7 運命の日―2
「――助けて! ヒューゴっ!!」
そのとき、どこからか声がした。
「お任せヲ。御主人様」
その声は、ロザリーだけでなく室内にいる者すべてが聞いた。
リアムは歩を止め、声の元へ目を向ける。
それは床に落ちたロザリーの影。
影には、しずくが落ちたような波紋が起きていた。
波紋は広がり、その中心からツンと尖った白いものが浮かび上がってくる。
それは生白い男の顔だった。
尖っていたのは男の鼻。
男は沈んでいた水の底から浮き上がるように、ゆっくりと起き上がる。
あの夢で見た姿そのままで、ただ瞳の色だけが灰色に変わっていた。
男は光沢のある黒革のコートの裾を優雅に広げ、ロザリーに向かってひざまずく。
「……ヒューゴ。どうして」
「キミが呼んだ」
「骸骨じゃない、夢で見たままの姿で」
「キミが起こしたから。ボクは二度目アンデッドの生を得た」
ヒューゴは立ち上がり、ベアトリスたちのほうを向いた。
その妖しい立ち姿に、ベアトリスが呻くように言う。
「……死霊憑き。嫌な勘ほど当たるものね」
そしてリアムに命令した。
「臆するな! ロザリーを殺れば、死霊は寄る
「オオッ!」
リアムはそれに応え、ロザリーへ斬りかかった。
だが、瞬時にヒューゴが立ち塞がる。
リアムは構わず、剣を振り下ろした。
ヒューゴは無造作に左手を伸ばし、指でつまむように白刃を止めた。
【葬魔灯】の中で、騎士に対してそうしたように。
「う、ウ~ッ!」
リアムが力いっぱい剣を動かそうとする。
しかし、刃先はピタリと止まって動かない。
「まるで駄目だネ」
ヒューゴがそう言うと同時に、白刃が中ほどからパキリとへし折れた。
次の瞬間、リアムの頭部だけがぐるりと一回転する。
糸が切れたように崩れ落ちるリアム。
ベアトリスたちは顔を引きつらせて後ずさった。
ロザリーが顔を手で覆って叫ぶ。
「やめて、ヒューゴ! こんなひどいこと!」
ヒューゴはコートをはためかせて振り向いた。
「なぜ?」
「その人たちは私の――」
「――仲間? それとも家族?」
「……家族?」
ロザリーはベアトリスを見た。
家族であってほしかった。
母であってほしかった。
ロザリーは心の底からそれを望んでいた。
ヒューゴがロザリーに語りかける。
「でも、彼らは違った」
「捨てると言った」
「殺すと言った」
「
ヒューゴの白い指がゆらりとベアトリスを指す。
「ソレを命じた彼女も本気だった」
「ボクが出てこなければどうなっていた?」
「アレは冗談だと笑い合い、またいつも通りの生活に戻れていたのか?」
それが甘い幻想だということは、幼いロザリーにもわかった。
「……家族じゃない」
ヒューゴはゆっくりと歩き、ロザリーの前を空ける。
「ナラバ断ち切りたまえ。捨てられる前に、キミが捨てるんだ」
あの夢を見てから、ロザリーの中に燻っていた熱が再燃する。
怒りは形となって現れた。
ロザリーの影が広がる。
動悸するように揺れながら床を覆っていく。
ベアトリスと騎士たちは、影を踏むまいと、さらに後ずさった。
しかしすぐに、背後の壁がそれを妨げる。
彼らの足元まで黒く染まったとき、影が沸騰した。
影から青白い腕が伸び、肩や頭を突き出し、無数の亡者共が這い出てくる。
亡者の群れは救いを求めるように足掻きながら、騎士たちにすがりつく。
「ひっ!」
「止めろ……離せっ!」
「助け――うあぁぁっ!?」
騎士たちは、一人、また一人と影の中へ引きずり込まれる。
最後の騎士が無数の亡者に抱きつかれながら影へ沈むと、ロザリーの影は縮んでいき、波一つない元の人影に戻った。
生き残ったのはベアトリスだけ。
「殺しておくべきだった。もっと早くに!」
ベアトリスが毒づく。
その声を聞きながら、ロザリーはリアムの折れた剣を拾った。
「それで私を殺すの? 四年も世話してやった恩を忘れて!」
そう言って、近づいてくるロザリーを憎々しげに睨む。
「いやだったよね、こんな気味悪い子」
ロザリーがそう言うと、ベアトリスはグッと唇を噛んだ。
ベアトリスの瞳が忙しなく揺れ動く。
そしてついにロザリーが目の前に迫ると、ベアトリスは床に膝をついて懇願した。
「お願い、ロザリー。見逃して?」
ロザリーは無言で見下ろしている。
「私を愛していたんでしょう?」
「……」
「ううん、今も愛しているのよね?」
ロザリーが微かに頷いた。
それを見て取ったベアトリスは、ロザリーの肩と腰に腕を回し、母親がそうするように彼女を包み込んだ。
「だから私だけ殺さなかったのね?」
「……私を拾ってくれたから」
「うん、うん」
「もっと背が伸びたら、私がベアトリスを守るんだって。そう思ってた」
「ああ、ロザリー……」
ベアトリスはロザリーを思いきり抱きしめた。
「私もロザリーのことを心から愛しているのよ?」
そう囁くベアトリスの右手が、袖口に隠していたナイフを取り出した。
刃は細く短いが、禍々しい色をしている。
右手はロザリーの背中を撫でながらゆっくりと這いずり、刃がロザリーの白い細首のすぐ近くまで迫ったとき。
ロザリーは
「……うそつき」
ロザリーはベアトリスの胸をトン、と押して彼女から離れた。
そして背中を向けて部屋の扉へ向かい、歩いていく。
「……ロザリー?」
去っていくロザリーに手を伸ばそうとして、ベアトリスは自分の身体の異変に気づいた。
あごを押し下げて自分の胸元を見下ろすと、ロザリーに押された場所からリアムの剣の
「か、はっ」
ベアトリスは血を吐き、崩れ落ちた。
「さようなら、ベアトリス」
◇
ロザリーは山肌に立つ馬の背から、燃える館を見下ろしていた。
馬は巨体で全身が黒く、骨だけで肉がない。
たてがみや尻尾、蹄の先に青白い炎が揺らめいている。
後ろにはヒューゴが乗り、前に座るロザリーを抱きかかえるようにして手綱を握っている。
やがて、館は轟音を響かせながら焼け落ちていった。
ヒューゴが言う。
「行こうか」
「うん」
ヒューゴが馬のあばら骨を蹴った。
黒い骨馬は岩を蹴散らしながら斜面を駆け下りていく。
風の中で、ヒューゴが肩越しにロザリーに尋ねる。
「悲しい?」
「ううん」
事実、ロザリーは悲しくはなかった。
ただ、虚しさが彼女の心を埋め尽くしていた。
ヒューゴはそんな心の内を見透かしたように、死霊アンデッドらしからぬ明るい調子で言った。
「さあ! どこにする?」
「どこって?」
「行き先サ。行くあてがなければどこへも行けないだろう?」
ロザリーも、彼の調子に付き合うことにした。
「う~ん。寒くないとこがいいかな。ここって、朝はすごく冷えるもん」
「じゃあ南だネ」
「あ、でも暑いのもやだな」
「贅沢だねェ。じゃあ東にしようか」
「東にはなにがあるの?」
「国がある」
「なんて国?」
「獅子王国。でも、ボクが知るのは五百年も前のことだからなァ」
「そっか。もう、そんな国ないかもしれないね」
「そうだネ。そのときはキミが国を建てればいい」
「私が?」
「うん、それがいい。我ながら妙案ダ」
「国の建て方なんて知らないよ。それに、もう別の国があるかもしれないよ?」
「では、その国を滅ぼして君の国を建てるとしよう」
「なんでそうなるの!?」
「いやァ、楽しみダ」
「私の話、聞いてる?」
「聞いているサ。聞いているトモ」
二人を乗せた黒い骨馬は、東へと走っていった。
これにて序章「死者と語る少女」閉幕です。
舞台は5年後、学園編へ移ります。