52 職員会議
早朝、ミストラル城門前。
実習へ赴く三年生と見送りの保護者でごった返す中に、ロザリーとロロの姿もあった。
「はぐっ。うぎっ。ぐひぃ……」
「ロロ、泣きすぎ」
「だっでぇぇ。ロザリーざんどぉ。わがれだぐなぃぃ~」
「もう……」
ロザリーは周りの視線を気にしながら、ロロを抱き寄せ頭を撫でた。
「二か月なんてあっという間だよ。実習行けるだけ幸せだと思わなきゃ」
「ぐずっ。ずいばぜん、ロザリーさんはまだ実習先もぎまらないのにぃ」
「私のことは気にしないで。どうにかするから」
そのとき、ざわめきを切り裂いて野太い声が響いた。
三年生の青のクラスを担当するウルスだ。
「出立時刻となった! 実習生は各騎士団先導員の元へ整列せよ!」
ロザリーはロロの両肩を掴み、笑顔を浮かべた。
「じゃあね、ロロ」
「しばしのお別れでずぅ。離れがたいですが、これもあなたと私の未来のため……」
(……私の?)
「ぐずっ。でば、おたっじゃで~」
ロロは何度も振り返りながら離れていく。
「ロロ! 手紙出すからね!」
「ばいぃ」
ロロの姿が見えなくなり、ロザリーは親友の姿を捜した。
先導員が目立つ黒甲冑なのですぐに見つけた。
胸を張り、少しの緊張を漂わせながら、城外を見つめている。
(もう。一言くらいさ)
名を叫びたくなったが、彼の迷いのない眼を見て、その気もなくなった。
実習生たちはそれぞれの先導員に従い、王都から旅立っていった。
その日の午後、ソーサリエ職員室。
在籍する教官が一堂に会する、定例の職員会議が行われていた。
ウルスが起立して報告する。
「本日午前、本年の実習生を無事、送り出しました。担当教官を代表し、報告いたします」
シモンヴランが一つ、頷く。
「ウルス教官、ご苦労様でした。他の担当教官方にも感謝申し上げる。直前の課外授業であのようなトラブルに遭いながら期日通りに実習へ送り出せたのは、あなた方四人のご尽力によるものです」
他の教官達から、四人へ拍手が送られる。
拍手の中、四人の内の一人――ヴィルマがスッと手を挙げた。
シモンヴランが指差す。
「ヴィルマ教官、何か意見があるのかの?」
ヴィルマは席から立ち上がった。
「我がクラスにはまだ、実習先の決まらない生徒がおります。なのに無事に送り出せたというご発言は、私は承服しかねます」
「ロザリー=スノウオウルのことじゃな?」
「はい」
居並ぶ教官達は、みな一様に口を閉ざした。
ロザリーの素性、アトルシャン襲撃における戦果、そして貴族の保護者からの反対署名。
そのすべてが公然の秘密であった。
ほとんどの教官が自らは関わり合いたくないと思う中。
ただ一人、ルナールが手を挙げた。
シモンヴランが目配せし、ルナールが起立する。
「ヴィルマ教官。それは臨時の職員会議ですでに決定したことです」
「私を外して行われた会議でね」
「臨時ですから。急なことで全員集めるとはいかなかったことはご容赦いただきたい」
「だとしても。担当教官を外して行うのはおかしいわ」
「担当教官だからこそ、客観的に物事を考えられぬでしょう? 現にこうして決定事項を蒸し返している。あなたには難しい判断だから、私たちが決めて差し上げたのですよ」
「一方的に反論の機会を奪ってまで? まるでソーサリエの王であるかのような振る舞いだわ」
「これは異なことを。ソーサリエに王はおりませんし、おるとすればそれはシモンヴラン校長でしょう。そのシモンヴラン校長は臨時の職員会議に臨席されていたのですぞ? 違いますかな、校長?」
水を向けられたシモンヴランは、苦虫を噛み潰したように頷く。
ルナールは意地の悪い笑みを浮かべて、ヴィルマに言った。
「これは正当な手順を踏んで決定したこと。あなた一人がごねたところで覆りはしない」
するとヴィルマは、ルナールでなくその場の教官全体に語りかけた。
「ロザリーは
ルナールが笑う。
「たとえそれができても、ロザリー=スノウオウルを指導したい
ヴィルマは己の胸に手を当てた。
「そのときは私が指導します」
ルナールが眉を顰める。
「ソーサリエの職員は指導騎士にはなれない。そんなこともご存じない?」
「鈍いわね。職を辞して、指導騎士になるということよ」
教官たちの間にざわめきが起こる。
「ヴィルマ」
シモンヴランがたしなめるように彼女の名を呼んだ。
しかしヴィルマは取り合う気はないとばかりに、つんと目を逸らす。
対してルナールは、呆れたように首を横に振った。
「やはりあなたは客観的に物事を見られない。あまりに感情的だ」
「ロザリーは百年に一人の
暗に教育者失格と言われた気がして、ルナールの声が荒ぶる。
「奴の名はスノウオウル! 鳥の名だ! 育てた芽が死を運ぶ毒花であったらどうする!?」
「ロザリーが危険だというのなら、なおのこと導く者が必要よ。理由なく排斥されたら、それこそ獅子を恨む凶鳥となることでしょう」
「あなたなら導けると?」
ルナールは明言できない質問を浴びせたつもりだったが、ヴィルマはあっさりと断言した。
「ええ。もちろん」
「何を根拠に……っ!」
「教育者としての覚悟の問題よ。あなたとはそこが違う」
ルナールは机を指でカツ、カツ、と打った。
「そこまでおっしゃるなら、そうすればよろしい」
「では、ロザリーの実習を認めると?」
「努力は認めましょう。だが単位は出ないでしょうな」
ルナールを見据えるヴィルマの目が、軽蔑の眼差しに変わる。
「……ほんと小さい男」
「なんだと!?」
そのとき。
職員室の扉が激しくノックされた。
次いで事務職員が一人、慌てた様子で入ってくる。
「何事じゃ、騒々しい」
シモンヴランが咎めると、職員は息も絶え絶えに報告した。
「しっ、使者の方が参られまして。急なことで、でも、もうすぐそこまで来られて」
「落ち着け。何を言っておるのかわからん」
「使者の方です! 王宮の! ――は、もう来たっ!?」
事務職員は逃げるように部屋の隅へ走っていった。
教官たちが顔を見合わせる。
と、開け放たれた扉から、複数人の足音が聞こえてきた。
具足が鳴る音もする。
直後、三人の騎士が職員室に姿を現した。
三人はみな鎧姿で、
特に中央に立つ口髭の騎士の
職員室に似つかわしくない人物の登場に、ほとんどの者が唖然としてそれを見ていた。
「ゴホン!」
シモンヴランが咳払いをした。
見れば、彼は席から下り、床に膝をついている。
その意図に気づかぬ教官たちは、何事かと席上からそれを見下ろしている。
口髭の騎士が言う。
「王命である! 膝をつき、畏まって聞け!」
そこで教官たちはやっと、口髭の騎士の
〝吼え猛る獅子〟がデザインされている。
それはユーネリオン王家の象徴であり、一般に国旗と騎士章を除いてモチーフに使うことは許されない。
この人物が王族か、あるいはその代理人であることの証明であった。
教官たちは一斉に席を立ち、床に膝をついて首を垂れた。
それを認めた口髭の騎士は、隣の騎士から
ナイフを手に封蝋を開け、巻物を広げる。
「告!
読み終えた口髭の騎士は、声のトーンを落として皆に言った。
「王のご下命である。反する行為は即ち反逆であること、ゆめゆめ忘れぬよう」
シモンヴランが静かに答えた。
「……拝命いたします」
口髭の騎士は巻物をするするっと巻き取ると、シモンヴランへ向けて差し出した。
シモンヴランは俯いたまま進み出て、恭しくこれを受け取った。
口髭の騎士がシモンヴランの耳に口を寄せる。
「言付けだ。本日、ロザリー=スノウオウルを参城させ、〝止まり木の間〟へ」
「は、確かに」
口髭の騎士は頷き、二人の騎士を伴って職員室から出ていった。
教官たちは未だ唖然として、扉を眺めていた。
特にルナールなどは放心状態である。
王家の代理人が
職員室に王命が届くなど、前代未聞であった。
我に返ったヴィルマが、ハッとシモンヴランを見る。
彼は困り顔を作り、白髭を撫でながら言った。
「一度決したことであるのに……参ったのう」
そしてヴィルマにだけ見えるようにウィンクした。
「王命じゃ。仕方なかろうて」