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94 夢のあと

 ロザリーの魂が偽りの死から肉体へと還る。


「――ヒュッ、ふっ……はあっ!!」


 まるで深く冷たい淵の底に沈んでいて、今やっと水面に浮かび上がった、そんな心地。


「ロザリーっ!」


 荒く息をつくロザリーの目に、涙を浮かべたラナの顔が飛び込んできた。

 ロブとロイ、サベルと領主姉妹も、心配そうにロザリーの顔を覗いている。


「気を失ってたよ!? 呼吸も、あれじゃまるで死んで……ねえ、大丈夫なの!? 何とか言ってよ、ロザリー!」


 ラナがロザリーの身体を揺らす。

 ロザリーは彼女の手をそっと押し止め、ゆっくりと上半身を起こした。

 葬魔灯の影響で、酷い脱力感がある。

 ふと見下ろすと、側にノアの亡骸があった。彼のがらんどうの眼を見つめ、それから背後を振り返る。

 あの石壁だ。

 閉ざされたままになっている。

 ロザリーは右手を石壁に向けてかざした。


「高貴なる魂は、鳥のように箱舟へ至る」


 古代魔導(リュロンド)語で紡がれたその一文は、ノアと彼の家族の名を連ねたものだった。

 大きな地響きが起き、通路が揺れる。

 ゆっくりと石壁がせり上がっていく。


「……ロザリー。何をした?」


 サベルに問われ、ロザリーが答える。


「ノアさんから合言葉を聞いたの」


 するとアデルとアルマが、ロザリーに飛びついた。


「お父様と話したの!?」

「何とおっしゃっていたの!?」


「ごめん、違うの。過去を見ただけで会話はしてないわ」


 今度はロブとロイがロザリーに顔を寄せた。


「おい、ロザリー」「扉の奥には何がある?」


 ロザリーは青白い顔で答えた。


「その目で確かめて」


 ロブとロイは顔を見合わせた。


「何かさ、空恐ろしいんだよ」

「人生の分岐点に立ってる気がしてさ」


「なに言ってるの、二人して。いいから見てみて、跳び上がって喜ぶから」


「勿体つけるな」「いいから教えろ」


 ロザリーはため息をつき、部屋の中にあるものを教えた。


「ノアさんの蝶の本。そして人型魔導具(オートマタ)

「蝶の本!?」「人型魔導具(オートマタ)!?」


 ロザリーの推測通り、二人は跳び上がって目を輝かせた。

 そして全速力で駆け出し、石壁があったところで急停止した。

 そのまま硬直して動かない。


「……どうしたの、ロブロイ?」


 ロザリーがそう聞くと、二人は同時に首だけで振り返った。

 揃って目を見開き、瞳孔も開いている。


「今、〝旧時代〟の空気を吸ってるんだなって」

「ヤバい、感動してる」


 ロザリーは呆れたように言った。


「……魔導具関係者って、みんなそうなのねぇ」




 翌朝。

 領都イェル、領主の館。

 ロザリーは【葬魔灯】で見たことを領主姉妹にかいつまんで聞かせた。


「――同化した私にはわかる。ノアさんは二人を心から愛していた、死の瞬間までね」

「っ……」「お父様ぁ……」


 妻の死を契機に研究に没頭するようになった父を、アデルとアルマは見放されたと感じていた。

 その研究の最終目標が自分たちの分離であったことを知り、父に対するわだかまりが雪のように溶けていった。

 ロザリーが悪戯っぽく笑う。


「エヴァさんとの馴れ初めも見たよ。聞きたい?」


 姉妹は揃って顔をほころばせたが、すぐに笑みを消した。


「それも、興味あるけど」

「それより父を殺した男のことを聞きたい」


「イゴールね」


「何者なの?」

「ロザリーは前から知っているのよね?」


「詳しく話せるほどは知らないの。子どもの時にいた施設に、奴がいたってだけ」


「そう……」「なんの施設なの?」


「わからない。コクトー様は、どこの国にも属さない魔導具研究機関かもと言っていたけど……やっぱり気になる?」


「当然よ」「父の仇ですもの」


「そうよね。……イゴールに関して何かわかったら――手紙鳥わかる? あれで報せるわ」


「わかるわ。ありがとう」「私たちも調べてみる」


 と、そのとき。


「行ってきまーす!」


 威勢の良い声とともに、カシナ刀を携えたラナが居間の前を横切った。


「行ってらっしゃい」」「気をつけてね」


 姉妹に見送られたラナは親指を立て、玄関へと向かった。


「ラナ、頑張ってるね」


「ええ。腕もめきめきと上げているわ」

「私たちが負ける日もじきに来るかも」


「へぇ~」


「ところでロザリー。ここにいつまでいられるの?」「お父様の話をたくさん聞かせてほしいわ」


 ロザリーは首を捻った。


「いつまで? んー、別に決めてないけど」


 すると、玄関のほうからダダダッ! とこちらへ駆けてくる足音が響いた。

 居間の入り口から顔を出したのはラナ。

 先ほどまでの元気はどこへやら、顔面蒼白となっている。


「今日、何月何日!?」


 姉妹が暖炉の上にあるカレンダーを指差す。


「竜背の月の十四日」「それがどうかしたの?」

「あああ! しまったぁぁ!」


 ラナは頭を抱えてその場にうずくまった。

 そしてぐっと顔だけを上げ、ロザリーに怒鳴った。


「もう! ロザリーも気づきなさいよ!」

「何のこと?」

「ソーサリエに戻る日よ!」

「そんなの決めてないじゃない。別に期限だってないし」

「ないわけないでしょ! じゃあずーっと実習やるわけ!? 何か月でも!? ここで年越しても問題ないって思う!?」

「いや、それは……無理かも」

「実習先によって期間に差があるから明示してないだけなの! 期限はあるのよ! それまでに実習修了証をソーサリエに提出しないと、実習自体認められないの!」

「そ、そうなの? 期限っていつ?」


 ラナは生気の抜けた顔で言った。


「……卒業試験の前に、最後の必修授業期間があるわ。実習に出る前、掲示板にその日程が貼ってあった。それまでに戻らなきゃアウトよ」

「ああ、それ私も見た気がする。いつだったかな……」

「金枝の月の頭」

「なんだ、まだ二週間もあるじゃない」

「ないわ」


 ラナが青白い顔で首を横に振る。


「ミストラルに帰るのに何日かかると思う? ポートオルカに行くのでさえ、ひと月もかかったのに」

「あ……」


 ラナは床に手をつき、がっくりと項垂れた。


「あー、終わったぁ。騎士になるって決めたのに、こんなんで終わっちゃったぁ……」


 その呟きを最後に、ラナは動かなくなった。

 彼女にしてみれば、せっかく得た千載一遇のチャンスをうっかりミスで台無しにしたようなもの。

 普通の生徒なら留年して再度実習へ、という選択肢もあるが、はたして無色のラナに二度目があるか。

 ロザリーから見ても可能性は限りなく低かった。


 アデルとアルマは言葉なく、しかし揃って目を見開いていて、ロザリーに「「えっ、終わっちゃったの!?」」と視線で訴えてくる。


 ロザリーはぽつりと呟いた。


「しょうがない。奥の手を使おうか」

「……奥の手!?」


 ラナがガバッと顔を上げる。


「それなら間に合うの!?」


 ロザリーは指を三本立ててみせた。


「ミストラルに三日で戻る自信があるわ。乗る?」

「ほんと!? 信じていいのね!?」

「試したことないけど、たぶんうまくいく。もしかしたら、ラナたちに少し負担がかかるかもしれないけど……」

「いい! 間に合うなら何でもいい!」

「じゃあ、それでいこう。保険かけて出発は一週間後にしとこっか」

「うん! ……で、どんな奥の手なの?」

「当日まで秘密」

「え~。何でよ~」

「だってあなたたち、知ったら嫌がるもん」

「嫌がらないから。ケチケチしないで教えてよ~」

「秘密だってば」

「わかった! カラスに縄つけて、私たちに結んで飛ばすんでしょ!」

「ちーがーうー」


「「コホン!」」


 アデルとアルマが咳払いした。

 ロザリーとラナが姉妹を見る。


「では、一週間後に帰るのね?」


 アデルがそう問うと、ラナが頷く。


「なら、ここで過ごす時間も、あと一週間あるということね」


 アルマがそう言うと、またラナが頷く。


「それが、どうかしたの?」


 そのラナの問いをきっかけに、姉妹はスッと姿勢を正した。

 威厳あるその様は、出会ったときに見た、領主としての姉妹の姿だった。


「実習修了試験として試合を行います」

「期日は一週間後、出発の日の前日」

「その試合の勝利をもって実習修了とします」

「場所はいつもの裏庭。相手はもちろん」

「「私たち」」


 ラナの瞳が輝きを増していく。


「勝負は一回きり。負けたら二度目はない」

「どう? 勝てそう?」


 ラナはカシナ刀を握り締め、立ち上がった。


「……やる気出てきたっ!」


 そう言って、彼女は館を飛び出していった。

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