79 夜襲
ロザリーはその日のうちに賊の
夜襲にうってつけの墨を流したような夜だった。
道もない暗い山肌を登っていくロザリーと、もう一つの影。
「サベルさんって、南ランスローのお抱え騎士ってわけじゃないんですよね?」
前を行くサベルにロザリーがそう尋ねると、サベルは振り向きもせず質問を返した。
「なぜそう思う?」
「さっき、領主姉妹に対して途中から敬語を使わなかったから。主人にタメ口は使わないでしょう?」
「たしかに俺は仕えてはいない。雇われてもいない」
「雇われてもいない? じゃあ、何なんです? ただの居候?」
「知り合いだ」
「そうなんですか? ただの知り合いにも見えないですけど」
サベルはふうっ、とため息をついた。
「ソーサリエの寮は、今でも二人部屋か?」
「ですね。たまに三人部屋もありますが」
「アデルとアルマの父親と、俺はルームメイトだったんだ」
「ああ! 先代領主と親しかったと」
「ルームメイトというだけで、別段仲が良かったわけでもない。奴は変わり者だったしな」
「なのに騎士団にも属さず、変わり者の娘を守っているんですか?」
「奴は姿を消す直前に、俺に手紙を寄越した」
「手紙?」
「十数年ぶりに連絡があったかと思えば、文面は『僕に何かあったら娘たちを頼む』。ただそれだけ。まあ、騎士の知り合いが俺くらいしかいなかったのだろう。奴の性格を思い返せば、何の不思議もないが」
「それでも、頼みを聞いたんですね」
「無視はできんだろう。仕方なく来てみれば、旧友は行方知れず。おまけにこの地には他に魔導騎士が一人もいないときている」
「ん? 行方知れず? そういえば、〝姿を消す直前〟とも言いましたね」
「ああ」
「先代領主は亡くなったのですよね? だから双子姉妹が跡を継いだ」
「表向きはな。消息不明だが遺体は見つかっていない」
「えっ! そうなんですか!?」
ロザリーは目を丸くして驚き、その後すぐに声を潜めて聞いた。
「……そんなこと。私みたいな部外者に話してもいいんですか?」
「公然の秘密だ、王宮も知っている。無論、コクトー宮中伯もな。アデルとアルマが円滑に跡を継ぐため、死亡したことになっている」
「そう、なんですか……」
「だがノア――先代領主はもう生きてはいないだろう。アデルとアルマはそう考えているし、俺もそう確信している」
「確信、ですか」
「娘を頼む。こんなことを言い残して消えた父親が、その後音沙汰もないんだ。生きていると思うか?」
「十中八九そうだと思いますが、もしかしたらどこかで生きているかもしれませんよ?」
「もしそうなら嬉しいな。奴の顔を思いきり殴れる」
そう言って、サベルは笑った。
後ろを行くロザリーからその笑顔は見えないが、彼の背中はとても善良な人物に見えた。
山の頂上が見えてきた。
振り返ると領都イェルの灯りが遠く、はるか下に見える。
サベルはここで頂上に向かわず、切り立った斜面に回りこんだ。
視界が開け、向かいの山の尾根が見える。
「あれが賊の
サベルの指差す方角に建物があった。
向かいの山の尾根に、張りつくように建っている。
枝を払い、樹皮を剥いた丸太を組み上げただけの簡単な造り。だが砦と呼べる大きさを有していて、尖らせた丸太を立てて並べた防衛柵も備えている。
ロザリーは耳を澄ませた。
「……ここまで声が聞こえる」
「酒盛りでもしているんだろう。毎度のことだ」
「酔っているなら好都合ではありますが」
するとサベルは、訝しげな顔をロザリーに向けた。
「遠くから見えればいいと言うからここへ連れてきたが……ここから攻め込むつもりなのか?」
「ええ」
「間には険しい谷川を挟んでる。攻めにくいだろう」
「直接乗り込みはしません。賊が魔導騎士ばかりなら正規の騎士もいるかもしれない。だったら顔バレしたくありませんから」
「乗り込まない? そうか、使い魔――
「
ロザリーは夜闇に溶けこんだ自身の影に向かって、彼の名を呼んだ。
「ヒューゴ」
「――お呼びデ。御主人様」
暗い地面にたぷんと波紋が広がる。
その中心から、騎士の風貌をした痩せた男がせり上がってきた。
「これは……」
ヒューゴの異様に、サベルが一歩後ずさる。
「私は
ヒューゴはサベルに対し、恭しくお辞儀をした。
「お見知りおきヲ。
「あ、やっぱりサベルさんって
ロザリーが問うと、ヒューゴは頷いた。
「ぶっきらぼうで偏屈。そのくせに情が深い。
サベルがムッと顔を歪める。
「勝手なことを言うな。使い魔ごときに俺の何がわかる」
するとヒューゴは後ろ手に腰を曲げ、下からサベルの顔を覗いた。
「オヤ。妻帯者だった?」
「妻はいない」
「じゃあ離縁したか、死別したのカ?」
「……未婚だ」
「ほうら、当たり。ククク」
ますます顔を歪めるサベルに、今度はロザリーが尋ねた。
「魔導性は?」
「――イトだ」
消え入るような小さな声に、ロザリーが聞き返す。
「はい?」
「
サベルが面白くなさそうに背を向けると、ロザリーとヒューゴはにんまり笑ってハイタッチした。
サベルがすぐに振り返る。
「それで! どうやってここから攻めようというんだ!」
ロザリーに代わり、ヒューゴが答える。
「闇夜だから、ここからで問題ないヨ」
「ここから? 闇に紛れて近づくと?」
するとヒューゴは、夜空に向かって両手を広げた。
「夜は
言葉の真意がわからず、サベルが眉を寄せる。
ロザリーが横から補足した。
「ネクロって、自分の影から
「さっき、彼を出したようにか」
「ええ。で、自分の影が他の影と繋がると、そっちの影も私の影の延長として使えるんです。で、夜闇も影として判定される、と」
「む。夜ならばどこからでも使い魔を出せるということか?」
「自分の影と繋がっていて、見える範囲なら。というわけで、賊の
「大丈夫か? 酔ってはいても騎士の群れだぞ?」
「なので、強い
そう言ってロザリーはヒューゴを見たが、彼が普段より機嫌がいいのを見て考え直した。
賊の
「――黒犬。あの
ロザリーの影に気配が宿り、それが闇を渡って谷川を越える。
やがて谷川の向こうから、犬の遠吠えが響いた。
賊の
屋内に灯っていた明かりが大きく揺れ動き、時おり獣頭の怪物の影が窓に大写しになる。
悲鳴、吠え声、衝突音、また悲鳴。
事態を見つめるロザリーが、ボソリと呟いた。
「……ねぇ、ヒューゴ」
「何だイ?」
「何か、すごい断末魔みたいな声ばかり聞こえるんだけど」
「そうだねェ」
「黒犬、皆殺しにするつもりじゃないよね?」
「ン? それじゃダメなのかイ?」
「ダメだよ! 追い払えって意味で命令したの」
「でもキミは『すべて倒せ』と命令した」
「したね、うん」
「それって『追い払え』とは違う命令だヨ。黒犬はキミの命令を『すべて殺せ』と認識したのでは?」
「……それ、ヒューゴの推測よね?」
「ダネ、推測。でも付き合いの長いボクでも、追い払えって意味にはとらないなァ」
「そっ、か……」
「命令は明確に下さないとネ」
ロザリーは無言で考え込んだ。
その間にも、凄まじい悲鳴が山間にこだましている。
「ヒューゴ、お願い」
「お任せヲ。御主人様」
ヒューゴが暗い地面にズズッ、と沈み始めた。
鎖骨の辺りまで沈み、
「でも、もう手遅れかも。ヒヒヒ……」
不気味な笑い声を残して、とぷんと影に消えた。