死ぬということ Ⅱ
▽
「おはよう、クラウナちゃん」
「おはようございます」
朝起きて、寒さに身震いしながら、身なりを適当に整える。
道行く人々と挨拶を交わしながら、一日分の水を汲みに村の広場まで行くと、早くから村の奥様方が井戸端会議に花を咲かせている。
「聞いた? この前ライデアで人が食われたって!」
「嫌ねえ、うちのそばにも時々来るわよ、コボルド」
「単なる噂話よぉ、それよりもねえ……」
いつ見ても、彼女達はやかましく、そして賑やかだ。話題はコロコロと移り変わり尽きることはない。
「おはようございます」
「あら、おはようクラウナちゃん」
「今日も綺麗ねー、若いわねー」
「羨ましいわぁー」
挨拶一つで帰ってくる反応がこれだ。苦笑しながら会釈して、井戸の中に桶を落とす。
「っ……」
早朝の井戸から水を汲み出すと、手は恐ろしいほどに凍える。思わず漏れる声を噛み殺す作業までがセットだ。
奥様方のように、水を弾くよう作られた、革の手袋を、私はまだ持っていない。
その様子を見ていた数人が、苦笑しながら私に言った。
「いつも大変ねえ、でももうすぐね」
「アレン君が戻ってきたらねえ」
「ウチの旦那が言ってたよ、筋がいいってさ! もうちょっとだからねえ!」
その笑みは自分達の若い頃を想起させる私の挙動と、これから遠くない先に仲間入りをするであろう娘に対するちょっとした祝福だ。
「ええ、私も早く欲しいです、手袋」
きゃあ、と沸き立ち、若い娘はいいわねえ、とまたはしゃぎだす。
レストンを支えるのは、牛の革の加工製品だが、その中でも手袋は特別だ。
男は父親から作り方を学び、女は夫となる男にそれを作ってもらう。
私のように、夫となる男が村の出身でない場合は、誰かに弟子入りして作り方を一から教わることになる。
その技術が一人前と認められるまでは、私の手がそれに包まれることはない。
「早く帰ってきてよ、アレン……」
今日の水はひときわ冷たい。触れたところが、まだひりついて、少し痛んだ。
○
当たり前の話だが、レストン行きの馬車なんぞ存在するはずもない。つまり徒歩での移動となる。冒険者の足ならそれでも一日半程度だろうが、お嬢は歩くのが嫌いなので、不機嫌さを隠そうともしなかった。
しかし、無言で歩みを進めるのも空気が悪い。人柱ならぬスライム柱として、我輩は声を上げた。
『お嬢、今回は具体的にどういう依頼なのだ?』
「リビングデッドの出現によって、村への行き来が困難となっているので、これの排除をするように、って感じです。あと、レストンの安全確認ですね」
『なら、どちらにせよレストンに行く必要はあるのか』
「ですです。ハクラは、リビングデッドの相手はしたことあります?」
お嬢に話を振られた小僧は、一瞬嫌そうな顔をしたが、何分依頼に関する話である。
「動物のリビングデッドは時々相手したけど、人間のタイプは見たことはあるけど戦闘はしてねえ」
「その時はどう対処したんです?」
「首切って頭砕いたよ、問題あるか」
「アリかナシかでいうと大アリです! むー、いいですか。リビングデッド相手は、一番対応を間違えちゃいけない魔物なんです、下手すると大惨事になっちゃいますよ」
「お前が関わると何事も基本大事になる気がするが……」
「真面目な話をしてるんですけど!」
実際、お嬢の声は年に一度あるかないかの、極めて真面目なトーンである。
「こほん、リビングデッドは〝動く死体〟のことですけど、本体は菌型の魔物なんです」
「菌? カビとかの仲間ってことか?」
「はい、それが生物の体内に入り込んで、脳とか内臓の中で増殖すると、死亡後に身体を乗っ取っとって、肉体の反応を制御されて動くようになります。この状態になった生物の事を一般的にリビングデッドと呼びます」
まあカビが増殖しすぎた時点で腐敗の速度が上がって死んじゃうんですけど、とお嬢は付け加えた。
「宿主の体を奪ったリビングデッドは、他の生き物に自分の本体であるカビを移して増殖します。あと、死体の腐敗は止められませんから、新鮮な肉を取り込んで、なるべく肉体を維持しようとします。これは代謝が止まっちゃってるのであんまり意味ないんですけど」
「ああ、だから噛み付いたり引っ掻いたりしてくるのか、執拗に」
「そうです。カビ自体に、基本的に知性や理性はありませんが、寄生された対象は、カビを増やす為に行動するようになります」
お嬢が人差し指を立てた。知識語りに興が乗ってきた証である。最初は嫌そうな顔をしていた小僧も、まともに会話が成立している事もあるだろうが、今回は《冒険依頼》に絡むとあって真面目に聞いていた。
「これは冒険者が大体勘違いしてるんですけど、頭を砕いても殺すことはできないんですよ」
「俺が前に倒した狼の奴は動かなくなったけど」
「リビングデッドは、生き物がもともと持ってた神経系をそのまま使うので、カビが頭部……つまり脳ですね、そこで繁殖してるなら首を落とす、でも正しい処置なんですけど、内臓とか筋繊維で増殖してると、それでも動く場合があります。なので基本は首を飛ばして四肢切断までしないと、安心できないです、下手すると斬り飛ばした手足も動きますし」
「流石にそこまでのは遭遇したことねえな」
「リビングデッド化した時点で、腐敗速度がものすごい事になるので、筋肉が腐っちゃってまともに動けなくなる……ってことは、実は結構あります。動骸骨と違って、魔力で動いてるわけではないですから」
「当たり前だけど、死んだ直後の方がよく動くってことか」
「ですです。でもって、そこまでした所で、カビ自体はまだ死んでないんです。動かない死体の中でバリバリ増殖します。その死骸を他の魔物やら動物やらが口にしたら、そこから感染が広がっていく、と」
「……放置厳禁ってことね」
「です、ハクラが放置した死体はどっかで新しいリビングデッドを生むことでしょう」
「微妙に過去を後悔させることを言うんじゃねえ」
「若い冒険者の死因で上位に入るケースの一つが、リビングデッドへの対処を間違えたことによる、というギルドの調査結果をご存じですか?」
「後悔を具体的にするのはやめろ!」
「まあ健康な人間の体に入り込んでもだいたい免疫機能が上回るんで、生きてる間はあんまり心配しなくても良いんですけど」
「そういう事も先に言ってくれ……」
お譲と小僧のやり取りに、我輩は極力口を挟まなかった。お嬢が楽しそうなのは良いことだ。小僧には災難だが、我儘やイタズラをこちらに振られないのもとても良い。
さて、村と街をつなぐ道というのは、最低限、馬車が通れる幅だけは整備されているものだ。しかしレストンに向かうルートは川が多く、いちいち迂回して橋を探すか、幅の短い場所を見つけて飛び越えるかをせねばならない。単調に進むよりは退屈ではないが、それなりに面倒ではある。我輩はお嬢の手の中なのであまり関係ないが。
「でもな、レストンってここだろ?」
小僧が歩きながら地図を広げ、村の場所を指し示すと、お嬢が覗き込みながら頷いた。
「ですね、綺麗に川に囲まれちゃって。あ、アオ。レストンって美味しいものあります?」
『牛革の加工が盛んな村であるな。それに伴い牛肉の料理も多い。祝い事の際は子牛の丸焼きが供されるのが通例であるな』
「今日中にレストンにたどり着きますよ、ハクラ!」
「話の路線を変えるな!」
「じゅるり」
「じゅるりじゃねえよ」
小僧は地図をしまいながら、ふうん、と頷いた。
「川に囲まれてるってことは、リビングデッドは村に入れないから、とりあえず村自体は安全ってことか」
その言葉に、お嬢は、呆気にとられたように目を開いて首を傾げた。
「はい? なんでです?」
「なんでもなにも、リビングデッドは川を渡れないだろ」
当然だ、と言わんばかりの小僧の言葉に、お嬢はんんん、と軽く唸った。
「んー、そりゃ聖水には弱いですけど、ただの水に弱いなんてことはないですよ。魚のリビングデッドだっていますもん」
「……そうなのか?」
「むしろ弱いのは乾燥と高温です。ですから死体が風化して塵になって空気感染、とかは無いですし、だからこそ、教会なんぞはリビングデッドが出た村には火を放って全部灰にしてしまうわけで」
教会の名誉の為に言うと毎回必ず百%火を放つわけでは決してないのだが、お嬢は教会が嫌いなので、肩を持つ発言をすると我輩が潰される。
よって無言である。
「水の上を渡れないのは吸血鬼の貴族とかですよ。屍族という分類じゃ同じですけど、彼らは暗黒大陸から出てきません。それこそ海を越えられないからなんですけど」
お嬢は、世界で最も魔物に精通した専門家である。それは間違いない。
だからこそ、イレギュラーを含めたすべての要因を知っていなければならない、という自負がある。
「うーん、土地土地によって魔物の生態が違う、ってことは、そりゃありますよ? でもリビングデッドってそういうタイプの魔物じゃあないですし、あと考えられるとすれば……」
「すれば?」
「……うーん、いえ、なんでもないです。現実的じゃないです、やっぱり、何かの間違いだと思うんですけどね……」
煮え切らないお嬢の反応に、小僧はどうでも良さそうに呟いた。
「ま、どっちにしても、村にいきゃハッキリするだろ」
とだけ言った。