67 ともしびの集落
目覚めたロブロイたちを加え、一行はロザリーの見つけた集落へ向かった。
「離れてよ、ナスターシャ」
「いいじゃないか、ハニー。恥ずかしがることないんだよ?」
「恥ずかしいっていうか……私、女なんだけど」
「若いのに考えが古いねえ。女が女を愛しちゃいけない道理があるかい?」
「それは……そうかもしれないけど」
「だろう? あたいがあんたを変えてあげるよ、ね?」
「だからくっつきすぎだってば!」
塩の大地を一行が進む。
先頭を歩くロザリーと、彼女にぴったりくっつくナスターシャ。
その後ろにカテリーナとヒューゴが続き、その後ろにラナとロブロイ。
さらにその後ろにナスターシャの手下たちが続き、最後尾に三百体の〝野郎共〟が行軍する。
ラナがポンと手を打ち、並んで歩くロブとロイに言った。
「ね、ロブロイ。この砂、舐めてみてよ」
「ああ?」「なんでだよ」
「ここだけの話……この砂、とっても甘いの!」
「嘘つけ」「んなわけあるか」
「でも、普通の砂とは違うでしょ?」
「……確かに質感が違う」「そうだな、細かい結晶の集まりみたいだ」
「ま、気が乗らないならいいんだけど」
ラナはそう言って前を向き、ほくそ笑んだ。
この双子は魔導具を自力で解明してきた技師である。
そのせいか、疑問を持つと確かめずにはいられない性分であるとラナは知っていた。
「舐めてみるか、ロイ」「そうだな、ロブ」
双子は同調した動きでしゃがみ込み、地面の
そして同時に舌先でペロリと舐めた。
「……うぇぇ、しょっぱ!」「ぺっ! ぺっ!」
「あはは! ほんとは塩でしたぁ~!」
「てめぇ、ラナ!」「逃げるな、待てっ!」
その様子を微笑ましげに見ていたカテリーナが、隣を行くヒューゴに尋ねる。
「本当に集落があったのですか?」
「アァ。信じられないかイ?」
「疑うわけではないですけど。クジラのお腹の中に集落があるなんて、まるで作り話のようですわ」
するとヒューゴが珍しく、目を丸くした。
「オヤ、サメだと思っていたヨ。これはクジラの
「っ、ちょっと待ってください。
「コレは巨大な
「そうなんですか、ロザリーさん!?」
ロザリーは腕を絡ませてくるナスターシャに手を焼きながら、振り返った。
「ええ。中に入るとはっきりわかる。
「そう、なんですね……では、もう解決ですね! ロザリーさんは
「それがそうもいかなくて」
「――え、なぜですか?」
ヒューゴが代わりに答えた。
「野良だと思っていたケド、首輪がついていてネ」
「……はい?」
カテリーナが首を傾げたとき、ロザリーが前を指差した。
「見えてきましたよ」
カテリーナが前方を覗くと、多数の明かりが見えた。
一つ一つは小さいが、暗さに慣れた目には眩く感じられる。
ともしびの群れは幻想的で、暗闇を行く一行の心をいくらか和ませた。
それは淡い明かりの集合体が、この暗い世界にも人の営みをがあることを証明していたからに他ならない。
手前にある大きめの二つの明かりは、篝火であるようだ。
その光に照らされて、人影が動いているのもわかる。
そのうちに人影の一つがこちらに気づいたようだ。
跳び上がって驚き、何事か喚きながら集落の中に走っていく。
それを見ていたロブとロイが交互に言う。
「まさかの救援に大喜びか?」「いいや、まさかの敵襲に大慌てと見た」
やがて集落の中から、わらわらと人が飛び出してきた。
五十人ほどで、それぞれが手に棒などの鈍器を持っている。
ラナが頭を抱えた。
「あっちゃ~、敵襲のほうだね」
ロザリーは後ろを振り返って舌打ちした。
「〝野郎共〟を出しっぱなしにしとくんじゃなかったなぁ」
「後の祭りだヨ、御主人様」
「誤解をとかなきゃ。カテリーナさん、お願いできますか。――カテリーナさん?」
ロザリーに頼まれる前に、カテリーナは前に歩き始めていた。
その足取りはどこかおぼつかず、一点を見据えている。
そのうちに、カテリーナは集落の方へ駆け出した。
集落の人々は武器を構え、ロザリーも彼女を助けるべく飛び出そうとする。
と、そのとき。カテリーナが叫んだ。
「町長!」
すると集落の人々がざわついた。
その人々をかき分けて、スキンヘッドの大男が歩み出た。
「その声っ、カテリーナか!」
「町長っ!」
カテリーナが大男の胸に飛び込む。
大男はカテリーナを抱き上げ、その首元に顔を埋めた。
「まさかもう一度お前に会えるとは……おお、海神よ! 感謝いたします!」
「ああ、良かった……。やっぱり生きてた……」
二人は涙して抱き合ったまま、睦み合うように言葉を交わしている。
それを見たロザリーとラナとロブロイが、額を集めてコソコソ話す。
「ただならぬ雰囲気……」
そうロザリーが囁くと、ラナがしきりに頷く。
「だよね? だよね? 上司と部下の再会にはとても見えないんだけど!」
「上司への尊敬の念が愛情へと変わる」「よくある話さ」
と、ロブロイが物知り顔で言う。
「でも、年が二十は離れてるよね?」
ロザリーがそう言うと、ラナが頷く。
「スキンヘッドだしね。私は無理だな~」
「そのくらいの年の差もよくある話さ」「スキンヘッドが良い! って女もいるしな」
「さっきから知ったようなこと言ってるけど。ロブロイってそんなに経験豊富なの?」
ロザリーが尋ねると、ラナが嘲笑した。
「そんなわけないじゃない。ロブと付き合うと、もれなくロイがついてくるのよ? ロイでも一緒。誰も付き合いたがらないわ。セット販売か! って話よ」
「てめぇ、ラナ!」「
顔を赤くして怒る双子を見て、ロザリーが目を見開く。
「え? 冗談じゃなくて、本当にもう一方もついてくるの?」
「気になって仕方がないんだってさ。残された方が後をついてきて、結局は女の子を両脇から挟んでデートすることになるみたい」
「しょうがないだろ」「気になるんだから」
「……最悪。付き合った子たちに同情するわ」
ロザリーが冷たい視線を向けると、ロブロイは揃って小さくなった。
「ロブロイ。そんなんじゃ、一生結婚できないんじゃない?」
ラナが言うと、ロザリーも頷いた。
「そうよね。まさか奥さんまで二人で分け合う気じゃないでしょ?」
すると双子は声を揃えて言った。
「「双子の女と結婚する」」
「あー」
「なるほど」
集落の前で動きがあった。
カテリーナとスキンヘッドの大男が、こちらに向かって歩いてくる。
四人は密談を止め、二人を待った。
ロザリーたちの前まで来るとカテリーナははにかんで、恥ずかしそうに大男を紹介した。
「皆さん、ご紹介します。ポートオルカの町長であり私の父、ミルコですわ」
「……父?」
ロザリーたちが顔を見合わせる。
「ん? 何かおかしいですか?」
「てっきり恋人同士かと」
カテリーナは呆気にとられた顔をしたあと、大笑いした。
「ハハッ、アハハハハ! ……ふう。あり得ませんわ、こんなタコ頭の中年と恋愛なんて!」
町長がムッとして反論する。
「カテリーナ、父に向かって失礼だろう! 何より王国中のタコ頭に失礼だ!」
「それは失礼しました、王国中のタコ頭の皆さん。皆さんにも失礼を。まぎらわしい真似をしてしまいましたね」
ラナが疑問を口にする。
「でもさ。普通、父親のことを『町長』って呼ぶ?」
「それは父の教えです。人前で父とは呼ぶな、町長と呼べと」
町長が頷く。
「示しがつかんからな」
「だからって、家でも町長と呼ばせたがるのはどうかと思います」
そのとき、ロザリーたちの後ろから声が上がった。
「あー、もう! 無駄話はいいからさ。とっとと本題に入ってくれないかい?」
町長は声の主の正体に気づき、顔を歪めた。
「……カテリーナ。なぜ、ナスターシャがここに?」
「成り行きです。説明させてください」
「いいだろう。他にも聞きたいことがあるしな」
そう言って、町長はさらに後ろに見える〝野郎共〟に目を馳せた。
「ついて来い」
短くそう言って踵を返し、町長は集落へと戻っていった。
そこは奇妙な集落だった。
おかしな形のあばら家が建ち並び、住む人は男ばかり。
幾多の明かりは小皿に灯した油の火で、集落を幻想的に照らし出している。
カテリーナと共に行くのは、ロザリーたち四人。
ナスターシャと海賊たち、ヒューゴと〝野郎共〟は外で待機することとなった。
「呑まれた船の生き残りか」「結構いるな」
集落を歩いていて、ロザリーがふと気づく。
「そっか。ここの家屋って、船の残骸をそのまま使ってるから変な形なんだ」
先を行く町長が頷く。
「パズルみたいに組み合わせて建てているからな。どうしても歪な形になるんだよ」
「でも――」
カテリーナが小さな小屋を指差した。
「――あの屋根って、小型船の船首ですよね? 町長の船は大型帆船。一体どこから材料を調達しているのです?」
「どこからって、その辺からだよ。ほら、見えるだろう」
町長が集落の奥を目で指し示した。
カテリーナが目を凝らす。
集落の明るみの外。
何かゴツゴツとしたシルエットが見える。
それらは地面から隆起しているか、山のように積み上げられているように見えた。
「……まさか。あれらすべて、船の残骸なのですか!?」
町長は頷くでもなく呟いた。
「ここは船の墓場だよ」
町長は一軒のあばら家の前で立ち止まった。
垂れ下がった幕をめくってロザリーたちを招き入れる。
中は荒れ果てたテントのようだった。
それでも机や椅子らしきものもあって、どうにか快適なものにしようとする努力が見て取れる。
町長はその椅子にドカッと腰を下ろした。
ロザリーたちは床に腰を下ろす。
カテリーナが町長に言った。
「本当に……よく、ひと月も耐えましたね」
「長い航海を想定していたからな。食料はまだあるし、水もあと少しだが残ってる。水がなくなりゃ酒でいい。酒はたんまりある」
そこまで言って、町長はふうっと息をついた。
「だが、この生活もじきに終わる」
カテリーナが恐々と尋ねる。
「もしや
「それはまだ先のこと。直面してるのは油だ」
「油?」
カテリーナは意外そうに目を瞬かせた。
「ここは常闇の淵。明かりが無いと心が死んでいくんだよ」
そう言って、町長は指をぐるりと回した。
「集落のそこら中に明かりを灯していただろう? 油は惜しいが、あえてこうしている。闇に耐えかねて、自ら死を選ぶ者が出ないようにな」
「自死? そんな、屈強な海の男たちが暗いというだけで?」
「夜は明けるから耐えられる。終わりのない夜では生きられないんだよ」
「あの」
ラナが手を挙げた。
「焚き火を起こせばいいんじゃない? ほら、材木は船の残骸が山のようにあるんだし」
「初めはそうしていた。だが、大きな火を起こすと、奴らがやって来るんだ」
「奴ら?」
「死んだ船乗り――
ギョッとしたラナたちの視線が、自然とロザリーに集まる。
町長が皆の様子を見て、カテリーナに尋ねる。
「なぜその嬢ちゃんを見る?」
「ロザリーさんが、
町長は目を見開いた。
「……なるほどな。外の
「ええ」
ロザリーが頷くと、次にロブロイが彼女に尋ねてきた。
「火に群がるなんて、まるで虫だ」「
「そうね。たぶんだけど――」
ロザリーはそう前置きして、双子に仮説を話して聞かせた。
「火を一番怖がってるのは
「寄生体が宿主を守るようなもんか」「あり得るな」
町長が吐き出すように言った。
「仲間を失うのは辛い。だが、仲間に襲われるのはもっと辛い」
宙を見上げ、顔を歪める。
「最初に奴らに襲われたとき、不意を突かれ六人が死んだ。炎に群がると気づかず、次の日にまた奴らの襲来を許してしまった。そのとき奴らの中に、死んだ六人もいたんだ」
「なんてこと……」
カテリーナが口を手で覆う。
「カテリーナ」
町長はそんな彼女に身体を向け、語りかけた。
「お前に会えて本当に嬉しい。偽りない本心だ。だが、一つだけ言わせてくれ」
町長の真剣な様子に、カテリーナは姿勢を正して返事した。
「はい、お父様」
町長は
「なぜここへ来た!」
「っ! お父様……?」
「いつも口を酸っぱくして言ったはずだ! 海では常に自分と船員の命を計れと! 無謀は死神を呼び寄せると! ここは地獄だ! 父はお前を守れない!」
町長の怒声に晒されて、カテリーナが瞳を潤ませる。
ラナがムッとした顔で立ち上がった。
「ちょっと、そんな言い方ないんじゃないの! カテリーナはあなたを助けに――」
「――ラナさん」
カテリーナは手を伸ばしてラナを止めた。
そしてぐっと唇を噛んで涙を堪え、町長に言い返した。
「なぜ来たかって? それはあなたが父だから。そして――勝算があるからですわ」
「……勝算だと?」
カテリーナがロザリーに向き直る。
「ロザリーさん。私たちはここから出られますか?」
ロザリーはそれに答えず、町長に尋ねた。
「
「船の墓場の奥だ。曲がりくねった通路になっていて、そこから奴らはやって来る」
ロブとロイが呟く。
「曲がりくねった通路――」「――クジラの腸だな」
ロザリーはひとつ頷き、続ける。
「おそらく私は、奴らのことも使役できません」
カテリーナがハッと口を開く。
「確か……首輪がどうとかヒューゴさんが」
「もし奴らが誰かに使役されている飼い犬で、通路の奥から来るってことは、そこに飼い主がいるはず」
町長が目を細める。
「その飼い主とやらをどうにかすれば、奴らをお嬢ちゃんが使役できると」
「はい。そしてその飼い主は、おそらく
町長が問う。
「使役できたらどうなる?」
「命令して、私たちを吐き出させます」
町長はしばし呆気にとられた顔をして、それから椅子をバンッ! と叩いて立ち上がった。
「ここから出られるのか!?」