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80 秘密

 夜半。

 領都イェル、領主の館。

 居間の扉を開け放ったロザリーが、呆れたように漏らした。


「あなたたち……私が命懸けで戦ってるっていうのに、のんきに飲み食いなんかして……」


 居間には二つの長テーブルがあり、そこに食事の皿とワインが並んでいた。

 顔を赤らめたラナが、ワイングラスを持ち上げて言う。


「そーれーはー大袈裟よぅ、ロザリー。あなたの命を奪える奴なんて……いないからー!」


 ラナはかなりできあがっているようだ。

 ロザリーはラナに言い返さず、ロブとロイを睨む。


「どう? 私が働いてるときに食べるご飯は美味しい?」


 ロブとロイは悪びれもせず、グラスを掲げた。


「悪くないぜ」「久々の手の込んだ食事だ」


 食事の皿を見ると、煮込み料理が多いようだ。

 ロブとロイはパンを千切ってシチューをすくい、ロザリーに見せつけるようにして口に放り込んだ。


「私たちのほうから誘ったの」「あまり責めないであげて」


 とは、鏡背合わせの領主姉妹。

 彼女たちは二つの長テーブルの間に座り、それぞれ食事するスタイルのようだ。


「同年代とぉ、一緒に食事したことがぁ、ないんだってぇ! ……ひっく」


 ラナの言葉に、姉妹が頷く。


「楽しませてもらってるわ」「海産物も久しぶり」


 見れば、姉妹の前の皿には海魚料理が乗っている。


「それって、私たちの馬車に積んでた塩漬け魚?」


「ええ。内陸のランスローでは川魚ばかりだから」「おかげで久しぶりに海の息吹を感じたわ」


「そりゃあよかった」


 関所を少し緩めれば、塩漬け魚くらい手に入るだろうに。

 そう思うロザリーの後頭部に、ワインのコルクが飛んできた。


「で、どうなのよロザリー。上手くいったんでしょうねぇ?」


 コルク投げの犯人であるラナが、右肘をテーブルにつき、左手にワイングラスを持ってジトリとロザリーを見据える。


「私のぉ、実習がかかっているぅんですかられぇぇ?」


 呂律が怪しくなってきている。

 酔っ払いというだけでめんどくさいのに、絡まれては敵わない。


「ラナ。あなた、酒癖悪いのね」

「んむむ、誤魔化すなぁ~!」


 ラナは立ち上がり、ロザリーの首を絞めるべく両手を突き出して追っかけ始めた。

 ロザリーはひらりと身を躱し、長テーブルを盾にラナから逃げる。


「待てぇ~!」

「ラナ、しつこい!」


 追いかけっこをする二人を尻目に、領主姉妹がサベルに尋ねた。


「サベル」「どうだったの?」


 問われたサベルはあっさりと言った。


「上手くいった。皆殺しだ」

「えっ」


 追っかけていたラナが、その場で硬直する。

 ロザリーは居心地悪そうに言い訳した。


「なんて言うか、その……ちょっとした手違いで……」


 ロブとロイが呆れたように言う。


「手違いで皆殺し?」「お前、賞金首願望があるのか?」

「いや、ほんとわざとじゃなくて……」

「友人の俺たちでも引くわ」「ああ。ドン引きだ」

「あぅ」


 小さくなるロザリーの背中を、ラナが思い切り平手で叩いた。


「へーきへーき! 民草を襲う悪逆騎士なんか、皆殺しで十分よぅ! ロザリー、よくやったっ! 褒めてつかわす!」

「……ラナの『へーきへーき』が出ると、余計に不安になる」

「なんでよっ! 励ましてやったのにぃ!」


 領主姉妹は揃って首だけを振り向くような姿勢でいる。

 背中合わせの二人はお互いを正面から見られないので、この姿勢で互いの横顔を横目で見るようだ。


「私たちとしては溜飲が下がるというものだけど――」

 アデルがそこで言葉を呑み、それからアルマが言葉を継いだ。

「――今後が心配ね。北は復讐してくるわ」


「北?」


 ロザリーが眉を顰める。

 するとロブロイが同時に手を叩いた。


「北ランスローか」「なるほど合点がいった」

「どういうこと?」


 ロザリーが尋ねると、ロブとロイは矢継ぎ早に二人で説明を始めた。


「賊のこと聞いた時から妙だと思ってた」「魔導を持たない普通の賊ならわかるんだ」

「でも魔導騎士揃いなんだろ?」「南ランスローを荒らしても旨みが無さすぎる」

「騎士揃いなら、もっと栄えてる場所を狙うはずだ」「そういう場所には騎士もいて危険だから?」

「いやいやそれでも南ランスローはあんまりだ」「領都イェルからしてこの寂れ具合だもんな」

「遺跡を漁るならまだしも」「小さな村を狙って何になる?」

「まるでタチの悪い嫌がらせだ」「でも北ランスローが糸を引いてるなら納得がいく」

「北と南は元々ランスローという一つの領地だ」「僻地のここだけ分割した」

「なのにこっちに遺跡群があった」「新たな魔導具開発も夢じゃない、大変な価値がある」

「面白くないよな、北は」「で、北は考える。元々一つの領地だ、何とかならないか?」

「今の領主は若い姉妹だ」「子もいない」

「姉妹に統治能力がなかったら?」「代わりに誰かが治めなければ」

「誰が治める?」「関わりの深い領主がいる」

「北ランスローの領主だ」「あとは問題を起こせばいい」

「つまり騎士揃いの賊とは」「嫌がらせ目的の北ランスロー騎士団だ」


 説明が終わり、皆の視線が姉妹に向かう。

 姉妹は肯定も否定もしなかった。

 するとロブとロイがハッと口を覆った。


「もしかして――」「――先代は北に殺された?」

「やめてロブロイ」


 ロザリーが止めた。


「でもよ」「お前だって気にならないか?」

「やめて。お願い」


 ロブロイは不満げだったが、ロザリーに譲る気配がないのを見て諦めた。


(お父さんは行方不明。真相を知りたいのはアデルとアルマのほうよね)


「北の復讐だが――」

 サベルが口を開いた。

「――おそらく心配ないだろう」


 アデルとアルマがサベルに尋ねる。


「そうかしら?」「なぜそう思うの?」

「証人が存在しないからだ。いくらでも言い逃れできる」

「そうか、皆殺しだものね」「証拠は?」

「砦は焼き払い、死体は彼女が処理(・・)した。あとは知らぬ存ぜぬでいい」


 ふと疑問に思い、ロザリーがサベルに問う。


「それでホントに言い逃れできますか? 彼らを殺す動機があるのは、南ランスローだけでしょう?」


 するとサベルは、フッと笑った。


「当の北ランスローがそれを疑わないだろう」

「なぜ?」

「南ランスローに騎士の一団を殲滅できる力がないからさ。魔導騎士が俺だけで、イェルを離れられない。だから賊に扮した騎士に村を襲わせるなんて、舐めた真似をできる。仕返しできないと知っているから」

「ああ、なるほど……」

「お前が高名な騎士であったら通らない理屈だが、幸いただの学生だ。北の領主(ユールモン)はお前の名も知らぬだろう。あとはここにいる者が口を噤めばバレやしない」


 居間にいる七人はそれぞれにそれぞれの顔を見回し、小さく頷いた。

 静寂の中、ロザリーがポツリと言う。


「……じゃあ賊問題はこれで解決?」


 サベルが領主姉妹に目をやると、彼女らはこくりと頷いた。

 するとラナが、領主姉妹に駆け寄る。


「えっ、えっ! ってことは私の実習は!?」


 領主姉妹はラナを見つめ、もう一度こくりと頷いた。

 ロブとロイがラナに駆け寄る。


「やったなラナ!」「これで実習クリアだ!」「実は俺、絶対無理だと思ってた!」「俺も! 馬鹿なヤツだと思ってた!」


「あんたらねぇ……」


 そういいつつも、ラナは笑顔を隠せない。

 そんな彼女へ領主姉妹が言う。


「でも、課題を出すことにするわ」「無礼な男の言いなりなんて癪だから」

「課題? 何をすればいいの?」

「慌てないで」「今日は遅いわ。明日にしましょう」


 今度はラナがこくりと頷いた。

 話の終わりを見計らって、ロブとロイが同時に手を挙げた。


「なあ」「ちょっと聞いていいか?」


 ロザリーが目を細める。


「ロブロイ。やめてって言ったよね?」


 するとロブとロイは慌てて否定した。


「先代のことは諦めた!」「別件だ!」


 すると領主姉妹がロブロイに尋ねた。


「何かしら」「双子さん?」


 双子の領主に「双子さん」呼ばわりされて、ロブとロイは顔を見合わせた。

 が、すぐに気を取り直して、交互に質問を始める。


「なぜ遺跡の研究を進めないんだ?」「コクトー様の手紙の感じだと、まったく進んでないんだろ?」

「せっかく遺跡群があるんだ」「無理をしてでも研究を進めればいいじゃないか」

「旧時代研究は金になる」「新しい魔導具を作れるんだ、そりゃあ大儲けさ」

「北が狙うのも儲かるからだろう?」「だったら奪われる前に儲けちまうべきだ」

「儲かれば人を雇える」「北が怖いなら騎士を雇っちまえばいい」

「各領地のお抱え騎士団だって、地元者だけで構成されてるわけじゃない」「所属のない騎士(フリーランス)や騎士崩れは大勢いるからな」

「開発し尽くせば北が狙う意味もなくなる」「それこそが南ランスローのゴールだと思うんだが」


 領主姉妹はロブロイの言葉に静かに耳を傾けていた。最後まで聞いてから、抑揚のない声で答えた。


「簡単な理由よ」「どうすればいいかわからないから」

「なに?」「どういうことだ?」


 首を傾げるロブとロイ。

 そこへサベルが割って入った。


「彼らをそこまで信用するのか?」

「心配性ね、サベル。彼らはもう共犯者よ?」「共有する秘密が一つ、増えるだけのこと」


 領主姉妹は立ち上がって言った。


「ついて来て」「研究が進まないわけを見せてあげる」


 四本の足で器用に歩く姉妹を先頭に、ロザリーたちは一階の居間を出た。

 階段を上り、三階へ。

 最初に姉妹に謁見した広間を過ぎると、突き当りに小さな扉があった。


「父の書斎よ」


 そう言ってアデルが扉を開け、くるりと回ってアルマから書斎の中へ。

 書斎の中は雑然としていた。

 傾いた本棚からは本がぎゅうぎゅう詰めに押し込まれていて、その本から付箋やメモが飛び出している。

 あちこちによくわからないガラクタが散らばり、そのガラクタにもメモがいくつも貼りついていた。

 ラナが思わず叫ぶ。


「わあ! ロブロイの部屋に似てるね! よくわからないものがぎっしり!」


 ロザリーはその感想に頷きながら、部屋を見回した。

 ふと見上げた天井にまで、メモが何枚も貼りついている。

 姉妹が言う。


「〝旧時代〟遺跡の研究と魔導具開発は」「父のノアが一人で行っていた」

「一人でって」「全部一人でか?」


 ロブロイの問いに姉妹が頷く。


「最初の遺跡を見つけたのも父よ」「そこから全て一人仕事」

「人を信用しなかったわけじゃない」「人を頼る術を知らなかったんだと思う」


 ロザリーがサベルを見ると、彼は複雑そうに視線を逸らした。


「父はたくさんの資料を残したわ」「この部屋には父の二十年の研究が詰まってる」


 ロブとロイが、同時にごくりと喉を鳴らす。


「なあちょっと」「見てもいいか?」

「ええ」「どうぞ」


 礼も返さず、ロブは本棚に、ロイはガラクタに飛びついた。

 ロザリーが姉妹に尋ねる。


「で、研究が進まないわけというのは?」


 姉妹は、揃って困り顔で笑った。


「資料を読めないの」「暗号だらけで、ね」

「ええっ!?」

「父は変わった人ではあったけど」「こんなに用心深い人だなんて知らなかった」


 サベルが言う。


「だが、その暗号のおかげでアデルとアルマが領主を継げたわけだろう?」

「確かにそうね」「そこは感謝しなきゃだわ」


 ラナが笑った。


「暗号のおかげで領主になったの? 変な話ね」


 するとアデルとアルマが交互に語り出した。


「父が失踪してしばらくして」「王宮から調査団が来たの」

「父の行方を捜すのは名目」「その目的は次の統治者を決めることだった」

「彼らは言ったわ」「北の領主(ユールモン)が後見を申し出ている」

「遠戚であり大貴族である彼が治めてくれれば、国としては申し分ない」「成人すれば私たちに引き渡すと約束するってね」

「すぐに気づいたわ」「北の領主(ユールモン)も王宮も、私たちに返す気はないって」

「だから私たちは、とっさに嘘をついた」「父の資料は暗号だらけで、私たち以外には読めないって」

北の領主(ユールモン)を後見にするなら」「私たちは協力しない」

北の領主(ユールモン)か父の研究か」「どちらを取るのかと迫ったわ」

「調査団はこの部屋で資料を確認して」「私たちの嘘を真に受けて帰っていった」

「おかげで領主は継げたけど」「でも暗号は今でもわからずじまいってわけ」


「ロブとロイが言ってたこと……すでに起きていたのね」


 ラナは幾分酔いの醒めた顔で俯き、それからふと顔を上げた。


「ひょっとして。南ランスローが出入りに厳しいのって、この秘密を守るため?」


 領主姉妹は同時にこくんと頷いた。


「父の代から厳しくはあったわ」「父は遺跡をよその誰かに荒らされるのを怖れていたから」

「私たちはより、厳しくした」「内情を知られたくなかったから」


 そのとき、ロブが口を挟んだ。


「そりゃ、危なかったな」


 皆の視線が、本棚の前で胡坐を組むロブへと向かう。

 すると今度は、メモを見ながらガラクタをいじるロイが言った。


「その調査団とやらに、魔導具技師がいたら終わりだったぜ?」

「それって――」「――どういう意味?」


 アデルとアルマが問うと、ロブとロイはそれぞれメモを見せて言った。


「そのまんまの意味だ」「だって読めるぜ、これ」

「読める!?」「どうやって解読したの!?」

「解読も何も」「これは暗号じゃない」

「暗号じゃ――」「――ない?」

「魔導具技師が使う専門用語だな」「日常用語にはうまく訳せないから、技師のメモはよくこんなふうになるんだ」


 愕然とするアデルとアルマ。

 そこへロブとロイが、土下座する勢いで姉妹に迫る。


「頼みがある」「俺たちに任せてくれないか」

「あなたたちに?」「何を任せろと言うの?」


 ロブとロイがまたも矢継ぎ早に話し出す。


「俺たちはモグリの技師だ」「南ランスローに来たのも〝旧時代〟の遺跡を拝むためだ」

「あんたの父親が残した資料を解読し」「手がけていた開発の続きをやらせてくれ」

「他には何もいらない」「これをやらせてくれることが報酬だ」

「これは運命だ」「俺たちはきっと、このために来たんだ」


 領主姉妹は、黙して考え込んだ。

 かなり長い間そうしていて、やっと口を開いた。


「資料の内容を漏らされては困るわ」「ここにあるのは南ランスローの未来そのものだから」

「ああ!」「わかってる!」

「あなたたちが開発を終えても」「それを私たちが王宮へ成果として報告するまでは明かしてはいけない」

「もちろんだ!」「絶対に明かさない!」


 アデルとアルマは自嘲気味な笑みを浮かべた。


「賊の皆殺しの件に、後を継いだ経緯。そして、父の資料の内容」「たった一晩で秘密だらけになってしまったわね、私たち」


 サベルが、ロザリーとラナを見た。


「アルマの言う私たち(・・)には、俺とお前らも含まれる。わかっているか?」


 ラナがムッとした顔で言う。


「わかってるわよ!」

「本当か? ここにいる七人が口を噤めばバレない。逆に言えば、バレたときは――」

「しつこいなあ! 私たちは言わないし、バレもしない……」


 そこまで言って、ラナはハッと不安げな表情を浮かべた。

 そして、その顔でロザリーを振り返る。


「ねえ、ロザリー……バレるかも」


 ラナの言いたいことは、今まさにロザリーも案じていたことだった。


 ロザリーは「わかってる」と目配せした。

 秘密を抱えたロザリーにとって、危惧すべき存在がいる。


「……今すぐけりをつけないとね」

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