前へ次へ
10/168

生きるということ Ⅸ


「……お前ついてくるの?」

「うん、だって、ルドルフが心配だし」

「クゥン……」

「どちらかと言うとお前が来る方が不安なんだが……」


 ルドルフとしっかりと手をつなぎつつ、リーンにべったりくっついて離れないテトナ。必然、俺のカバーする範囲が増える。コボルド相手に遅れを取るつもりはさらさら無いが、かと言って百%の安全という言葉を軽々しく使えるのは、不測の事態に陥ったことのない馬鹿か、神様ぐらいのものだ。

 しかし、リーンはお気楽に、


「まあまあ、いいじゃないですか。下手に一人で帰すわけにも行かないですし、ハクラの側に居たほうが、テトナちゃんもルドルフ君も安全ですよ」


 などとのたまいやがる。


「最も安全を脅かしたやつが言う台詞ではないと思うが……」

「む。言っておきますけど、私が来なかったらルドルフ君、襲われてましたからね」

「……何?」

「何であのコボルド達があそこに来たと思うんですか」

「お前が巣を崩壊させた音を聞きつけたからだろ」

「ちーがーいーまーすー! そもそもルドルフ君はあのコボルド達に匂いを嗅ぎつけられてたんですー! 私はその前に甘果実(エリシェ)をぶちまけて匂いをごまかしつつ先回りしてルドルフ君を保護しようとしたんですーっ!」

「じゃあ別に巣をぶち壊す必要無かっただろが!」

「それはそれ、これはこれ、あれはあれです」


 絶対にやりたかっただけだ、こいつ。





「テトナ!」


 その折、聞き覚えのある、しわがれた声が、森に響いた。大きな声ではなかったが、切羽詰った『圧』がある。

 横目でリーンを見ると、『あちゃー』と言いたそうに頭を抑えていた。


「おじい……ちゃん?」


 その声の主を、テトナが教えてくれた、眼前に現れたのは、まさしくライデアの村長と、武器を携えた二人の若い男だった。

「姿が見当たらないと思ったらやはりだ! テトナ! 森に入るなとあれほど言っただろう!?」


 怒りはごもっともで――そして、当然といえば当然だが、テトナは、行き先を誰にも告げずにルドルフに会いに向かっていたらしい。

 この状況下で、もし孫娘が森にいるコボルドに会いに行きたいなどとほざいたら、まあ俺でも殴って椅子に縛り付けるだろうから、村長の怒りは妥当だろう。だが……。



「リーン」

「はい」

「嫌な展開になる気がするぞ」

「私もです」


 俺達の意見が一致すると同時に、村長は焦った顔で――テトナの真横に居る、ルドルフを見た。


「テトナ! そいつから離れなさい! 早く!」


 その予感は早々に的中した。村長の怒声に怯えるテトナは、それでもルドルフを庇うように抱きしめて、涙ながらに叫んだ。


「待って、おじいちゃん! ルドルフは、違うの! 悪くないの!」

「何が違うものか! お前の父を殺したのは、そいつらだぞ! 危険なんだ、何故わからない!」

「ルドルフは、そんな事しないっ!」

「テトナッ!」


 村長が一歩近よると、テトナはこともあろうに、ルドルフの手を引いて俺の後ろに隠れた。

 ……マジかよ。

 当然のように、村長は俺とリーンを睨みつける。言いたいことはよく分かるし、実際、それを口にした。


「どういう事ですかな、お二方。我々は、ギルドに、コボルドを狩って欲しいと、《冒険依頼(クエスト)》を出した筈ですが」


 怒りを堪えきれない、と言った風情だった。杖を握る手は震え、歯を食いしばり、絞り出される声は煮詰まった憎悪が滾っていた。


「……孫娘を保護してやった俺らに、そんな刺々しく突っかかって来なくてもいいんじゃねえか?」

「それに関しては、感謝しています。ですが……」


 その視線は、俺の背にいるルドルフに向けられている。

「仕事を果たしていただきたい。今、目の前で、そのコボルドの素っ首を刎ねてもらいたい。でなければ、我々はあなた方を信用できない」

 それは、依頼主から冒険者に与えられた、最後のチャンスだ。

 ここで意に沿わなければ、依頼を取り消し、新たな冒険者を要請するだろう。

そして俺達は『コボルド退治すら出来ない三流以下の冒険者』としてのレッテルを貼られる事になる。

 それだけは、避けなければならない。


「…………」


 腰の剣に手を添える。背後のテトナを軽く突き飛ばして、ルドルフを始末するのに、瞬きだって必要無い。


「なんで、おじいちゃんはルドルフを信じてくれないのっ!? 一緒に、遊んでくれたじゃない! お友達だって言ったら、喜んでくれたじゃない!」


 テトナが叫ぶ、その涙の混ざった声に滲む感情は、唯一つだ。

 もう、何も失いたくないのだ。父親を失った少女は、これ以上、友達まで居なくなるのが嫌なのだ。

 それは子供の我儘だ、理屈では、どうしてもそうなる。

 村長の言っていることは、正しい。なぜなら。


「何故わからない! コボルドは我々を裏切った(、、、、)んだぞ!?」


 そう。先に隣人であることをやめたのは、彼らだからだ。

 お互いがお互いを、傷つけないからこその信頼関係だったのだ。


違いますよ(、、、、、)


 その時、今まで黙りこくっていたリーンが、怒声の隙間を縫うように言った。


先に裏切った(、、、、、、、)のは人間の方(、、、、、、)です。怨み憎しみは勝手ですけど、その順番を間違えちゃいけません」


 その物言いは、タイミングとしては最悪で、発せられる内容としては当事者の神経を逆なでするものでしかなかった。

 が――彼らがその意味を理解して、怒りという感情に変換される前に、更に言葉を差し込んだ。


「ついてきてください、この森で何が起こっているのか、見せてあげますから」


 そういって歩き出す姿が、あまりに堂々としているものだから、俺も含めた全員があっけにとられ、何か言うよりも、なんとなくその後ろをついていく、という感じになってしまった。

もっとも、憤りは消えるわけではなく、険しい顔をしたままの村長達と距離を取るように、テトナはルドルフの手を引いて、リーンの後ろをついて行く。


『小僧』


 いつの間にか俺の足元で跳ねていたスライムが、呟いた。


「んだよ」

『お嬢は六割、と言ったが、恐らく我輩は三割程度だと思う』

「何が」

『村人達を説得できるかどうかだ』

「三割もある方が驚いたよ」


 辟易しながら俺が返す。


『故に小僧、お前の判断で、斬って良い』

「……何をだ」


 あえて確認するように言うと、スライムは、ふぅ、と溜息のような声をこぼした。お前はどこから呼吸してるんだ、とは、今更言わなかったが。


『ルドルフだ。その時点でお嬢と貴様の契約は終わりだが――お嬢に付き合って貴様まで路頭に迷うことはあるまい』

「最初からそのつもりだよ」


 リーンが何を考えているかはわからないが、破滅するまで従う義理はない。

 そして、テトナの手を掴んで離さないルドルフの背中は、今この場で殺められるほどに、頼りない。


前へ次へ目次