9 入学の日
――王都ミストラル。
〝獅子王〟エイリス=ユーネリオンの座す
高さ十メートルを越える城壁が丘をぐるりと包み、その内側に敵兵の侵入を許したことはただの一度もない。
「うわぁ! これが王都!」
巨大な城門をくぐると、目に入るのは人、人、人。
行き交う人は絶え間なく、雑踏のにぎやかさは声を張らねば隣の人と話せないほど。
「今日はお祭りってわけじゃないよね?」
大きな声でロザリーが聞くと、ヒューゴは深くかぶったフードをつまんで周囲を見回した。
「大都市は毎日こんなモノだ」
「大都市って王都以外にも?」
「そりゃあるサ。東方商国ノ都や、魔導皇国ノ皇都バビロンはもっと大きい」
「すごい! 世界は広いねぇ!」
ロザリーは臆することなく雑踏の中をズンズン進んでいく。
「あー、御主人様」
「なあに、ヒューゴ?」
「あまり、はしゃがないでくれるかなァ」
「なんで?」
「目立つダロウ?」
ロザリーはヒューゴを振り返り、怪訝な顔をした。
「このくらい、いいでしょ?」
「よくないネ。キミは死者を操る
「あー、もう。その文句は聞き飽きた……よっ!」
ロザリーは、ふいに駆け出した。
人ごみを器用に縫って、王都の丘を上っていく。
「チッ! 向こう見ずな御主人様ダ!」
後を追って、ヒューゴも駆け出す。
商店の前にできた行列の間をすり抜け、荷を山と積んだ馬車をかわし。
二人の差はジリジリと縮まっていき、丘の中腹付近でロザリーは捕まった。
「あ~ん。また負けた~」
「ボクに勝とうなんザ五百年早いネ」
「私ってヒューゴの力をそのまま貰ったんだよね? なのになんでいつも負けるのかな?」
「経験や技術の差だ。その点、キミはまだまだだヨ」
「頂上の金ピカ城に入ってみたかったのにぃ~」
「王城に? バカを言う。曲者を討とうと騎士が大挙押し寄せてくるだろうよ」
「私、負けるかな?」
「負けはしない。が、手合わせとは違うから命ノやり取りになる」
「じゃあ、やめとく」
そしてロザリーはにんまりと笑った。
「最初の目的通り、
ヒューゴはげんなりとした表情を浮かべた。
「本気なのかイ?」
「もちろん! ちょうど入学年齢の十二才だし。それに入学手続きが今日からって、これはもう運命じゃない?」
「必要ないと思うンだが……」
「元々はヒューゴが言い出したことでしょ。それが近道だって」
「たしかにキミは山奥育ちのせいか常識に欠けるし、教えるべきボクの持つ常識は五百年前のものだし……」
「知識を得るには書物が一番。書物がいっぱいあるのは
「一方、
「……目立ちたくない?」
ヒューゴは静かに頷いた。
「舘での出来事を忘れたのかイ? アレが
ロザリーは笑顔を消し、そっぽを向いた。
腕組みして、不機嫌そうに街並みを睨んでいる。
ヒューゴは長いため息をついた。
「……わかった。入学しよう」
途端、ロザリーの顔がぱあっと輝いた。
「ほんと?」
「仕方ない」
「気が変わったりしない?」
「だったらその前に行こう。もう入学の手続きを受け付けてるハズだ」
「うん!」
ロザリーはスキップを踏み出しそうな足取りで歩き出した。
「そうだ、ヒューゴ」
「なんだイ?」
「私が授業受けてるときは好きに出かけていいからね?」
「ご冗談ヲ。影の中からいつも見守ってるヨ」
◇
「一般入学希望者はこちらでーす」
組み立て式の机がいくつも並べられ、その前に受け付けする職員が十名以上座っている。
そして、その職員たちの前には大行列ができていた。
「嘘。これ全部、入学希望者なの?」
「これは日暮れまでに終わるかねェ」
二人は適当な列の最後尾に並んだ。
ロザリーがヒューゴに囁く。
「……魔導の素質のある人って少ないって聞いたけど」
「少ないネ」
「多いじゃん」
「いや、そうでもナイみたいだ」
そう言って、ヒューゴは別の列の先頭を指さした。
入学希望者と職員が、何やらもめている。
「ダメです。許可できません」
「そこを何とか! どうかこれで……」
「賄賂なんて渡してもムダですから!」
「そんなあ! はるばる西方ハンギングツリーから来たんですよ!」
「そんな遠くから何しに来たんです!」
「もっ、もちろん入学するためです!」
「あなたに魔導はありません! 多少力持ちなだけです!」
行列に並ぶ人たちにざわめきが起きている。
どうも魔導がないと知っていながら並んでいる者もいるようで、一人、また一人と列から抜けていく。
「魔導がないのに入学しようと? なんで?」
「入学して卒業すれば騎士になる。騎士とは貴族だ。失うものはないし、ダメ元で――ってとこかナ?」
「あっきれた」
「そうかイ? ボクは好きだなァ、ああいう人たち。野心的で、愚かで」
揉めていた入学希望者はまだ諦めきれないようで、机にしがみついて動かなくなった。
ついには警備の騎士に両脇を抱えられ、どこかへ連れられていく。
それを見た途端、列から大勢が抜けた。
「……こんなにいたんだ」
「だネ」
「日暮れ前には終わりそう」
「うン。いいことだ」
行列が
最終的に残ったのは二十人に満たない程度。
(あの男の子たち、顔がそっくり。双子かな? 初めて見るや)
(ん? あの眼鏡の女の人も同い年? ずいぶん大人びて見えるけど……)
そんなふうに人間観察しながら列に並びなおしていると――
「あっ」
「っと」
他の入学希望者――大柄な少年とぶつかった。
「すまない。怪我はないか」
「うん、ぜんぜん」
ロザリーは少年を見上げた。
(この人も同い年よね? 大きいな……)
そして少年の顔色がおかしいことに気づく。
目を見開き、耳まで紅潮している。
「あの、何か?」
「お前は……」
「私? 私はロザリー。あなたは?」
「俺は……グレンだ」
「グレン。よろしくね」
ロザリーはそう言って手を差し出した。
しかしグレンはなかなかその手を握らなかった。
「グレン?」
「ああ、いや……もしかして、ロザリーも
「ん? ええ、もちろん」
「そうか!」
グレンは喜色満面でロザリーの手を強く握った。
そのとき、二人に職員から声がかかった。
「次の方ぁ~?」
見れば、職員の前にいくつも空席ができている。
「行かなきゃ」
「ああ、またな!」
グレンは機嫌よさげに空いた職員の前に歩いていった。
「変な人」
ロザリーがそう呟いた瞬間、ヒューゴが肩の上からにゅっと顔を突き出してきた。
「気に入らないねェ」
「何よ、ヒューゴ」
「気に入らない、気に入らない……」
先ほどの職員が再びロザリーに声をかける。
「あのぉ~? 待ってるんですがぁ?」
「あ、すいません」
ロザリーはその職員の前に素早く移動し、席についた。
その動きに、職員が目を丸くする。
「身のこなしは魔導アリっぽいですが……規則ですので検査させていただきますねぇ~」
「検査?」
何やら薄く輝く鉱石が、ロザリーの前にゴトンと置かれた。
隣に来たヒューゴが言う。
「
「なにそれ?」
「コレを持って魔導ヲ巡らせるだけでいい。それで魔導のあるなしがわかる」
そして耳元で囁く。
(加減しないと割れてしまうヨ。このレベルの
「大魔導?」
(かつてのボクがそう。今のキミがそう)
「ふーん。ま、いいや」
ロザリーは石を手のひらに置き、魔導を巡らせた。
薄かった輝きが次第に増し、発光していく。
ロザリーはその光に心地よさを感じ、目を閉じて、さらに魔導を巡らせた。
(そこまでダ)
ヒューゴに肩を叩かれ、魔導を止める。
目を開けると、職員は前にも増して目をまん丸にしていた。
「すごい輝き! 文句なしの合格ですぅ!」
「あ、どうも」
「卒業して、すごい騎士さんになってくださいねぇ。そしたら私が入学検査したんだって自慢できますからぁ~」
そう言いながら、職員は書類を用意した。
「えーと、まずお名前から聞きますねぇ~」
「はい、ロザリー=スノもごっ……」
ヒューゴが突然、ロザリーの口を塞いだ。
ロザリーは振り向いて、小声で不満を口にする。
(何よ、ヒューゴ!)
(偽名を使うべきダ)
(偽名!? なんで!)
(君の家名――スノウオウルは鳥の名ダ)
(なにそれ)
(魔導皇国の名だよ。ココハ獅子王国。名乗るべきではない)
「あのぉ~。さっきからあなたはなんなんですかぁ?」
訝る視線を向けられて、ヒューゴはとびっきり嘘くさい笑顔を浮かべて進み出た。
「コノ子の保護者です。ちょっと実家ヲ追い出されたり妻と別れたりで、家名が変わりまして」
「ああ、なるほど。それでお名前はぁ?」
「……ロザリー=スノウ
「スノウウルフ、と。お父様のご職業は?」
「アー……旅人です」
「無職ですねぇ~。では、ご住所は?」
ヒューゴとロザリーが顔を見合わせる。
「住まいはありません。旅暮らしなものデ」
「ないでは困りますねぇ」
「あの!」
ロザリーが割って入った。
「入学すれば寮に入れると聞いたんですが」
「あぁ~。すぐ入れると勘違いされる方、毎年いらっしゃるんですよねぇ~」
「入れないんですか!?」
「貴族の方はすぐ入れるんですが、一般の方はお待ちいただくことになりますぅ~」
「待つ……何を待つんですか?」
「ん~と、一般の方は魔導があっても
「ハズレ? ……そのハズレかどうかはいつわかるんですか?」
「色判別の儀式でわかりますから。三年生の頭、二年後ですねぇ~」
ロザリーは思わずのけ反った。
「そっ、それまでいったいどうすれば!」
「王都在住でない方は、知り合いを頼るか、宿を探すかですねぇ~」
「知り合いなんていません」
「では宿ですねぇ」
「あの、王都の宿って高いですよね?」
「ですねぇ。ただ、逆に安い宿もおススメしません、そういう宿がある場所って、治安の悪いところですからぁ~」
「なるほど……」
「心配しなくても大丈夫ですよぉ、王都はお給金も高いですし、仕事自体も多いですからぁ。魔導がある方なら肉体労働を二、三時間こなせば日銭は稼げますよ~」
「はぁ」
「では、空き時間でできる仕事を見つけて、住まいが決まったらご連絡くださいねぇ~」
職員はその後もいくつか質問し、返答を書類に書き記していく。
最後に何か所かにサインをして、書類を机でトントン揃えた。
「はいっ、以上になりますぅ。この書類を持って校内にお進みください。係りの者がおりますので、あとはその者の指示に従ってくださいませ」
「わかりました」
ロザリーは書類を受け取り、立ち上がった。
そして校内に向かおうとすると。
「あ、最後にこれだけ言わせてください」
と、職員が呼び止めた。
「はい、なんでしょう」
すると職員はとびっきりの笑顔で言った。
「ようこそ、