43 ロザリー✕コクトー
ロザリーは
異国の外交官などが宿泊する部屋である。
間取りは馬鹿馬鹿しいほど広く、調度品は国威を示すかのように豪奢だ。
ロザリーも初めの内こそ、この待遇を喜んだ。
部屋を隅々まで調べて回ったり、高層からの眺めを楽しんだり、贅を尽くしたディナーに舌鼓を打ったり。
だがそんな気分も一晩寝たら冷めた。
これは軟禁であると気づいたからだ。
「何を見ているンだい?」
ヒューゴがロザリーに尋ねた。
ロザリーは窓の額縁に腰かけ、物憂げに外を眺めている。
「今年は、先の尖った靴が流行りらしくて」
「ふぅン」
「履いた人が何人いるかなって数えてる」
「……ソレ、楽しい?」
「つまんない」
そう言って、ロザリーはため息をついた。
「キミが何を考えているか当てよう」
ヒューゴは両手の人差し指を交互に動かし、からかうようにロザリーを指差した。
「お友だち――グレンって子のことだネ」
ロザリーはふいっと目を逸らした。
ヒューゴが追い打ちする。
「ハハ、当たりだね。なぜわかるのかって? そりゃあ未練たっぷりな顔してるもの。だが期待は抱かないことだ、いつも言ってるように――」
「――ネクロは疎まれ、蔑まれるって言うんでしょう? わかってる!」
「でもキミは、ソーサリエに戻りたがってる」
ロザリーはヒューゴが煙たくて、レースのカーテンを勢い良く閉めた。
窓とカーテンの間で、ロザリーは思いを馳せる。
それは王都で過ごした、甘く遠い学生生活のこと。
(たった二年で終わりかぁ。あっけないものね)
すると、部屋の扉がノックされた。
折り目正しい音。
昼食の時間はまだ先だ。
「はい」
ロザリーはカーテンの裏から出てきて、扉に向かった。
無言でヒューゴに自分の影を指し示すと、彼は口を尖らせながらも黙って影へ潜る。
「お待たせしました。何の御用でしょう?」
努めて行儀よく扉を開けると、東方系の顔立ちの男が立っていた。
彼の地味だが仕立ての良い服を見て、ロザリーは行儀良くして正解だったと心中で頷く。
「私は王の側に仕えるコクトーという。今日は君に二、三質問があってきた」
「わかりました。中へどうぞ」
ロザリーは部屋の主のように振舞い、応接用のソファへと案内した。
コクトーが座り、ロザリーも応接机を挟んで座る。
「まずは、ウィニィ殿下を窮地より救い出してくれたこと、陛下に代わり謝意を述べさせてもらおう」
ロザリーは無言で頷いた。
コクトーが笑顔を貼りつかせて続ける。
「陛下は大変お喜びだ。君に勲章を授与するとまで言い出されたほどだよ」
「そうですか。その感謝の表れが、この豪勢な
するとコクトーの作り物の笑顔が、本来の皮肉めいた物へと変わった。
「クク、手厳しいな。だが仕方あるまい。この国において、
「私のことを調べて」
「当然だ。王子誘拐未遂事件を嵐とすれば、君はその渦の中心にいる」
「なるほど。で、どこまで調べがついたのです?」
ロザリーは余裕たっぷりに足を組んだ。
「ロザリー=スノウウルフ。ソーサリエ三年生。魔導性は
ロザリーもここまでは、余裕を持って聞いていたのだが。
「本名ロザリー=スノウ
ロザリーはわかりやすく動揺した。
思わず口を手で覆い隠し、瞳が激しく揺れる。
(鳥籠出身!? ルイーズの娘!? この人、何を言って……ええっ!?)
すると、心の中で声がした。
『落ち着きなヨ、御主人様』
(落ち着いてなんかいられないよ! ヒューゴも今の聞いたでしょ!?)
『聞いタ。本当かねェ』
(だいたい、何で本名がバレて――やっぱりスノウウルフって偽名がそのまますぎたんだ! ああ、入学のときもっと真剣に考えるんだった!)
『たぶん、そこは重要ではないヨ』
(なんで?)
『魔導八翼とは皇国の大いなる騎士、八人のコト。ソノ娘が王都にいたのなら、王国にとって超が付く重要人物だ。王都に戻った以上、遅かれ早かれバレていただろう』
(そっか……)
『ってかサ、キミは王国生まれなのかイ? 鳥の名だからてっきり皇国生まれだとばかり』
(覚えてない。……ただ、夢を見る)
『夢?』
(母さんと別れる日の夢。最近気づいたんだけど、その場所が〝金の小枝通り〟なの)
『……ナルホド』
(うー、でもわからない! 夢の中で、最近見てる光景とごちゃ混ぜになってるだけかも!)
『ルイーズという名に覚えは?』
(ない。お母さん、って呼んでたし。他の人にも、ルイーズとは呼ばれてなかったと思う)
『フム。ま、とにかく確かめよう』
(どうやって?)
『目の前の男に聞くといい。どうもこの男は、キミやボクよりキミに詳しいみたいだからネ』
(……そうね。わかった)
ロザリーが視線を向けると、コクトーは静かに待っていた。
ロザリーを思いやって待っていたというより、ロザリーの反応を楽しんでいる様子だった。
ごくんと唾を呑み、ロザリーが尋ねる。
「……私は、鳥籠にいたのですか?」
「ん? 覚えていないのか?」
「覚えていません。だから、あなたの言うロザリーが自分のことか、正直わからなくて」
「ふむ。鳥籠にロザリー=スノウオウルという少女がいたのは事実だ。記録によれば君と同じ年齢で、肌が白く黒髪で、紫の瞳をしていたという」
「……まるで、私ですね」
「私はそう確信している。君の口から確かめたいと思い、ここに来たのだが……覚えていないとは困ったな。何か、思い出せることはないか?」
ロザリーの目が応接机の上を泳ぐ。
「コクトー様の仰ることと矛盾はないです。でも、私は確信を持てません」
「そうか」
ロザリーがハッと視線を上げる。
「そのルイーズという女性はどんな方なんですか?」
「魔導八翼〝白薔薇〟のルイーズ。八翼とは皇国圏で最も魔導強き八人を指す」
「すごい騎士なんですね」
「極めて優れた騎士と言えるだろう」
「その人、今は?」
「行方知れずだ。生死もわからない」
「そう、ですか。……もう少しわかりませんか? ほら、外見とか」
「外見か」
コクトーはルイーズ=スノウオウルの名を鍵にして、記憶の糸を手繰った。
「当時の皇国騎士人物評にこうある。――氷と雪に親しい
ロザリーがしきりに頷く。
「母は長い銀髪で細身でした。特徴は合ってます」
「あとは、そうだな……」
コクトーが再び記憶の糸を手繰る。
「外見ではないが、ルイーズと会った東方の商人が手記にこう記している。――彼女が〝白薔薇〟と呼ばれる
ロザリーは両手で顔を覆った。
「……母です。いつも薔薇の香りを漂わせていた」
「やはりそうか」
コクトーは静かに頷いた。
「私が知りたいのは。ルイーズの娘である君が、果たしてどんな少女なのかということだ」
「……どんな、とは?」
「君は将来有望な騎士候補生の一人に過ぎないのか。それとも王国に
「
「その両方だ」
ロザリーが眉を寄せる。
「自己弁護する方法が思いつきません。確かに私は
「自己弁護の必要はない。私が判断する」
そしてコクトーは、机に被せるように身を乗り出した。
「君には私の知らない七年の空白がある。五才から十二才まで、君はどこで何をしていた?」
「私は――」
そこまで言って、ロザリーはどう答えるべきか迷った。
するとヒューゴの声が頭に響く。
『コノ男は東商人だ』
(なにそれ?)
『東方商国の貿易商のコト。真偽不明の情報が飛び交う世界で、彼らは正しい情報だけを炙り出す手管を知ってる。嘘は通用しない。正直に答えたほうがいい』
(……わかった)
ロザリーは初めから言い直した。
「私は母に捨てられて、すぐ別の人に拾われて、十才まで山の中の研究所にいました」
「すぐ拾われた、か。それは攫われたのでは?」
「たぶん違います。母との別れは覚えているので」
「ふむ。研究所とは?」
「〝旧時代〟と呼ばれる古代文明の研究所です」
「〝旧時代〟か。魔導具関連だな。どこにある?」
「西の果ての山岳地帯に。そこに〝旧時代〟の遺跡群があって」
「それは皇国の研究施設か?」
「わかりません。隠れ里のように存在していたので、てっきり独立した施設なのかと」
「どこの国にも属さない魔導具研究機関がある、という噂は聞いたことがあるが。……君はなぜ、そこにいたのだ?」
「遺跡で発掘された遺体から、情報を引き出すために」
「ほう! なるほど、そういう力の使い方もあるのか。実際に引き出せていたのか?」
「一部は。古すぎる遺骨は会話もままならなくて」
「遺骨と会話か、面白いな。それで、どうしてその研究所を出た?」
「利用されるのが嫌になって、飛び出しました」
コクトーがすうっと目を細める。
愉快そうにしていた気配も消えた。
「偽りを混ぜたな? 急に嘘が臭い始めた」
ロザリーは思わずついた嘘を飲み込み、真実を話した。
「……私の利用価値がなくなって殺されそうになり……返り討ちにしました」
コクトーは一つ、頷いた。
「それでいい」
「嘘は通用しませんね。気をつけます」
ロザリーが目を伏せると、コクトーは小さく首を横に振った。
「そのことではない。返り討ちにしたことだ」
「は?」
「嘘をついたということは、それを後ろめたく思っているということだ。だが君は力ある騎士であり、自身の命を防衛しただけのこと。気に病む必要はない、それでいい」
思いがけない言葉に、ロザリーは目を瞬かせた。
「は……ありがとうございます」
「礼には及ばん。思ったことを言ったまでだ。……さて、それがいくつの時だ?」
「十才です。そこから旅暮らしをしつつ移動し、王都に着いたのは入学の直前です」
「王都へは母を求めて?」
「いえ、入学が目的です。母と暮らしたのが王都だとは思いもしなかったので」
「なるほど。……最後に。ヒューゴという騎士について知っているか?」
「っ!」
ロザリーは背筋を伸ばして固まった。
『ったく。キミは態度に出しすぎだヨ』
(でも、だって! なんでヒューゴのことまで知ってるの!?)
『別に不思議でもないだろう。ボクは何度か人に見られているし、キミも人前でボクの名を呼んでいる』
(嘘っ! いつ!?)
『アトルシャンの頭目を仕留めたときとか。キミはボクの名を呼んで影から呼び出した』
(あぁ……そういえば……)
『しかし困ったネ。できればボクのことはあまり知られたくないんだケド』
(でも、この人に嘘は通用しないんでしょ?)
『ソレはそうなんだけどサ。ボク、戦時中に王国の人をかなり殺めちゃったんだよねェ』
(聞きたくないけど。……どのくらい?)
『五……六ケタ?』
(うわぁ、最低……)
『すまないネ。上手くごまかしてくれ』
(簡単にいうよね、もう)
ロザリーがコクトーに視線を向けると、彼は言った。
「その顔は知っているようだな?」
思わずとぼけたくなるが、目の前の男は難なく看破するに決まってる。
そう思ったロザリーは、嘘を交えず、できるだけ簡潔に答えることにした。
「ヒューゴは、私の
「
「えーと、
「ふむ。騎士ではないのか」
「騎士と言えば騎士です。生前は騎士だったので」
「どうやって
「彼の遺骨に語りかけて」
「なるほどな。ヒューゴは今も魔術を使えるのか?」
「使えません。
「
「そうです」
これ以上聞かれたらどう答えようか。
ヒューゴの素性や【葬魔灯】について聞かれたら、洗いざらい告白するべきなのか?
隠そうとすればきっとバレる、でも何もかもは話したくない。
そんなふうにロザリーがぐるぐると思案していると。
「まあ、いいだろう」
コクトーはそう言って、すっくと立ち上がった。
「あの……?」
ロザリーが問うと、コクトーは片眉を上げた。
「話は終わりだ。なかなか楽しかったぞ、スノウオウル」
「はあ、それはどうも」
コクトーはそれっきりで、部屋の扉へ向かって歩き始めた。
ロザリーは意を決し、コクトーの背中に尋ねた。
「あの! 私、ソーサリエに戻りたいのですが!」
コクトーが扉のノブに手をかけたまま、振り返る。
「戻ればいいのではないか?」
「え、戻れるのですか!?」
するとコクトーは扉を開け放ち、
「戻りたいなら、今すぐ戻ればいい」
と、言った。
ロザリーが目を見開く。
『おっと、コレは意外な展開……』
(ヒューゴは黙ってて)
ロザリーは一歩踏み出し、コクトーに問うた。
「でも私、
「不安はあった。だから私が確かめた」
「今ので!? 今の質疑だけで私をソーサリエに戻していいんですか!?」
「まるで戻りたくないと言っているように聞こえるが」
「そうじゃないです、戻りたいですけど……」
「けど?」
ロザリーは意を決し、心情を打ち明けた。
「死者を操るなんて、気味悪くないですか? 私を蔑み、疎む人がほとんどだと思いますが」
「ふむ、そういうことか」
コクトーはノブから手を放し、両手で指を六本、立ててみせた。
「六枚羽根。これが何を意味するかわかるか?」
「羽根、ですか?」
「〝黒犬〟のボルドークは覚えているな?」
「〝黒犬〟……私が討ち取ったアトルシャンの騎士ですね」
「彼は
「はあ」
「六枚羽根とは、我が国で言うところの大手騎士団の筆頭騎士相当。数えるほどしかいない強者だ。君はその騎士を討ち取った。それどころか部隊ごと殲滅してみせたのだ」
「……はい」
「自覚したまえ。君は学生にしては強いどころではない、国の軍事を左右する大駒なのだ。そんな騎士をみすみす手放すと思うか? その結果、皇国へでも行かれたら? 国益を考えれば、気味が悪いなど取るに足らん些事だ」
「些事、ですか」
ロザリーは叱責と称賛を同時に受けているような、複雑な気分になった。
コクトーが続ける。
「私が手放しがたいと思うのとは裏腹に、君を排除しようとする者もたしかにいるだろう。……いや、すでにいたな。先日、そう意見する者と会ったばかりだ」
「コクトー様に、私を追放しろと言った方が?」
「いや。陛下に、だ」
「!」
「心配するな。君をソーサリエに戻し、王国の騎士とすることこそ、陛下のご意向。ソーサリエでも君を排除しようとする動きが起きるのは時間の問題だが……まあ、それもまた些事だ」
ロザリーが眉を寄せる。
「……そうでしょうか?」
「君には力があり、陛下のお許しがある。他に何の不都合が? 邪魔する者は逆に君が排除してしまえばよいのだ。力を持つ者にはそれが許される。……これからはスノウオウルと名乗りたまえ。以前とは違うのだと、自ら示すのだ」
そしてコクトーは去り際にもう一度振り向き、最後に言った。
「胸を張れ、スノウオウル。強者にはその態度こそが相応しい」
これにて第二章『アトルシャン事件』終幕です。
お付き合いいただきありがとうございました。
以降は更新ペースが週2話程度になります。
実習というていの冒険編→卒業試験ベルム編と進む予定です。