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44 帰還

 魔導騎士養成学校(ソーサリエ)、校長室。


 年代物のデスクの上で、校長シモンヴランが書類に目を通している。

 ふと、彼の白い眉が上がる。

 間もなく、校長室の扉がノックされた。


「どうぞ」


 扉が開き、一人の女子学生が入ってくる。

 シモンヴランは眼鏡越しに目を見開いた。


「スノウウルフ……!」


 ロザリーは扉を閉めて会釈し、部屋の中ほどへ進んだ。


「戻ったので、ご挨拶に」

「いつか戻ると信じておった。が、こんなに早くとは」

「コクトー様にお許しいただきまして」

「宮中伯か。よくぞ戻った。さ、座りなさい」


 シモンヴランに促され、ロザリーはデスク前に置かれた椅子に座った。

 ロザリーが伏し目がちに言う。


「……校長先生は、私が死霊騎士(ネクロマンサー)だとご存じでした。今回のことで、ご迷惑をおかけしたのでは?」


 シモンヴランはふっ、と笑う。


「大人のような気遣いをするな、スノウウルフ。儂らは生徒たちに迷惑をかけられることが仕事じゃ。お主の場合、もっと迷惑かけて良いくらいじゃぞ?」


 ロザリーは顔を上げ、老校長の皺だらけの顔を見つめた。


「ありがとうございます。校長先生」

「なんのなんの」

「それと、今日からスノウオウルと名乗ります」

「スノウ――オウル?」

「本名です。今まで騙していて、すいません」

「なんと……鳥の名、皇国出身ということか?」

「出身は王都であるようです。幼少期、鳥籠にいたらしく」

「……まことか?」

「コクトー様がお調べになって、私の記憶とも合います。鳥籠の記録にも名前があるようで」

「んむ、そうか……宮中伯の調べなら、間違いなかろうの」


 シモンヴランの表情を見つめ、ロザリーが言った。


「私、さっそくご迷惑をおかけしましたか?」


 シモンヴランの頬が緩む。


「なんの、どうということはない。それより、クラスに行ってサラマンを喜ばせてあげなさい」

「ヴィルマ教官……私が戻って喜ぶでしょうか」

「喜ぶとも。ここだけの話じゃが――」


 シモンヴランはデスクに身を乗り出し、密やかに言った。


「――彼女は儂の元へやって来て、興奮気味に話したことがある。『百年に一人の魔女と巡り合った。魔女騎士(ウィッチ)の指導者として、こんなに嬉しいことはない』とな」

「それ、私のことですか?」

「課外授業の直前くらいのことじゃ。お主、何かしたじゃろう?」

「課外授業の前……」


 宙を見つめたロザリーが、不意にパン、と手を叩いた。


「あ、ヴィルマ教官の部屋の扉を【鍵開け】しました」


 するとシモンヴランは、しばし絶句した。


「……秘密主義者で学内一の魔女騎士(ウィッチ)のサラマンの部屋に入ったと? 怖ろしいことをするのう」

「怖ろしいこと?」

「以前、彼女に入れ揚げて、勝手に部屋に入ろうとした男性職員がいての」

「はあ」

「サラマン特製の【鍵掛け】を開けられず部屋に入れぬばかりか、反動で怖ろしい呪いまで受けてしまったのじゃ」

「呪い?」


 シモンヴランはちょいちょい、とロザリーに手招きした。

 デスク越しに顔を寄せたロザリーの耳に、シモンヴランが囁く。


「全身が……顔まで……」

「ふんふん」

「まるでイボガエル……臭い汁がとめどなく……」

「うーわ」

「床を這いずる……腐臭が……」

「なにもそこまで」

「あれは声というより鳴き声……彼はもはや……」

「うわぁ、酷い」

「んむ、酷い話じゃ」


 それっきり、シモンヴランは白髭を撫でるだけ。

 ロザリーが問う。


「……それで、その男性教官はどうなったんです?」

「んむ……どうなったんじゃろうのう」

「わからないんですか!?」


 シモンヴランは、遠い目で窓の外を見つめた。


「彼は今、どこで何をしているのじゃろうか……どう思う、スノウオウル?」

「知りませんよっ!」


 両者の間に沈黙が流れる。


「……酷い話ですね」

「……んむ、酷い」


 そうして二人は同時にため息をついた。


「ま、多少過激な点を除けば、サラマンはまっこと優秀な指導者じゃ。お主が戻れば必ず喜ぶことは請け合おう」

「……はい」

「さあ、行け」

「はい!」


 ロザリーは立ち上がって一礼し、校長室を後にした。

 残されたシモンヴランが呟く。


「戻ったか。うむ、うむ」


 そして背もたれに寄りかかり、宙を見つめ、また呟く。


「これからが大変じゃのぅ」



 赤のクラス。

 教壇に立つヴィルマが生徒たちに言う。


「こうして皆の前に立つのも久しぶりね。課外授業へ行くあなたたちを見送ったときには、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった」


 アトルシャンの襲撃から、二週間が経っていた。

 課外授業を中止し王都へ戻った生徒たちは、一旦は親元へと帰された。

 しかし心の傷も癒えぬ間に、生徒たちはソーサリエへ続々と戻っていた。

 理由は、騎士実習が近いからだ。

 授業の再開は延期されたが、実習は予定通り行われる。

 実習へ行かねば卒業できず、つまりは騎士となれない。

 生徒たちは誰も、襲撃の恐怖を忘れるように実習の準備に(いそ)しんでいた。

 そして実習も近づき、今日より授業が再開される。


「私たち教官も学ばされたわ。魔導を持つソーサリエ生四百人を襲う賊などいない。いれば瞬く間に返り討ちにするだろう。――そう、高をくくっていた。まさか視察を命じたハイランド地下道から、本当に他国の騎士団が侵入してくるなど想像もしていなかった。そんなこと建国以来、一度もなかったから。思考停止もいいとこよね」


 ここまで話し、ヴィルマが笑顔を浮かべる。


「でも吉報もある。オズ!」

「はい!」


 呼ばれたオズが立ち上がる。


「傷はどう?」

「まだ痛みますけど、問題ありません!」


 オズはそう、はっきりとした声で答えた。

 ヴィルマが笑顔のまま、頷く。


「強力な精霊術(エレメンタル)を受けながら、よく帰ってきたわ。みんな! 幸運なるオズに拍手!」


 教室が拍手に包まれる。

 オズは照れくさそうにしながら拍手に応え、席に座った。


「――さて。まだ一人足りないけど、授業を再開するわ」


 ヴィルマは指先で光文字を使い、宙に〝手紙鳥〟と記した。


「ヴィルマ教官」


 ある女子生徒が手を上げた。


「前回の授業で【鍵開け】【鍵掛け】の理論まで習いました。今日はその続きでは?」

「そうね。もちろん覚えているわ」


 ヴィルマは一枚の紙を手に取り、折り紙して鳥を形作った。

 そして何事か呟く。

 すると鳥の折り紙は羽ばたき、鳥のように教室を飛び始めた。


「すげえ!」

「かわいい!」


 生徒の視線が鳥の折り紙を追う。

 鳥の折り紙は教室を何周か旋回し、教壇の上に降り立った。

 ヴィルマが手に取ると、折り紙が解けて元の紙になる。


「これが【手紙鳥】。手紙に仮初(かりそめ)の命を与え、飛行して相手に手紙を届けるまじないよ。遠く離れた想い人へ恋文を届けるために生まれた術だと伝わっている」


 ヴィルマがふと、ロロを見る。


「ねぇ、ロロ。なんだ、大したまじないじゃないな、なんて思ってない?」


 呼ばれたロロはハッとして、それからバツが悪そうに答えた。


「いや、はは……。ええと、手品みたいだなって、はい」

「確かにね。でも【手紙鳥】は初等魔女術(ウィッチクラフト)において、最も有用なまじないだと言われているわ」

「そうなのですか?」

「ええ。非常時、特に戦時において、これほど重要な魔女術(ウィッチクラフト)はないもの」

「……そうか、情報伝達手段として!」

「その通り。使い手の技量にもよるけれど、【手紙鳥】は早馬よりも刻印騎士(ルーンナイト)が駆けるよりも早く、重要な情報を伝えることができる」


 そしてヴィルマが生徒たちを見回す。


「先に【手紙鳥】を教えるのは、辛い経験を活かすため。地下道で異常を感じたとき。あるいは死体を見つけたとき。そして、襲撃を受けたとき。もしあなたが【手紙鳥】を使えたら? 状況はどう変わっていたかしら?」


 生徒たちは想像する。

 他の誰かではなく、自分が状況を変えられたかもしれない。

 そんな思いが生徒たちの胸に去来していた。

 ヴィルマが言う。


「あなたたちは運良く命を拾った。しかし、次もそうなるとは限らない。もし、ロザリーのいないこの顔ぶれでもう一度同じ状況に陥ったら? おそらく、多くは助からない」


 しん、と静まり返る教室。

 その静けさに、ヴィルマの凛とした声が響く。


「――始めましょう。次も助かるために」


 と、そのとき。


「失礼しまーす……」


 教室の扉がわずかに開き、そこから女子生徒が黒髪を垂らして顔を覗かせた。


「ロザリー!?」


 生徒たちは元より、ヴィルマまでも驚愕の表情を浮かべる。

 ロザリーは視線を気にしながら、きまり悪そうに教室に入ってきた。

 ヴィルマが問う。


「いつ、戻ったの?」

「さっきです。校長先生にご挨拶して、そのままここへ」

「そう」

「すいません。授業のあとにすべきでしたね」


 するとヴィルマはロザリーへ歩み寄り、彼女の頬を両手でバチン! と挟んだ。


「……びるまへんへい?」


 挟まれたままヴィルマを見上げると、彼女の顔は我が子を見つめる慈悲深い母のような表情へと変わっていた。


「お帰り。ロザリー」

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