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死ぬということ Ⅰ

 両手が真っ赤に染まっている。手にした石の重さで、肩が外れそうになる。

 それでも私は、何度も、何度もそれを振り下ろした。

 夢中だった、失いたくなかった。たとえ手遅れだとしても。

 私は、私は、私は、私は――――。



 今日も〝奴〟が村のそばをうろついている。

 レストンは小さな村なので、内々でなんとかならない問題があれば、村長達が長い時間をかけて、会議という名の責任の押し付け合いの末に冒険者を頼る事になる。


 そうなると、早馬で往復一日かかるエスマか、その三倍は遠いクローベルまで足を伸ばさねばならない。

 こんな環境下で、大きな問題が起こっていないのはある種の奇跡なのだが、昔からそうやって過ごしている大人達はそのありがたさを自覚することはない。


 老人に至っては魔物なんてコボルド程度しかいないのに、外壁を築き、維持に努めるライデアの村人を露骨に馬鹿にすることすらある。


 そんな村なので、『魔物が現れる』と言うのはそれだけで大きな事件であり、非常事態だ。

 それこそ、コボルドであれば石を投げて追い払えばよいが、今、私の視界に映る〝奴〟は、人間の形をしている。


「…………」


 肉の削げた体、腐り落ちた瞳、むき出しの骨。

 死んだはずの人間。動かないはずのむくろ。

 こちらに向かっては来ない、遠くから、ただじっと村の中を眺めている。


「早く帰ってきてよ、アレン……」


 腰が重くけちくさい村長も、すぐそこにあんなものがいては話は別だ。

 エスマへと馬を出したのは数日前の話で、まだ戻って来ないところを見ると、対応できる人員が居ない事は容易に想像がつく。

 あれを退治する手段は私達にはない。なぜなら……



「はあ、リビングデッド、ですか?」


 お嬢がエスマに戻って二日目の朝、ギルドに新たな《冒険依頼(クエスト)》を求めて向かって早々、職員にそう切り出された。


「ええ、エスマから南東にあります、ライデアとは逆方向――レストンという村ですね。その周辺でリビングデッドが出たと」


 エスマのギルドに務めるエリフェル嬢は、つり目に眼鏡(グラス)、ギルドの支部共通の職員用制服を着込んだ、洒落もお洒落も通じない、お嬢との相性の悪さはもはや約束された、真面目が呼吸しているような女性である。


 エスマに停留するようになってから何度か彼女を窓口に《冒険依頼(クエスト)》を受けた結果、お嬢の能力を見込んでか、淡々と事務的に、平然と面倒事を振ってくる様になったのだ。


 なので最近はエリフェル嬢がいないタイミングを見計らってギルドに向かっていたのだが、ヒドラの件で報酬をふっかけたり、ライデアの件で《冒険依頼(クエスト)》を時間をかけて吟味した結果苦情が入ったらしく、カウンターにお嬢が顔を出してそうそう、職員が入れ替わる形で姿を現したという訳である。

 エスマは彼女を正式にお嬢に任せたようだ、厄介事を押し付けたとも言えるが。


「なんでそれを私が? 神官なり聖騎士あたりの仕事でしょう。いつも森ごと村ごと焼き払ってるじゃないですか」


 アンデッドの処理が、一般の冒険者に回ってくることはほぼないと言って良い。それらの依頼は持ち込まれた直後、ギルドの受付に出る前に教会の【聖十字団(パラディンクルス)】や【聖女機構(ジャンヌダルク)】が処理するのが通例である。

 だが、エリフェル嬢は淡々と変わらぬトーンで返答した。


「エスマにアンデッドを処理できる人員がいないんですよ。街の教会にいるのは浄化の技能を持たない普通のシスター、クローベルに駐留している聖騎士は数名居ますが、今は他の任務にかかりきりです」

「はあ……他の任務って?」 

「それを知る権限はアナタにありません」


 お嬢の動きが一瞬停止した。これは理性でなんとか怒りを抑え込んだ証拠である。


「…………知りたくもないんで、別に、いいですけど……私に対処できる範囲なんですか?」

「それを判断するのは私ではなく専門家であるあなたでしょう。我々は、経歴と能力から、あなたであれば問題ないと思って仕事を斡旋しています。いえ、自信がないと仰るのであれば無理強いはしませんが」


 内容を素直に受け止めるならば、一応褒め言葉ではあるのだろうが、エリフェル嬢の言動はあまりに抑揚がないので慇懃無礼に感じるし、お嬢は素直に物事を受け入れるような神経なぞ持ち合わせていないので、あからさまに嫌そうな顔をしていた。


「教会が後から難癖つけてきたらどうするんですか」

「貴女の身の安全はギルドが保証します。公的な立場から教会には手出しをさせません」

「裏から暗殺しかけて来たらどうするんですか」

「降りかかる火の粉から自分の身を守る程度の事はしていただきたいですね」


 お嬢が杖を握る力を強くしたということは、眼前の相手の頭部を殴りつけてもいいかな……と思い始めた証拠だ。

 力づくでも止めるべき場面だが、今の我輩は単なる首飾りに変じている為、それも出来ない。

 明日から殺人犯の汚名とともに逃亡生活を送る可能性を想像し、そしてそれが現実になる前に口を挟む者がいた。


「で、報酬はいくらぐらい出るんだ?」


 癖の付いた白髪に、血のように赤い瞳。男としてはそこまで上背があるとは言えないが、小柄なお嬢の手元にある書類を見ようとすると、さすがに顔を覗き込ませる形になる。


「…………」


 エリフェル嬢がちらりとお嬢を見た。誰か、という意味ではなく、この男はこの話に一枚噛む立ち位置なのか、という確認だろう。

 お嬢は視線に頷きを返し、横の小僧を見た。


「正直……すっごい、いい額です。すっっっっごい面倒臭いですけど!」

「決まりだ、それにしよう」


 冒険者はいついかなる時も合理的に動く生き物だ。

 小僧――ハクラ・イスティラも例外ではない。二人の契約では《冒険依頼(クエスト)》をこなすのはお嬢であり、小僧の仕事は不測の事態に対する護衛である。

 その「不測の事態」がないことには取り分も少なくなるが、それでも分母が大きいに越したことはない。

 仕事がどれだけ面倒でも作業の核はお嬢が行うのだから、実入りの良い《冒険依頼(クエスト)》を選ぶのは理に適っている。


「ではそのように処理いたしますので。どうかよろしくお願いします。ご無事でご帰還くださいますよう」


 大なり小なり危険な《冒険依頼(クエスト)》に向かう冒険者に対して、全てのギルド職員が並べる定型句を、彼女もまた淡々と言った。


「……エリフェルさん」


 お嬢は、ジト目で、エリフェル嬢を睨みつけた。


「何でしょう」

「その首飾り、センスないですね」


 お嬢の視線はエリフェル嬢の首元にある、革細工の首飾りに向けられていた。キッチリと整えられた衣装に、作りの粗いそれは、確かになんとも不釣り合いであるが、人様の様相に対しては完全に難癖である。


「知ってます、それがなにか」


 勿論、そんな安っぽい挑発に乗るわけもなく、一言そう言うと、もう良いだろうと言わんばかりに、書類に目を落とした。もうこちらには目もくれない。


「…………えい」

「あっぶねっ!?」


 お嬢の怒りの矛先は小僧へと向き、手にした杖が振り下ろされたが、それは特に大きな問題ではない。



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