45 けじめのつけ方
授業が終わり、ヴィルマが教室から出ていった。
途端にざわつくのはいつものことだが、今日は少し様子が違う。
多くの生徒の視線が
「なあ、ロザリー」
ほとんど話したことのない男子生徒が、ロザリーの机の前にやって来た。
ニタニタと笑う男子生徒を見て、ロザリーが首を捻る。
(クラスメイトの……名前なんだっけ。たしか、ギリアム?)
まさか自分の名前を思い出してるとはつゆ知らず、ギリアムはニタニタ顔のままロザリーの顔を覗き込んだ。
「お前、死体使いなんだって?」
嘲笑を含んだざわめきが起きる。
続いてもう一人。
「聞いたときは耳を疑ったぜ。そんなキモい魔導性あったんだな?」
ロザリーが黙して答えないと見るや、さらにもう一人。
「どうやって
「わかった。お前に殺された奴が
「それはさすがにないって」
「でもあり得る話じゃないか?」
ロザリーの席を囲み、冗談めかして話す三人の生徒たち。
しかし、ロザリーは無視を決め込んでいる。
業を煮やしたギリアムが、ロザリーの机にドンッ! と手をついた。
「おい、ネクロ! 何とか言ったらどうだ!」
それでもロザリーは身じろぎひとつしなかったのだが。
彼女の代わりに後ろの席のロロがギリアムに飛びかかった。
「がおーっ!!」
「うおっ、なんだよおばさん!」
「ちょっと、ロロ!?」
「がーっ! がおーっ!」
「いって! 噛みつきやがった!」
「落ち着いて、落ち着いて……よしよし……」
「がるるる……」
獰猛な獣と化したロロは、ロザリーの腕に抱かれて唸っている。
ギリアムは噛まれた腕を擦りながら、吐き捨てるように言った。
「平民出のババアがよくも……しつけが必要だな。まず
そこへ、どこからか怒声が飛んできた。
「いい加減にしろ、ギリアム!」
怒声の主はオズだった。
近寄ってきて三人の肩を一人ずつ突き飛ばし、ロザリーたちから遠ざける。
ギリアムが言う。
「これはこれは幸運なるオズ卿。墓掘り女の肩を持つのか?」
また嘲笑が起きる。
しかし、オズの目は据わっていた。
「わからねえ」
「は? なんだよそりゃ。助けに入っといて今さらビビったのか?」
「そうじゃねえ。なんでお前ごときがロザリーにイキってんのかがわからねえ」
「……なんだと?」
オズは振り返り、ロザリーに語りかけた。
「俺は……俺は、あのとき死んだと思った。腹を喰われて、立てなくて。ああ、このまま死ぬんだなってぼんやり考えてた。――でも、お前が現れた。あの時は覆面野郎がお前だってわかってなかったけど、でも誰でもよかった。あのバカ強い黒犬オヤジをぶちのめしてくれ! 何でもいいから助けてくれ! って。お前は俺の願いを叶えてくれた。それで十分だ、十分なんだ」
「オズ……」
オズの熱のこもった言葉に、ロザリーは彼の名を呼ぶことしかできなかった。
そんなオズへ、ギリアムが言う。
「オズ。お前は気色悪くねーのか? ロザリーが怖くねーのかよ?」
「怖いぜ? 怖いからこそ、わからねえ」
オズは振り向き、ギリアムに言った。
「俺もお前もさ、ロザリーにとっちゃ遥か格下、羽虫レベルなんだよ。だってロザリーは、俺たちが寄り集まっても手も足も出ない黒犬オヤジをたった一人で倒しちまうんだから。ロザリーがその気になりゃあ、瞬殺だろうな。あっという間にお前ら三人とも殺される。だろ?」
ギリアムは反論できず、オズを睨むだけ。
オズが続ける。
「
オズはギリアムに詰め寄り、鼻が触れるほど顔を寄せた。
「結局さ、お前、なめてんだよ。ロザリーだけじゃない、世の中ぜ~んぶなめてる。だから助けられた身のくせに、助けてくれた相手を罵るなんてバカなことができるんだ。罵ったってロザリーが手を出すはずがない、貴族である自分が殺されるはずない、ってな。あんな目に遭ったくせに、まだそんな甘っちょろいこと考えてる。どんだけ甘ちゃんなんだよお前?」
「オズ! てめえッ!」
ギリアムがオズの胸ぐらを掴む。
「怪我人だからって我慢してりゃ、調子に乗りやがって!」
すぐさまオズも掴み返す。
「我慢? 嘘つけ、ビビってるだけじゃねえか。足、震えてるぞ?」
「てめえ! 表出ろ!」
「おう、望むところだ!」
取っ組み合いながら、もつれ合うように教室の外へ向かう二人。
「オズ!」
思わずロザリーが立ち上がると、オズは彼女を睨みつけた。
「これは俺のケンカだ! お前の出る幕じゃねえからな!」
「でも!」
その瞬間、ロザリーは下から引っ張られた。
見れば、ロロがロザリーにしがみついている。
ロロは顔を近づけ、ロザリーに囁いた。
「ダメです。ここでロザリーさんが力尽くで収めると、オズ君の気持ちが無駄になります」
「っ、でも」
すると後ろからやって来た生徒が、ロザリーの背中をポンと叩いた。
「ウィリアス……」
「任せろ。適当なところで止める」
「……ごめん。お願い」
「ああ、頼まれた。お前は部屋に戻れ、見世物になってる」
ロザリーが周囲を見回すと、大半の生徒の目は変わらずロザリーへ向けられていた。
部屋に向かい渡り廊下を歩く、ロザリーとロロ。
「オズ、大丈夫かな」
「大丈夫ですよ、ウィリアス君はしっかりしてますから」
「だといいけど」
浮かない顔のロザリーを見て、ロロは話題を変えた。
「今日の授業、面白かったですねぇ」
「【手紙鳥】ね。楽しかった」
「ペアになって、宛先を相手にして。互いに距離取って送り合う感じ、キャッチボールみたいでした」
「誰が飛ばしたか見てなくても、受け取った瞬間に差出人がわかるの不思議だったな。あんなまじないあるんだねぇ」
「あ、やっぱり」
一人頷くロロに、ロザリーが尋ねる。
「ん? 何が?」
「いや、ロザリーさんがあんまり楽しそうだったので。【手紙鳥】を知らないのかなあ、と」
「うん、知らなかった。変かな?」
「変というか。ロザリーさんはたいていのまじないを予習済みですから」
「ああ、そうだね。きっと、新しいまじないなんだと思う」
「へえ? 古いまじないなら知ってるんですか?」
「えーと、うん。
「そうなんですね。今度、見せてください」
「うん」
それから二人は、しばし無言になった。
沈黙に耐えかねたロザリーはつい、心の奥にしまっていた疑問を口にする。
「ロロは私が怖くないの?」
ロロは笑った。
「何です、それ」
「私は
「そりゃあビックリはしましたけど。でも、私はロザリーさんのファンですから」
「ロロ。私は真面目に聞いてるの」
ロロは少しだけ目を見開き、また笑った。
「私だって大真面目ですよ。ファンっていうのは冗談でも何でもなくて」
ロロは少しはにかんで、言葉を続けた。
「あなたは私の憧れなんです。私もこんなに強くて素敵ならどんなにいいだろう、って。年下に憧れるなんて変ですよね?」
「そんなこと」
「いいんです、いいんです。自分でわかってますから。でも、確かなことなんです」
そう言って、ロロは自分の心臓の上に両手を重ねた。
「あのとき――ロザリーさんがアトルシャンの騎士を討ち取ったとき、私は自分の正しさを知った。ロザリーさんは私たちを助けてくれた。私の憧れの人は、やっぱり強くて素敵だった。だから、ちっとも怖くなんてありません」
「ロロ……」
そしてロロはふっと、暗い表情を浮かべた。
「私は山奥でたった一人で暮らしていた頃のほうが、よっぽど怖い」
「寂しい、じゃなくて?」
「怖いんです。孤独で、ただ繰り返す日々。先が見えず、年だけを重ね。話したいことはたくさんあるのに、誰にも話さないまま忘れていく。あれに比べれば、たいていのことは怖くない」
「どうして街に出なかったの?」
「それも、怖かったからです。長く一人でいると、他人が怖くなる。よく炭を買ってくれる人の良いおばさん相手でさえ、話すときには手に汗をかいたものです」
「へえ。私の知ってるロロからは想像もつかないな」
「たぶん、魔導があるとわかった影響が大きいです。誰もが欲しがる才能があると知ったことで、自信を持てた。だからソーサリエに入った頃には普通に話せるようになっていましたねぇ」
「なるほどね」
「でも炭焼き小屋暮らしの頃の臆病な自分も、まだすぐ側にいるのもわかるんです。早く決別したいけれど、きっと一生側にいるのでしょう」
ロザリーは
「……なんとなく、わかる気がする」
「力を隠していたのは、臆病な自分のせいですか?」
「かもしれない。……ううん、きっとそう。私、臆病なんだ」
「ロザリーさんも臆病者ですか」
「がっかりした?」
「いえ? だろうなと思ってましたから」
「そうなの?」
「臆病なこと自体は悪いことじゃありませんよ。
「なんか、深いこと言うねぇ」
「伊達に年取ってませんから」
「ふふっ」
「でも……」
ロロは一瞬言い淀み、続けた。
「でも、グレン君にくらい打ち明けてもよかったんじゃないですか? 親友なんでしょう?」
「……グレンはどんなだった?」
「あんなに狼狽えるグレン君は見たことがありません。ソーサリエへ戻ってからも様子がおかしかったです。普段に輪をかけて無口で、誰とも話さない。暇さえあれば訓練に出かけて、寮にはほとんど戻ってないみたいです」
「……そっか」
「グレン君にも言えなかったんですか?」
「他の誰かに打ち明けるより、難しいかも」
「ふぅむ、そんなものですか」
「うん。……っ!」
廊下を抜けて女子寮の前まで来ると、そこに彼がいた。
玄関ポーチの柱に背をもたれ、腕組みし、目を閉じている。
足元には、ふた振りの剣。
誰を待っているかは明白だった。
ロロが大袈裟に手を打つ。
「あっ、そうだ。用事を思い出しました、ちょっと出かけてきますねぇ」
そそくさと立ち去るロロ。
彼女の足音が遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなると、グレンは瞼を開いた。
「……ロザリー。ちょっと付き合え」