59 港湾都市ポートオルカ
ポートオルカは美しい入り江に面した港町である。
入り江をぐるりと囲むように白い街並みが広がり、入り江の先には大小二十あまりの島々が浮かぶ。
それらが防波堤の役目を果たしているので、入り江の水面は極めて穏やかである。
古くから海運の拠点であったポートオルカは、コクトーの商船団によって交易港として急激な成長を遂げ、今や王国最大の港となっている。
石畳の坂道を、四人と馬車が上っていく。
陽射しが強く、道が白く見える。
年寄り馬はきつい傾斜に早々に音を上げ、馬車の荷台をロザリーとロブロイの三人がかりで押している。
「ね、本当にもう近いの?」
真ん中のロザリーが問うと、両隣のロブロイが答える。
「間違いない」「峠の反対側はポートオルカだ」
「でも私たち以外、誰も通ってないよ?」
「普通、船で出入りするんだ。川伝いにな」「誰だってこの坂を上りたくねえんだよ」
「それって住んでる人も?」
「たいてい自家用船を持ってる」「一家に一艘、ってな具合だな」
年寄り馬を引くラナが汗を拭った。
「本当なのね? これで間違いでしたー、なんて言ったら許さないから」
するとロブロイは同時に汗を拭って、それから言った。
「間違いないって」「前に来たことあるんだ」
「ポートオルカに?」
ラナが問うと、ロブロイは同時に頷いた。
「五年くらい前か」「親父がまだ元気だった頃、行商に付いてな」
「そっか。ってことは、二人は海を見たことあるんだ」
ラナの台詞に、ロザリーの耳がピクンと動く。
「もしかして。ラナ
「うん。ってことはロザリーも?」
ロザリーが頷くと、ラナはニッと笑った。
「ソワソワする感じ、わかる?」
「わかる。早く見たい」
「どんなだろうね」
「前にヒューゴに『大きい湖よね?』って言ったら、鼻で笑われたなー」
「ってことは、湖とは全然違うんだ……!」
「おそらくね」
「早く見たいね!」
「だね。ようし……」
ロザリーは馬車を押す手に力を込めた。
「うおっ?」「おお?」
ふいに馬車が軽くなり、ロブとロイが前のめりにこけそうになる。
「ちょっ、ちょっ!」「これ、ロザリーが押してんのか!?」
ラナが双子に後ろから声をかける。
「ロザリーは超強いから。知ってるでしょ?」
「にしても限度があるだろうよ!」「俺ら押してるっつーか、引きずられてんだけど!」
ロザリーは双子を気にせず、石畳の坂道をぐんぐん上っていく。
やがて頂上が見えてきて、ロザリーは顔をしかめた。
「何だろう、これ」
ロザリーがそう漏らすと、ラナが聞き返した。
「何が?」
「
「ああ、そういえば……」
するとロブロイが一緒になって笑った。
「バッカだな、お前ら」「これは潮臭いって言うんだ」
「潮……臭い?」
「海の香りさ!」「そうら、来たぞ!」
坂の頂上に至り、途端に視界が開けた。
目の前の光景に、ロザリーが息を呑む。
「はあっ……うわぁ!」
目下に広がる白い町並み。
その向こうに輝く美しい入り江。
空は青く、海鳥が飛び交っている。
入り江には豆粒ほどの船がいくつも見える。
「……やっばい。私、感動してるかも」
ロザリーがそう呟くと、ラナも横に並び、呟いた。
「海ってほんとに青いんだ……」
四人は町のすぐ外にある馬小屋に馬車を預け、イルカが彫られたアーチを潜って、白い街並みに下りて行った。
見渡す限り、白く塗られた石造りの家屋と石敷きの坂道。
その光景が入り江まで続いている。
「私、海好きだな」
ロザリーが言うと、ラナが笑った。
「来たばっかなのに?」
「第一印象って大事でしょ?」
「確かに」
「ラナはどう? 第一印象」
「ん~、控えめに言って……最高!」
「だよね!」
浮かれる二人に、先を行くロブロイが振り返った。
「おい」「大声出すな」
双子の顔は、ロザリーたちと対照的に渋い表情だ。
ラナが大きな声のまま、ロブロイに尋ねる。
「どうしたのよ、ロブロイ。もしかして、あれ? 海くらいで騒いでガキだなー、とか思ってんの?」
「あ~。いるいる、妙に大人ぶる同級生。冷めるよねー」
そう言ってラナとロザリーは笑い合うが、双子は反論もせずに坂道を下りていく。
それも、やけに急ぎ足で。
ロザリーは駆け出し、双子の横に並んだ。
「ほんとにどうしたの、ロブロイ」
すると双子は周囲を気にしながら、小声で囁いた。
「気にならないか?」「やけに見られてる」
「見られてる?」
ロザリーは立ち止まり、辺りを見回した。
庭先で花に水をやる老人。
網を抱えて通り過ぎる漁師。
洗濯物を干す中年女性。
それら町の住人三人と、それぞれ目が合った。
ロザリーは双子に向き直り、声を潜ませた。
「……よそ者だから目立ってるのかな?」
「王国最大の港町だぞ」「よそ者なんざ珍しくない」
「それもそっか」
追いついたラナが、後ろから言った。
「私たちがはしゃいでたからじゃない? 海を見て喜ぶよそ者は少ないかも」
「ああ、その線もあるね」
ロザリーは頷くが、ロブロイは納得しかねる顔。
そこへ、花籠を抱えた幼い少女が近寄ってきた。
そして花籠から小さな花束を作って、ロザリーに差し出した。
「どうぞ!」
「えっ、私に?」
「はじめてポートオルカにきたひとは、おはなをあげてかんげいするんです」
少女の台詞を聞いて、ロザリーとラナは顔を見合わせて笑った。
「初めてだってバレバレだったんだね」
「やば、急に恥ずかしくなってきた」
ロザリーは膝を折り、少女の差し出した花束に両手を伸ばした。
「ありがとう」
そのとき。
ロブロイが同時に叫ぶ。
「待て、ロザリー!」「何かおかしい!」
「うるさいよ、ロブロイ。……ごめんね、騒がしい奴らで――えっ?」
ロザリーが花束を掴んだ瞬間。
その両手首が、ガチリと鉄製の手枷に囚われた。
少女がすぅーっと息を吸い込む。
「つーかーまーえーたぁー!!」
すると家屋の陰から、生垣の中から、道の前後左右から、数十人の人々が飛び出してきた。
「えっ。何? 何っ!?」
「おい、おい!」「なんだってんだよ!」
慌てふためくラナとロブロイ。
対してロザリーはとるべき手段を探り、即決した。
「逃げてッ!!」
ロザリーの叫び声に、弾かれたようにラナたちが駆け出す。
ラナは坂の下へ。
双子は坂の上へ。
ロザリーは手枷を力づくで捻じ曲げて外し、少女をそっと押し退けた。
すっくと立ち上がり、仲間たちの行方を見る。
ロブロイは鏡映しのように連携した動きで、住民たちを翻弄しながら坂道を駆け上がっていく。
ラナは道を塞ぐ住人たちの頭上を勢いよく飛び越え、下り坂に消えた。
ロザリーは一人で逃げるラナを追うことに決めた。
視線を戻すと、四方八方から住民たちが迫ってくる。
ロザリーはその場で石畳を蹴り、高い石垣に飛び移った。
すぐさま石垣を蹴り、家屋の屋根へ。
取り囲んでいた住人たちは、ただそれを見上げることしかできない。
(魔導持ちはいないみたいね)
ロザリーはラナを追って駆け出した。
ポートオルカの家屋の屋根は平坦で走りやすい。
屋根から屋根へと飛び移るうちに、ラナの背中を見つけた。
ラナは暗い路地を走っている。
ロザリーは屋根を蹴り、ラナの横に飛び降りた。
「ラナ、やっほー」
「わっ! 脅かさないでよ、ロザリー!」
並走しながら、ラナが問う。
「ロブロイは?」
「上へ逃げた」
「これからどうするの!」
「逃げる」
「どこに! っていうか、ロザリーがぶちのめせばよかったじゃない!」
「魔導持ちはいなかった。ただの住人をぶちのめせないよ」
「襲ってくる時点で、ただの住人じゃないと思うけど!」
「それはそうかも」
「それにしても、なんで襲われたんだろう。あんな小さい女の子まで……」
「ラナ、止まって」
「なんで?」
聞きながらもラナが止まる。
ロザリーは息を殺し、眼球だけで辺りを見回した。
「住人の視線を感じなくなった」
「撒いたってこと?」
「ん」
ラナはふーっと息を吐き、その場にしゃがみ込んだ。
「……浮かれすぎてたのかも。今後は、私も視線に気を配ろっと」
「私もそうする」
ラナがロザリーを見上げる。
「ロザリーが視線に気づかなかったのって意外ね。ロブロイだって気づいたのに。浮かれてたにしても、さ」
「ん~。王都だときりがないから、さ」
「……そんなに誰かに見られてるの?」
「課外授業の後から」
「あ~。目立っちゃったもんね」
「特に気になる視線だけ意識して、それ以外は意識から遠ざけてたんだよね」
「特に気になるって……ソーサリエ生? それとも教官?」
「どっちも違う」
「じゃあ、誰?」
「わからない」
ラナが吹き出した。
「それじゃ違うかどうかわからないじゃない」
ロザリーは首を横に振った。
「わかるの。王都からここまで追ってきてるから」
ラナの笑顔が一瞬で消えた。
「それってロザリーに監視がついてるってこと? 王都からずっと?」
「監視かぁ。改めて言われると嫌なものね」
「見つけてぶちのめしちゃえば?」
今度はロザリーが吹き出す。
「ラナって、すぐぶちのめせとか言うね」
ラナが口を尖らせる。
「だって、監視されるなんて気分悪いじゃん」
「ぶちのめしたいのは山々だけど、位置がつかめないんだ」
「どこから見られてるか、わからないってこと?」
「そういうこと。王都の時から、この視線だけはわかんないの」
「……それって、かなりの手練れってことよね」
「だと思う」
ラナが大きく息を吐いた。
「なんか、次々に問題が起こるなぁ」
「これは私の問題。だから気にしなくて大丈夫」
「そうは言っても、この旅では仲間だからさ」
ラナは後頭部を掻きながら立ち上がった。
そして、そのまま凍りついたように固まった。
「……ラナ?」
ラナの右手がゆっくりと上がる。
彼女の指先はロザリーの背後を指した。
「ん?」
ロザリーが振り返る。
あるのは路地の石壁だけで人影はない。
石壁には何枚かの張り紙がある。
「賞金首の張り紙か。なになに……海賊ナスターシャ。極悪非道、血も涙もない女海賊――うわ、怖い顔してるなぁ」
ラナから鋭い声が飛ぶ。
「違う! その下!」
「下? えーと……」
ロザリーは慌てて海賊の下に貼られた張り紙に目を移した。
「逃亡犯……ロザリー=スノウオウルっ!?」
ロザリーは張り紙を乱暴に引き剥がした。
「王都ミストラルよりの逃亡犯? 私! こんな悪い顔してないよっ! してないよね!?」
「賞金は銀貨十五枚。やけに安いわね。黄クラス生の白コートより安いわ」
「なんか、すごい腹立つ……!」
「でも、これではっきりした」
ラナはロザリーから張り紙を奪い、それを彼女に見せつけた。
「襲われたのは私たちじゃない。ロザリーよ」