50 嫌な奴
翌朝。
ロザリーが職員棟に続く渡り廊下を歩いていると、向こうからギリアムが歩いてきた。
ギリアムはロザリーのクラスメイトで、ネクロであることを理由に絡んできた奴だ。
そのときの出来事を思い出し、ロザリーが眉をひそめる。
と、ギリアムもこちらに気づいた様子。
「よう、ネクロ」
ニヤつくギリアムを一瞥し、ロザリーは横を素通りした。
するとギリアムが彼女の背中に、挑発するように言葉をぶつける。
「当ててやろうか? ルナールのとこに行くんだろ」
ロザリーは立ち止まり、振り向いた。
「よくわかったね」
「そりゃ噂になってるからな? お前、実習行けねーらしいじゃん。クク、かわいそうになあ?」
するとロザリーの眉がぴくんと跳ねた。
「ふぅん。その噂で私の行き先がわかるってことは、私の実習を邪魔してるのルナール教官なわけね?」
ギリアムはわかりやすく動揺した。
「っ、いや、それはええと……知らねーけど」
「フフ、そんな慌てなくても。別にギリアムから聞いたなんてルナールには言わないから。噂ではそうなのよね?」
「あ、ああ」
「ありがとう、聞けてよかった。ああ、それと」
「な、なんだよ」
「私も当てようか。ギリアムはヴィルマ教官に怒られて帰るとこ。でしょ?」
「……なんでわかった」
ロザリーはギリアムに近づき、鼻をスンスンと鳴らした。
「薬草茶の香りするもん。呼び出された理由は……目の下のアザ。オズとのケンカかな?」
ギリアムはハッとアザを手で隠し、それからムキになって反論した。
「勘違いするなよ、ロザリー。オズはこの十倍はボコってやったからな。人前に出てこれる顔じゃねーぞ、今のあいつ。ククク……」
「そうなの? オズが勝つと思ってた。ギリアムって強いのね?」
煽ったつもりが褒められて、ギリアムは思わずにんまりとしてしまった。
慌てて目を逸らすが、その横顔は得意げで嬉しそうである。
「そっか。それでやりすぎたから、あなただけ呼び出されたわけね」
「あん?」
「だって、ほんとならオズも一緒に呼び出すべきでしょ? ケンカなんだし……」
「いや、それは。ああ、うん」
「違うの……? あっ、わかった!」
ロザリーが手を叩く。
「一人じゃなかったのね? いつものお供を呼んだんだ。ケンカじゃなくてリンチだったからギリアムだけ呼び出された」
「っ」
図星のようで、ギリアムの瞳が左右に揺れ動いている。
「ダサっ」
ロザリーの一言にギリアムはカッと目を見開いた。
「ちょっとツラ良いからって調子に乗んなよ、ロザリー!」
「ツラ?」
「オズなんざタイマンでも余裕なんだよ!」
「はいはい。それはそうとさ、ギリアム」
「ああっ!?」
「ヴィルマ教官に呪いかけられてない?」
「……えっ?」
「薬草茶の香りと一緒にね、あなたからなにかタチの悪いまじないの気配を感じるの」
「なっ、え、はあ?」
「またオズに危害を加えたらイボガエルになるまじないとか」
「イボガ――なんだよそれ!?」
「知らないの? ヴィルマ教官って前に同僚をイボガエルにしたことあるらしいの。でも身に覚えがないなら気のせいか。うん、きっとそう。……じゃあね!」
「お、おい、ロザリー!」
ロザリーはギリアムの声を無視して、渡り廊下を歩いていった。
ギリアムは追いかけてこなかった。
(リンチだったことはウィリアスから聞いてたけど……オズ、そんなにやられたんだ)
(ポーション作って差し入れよっと)
――職員棟、ルナールの部屋。
扉を二回ノックすると、規則正しい足音が室内から聞こえてきた。
そしてわずかに扉が開き、そこから覗く顔がロザリーを見て目を見開く。
「スノウウルフ……!」
「スノウ
「……そうだったな。何の用だ」
「お話がありまして」
「こちらにはない」
そう言い捨てて、ルナールは扉を閉めようとした。
しかし閉まるより先に、ロザリーの靴先が扉の隙間へ滑り込む。
「ッ! 何のつもりだ、スノウオウル!」
ロザリーはドアノブを強く握り、力任せに扉を押し込んだ。
「ぬっ! ぐうぅ……」
ルナールも扉を押して抵抗するが、力の差はまるで大人と子供。
呆気なく扉は開け放たれた。
「失礼しまーす」
ロザリーが強引に部屋の中へ入る。
ルナールの部屋は、ヴィルマの部屋とずいぶん様子が違っていた。
朝日が射し込む室内は明るく、間取りこそヴィルマの部屋と同じだが、ずいぶん広く見える。
極端に物が少なく、整然としていた。
「へえ。きれいにされてるんですねぇ」
「スノウオウル! 教官室に押し入るなど、どういうつもりだ!」
「押し入るだなんて……それは誤解です。悩める生徒が教官に相談しに来ただけのこと。いたって普通のことでしょう?」
「ふざけるな! 今すぐ私の部屋から出ていけ!」
「話が済めば、出ていきます」
「こちらにはないと言っただろう!」
「ではどうします?」
ロザリーは両手を広げた。
「力ずくで追い出してみますか?」
「貴様……素性がバレた途端それか。本性を現したな?」
ロザリーは苦笑した。
「いちいち言いようが大袈裟ですね。本当に話を聞きに来ただけです」
「どうだかな。大方、私を脅しに来たのでは?」
「んー、まるで脅される心当たりがあるみたいですねぇ」
「フンッ!」
ルナールは鼻を鳴らし、部屋の奥へ向かった。
窓辺にあるデスクの椅子に腰を下ろし、じろっとロザリーを睨む。
「……お前が実習に行けないことは、もう決定事項だ。あきらめろ」
「あら、何を相談しに来たのかお見通しなのですね。さすがは教官殿です」
ルナールは取り合わず、部屋の扉を指差した。
「話は済んだ。帰れ」
「いいえ。まだです」
「やはり私を脅す気か。そんなことをしても何も変わらんぞ」
「まさか。生徒の私に教官を脅したりなんてできません。でも――」
瞬間。
ロザリーの紫の瞳が、濃密な魔導を孕む。
「――なぜそうなったのか。なぜそんなことをしたのか。ルナール教官なら、包み隠さず教えてくださると信じています」
ルナールは蛇に睨まれたカエルのように、身体を硬直させた。
紫色の視線に圧され、ルナールの顔に怯えが浮かぶ。
「……お前の実習については、私の発案ではない、っ」
ロザリーが首を捻る。
「そうなのですか?」
「
ロザリーは片眉を上げた。
「さる保護者……でも、ルナール教官もそれに乗ったのでしょう?」
「っ、当然だ! 同時に、お前が雛鳥だと知ったからな! 小賢しく化けおって……皇国騎士の子に、獅子の騎士章を与えるべきではないっ!」
「ああ。そういえばルナール教官って、雛鳥を目の敵にされていましたね」
ルナールはバンッ! とデスクを叩き、立ち上がった。
雛鳥への怒りが怯えを凌駕したのか、顔を真っ赤にしてまくし立てる。
「お前も覚悟せよ、スノウオウル! 貴様がいかに強かろうが、私の目の黒いうちは――」
ロザリーはルナールの怒声から意識を遠ざけ、考えを巡らせた。
(実習を妨害してるのは、ルナールではなく保護者の誰か)
(ルナールの雛鳥嫌いを知ってて話を持ち込んだ?)
(貴族五百名の署名は重い。でも、それってパッと集めたりできるものかな?)
(私のイメージだと、一筆書いてと頼まれてもすぐに書かないのが貴族なんだけど)
(
(まさかギリアムの親――はないか、名家の子息って感じじゃないし)
「聞いているのか、スノウオウル!」
ルナールに名を呼ばれ、ロザリーの意識が戻る。
「あっ。聞いてませんでした」
「なんだと!?」
「それはそうと、もう一つ。そのクレーム入れた保護者って、どなたですか?」
ルナールはむぐっと口を噤んだ。
「いっ、言えるわけがない!」
「なるほど。ルナール教官が怯えるほど、高位の貴族なんですね」
「ち、違う! 個人情報保護の観点から、言えないということだ!」
「その反応で十分です。お話ありがとうございました」
そう言ってロザリーは踵を返し、扉へ向かった。
ルナールが目を丸くして言う。
「スノウオウル……あきらめたのか?」
ロザリーは扉の前で振り返った。
「まさか。ただ、ルナール教官を脅しても実習には行けないことがわかったので。では、失礼します」
ロザリーは一礼し、部屋を出た。
しばらくして、背後から「やはり脅す気だったのではないか!」という怒声が廊下に響き渡った。
廊下を行く生徒が、ギョッとしてルナールの部屋を振り返っている。
ロザリーは無関係を装いつつも、思わず吹き出してしまった。