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53 商談

 黄金城(パレス)、上層。

 高位貴族や高官ばかりが行き交う宮中にあって、場違いな制服姿の女子学生が歩いていた。

 ロザリーである。


「うぅ、迷った気がする」


 一階受付でもらった地図を頼りに歩いているが、ロザリーは不安でいっぱいだった。

 黄金城(パレス)の構造がそれほど複雑で、まるで迷宮のようなのだ。


「次の階段を下って――下る? 上に行きたいのに下るの?」


 通り過ぎる貴族と目を合わせぬようにしながら、階段を下りていく。


「良かった、あったよ、目印の獅子の像。あとはこの回廊を真っ直ぐね」


 ホッとしたのもつかの間、今度は別の不安が去来する。

 それはつい、先ほどのこと。

 呼び出されて校長室へ向かうと、シモンヴランとヴィルマに迎えられた。

 二人が言うには、実習先はまだ未定だが、実習自体は行けることになったのだという。


 コクトーへの【手紙鳥】が功を奏したのだと、ロザリーはすぐに察した。

 だがそうなると、気になるのはラナのこと。

 彼女と取引をした直後に自分だけ実習に行けるとなると、なにか抜け駆けしたようで気持ちが悪かった。


(ヒューゴ。いる?)


 心中で問うと、すぐに返事が返ってきた。


『いるヨ、ずっといる。むしろなぜいないと思うのか、逆に聞きたいくらいだネ』


(最近、出てこないからさ)


『そりゃあ、キミが呼ばなきゃ出てこないよねェ』


 ずっと影の中に閉じこもっているせいか、ヒューゴは不機嫌な様子。


(ごめん、悪かったよ。退屈だったよね)


『そうでもない』


(読書でもしてたの?)


『いいヤ。最近はカードしてる』


(カード? 面白いの?)


『ちっとも面白くないし、まったく面白くもないケド、好きなのサ』


(カードとか、よく持ってたね)


『ロロだっけ? アノ子のだヨ』


(盗ったの!?)


『借りただけサ。置きっぱなしにしてたから』


(それ、盗ったの!)


『飽きたら返すヨ。ま、返したところで片付け下手なアノ子は、持ってたことさえ覚えてないだろうがネ』


(それはそうかも……でも、必ず返してよね)


『ハイハイ』


(っていうかさ、一人でカードなんて楽しいの?)


『馬鹿だネ、一人でなんてやるわけないだろう。いくら根暗な死霊(アンデッド)と言ってもサ』


(他にどうやるっていうの)


『〝野郎共〟サ』


(……へっ?)


『死の軍勢とカードしてるってワケ』


 ロザリーの頭に、骸骨たちと輪になってカードに興じるヒューゴの姿が思い浮かぶ。

 その絵がシュール過ぎて、ロザリーは頭を振った。


(いや……いやいやいや! そんなのむりでしょう? 話すことすらできないあの子たちに、カードなんてできるわけないじゃない!)


『ボクもそう思っていたヨ。でも、できてる』


(うそ……)


『本当サ。たぶん、キミのせい』


(えっ、私?)


『キミさ、荷運びのときに特定の個体ばっかり使ってなかった?』


(そうね……いつも五人くらいの同じ子たちにやらせてた。段々と仕事を覚えてくれたから、使い勝手がよくて……あーっ!)


『ほらネ。妙に物覚えがいいのはソノせいだ』


(……死霊(アンデッド)って成長するものなの?)


『わからない、ボクも初めてのことだから。試しに、この五体にイロイロ仕込んでみるヨ』


(仕込むって。犬じゃないんだからさ)


『〝野郎共〟って自分の名前すら覚えていない、人生すべて失った、憐れな連中なんだヨ。なのにこの五体は、荷運びとカードだけは知ってる状態なワケ。これじゃギャンブルだけが生きがいの強制労働者だ。あまりに不憫だろう?』


(別に強制労働させてるつもりは……それにカード教えたのはあなたじゃない)


『とにかく、ボクはカードに戻るよ』


(あ、待って。ヒューゴさ、コクトー様のことを東商人って言ってたよね?)


『コクトー――ああ、あの陰気な男だネ』


(そう。その陰気な男に頼み事があるんだけどさ。どうお願いしたものかと思って)


『アララ。それはご愁傷様』


(なんでそうなるの!?)


『東商人にお願いだなんて、大金ふっかけてくれって言うようなものダ。覚悟することだネ』


(……コツとかない?)


『下手な駆け引きはしないコト。手酷くやられるだけだ』


(それだと、普通にお願いすることになっちゃうんだけど)


『商談のつもりでやるんだヨ。ケチってはダメ。駆け引きはせず、自分が出し得る最大の手札を提示して、コレ以上は払えないと示すのサ。あとの判断は東商人に丸投げでいい』


(んー……わかった、やってみる)


『じゃ、彼らが待ってるから』


 そう言い残し、ヒューゴの気配が消えた。

 ロザリーは自分に出し得る最大の手札とは何か、考えながら歩を進めた。

 やがて、扉全体に大きな木のレリーフが彫られた部屋にたどり着いた。


「〝止まり木の間〟――ここね」


 ノックすると、聞き覚えのある声が返る。


「入れ」


 ロザリーが扉を開けると、コクトーはデスクに向かったまま振り向きもせずに、羽ペンで応接ソファを指し示した。


「そこにかけて待っていてくれ」

「はい」


 ロザリーは部屋に入り、指定された席に腰を下ろす。

 羽ペンが走る音を聞くこと、しばし。

 コクトーが席を立った。


「待たせたな、スノウオウル」

「いえ」


 コクトーはロザリーの対面に腰を下ろした。


「聞いたと思うが、お前は実習に行けることとなった」

「は、それについては感謝のしようも――」

「――礼はよい。今日呼んだのは、言い含めておくべきこと二つほどあるからだ」

「何でしょう?」

「一つは――ヒューゴ=レイヴンマスター」


 ヒューゴのフルネームがコクトーの口から出て、ロザリーは硬直した。

 コクトーが笑う。


「そんなに驚くことはないだろう? 彼は史書に残る有名人だ。五百年前の死霊騎士(ネクロマンサー)の名と、現代の死霊騎士(ネクロマンサー)(しもべ)の名が同じ。結び付けるなという方が無理な話だ」


 この男は、五百年前に死んだヒューゴの素性まで調べ上げることができるのか。

 そう思い、ロザリーはごくんと唾を呑み込んだ。


「……ヒューゴをどうするおつもりですか?」

「特に何もしない」

「ヒューゴは生前、多くの王国人を殺めていますが」

「知っている。だが過去の話だ」

「たしかに大昔ですが」

「ヒューゴ=レイヴンマスターは魔術が使えず、かつ君の支配下にあるのだよな?」


 コクトーの鋭い視線の前で、ロザリーはこくりと頷いた。


「ならば主を懐柔したほうが効率的だ。ヒューゴ=レイヴンマスターを無理に処分しようとすれば、それこそ災厄に見舞われかねない。新旧二人の死霊騎士(ネクロマンサー)によってな」


「……なるほど。それで、ヒューゴと実習に何の関係があるのでしょう?」

「君が例に出した、ニド殿下の()実習のことだが。今回あれを適用することはできなかった」

「そうなのですか?」


「ニド殿下が()実習へ行った経緯を調べたのだが……どうも、殿下が勝手にそう言い放って旅に出たというだけのことらしい。当然、ソーサリエ関係者は揉めに揉めたようだが、結局は特例として追認せざるをえなかった。殿下は極めて強い魔導の持ち主で、おまけに次代の王であられるからな」


「そう聞いています」

「君も極めて強い魔導者だといえよう。だが、次代の王ではない」

「だから、無理だと」


「強硬に反対する者がいてな。だが、騎士にせよと王命を出していただくことはできた。あとは指導騎士なのだが、めぼしい魔女騎士(ウィッチ)には反対者の圧力がかかっていて、引き受けてくれる者を捜すのに時間がかかりそうなのだ。――そこで、ヒューゴ=レイヴンマスターだ」


 ロザリーが目を見開く。


「……もしや。ヒューゴを私の指導騎士に?」


 コクトーはニヤリと笑った。


「名前はユーロぺ=エムロック。数年前に引退した魔女騎士(ウィッチ)だ。もちろん五百年前の死霊騎士(ネクロマンサー)、ヒューゴとはまったくの別人。現役時代は秘密機関に属していたため、多くの者はその名を知らない。だが陛下や私など、知る者は知る優秀な騎士だ。今回、素質ある若者のため一時的に復帰することになった、というわけだ」


「そんなでまかせ、バレやしませんか?」


 コクトーは鼻で笑った。


「私の得意分野だ、心配はいらん。すでに書類上、ユーロぺ卿は存在している。……だが、心配していることもある」

「なんですか?」

「王命だ。私が上奏して出していただいたわけだから、ソーサリエ関係者と同じように私にもお前を騎士にする義務が生じた」

「それが、二つ目ですか?」


「そうだ。間違えても、卒業せずに飛び出されては困るのだ。万が一、王国を出て他国の騎士になどなろうものなら、私を含め多くの者の首が飛ぶだろう」


「そんなこと考えもしませんでしたが……」

「ならば良い。話は終わりだ」


 そう言って早くも席を立とうとするコクトーに、ロザリーはすかさず声をかけた。


「あの! 商談があるのですが!」


 コクトーが訝しげに眉を顰める。


「商談? 何の話だ?」

「ええと……ラナ=アローズという同級生がいるのですが、彼女も実習へ行けなくて」


 コクトーが一度上げた腰をソファに沈める。


「ほう。なぜ行けない?」

「魔導性が無色なので」

「無色ならば実習に行く必要はなかろう、騎士になれぬのだから。そもそも、なぜ魔導騎士養成学校(ソーサリエ)に残っている?」

「それが……彼女、それでも騎士になりたいと考えてまして」


 コクトーの顔が曇る。


「……まさか。その無色の実習も、私に世話しろと?」

「できそうな人をコクトー様しか知らないので」

「おだてているつもりか?」


 コクトーの顔にありありと嫌悪感が浮かび、ロザリーは慌てて否定した。


「いえ! そんなつもりは!」

「君に力を貸すのは、そうする価値が君にあるからだ。だが、無色のソーサリエ生にどれほどの価値が? ありえん、何のために」

「それは、その」


「騎士になりたい? なってどうするというのだ。無色は術を使えない。使えないから魔導も少ない。魔導自体が無い者よりは身体能力に勝るが、それだけだ。事実、大半の無色の者は君がやっていた荷運びのような肉体労働に従事して一生を終える。つまるところ、牛馬の代わりだ」


「それは……言いすぎです」

「そうか? ならば価値を証明せよ。私が無色の実習を世話する理由がどこにある?」

「例えば――力を貸してくれなきゃ、私がソーサリエを辞めるとか」


 コクトーの動きが止まった。


「……何だと?」


「私って皇国騎士の子だし、皇国へ行っても不思議じゃないですよね。王国で騎士にならなきゃいけない理由なんてないですし……あー、でもそれじゃコクトー様は困るんでしたね」


「スノウオウル。私を脅すか?」


 コクトーの刺すような視線に、ロザリーは逃げ出したくなった。

 だが、ここが押しどころだと自分に言い聞かせる。


「いいえ。商談だと言ったはずです。ですから私も、対価を払います」

「フン。君がそんな資産家とは知らなかったな」


 コクトーの皮肉を受け流し、ロザリーが手札を切る。


「こちらのお願いを聞いていただけたら、私もコクトー様のお願いを一つ叶えます」

「……ほう」


 コクトーがソファに背をもたれる。


「私はコクトー様と違う分野でいろいろとできます。その私が、何でも一つだけ言うことを聞くのです。コクトー様の個人的な用件でも何でも」


 ロザリーは自分の最大の手札が何か、結論を出せなかった。

 だからその手札の内容までも、コクトーに丸投げすることにした。

 目の前の男は計算高いが、狡猾ではない。

 きっとロザリーができる限りの中から、自分の最も得となるカードを導き出すはずだと考えた。


「なるほど確かに商談だ。私と君の、個人間のな」

「はい」

「何でもと言ったな?」

「はい、何でも」

「例えば――暗殺とか?」

「いっ!?」

「何だ、口だけか」

「ううっ、何でも!」

「よし。……しばし待て。考える」


 そう言った直後から、コクトーの瞳だけが忙しく動き出した。

 ロザリーはその様を見ながらじっと待つ。

 いったいどんな対価を要求されるのか。

 ロザリーが商談を持ちかけたことを少し後悔し始めた頃。

 コクトーはパンッ、と膝を打って立ち上がった。

 そしてそのまま、デスク前の椅子に腰かける。


「あの……商談は?」


 ロザリーが問いかけると、コクトーは振り向きもせずに言った。


「追って報せる。数日待て」


 コクトーはそう言ったきり、黙って羽ペンを動かし始めた。

 もうロザリーの存在を意識から消し去っているようだ。


「えーと。では、失礼します……」


 ロザリーは静かに〝止まり木の間〟を後にした。

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