われてたぐらいよ」

「むー、私は生まれたときから天才かつ美少女なんともいえませんが……」

「あなたって、裏表が全然ないのね」


 リーンは、愛らしい顔立ちをしている。手指にはアカギレもささくれもないし、髪の毛だって長くてサラサラだ。村でこんなに髪を伸ばしていたら、泥や埃にまみれて、軋んで傷んでしまう。

 そんな少女がこんな事を言っても、あまり嫌味に感じない、というのは、ある種の才能なのだろう、それも含めて、なんというか。

 住んでる世界が違うな、と、私は思った。


「ちなみに、その幼馴染はどちらへ?」

「優秀過ぎて、村をでちゃったわ。もう五年ぐらい会ってないかも」

「里帰りとかしないんですか」

「勘当されちゃったもの、村を捨てるなんて何事だーって、両親から村長からカンカンよ」

「うぇー……」


 レストンは、風習や文化を重要視するあまり、そういう、頭の硬いところがある。私はこの村で生まれ育ったから、そういうモノだとしか思わないが、あの子や、よそからみたら、やはり何かしら不自由に思えるのだろうか。


「月に一回ぐらい、お手紙のやり取りはしているのよ、定期的に来てくれる商隊(キャラバン)があるから」

「あ、ご連絡はとれてるんですか」

「ええ、村長達には、あまり良い顔をされないけどね……お年寄りは、本当に頭が固くて」

「そうなると、よくアレンさんと結婚を許してもらえましたねー」

「そうね、本当に、奇跡的だったと思う」

「やはりあれですか、出会いがいい感じだったんですかね?」 

「うん、そうかも、初めて会ったのは、アレンが《冒険依頼(クエスト)》でレストンに……って」


 リーンの顔を見る、ニヤニヤしている。いつの間にか、話題が私とアレンの馴れ初めに話になっていた。


「……続けないと駄目?」

「冒険者は潤いがない職業なので、時折恋バナを摂取しないと死んでしまうのです」

「そんな生態、アレンからは聞いたことないわ」


 軽口に、ついつい笑ってしまう。

 牛達はいつの間にか、目を閉じて、微動だにしなくなった。

 呼吸の音すら聞こえない、静かなものだった。



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