51 手紙の行方
寮に戻ると、自室が物で溢れ返っていた。
足の踏み場もない、とはまさにこのこと。
ルナールの部屋とは対極の乱れようだ。
「何、これ?」
思わずロザリーがそう漏らすと、トランクとクローゼットの間からロロがひょっこり顔を出した。
「すいません、ロザリーさん! 実習の準備をしてまして!」
「あ、そっか。ロロも出発は明日?」
「ええ! ……荷物をまとめるはずが、なぜだか部屋が散らかっていくのです! あー、もう! どうしたらいいのか!」
ロザリーは、入寮の日のロロの大荷物を思い出した。
どうも彼女は荷造りが苦手らしい。
「必要な物から入れたらどう?」
「もちろんそうしてますよ! でも、おそらく必要な物とか、たぶん必要な物とかいろいろありまして……」
「絶対必要な物からトランクに詰めよう。で、入らないものは置いていく」
「で、ですね! ようし……!」
ロロは腕まくりして、荷作りを再開した。
ロザリーはというと、床の荷物をひょいひょいと避けながら、自分のベッドに飛び乗った。
「さて、と」
ロザリーはベッドの下に手を伸ばし、自分の鞄を引っ張り出した。
中からペンと紙を取り出し、膝の上で何か書き始める。
「勉強ですか? 私、もうしばらくはうるさくしますが」
「気にしないで。勉強じゃないから」
「ではなんなんです?」
ロロは床の荷物を器用に避けながら、ロザリーの前までやって来た。
「……手紙?」
「うん」
「何だか、ロザリーさんらしくない文面ですねぇ」
「偉い人に向けてだから。……これで良し」
ロザリーは書き終えた手紙を、丁寧に折っていく。
「あっ! もしかして――【手紙鳥】?」
「そっ。どうせなら使ってみようと思って」
ロザリーは完成した鳥の折り紙を手のひらに置き、そっと語りかけた。
「汝が向かうは
すると【手紙鳥】は細かく振動しながら動き出し、やがてバサバサッと羽ばたいた。
同時にロザリーの体内から、ごっそりと魔導が失われる。
「うっ……結構、魔導を持ってかれた……」
「呪文が悪かったんじゃないですか? ほら、嫌に元気に飛び回ってますし」
見れば【手紙鳥】は、バッサバッサと凄まじい勢いで部屋を旋回している。
「あ、マズい! ロロ、窓を開けて!」
「わわっ!」
ロロが飛びつくように窓に向かい、開け放つ。
その瞬間、窓を突き破る勢いで飛行する【手紙鳥】が、大空へ向けて羽ばたいていった。
――その夜。
コクトー宮中伯の執務室――〝止まり木の間〟。
ランプの明かりを頼りに、コクトーは羽ペンを走らせている。
彼以外誰もいないはずの部屋に、音もなく人影が射した。
「ネモか」
「左様です、宮中伯。ご報告に上がりました」
「しばし待て」
コクトーは視線さえ上げず、キリのいいところまで書き終えて、ようやく羽ペンを置いた。
ぐるりと回転椅子ごと振り向くと、そこに黒衣の騎士が立っていた。
この男は諜報活動を得意とする魔導騎士で、コクトーが最も信を置く部下である。
コクトーは、自身の価値は情報にこそあると自負していた。
それこそが貴族階級ではない自分がこの地位にのし上がった要因であり、王が重用する理由であると。
コクトーは何の武力も持たないがごとく装っているが、秘密裏に抱える子飼いの諜報員――魔導騎士の数は、ゆうに百を超える。
それは一騎士団に匹敵するものであった。
だがコクトーは、それを表に出したりはしない。
自分の能力をひけらかして見せるのは、愚かな貴族の所業そのものだと認識しているからだ。
コクトーがネモに尋ねる。
「スノウオウルが何かやらかしたか?」
こう尋ねるのは、ネモをロザリーの監視につけているからに他ならない。
「そのようなことは。ただ、行き詰っているようで」
「実習のことか?」
「ご存じでしたか」
するとコクトーは、デスクにあった手紙を持ち上げた。
「ここに書いてある」
ネモの眉がわずかに上がる。
「それは――スノウオウルの飛ばした【手紙鳥】?」
「そうだ。実習に行けない、このままでは騎士になれない、騎士になれと言われたのに申し訳が立たない、などと泣き言が延々と書いてある。……ふ、わざとらしいことこの上ないわ」
「しかし、それで行き詰っているのは確かかと。私もそう認識しております」
「手紙の最後にこうある。ニド殿下が行った
「同級生のラナ=アローズとそのような会話をしておりました。
「スノウオウルに圧力をかけているのは?」
「コルヌ男爵です」
「ということは魔導院絡み――
「おそらくは。……いかがされるおつもりで?」
「叶えてやるさ。仕方なかろう」
「なんと」
コクトーはネモの顔を見て、愉快そうに笑った。
「お前のその、表情を変えずに驚く様はいつ見てもおかしい」
「……コクトー様ならば、これは些事だと捨て置かれると予想しておりましたので。よほど、スノウオウルを気に入られましたか」
するとコクトーは、持った手紙を左右に揺らしてみせた。
「この【手紙鳥】。今、私が持っていることをどう思う?」
「どう、とは?」
「私がこれを見せたときも、お前は驚いていたではないか。今とは違い、表情が変わるほどに」
「は、それは――届いていないものと確信しておりましたので」
「なぜそう考えた? 一から説明してみよ」
コクトーが試すようにそう聞くと、ネモはすらすらと答えてみせた。
「
「正しい答えだ。では改めて聞こう。……私が今、この【手紙鳥】を持っていることをどう思う?」
ネモは顎に手を当て、考えた。
「スノウオウルが宮中伯に宛てて飛ばしたことは確認しています。運良く現物が残るタイプのまじない除けに掛かり、誰かが回収して届けられたということかと」
「違う」
コクトーは即座に首を横に振った。
「ならば……飛行する【手紙鳥】をどなたかが捕獲した? それができる魔導騎士がミストラルには多数おられます」
「違う、違う」
コクトーは笑みを浮かべて首を横に振った。
「答えはもっと単純だ」
「単純?」
「この【手紙鳥】に第三者の関与はない」
「……まさか!?」
ネモが目を見開く。
コクトーはそれを見て、満足げに頷いた。
「そのまさかだ。お前のその顔が見たくて勿体つけた。許せ」
「このような顔でよければいくらでも……しかし、真なのですか?」
「事実だ。この【手紙鳥】は数多のまじない除けをかいくぐり、無事に私の元へ届いた――届いてしまった。これが殺意を込めた呪詛であれば、私はとうに死んでいるだろう。いったいどれほどの魔導を込めれば、このような芸当ができるのか」
そしてコクトーは、機嫌よさげに目を細めた。
「叶えてやりたくなるのも、無理なかろう?」